表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
289/331

289 怨




「黒田殿! 見事な決断で御座った、無益な殺生は将と言えどもしてはならぬ、敵に下るは一刻の恥であり大局から見れば些少の事である、御身についてはこれにて守られる安心致すが良い!!」



「幻庵様ありがとう御座います、某が受ける恥など小さき事であります、見事に負け申した、最初から勝てぬ戦でありました、堅牢なる小田原の城を攻めるには無理がありました、三家の軍略見事であり脱帽致しました」



「相手が誰であってもこの城は落ちぬ、20年以上の時を使いこの戦に備えたのである、今日の戦が来る事を知り備えた城である、関白が鼻を垂れている頃よりコツコツと積み上げた城よ! 黒田殿が如何に戦上手と言えども無理であろう、それと秀長殿であるが無事であるぞ、田子の浦の漁師宅で匿われている、怪我をしている様であるから医師を遣わす、和睦が済めば関白の下にお運び致そう安心するが良い!!」



「それは本当でありますか、忝のうござります幻庵様、しかし不思議な話でありますが20年前からこの日が来る事を知り備えていたというのは本当でありましょうか?」



「詳しくは言えぬが、そうじゃ、それとこの戦の後は黒田殿は隠居なされ、前にも言うたが御身の命が危険となる、関白が関白で無くなる、より危険な物の怪となり敵を求め粛清が始まる、特に黒田殿はその対象となるゆえ戦の敗北の責を取り隠居を申し出るのじゃ!! その方が活躍する場は再び来るゆえその時まで静かに池の中にて伏龍となり潜むのじゃ!!」



「・・・・・幻庵様の御言葉であれば・・肝に銘じ責について考える事に致します」



黒田官兵衛は秀長を逃す為に小田原城からの上杉連合軍と北条軍の兵を妨害するために残り二日間耐え忍び三日目に降伏した、小田家の真壁が後ろから参戦した事で三日目に防御の陣が崩され降伏した、黒田の身は小田原城に残った兵1万5千あまりは武装解除され場外で監視下に置かれた、又、行方知らずとなっていた大納言秀長は富士川の手前にある田子の浦の海岸で歩く事も出来ずに漁師宅に逃げ込み介抱されていた、右手を骨折し肩口に矢が突き刺さり動けなくなり配下の者に担がれ逃げ込んでいた、その事を風魔の忍びが見つけ城に報告された事で取り合えず北条家で庇護する形となった。




── 怨 ──



柴田勝家が吼える中、関白を逃がすために現れた前田利家軍であったが四半時《30分》も絶える事が出来ずに瓦解した、長柄足軽5千で道塞ぐも石火矢で前方が崩され処に蛇行突撃を繰り返しされた事で死屍累々と兵を失い利家自身も傷を負った。



「柴田殿これ以上の深追いは無理であります、関白は逃げ切り川を渡りました、これより戻り御屋形様に合流致しましょう、出番はまだありましょうぞ!!」



「済まぬ付き合させてしまって、では戻ろう、前田の兵も瓦解した、これにて少しは気が晴れたアイン殿! ウイン殿! 忝い!!」



残るは富士川を徒過した関白軍との最後の決戦が待ち受ける、これまでの処、那須家の軍勢6万は無傷であ反対に関白側の軍勢は約12万の倍となるが手傷を追った者も多数抱えての足軽中心の兵である。



「敵が動かぬうちに魚鱗を作るのじゃ、魚鱗にて厚みを持たせよ!!」



「・・・御屋形様? 不思議なれど関白は魚鱗の構えのようです、我らの陣形を知らぬのでありましょうか? 不思議であります」



「魚鱗か・・何故であろうか? 半兵衛解るか?」



「恐らくでありますが、勝つ事では無く関白を逃がす為の陣形かも知れませぬ、10万もの大軍であれば鶴翼にしなければ戦が展開出来ませぬ、敢えて魚鱗とする理由を考えれば防御も出来る陣形を生かし前に前に突き進み関白のいる本陣を逃がす構えでは無いかと思われます!!」



「では又もや関白を逃がす為に大勢の者が犠牲となるのか? 他者を踏みつけ己が生き延びれば良いと考えていると言うのか?」



「真意は判りませぬが陣形からそう読み取れます、又は逃げる事敵わずとなれば関白の本陣が最後御屋形様を目掛けて襲う事を選ぶかも知れませぬ! 」



「自滅覚悟で来るかも知れぬと言うのじゃな! それだけの覚悟があれば我も立ち向かうぞ、のう忠義!」



「その時は、この銀角にお任せ下さい!!」



「では半兵衛この軍配を渡す! 痺れを切らした田村殿が仕掛けるようじゃ!!」



「我こそは! 征夷代将軍! 坂之上田村麻呂の末裔!! 田村清顕である!! 関白殿下に物申す!! 何故関白ともあろう者が他家の治める領に侵攻を謀るのか? 帝に臣従し恭順している家に攻め入るとは逆賊の証! その悪行を諫める為に征夷代将軍! 坂之上田村麻呂の末裔!! 田村清顕が三春の地より参上した!! これより征夷代将軍! 坂之上田村麻呂様に成り代わり逆賊豊臣秀吉に天罰を与える!!」



田村清顕が巨大な幟に家紋の下に『 征夷代将軍! 坂之上田村麻呂の末裔!! 田村清顕見参』と書かれた一際目立つ幟と登場し主役の如く戦口上を述べ終わると会津蘆名家の蘆名資宗《那須資晴の弟》と相馬家の当主相馬義胤、岩城家の当主岩城親隆《伊達政宗の叔父》がそれぞれ各騎馬隊を引き連れて整然と隊列を組み今にも襲い掛かる態勢に入った。


それを見た武田太郎は焦った(しまった先を越されたと急ぎ陣太鼓を指示した)。



「急げ遅れを取るな! 諏訪太鼓を打ち鳴らせ!! 田村に先を越された!! 諏訪太鼓の乱れ打ちで一気に隊列を組むのじゃ!! 太鼓が鳴り響く内は田村も討っては出ぬ筈じゃ!!」



急ぎ諏訪太鼓を打ち鳴らし田村に出し抜かれても追い付ける様に差配する太郎であった、その横にいる中央の部隊を預かる山内一豊は苦笑いを浮かべながら一隊300人から成る弓の騎馬隊15隊三段の態勢を整え正面に躍り出た、一豊にあるのは己の使命を全うするという内に秘めた覚悟がだけである。


那須軍が騎馬隊を整然と整え突撃態勢となった事を理解した関白側の軍勢の多くは顔色は白かった、全身から血が下がりこれより命の危険が生じると肌で感じていた。


那須軍の攻め時が最高潮に達したと判断した半兵衛は立ち上がり天に合掌を終え、軍配を天上から前に振り下げた!! 最初は徒歩と同じ速度でゆっくりと第一段目の騎馬隊50組1万5千が関白の陣に向け動き出す、戦国時代の騎馬とは現代の戦車と言えよう、足軽と騎馬ではその攻撃力は天地程の差と言える、魚鱗の陣が本来前に進み動く筈ではあったが目前に迫る騎馬隊に恐ろしく自ら動く事が出来なかった、前線に立つ長柄足軽達も動くという事は先に死ぬ事を悟っていた。


那須家が得意する戦法は弓騎馬隊であり150間~200間程敵陣に近づいての弓での攻撃である、時には敵中に入り敵を誘いながら戻り更に反転し誘った敵を仕留めるヒットアンドウェイを得意する戦法のため比較的被害を受けずに敵兵を削る事が出来ると言えた、何故他の家では弓騎馬隊が無いのか、事実戦国期の戦で弓を用いた騎馬隊を編成した家は無い、弓の騎馬を用いる戦いを行っていたのは大陸の蒙古など広い平原を舞台にした狩猟民族がそれにあたる、日本では広大な平原が無く山野に富む国柄の事情で弓騎馬隊が無かったと言える。



※ 余談だが時代は明治に入り列強を目指す中、日本も大陸に進出するには機動力が必要であり西洋の国々には鉄砲を用いた騎馬隊が多く利用されており日本も急ぎ騎馬隊を編成する事になった、但しその運用方法を知らず馬も運搬に貴重な物資であり陸軍の中では中々騎馬隊についての発展は当初見受けられなかった、しかし、大陸に進出した日本は徐々に巨大な敵との戦争が現実味を帯びる事が契機となり本格的な騎兵の部隊が誕生した、巨大な敵とはロシアであり日本の数十倍は国力がある巨象であった。


巨象のロシアには列強最強と言える騎兵隊のコサック兵がいた、そのコサック兵との戦いを強いられる事になった日本にも只一人ではあったが秋山好古陸軍少将を指揮官とする日本陸軍の騎兵第一旅団秋山支隊が正面対決する事になる、有名な話に、コサック騎兵10万の縦横無尽な猛攻撃を、わずか8千の兵で凌ぎ、日露戦争の勝利に大きく寄与した、このため、駐屯地であった習志野は全国に知れ渡ったとされる、互角以上に渡り合えた理由に、秋山は何度も機関銃が必要と何度も訴えた事で配備され、秋山少将の戦上手とあいまって、絶大な威力を発揮したとされる、感心ある方は皆様にて検索して下さい。


魚鱗との距離200間となり一斉に第一射が放たれた。



「挨拶じゃ!! 石火矢の後に三連斉射!! せよ!!」



1万5千騎の騎馬隊から石火矢が天より降り注ぐ、小型の焙烙玉が爆弾となって炸裂した、油が飛び散り衣服に飛び火し悲鳴の渦が巻き起こる、騎馬隊からは鏑矢による音の攻撃も、鏑矢は風切音を唸らせあたかも死が近づいているとの警告するかの如く恐怖を倍加させていた、1万5千名の騎馬からは容赦ない天上からの天射、直射が縦横無尽に関白の前衛に襲い掛かる。


時代劇などで飛んで来る矢を刀や槍で薙ぎ払う場面があるが実際には一般の足軽にはほぼ不可能と言える、矢が自分に飛んで来るのを目で捕え気づいた時には刺さっているという説明が確かと言える、一説によると矢の時速は150キロ~190キロという脅威速度であり薄い鉄板であれば貫通する威力である、なんとか矢を回避しても後ろにいる者に矢が突き刺さる、矢傷の恐ろしさは矢じりが突き刺さり簡単には抜けず重症化するケースが多く肩、腕、太もも等に突き刺されば戦力としてもはや戦えなくなる。


既に水計で多くの盾兵が流され2万名もの鉄砲隊も8千に減少しており、盾兵のいない鉄砲隊は足軽を盾に抗うしか術は無かった、前進出来ずに亀のように閉じ籠る関白軍、後方からは怒声の命を出し前に進む様に指揮官達は怒鳴っているが前線にいる足軽達は次々と撃たれ倒れてのた打ち回っている。



「殿下!! 小田原の兵が迫っています、後半時程でここに来ます!!」



「むむむむ・・・三成! 中国勢を後ろに配置せよ! 島津兵は前線の最前に配置し、那須を突破するのだ!!」



秀吉も危機が迫っている事を理解し混乱していた、全てにおいて指示を出さなくては成らぬ命令系統、黒田であれば指示を仰がすとも即座に指示を出し対応していたが石田は経験不足であり戦向きの武将では無かった、この秀吉の出した命が致命的な傷を広げる結果となった、島津の兵を後ろに備え、中国の兵を前面に出す方が遥かに好結果になったと言えたであろう、中国兵と九州の島津兵の特徴は攻守に長けており中国兵は守、島津は攻である、特に後ろに迫る上杉連合軍と北条軍それに小田の真壁は攻撃主体であり、弱気な身構えでは簡単に崩され傷口を広げる事になりかえない、島津の兵は戦国一激しい戦いの地である九州を制した強者ぞろいであり独特な戦法を持っていた。


それは『捨て奸すてがまり』という恐ろしい戦術がある、退却時に敵中突破の手段として島津義弘が用いたとされることで知られている座禅陣とも言われている、本隊が撤退する際に殿の兵の中から小部隊がその場に留まり、追ってくる敵軍と死ぬまで戦い、足止を行い小部隊が全滅するとまた新しい足止め隊を退路に残し、これを繰り返して時間稼ぎをしている間に本隊を逃げ切らせるという死を強制した上で役目を全うさせる戦法であり生還する可能性がほとんど無い、壮絶なトカゲの尻尾切り戦法である。


死を覚悟して関白軍を逃がすにはもはや島津しか担う部隊はいなかったと言える、しかしそれとは別に予期せぬもう一つの行方知らずであった『怨』の炎を燃やし秀吉を狙う柴田利勝の部隊が又もや連合軍より先に秀吉の馬印を見つけ襲い掛かった。



「あそこに秀吉がいる、アイン殿! ウイン殿! もう一合戦某にお付き合い下され!!」



「では勝家殿! 此れよりは蛇行にて敵陣深く入りましょう、小田原からもお味方が向かっております、我らにて敵陣を崩して小田原の皆様に調理して頂きましょう!!」



「お~それは楽しみな意気な計らい! では此れより蛇行にて馬印を目指します!」



秀吉の相貌は知らぬ間に変化していた、陽気な物言いで20万もの大軍に命を出していた秀吉の姿は既に無く全くの別人となり物の怪となっていた、人が死ぬ事に心は既に動かなくなり心が闇に覆われ『怨』の一文字が支配していた、その怨の向かう先は那須資晴ただ一人であり、全てが那須資晴という人物一人によって天下人である自分に抗い窮地に追い込んだ事を『怨』として命に刻んだ。



そもそも小田原成敗に無理があったという流れですね。

次章「一国二制度」になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ