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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
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280 三家布陣




那須家の出陣を明日に控えた前夜鞍馬小太郎より駿府周辺の布陣予定地について特に問題は無いという報告が伝えられた、ただ一つ面白い話が小田原北条家の忍び風魔よりある者のお目こぼしを要望されたと。




「ほう成程面白い話であるな、実は以前氏直殿からは家康殿の息子が河原者となり荒くれ者達を纏めているという話は聞いていたのじゃ、しかしまさかその様な面白き事が起きておるとは儂も予想はしておらなかった、関白側に下手人は露見しておらぬのか?」



「関白側には徳川の商人として『しおや』の某の配下達が多数入っておりますが何処からもその話は出ておりませぬ、犯行は北条家の伏兵と見なされているかと思われます」



「戦の最中であれば関白側も北条の邪魔と考えるのが妥当という事か! 小太郎よ! 儂らが布陣した際にその太郎なる者に会いたいが出来れば手配を頼む!!」



富士川の橋渡しを生業としている河原者達、その中心者、富士川太郎が関白側が築いた橋を二度に渡り壊したと言う話が伝えられた、関白側が小田原包囲網のために軍勢が徒過する際に下賤な輩である河原者達を排除し消え失せろと言う命を出した事に怒った河原者達を纏め夜陰に乗じて橋が壊わされていた、関白側では戦の相手側である北条家の嫌がらせと判断した事で太郎達の犯行と露見はしていなかった。


富士川の橋を壊す事で毎日数百台あまりの荷駄が運ばれる大量の兵糧と交代する兵が橋が壊される度に徒過出来ずに留まる事になるため余計な出費となる、幸いそれらの荷駄を襲われる事はなく橋が完成すれば渡れるが流石に三度目は関白側も橋周辺を警戒していた。




── 三家布陣 ──




戦は九月に入り局面が大きく動く事になる、那須家と小田家がついに動き出した!


小田家の大海将小田守治は小田家の当主であり海軍における三家の盟主でありそれゆえ大海将となっている、那須家、北条家の海軍を率いる将は海将と呼ばれている、那須家の海将佐竹義重が那須家の艦隊を率いて土浦の沖に向かい小田家の艦隊と合流し一路堺に向け陸で戦う部隊を下ろし中旬には小田原湾沖合に突如大艦隊が現れた事で関白側は動揺する事に。




「なんだあ奴らは? 沖に停泊しているだけでか? 九鬼の甲鉄船に攻撃を仕掛けぬのか?」



さらに数日後に異変が。




「殿下! 沖合に停泊しておりました敵の船舶が増えております!!」




単に那須家小田家の海軍が停泊していた理由は北条家の海軍との合流を待っていたのであって攻撃前の準備段階だけであった。




小田家

3000石船3隻、1000石船12隻、500石船30隻、300石船30隻、30石戦船180隻


北条家

3000石船2隻、1000石船6隻、500石船20隻、300石船20隻、30石戦船120隻


那須家

3000石船2隻、1000石船6隻、500石船20隻、300石船20隻、30石戦船120隻




合計

3000石船7隻、1000石船24隻、500石船70隻、300石船70隻、30石船420隻



※ 小田守治は一つの大艦隊を編成する際に資晴からの助言で3000石の船を中心に1000石船とその他の船数配置を明確にすることで現代の空母打撃群と似た様な役割についての説明を受けていた、打撃群という概念は洋一からの説明で事前にレクチャーを受けていた、この時代の日本における海賊衆による海戦は小舟での戦闘が中心であったが新兵器鉄砲の出現と織田信長により革命がもたらされた、その象徴が九鬼水軍の鉄板で覆われた甲鉄船と言える。


沖合に現れた三家の連合艦隊は小田原の相模湾を隊列を組み艦隊行動に出た、鮫が狙いを定めて獲物を襲うように近づいては離れ近づいては離れ関白側の甲鉄船とその内側で港と河川の出入りを封鎖している村上水軍をこれから襲うぞという威嚇をするかの如く佐竹大海将の指示で右に左にと艦隊行動を繰り返した。


また堺で降ろされた明智を将とした那須軍8千と真壁を将とした小田軍5万はすぐさま新たな行動に移された、明智軍は京の都に、真壁軍は大阪城を包囲する為に一斉に動き出し、明智軍の目指す京の都とは大内裏の安全を図る包囲網、真壁軍は秀吉の母親を初め親族が暮らす大阪城の包囲という、やられたらやり返すという小田原包囲網に対して意趣返しとも取れる策であった。


大阪城包囲と言っても通じる道筋が多く真壁軍が包囲展開する前に城からの脱出は難しくない事から事前に周辺の地理に詳しい伊賀の忍び達の案内で幾隊にも分かれ道筋を封鎖して行った、それに対して突如堺に現れた敵勢と思われる軍勢に対して大阪城及び周辺にいる予備兵は一斉に城に集められ対策を取る事になる。


大阪城にいる兵は予備兵と兵糧を運ぶ兵であり戦に不向きな兵と言えた、現役を退いた老兵も多く鉄砲等の武器も扱いに慣れておらず弓と槍でなんとか戦える兵達である、20隊、30隊に分かれ道筋を抑え動く真壁軍の状況が城に伝わる中、幾つかの小規模の戦闘も行われた、城に近くの各城門に通じる道には城を警備する関所があり簡単に敵勢を通す事は出来ない役目の者達との戦闘が小規模ではあるが行われた。


各関所で迫る真壁軍、関所で戦うにも30人程度では結果が見えており城にいる予備兵に急ぎ徴集するも適切な指示を与え指揮する者がおらず秀吉不在の城代は妹あさひの夫佐治日向守さじ ひゅうがのかみであった。


佐治日向守とは秀吉の妹あさひの夫であり甚兵衛尉、甚左衛門、与左衛門と呼ばれていた元は足軽の者であり秀吉が出世した事で足軽であったあさひの夫に名を与え役職を与えていた、史実では後に強制的に離婚させ妹は家康へ嫁がせ政略に利用される、佐治日向守は戦に不向きであり大阪城に残され名目上の城代として秀吉不在時の代わりをしていたが実際の差配は政所のねね、秀吉の妻ねねがその都度必要があれば指示を出していた、そのような時に小田家が大阪に攻め入ったとの報に接し狼狽するもすぐさま周辺の予備兵を城内に引き入れる事を即断でねねは指示を出した、籠城していれば必ず夫である秀吉が軍勢を引き連れ蹴散らすである事は疑いないと確信した上での判断であった。



「殿 全ての城に通じる道筋を抑えました、今大手門前にてやや激しい抵抗がありますが間もなく鎮圧致しましょう、城からも抜け出る事は出来ぬ様に厳重に封鎖出来ております」


 

「真田よ、良くやった! これで一安心であるな、この後は如何する!? 御屋形様の命では頃合を見て駿府に向かい那須様に合流せよとあったがその頃合とは何時頃が良いであろうか、儂にはもそっとはっきりした命を頂きたかったがついつい判った振りをしてしまった、如何する真田!」



「殿! ご謙遜成らずとも、某であれば今暫く城を封鎖し城内の動きを見ます、その間にしおやを使い城内に上手く潜り込めます、城の備蓄など調べさせどの程度貯えがあるかを調べようかと、籠城した者達が城から出て戦う意思を挫くかせます、そのようになれば殿は那須様へ合流されるが宜しいかと思われます!」



「ではその差配を真田に任せても良いか?」



「お任せ下さい!」



真田昌幸は武田信玄の使番として何かと重宝され伝令役や戦では母衆として信玄の近くで働いていた、真田幸綱の三男であり真田家は小県ちいさがたに領を持つ家であった、信玄が駿河攻略での戦で負けた一連の敵勢の動きの中で上野の箕輪まで取り返された事で何者かが裏で糸を引く者がいると判断し、その糸を引く者を探るために呪印を操る千代女と昌幸を三家に忍び調べる様に命じた経緯がある、その中で常陸の小田家嫡男が怪しいとの報に接し常陸に向かい城下の町で偶然にも小田家の重臣真壁と遭遇する事になった。


二人は居酒屋で意気投合し見所ある侍と見抜いた真壁が小田家嫡男守治に謁見する機会を与え、その際の条件は小田家に仕えるという将来を覚悟を決める条件であったが信玄にも劣らない猛将の真壁という人柄に惚れ武田家を出奔し小田家に仕える事になった、小田家では真壁の配下となり何時しか真壁の右腕に成長していた、その後真田家は武田信玄が戦で敗れ亡くなり、新らしく武田太郎義信が当主となり従う中で上杉家で御館の乱で那須家の活躍で上杉家は戦力を半減する事を回避出来た事で上田の地を那須家に割譲された。


一旦那須家に割譲されたが駿河侵攻での上野の長野箕輪衆と武田太郎の甲斐国と弟勝頼の諏訪を那須家の従属となっており充分な領地を得ており小田原北条家に多くの兵糧と掛川に北条軍を輸送するなど影日向で活躍した小田家の功として飛び地ではあるものの上田の地は小田家に移された、真田家が小田家の元にいる事も大きく寄与したと言える。


その上田の地を治める当主は近くの小県領主であった真田家に一任していた、昌幸の二人の兄は既に戦で亡くなっており上田の地は昌幸が当主となるも政は配下の重臣達と息子達に任せていた、息子とは真田信之と信繁である信繁は後に真田幸村と名を変え大阪の陣で豊臣家滅亡と共に亡くなるが戦国切手の知略の猛将として名を残す、兄信繁は見事真田家を纏め戦国を生き抜く家を作り上げた。


大阪城包囲網が敷かれ身動き出来ない苦しい状況の中でしおやと名乗る商人が米味噌などの兵糧を荷駄20隊という大量の品を持ち真壁が包囲する中、使者として訪れた、勿論これは真田の計略である。



── 政所 ──



大阪城で多くの予備兵が籠城し多くの者が狼狽するも政所である秀吉の正室ねねが何かと動揺を抑える為に奥より城内に出所し声を掛け不安を取り除いていた、そこへ小田家の使者として商人の『しおや』が兵糧などの品を持参して城に訪れた、使者という立場であるという事で主だった者とねねも同席して謁見する事になった。




「その方が使者の『しおや』と申すのか? 何故商人の身でありながら使者となったのじゃ?」



「はい私が商人の『しおや』であります、今は徳川様の御計らいで米などの多くの品を関白様の軍に治めておる者です、この城にいる荷駄を運ぶ皆様の中にも見知ったお侍さんもおります、私は間違いなく商人の者となります、この度この城を囲む小田家より手紙を遣わされました、それと兵糧の米など城へ持って行く様にと仰せつかり参りました」



「ねね様こやつの今の話辻褄が合っております、先ずは一安心して宜しいかと思われます」




「妾も理解した、ではその手紙とやらを拝見致そう」




そこに書かれていた内容は至極簡単な事が書かれていた、今は関白の軍勢と三家との戦の最中であり不幸にも敵味方に分かれての戦でありこの大阪城には多くの予備兵の備えがあるため軍略上三家としてその予備兵を封じ込めるための包囲を行った事、城から出る場合は戦うしか無いが籠城となれば攻撃は控えるので安心して欲しい、さらに食料に不足が生じるようであれば兵糧を差し入れると書かれていた、何れ関白の差配で戦も落ち着くであろう、よって無理にこの大阪での戦は回避すべく予備兵は城内に留まるよう判断をお願いしたい旨が書かれていた。




「妾にもその城を囲む者の趣旨を理解した、評定を開くゆえ、そちは暫く城に留まっているように!!」




政所を中心に評定が開かれ小田家の軍勢が包囲した理由を知り安堵するも果たして何もしないで良いのか、仮に戦う事を選択した場合この城にいる者達は一線級の強者では無く退役した老兵も多く城を囲む5万の兵に勝つ事は難しいとの意見が大勢を占めた、そこで籠城するにしても戦をしなかった場合に後に関白より厳して罰が下される可能性があった、そこで政所は関白の怒りを回避する為に主人である関白に文を書く事になった。




「使者である『しおや』殿はこの戦の最中でも殿下の軍勢に品を届けていたのだな、そこで妾が書く文を殿下に届けてくれまいか、出来るであろうか?」



「はい何度も小田原に荷を届けております、ただ某だけでは怪しまれますので関白様の顔を見知った方と訪れれば謁見を許されるかと思います」



「ふむそうであるな妾の主人は天下人である商人のしおやが使者と言って訪れても怪しまれる恐れがある、ふ~そうであれば・・・日向殿! 城代の其方が宜しい、妾の身内であれば殿下もこの城の事を信じようぞ、しおやこの件を小田家に伝え小田原に使者を送る件を了解を頂いて来てくれまいか、日向は身内である危険な目には会わせることが出来ぬ」



「判りました急ぎ確認して参ります」



籠城していれば安全と言う計は真田の策であり、この籠城させる策により小田原包囲網は大きく崩れる事になる。




三家の水軍も登場しました、大阪城も包囲、これではどちらが成敗されているのか果たして関白はどのような判断をするのか史実と違う小田原成敗佳境に入って来ました。

次章「富士川合戦」になります。

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