288 怨
「もう持ちませぬ! 崩れます! 此れでで御座います!」
「うむ、よう持ち堪えた!! 旗を揚げよ! 北条側に見えるように上げよ! あと一日なんとかと思っていたが二日は稼げた、関白殿下もきっと川を越えたであろう、白旗を揚げよ!! 我らは勝利の敗北を致したのじゃ!! 儂が使者となる、これ以上抗う必要は無い!」
北条の軍勢と上杉連合軍に囲まれた黒田官兵衛は五重の絶対防御の陣を作り秀吉の軍勢が富士川越えが出来るように二日間の時間稼ぎ三日目に降伏した、当初は5万の兵に囲まれ戦が始まったが徐々に北条側の増援部隊も参加し、上杉連合軍が2万5千、北条軍は4まで膨れ上がった、最後には秀長の軍勢を打ち破り崩壊させた小田家の真壁軍2万5千まで加わり4万程いた黒田の軍勢は残り1万5千程まで削られ降伏となった、崩壊させずに持ち堪える事が出来たのは黒田の類い稀なる軍師としての才と言えよう。
「敵が降伏致しました、敵からの発砲は止んでおります!!」
「判った、我らも戦闘を止めるのじゃ!! 向こうから使者が来るであろう」
程なくして黒田自ら使者となり降伏の意思を伝え黒田との戦は終了した。
「この場は父上《北条氏政》にお任せ致します、我らは半数の兵を連れて上杉殿達と共に富士川に向かいます、那須軍と挟撃致し、関白に目に物見せてやります、よろしくお願い致します!」
「うむ、判った心置きなく暴れるが良い! 城からも増援部隊を送る、黒田の事は任せるが良い!」
黒田が降伏してから僅か一刻程で7万の軍勢が関白軍を後ろから猛追する事になった、7万の軍勢は多くが長柄足軽が占めており、特に津軽安東家と那須ナヨロシクの軍勢は船で越後に入っており騎馬は主だった者だけであり上杉家も1000騎程しか騎馬は用意していなかった、北条軍も籠城戦と言う前提で多くの騎馬を守るために江戸などに一時避難させており上杉家と同等の騎馬であり長柄足軽と鉄砲隊と那須ナヨロシクの蝦夷の戦士は五峰弓で構成されていた。
幸いな事なのか不幸な事なのかは一概に言えぬが秀吉率いる関白軍もその多くが足軽と鉄砲隊で構成されていた、その理由は小田原城を包囲しての戦であった為に騎馬を用いては沢山の飼葉が必要であった為にそれ程の数は用意していなかった、しかしその騎馬が無いと言う事が富士川越えでの戦では劣勢に追い込まれる事に。
── 怨 ──
「殿下!! 物見より河川敷に那須がいないとの事です、後に下がっていると報告が入りました! 敵が退いております」
「何? では被害を受けずに渡れるでは無いか、銅鑼を打ち鳴らせ、急ぎ渡らせよ! 輿を用意せよ!! 早く儂を向こうに渡らせよ!!」
那須資晴は忍びからの報告で黒田の防御を打ち破り間もなく小田原城から連合軍と北条の兵が出陣するとの知らせを受けていた、小田原から来る兵数と関白の兵数、そして我ら那須の兵数を考えた場合、河川敷を舞台に大軍が戦える程良い場所とは言えず4里程後ろに後退し浜石岳《標高707m》という小高い山の麓に攻撃主体の陣を構えた。
大軍が戦うにはやや狭いが富士山を背に富士川から興津川までの海岸線を戦場と定め関白側の逃げ場を封鎖した形で先に有利となる場所に陣を構えたと言って良い。
「半兵衛!! 先に動いて良かったのう、あそこでは混乱する処であった、上杉殿も北条殿も戦場に来る予定では無かったから少し躊躇していたは、ここなら全てが見張らせる、良い場所じゃ!! これよりそなたの軍配にて指揮を任せる!!」
「はっ、必ずや御屋形様に勝利を捧げまする!! 関白を相手に此度は那須家の伝統であります『鋒矢陣』にて攻めまする、特に策と言う策は用意しておりませぬ!」
「では策を用意して無いという事は当初から鋒矢で行く予定であったのだな!!」
「その通りであります、皆様は日頃から騎馬にて調練されております、事前に何度も某に騎馬で戦える場を作れと何度も懇願されております、これで騎馬での戦を用いずに終わればその鬱憤が某に襲って来ます、それを回避する為に那須家伝統の騎馬にて勝負致します!!」
「それなら儂の処にも騎馬で戦いたいと言う申し出があったが、その度に半兵衛に言うが良いとかわしておったのじゃ、あっははは!! 那須家伝統の戦での勝負、東国の行方を決める戦に相応しい戦法じゃ、半兵衛頼むぞ!!」
鋒矢陣とは矢の形にした陣形であり騎馬を弓矢に例えた攻撃特化の陣形である、防御は考えずに徹底して攻撃する、攻撃の陣形は他にも魚鱗、偃月、車掛等もあるが那須家の場合は特に騎馬を用いり武器は槍では無く弓という独特な戦法と言えた、但し武田太郎が率いる騎馬隊は槍部隊から成る騎馬隊であり後方に弓部隊が配置された蛇行騎馬隊という敵の防御線を打ち破る現代の戦車部隊と言えた。
「御屋形様、処で柴田殿の部隊はその後どうなっておりましょうか?」
「忍びからの報告では秀長殿の軍勢を襲った後は消息知れずなのだ!! 何処かで狙い処を見定めているのであろうかと思う!! 部隊もほぼ無傷であったという」
「そうでありましたか、どうやら渡り始めたようであります、土手の上に兵が集まっております、この遠眼鏡は本当に役立ちますな」
「そうであろう、儂の力作じゃ!! 洋一殿から伝わった技に磨きをかけた逸品よ!! 普通のは単眼で見る遠眼鏡じゃが、双眼で見る遠眼鏡はより便利じゃ!! それでのう満月の月を見るのじゃ! 兎を何度も探して居るが見当たらん! やはりおとぎ話の世界であった、あっははは!!」
「成程! それは良い話をお聞きしました!!」
「お二人とも!! 下を見て下さい、田村殿が何やら仕掛けますぞ!!」
「おっ、なんじゃ・・忠義何か聞いておるのか?」
「全く何も聞いておりませぬが、あの田村の御仁は禄高は小さくとも今では相馬と岩城を手足のように使っております、実に面白き武人かと思われます!」
「古武士の中の古武士であるな!! 那須家と近い考えを持つ頑固爺さんであった、征夷代将軍の名を出されては儂でも敵わぬ、相馬も岩城もあの旗を出されては従うしか無いであろう、しかし、何をする気であろうか、これはちっと面白いかも知れぬぞ!!」
那須家全体の陣形は左海岸側に弟の蘆名資宗と田村家、相馬家、岩城家の左陣部隊が配置、中央は那須家本軍の山内一豊が主力部隊、右陣は武田太郎と諏訪勝頼の甲斐部隊で構成され、那須資晴の本陣は浜石岳の麓に陣を構えていた。
富士川の徒過で渡る関白軍も土手を乗り越え徐々に黒い塊が出来つつある、富士川太郎の水計で多くの被害は受けたが未だ無傷の10万という大軍勢が健在であり関白を支えていた、残り三分の一となった所で関白の陣に異変が訪れた、関白は輿に乗り移動を始める所に異変の急が告げられた。
「殿下!! 申し訳ありませぬ、輿を降りて急ぎ徒過で川を渡り下され、殿下を狙う騎馬隊がここに押し寄せております、急ぎ御渡り下さい」
「儂を狙う騎馬隊とは如何程の数じゃ?」
「3000騎程であります!!」
「そのような数問題では無いであろう、ここには未だ3万近くおるのだ、儂を愚弄するのか!」
「それが騎馬隊を率いる将が柴田勝家なのです、ここを目掛けて来ております、危険であります、既に砂塵が見えております!!」
「なんと本当に生きておったのか、あ奴の狙いは確かに儂じゃ、三成この千成ひょうたんの馬印を持ってと空の輿を急ぎ移動させよ、遠くに移動させ柴田を儂から遠ざけよ、あの狂った猪野武者は馬印を目掛けて来る、儂は徒過でも良いから遠くに遠ざけよ、疲れた処を仕留めれば良い、そうじゃ!! あ奴を連れて行け、騎馬には騎馬じゃ!! 立花宗茂の部隊を連れて行け!! 」
これより少し前に行方知らずであった柴田勝家の騎馬隊は山中に潜み秀吉の関白軍を監視していた、狙いは秀吉であり陣に隙が生じる時を待っていた、そこへ富士川を徒過で渡り始めた関白軍の兵数は薄くなり残すところ本軍だけとなり狙い処の時が来たと判断した勝家が秀吉がいるであろう馬印を目掛けて一路的本陣に騎馬隊が襲い掛かった。
柴田勝家は那須に庇護されてから武田家の飯富より蛇行突撃の技を伝授されていた、元々槍の名手であり飯富の技を伝授するにはこれ以上ない相応しい武人であり厳しい調練を経て蛇行を会得した。
「では此れよりアイン殿、ウイン殿、敵将秀吉を目掛け狙いまする、あの馬印に憎き秀吉がおります、どうかお力添えを願います!」
「承知、心置きなく飛び込まれよ、我らが両側を守る、弓隊も石火矢を向かう先に放ち柴田殿を助けよ、では柴田殿進まれよ!!」
「柴田勝家、これより怨恨を晴らすべく豊臣秀吉を討つ!! いざ出陣致す!!」
柴田勝家の部隊1000人が矢じりの真ん中となり、その両側にアインとウインが率いる各1000人の騎馬隊で突撃を開始した、両側に守られ柴田の騎馬隊が秀吉に届くように工夫しての蛇行突撃の開始である、突如山側より石火矢が放たれ爆炎が上がり川を渡ろうとしていた秀吉側の各部隊が崩れ始める、騎馬隊による攻撃に備えておらず徒過準備のために部隊を整列させ順番を待ち受けていた者達には何が起きているのか不思議な光景の中で騎馬隊をやり過ごす者が多く、秀吉に近づけさせてしまった。
「秀吉の軍勢に問う!! 我こそは今は亡き織田信長様の忠臣、柴田勝家である!! 信長様亡き後幼少の三法師様を誑かし織田家を乗っ取った大罪人豊臣秀吉とそれに組した裏切り者に申し渡す! 主家を乗っ取り秀吉の組したとなった行いに武士として些か恥じらう心ある者は道を開けよ! 恥を恥と思わぬ罪人は我の前に出るが良い、織田信長様に代わって柴田勝家が成敗致す!! いざ参る!!」
いよいよ秀吉の本隊に迫る目前で突撃を停止させた柴田勝家は大音声を放ち何故に秀吉の本軍に刃を向けつと激するのかを言い放った!! それによって柴田勝家が健在である事が証明され心が動揺する者も現れる事に、織田家に仕えていた筈が秀吉によって次々と重臣達が葬られ最後の砦であった勝家が秀吉に敗北し自刃した事でいつの間にか秀吉の配下となり心の中で煮え切らぬ者達も多数いた事も事実であった、勝家の咆哮は己の行いに問いかける者であった。
勝家の騎馬隊が再び突撃体制を取り石火矢が発射され馬印に向かって進撃を開始した、当然多くの兵が遮り騎馬隊に向かって来るがその勢いは先程より弱くなったのも事実であった、戦う振りをして後退する者、屈んで草鞋を結ぶ者など明らかに勝家の咆哮に応える者も見て取れた。
「貴様ら!! 天下人たる関白殿下をなんと心得る! 柴田勝家を殺せ!! 殺した者には思う存分の褒美を与える、亡霊となった勝家を殺すのだ!! 天下人に仇なす輩を成敗せよ!!」
金切り声で叫ぶ者がいても抗う力は弱まりこれまでの蛇行より早く突撃をする勝家軍、そこへ徒過寸前であった秀吉の危機に急ぎ戻る5千程の長柄足軽部隊が勝家の前に立ち塞がった!!
「おやじ殿!! 生きておりましたか!! 前田利家であります!! 今は関白の盟友として我は天下人を支えております、おやじ殿には数々の御恩はあれど今は関白から頂いた御恩の方が遥かに上であります、これより我ら前田家が道塞ぎます、心置きなく向かって来られませ!! 我が槍にてご恩をお返し致します!」
「又左!! 我の前に出て来るか!! 小僧我が槍の妙技を味わうが良い!!」
「殿下今です、前田様が道を塞いでおります、急ぎ徒過に向かって下さい!! 馬印も離れて行きます」
「良し、急ぎ儂を担ぎ富士川を越えろ、渡れば此方のもんじゃ、利には感謝じゃ!!」
今回は八卦の陣など無いようですね。
次章「怨」になります。




