277 動揺
「御屋形様、某の元に使いが参りました、急ぎ都に来る様にとの事であります、立場上行かねばなりませぬ、行けば此度の件いろいろと聞かれまする、どのようにお答え致しましょう?」
「そろそろ来る頃だと思うていた、鞍馬殿がいるお陰で繋がる事が出来ておる、聞かれた事は何でもお答えするが良い、知っている事は遠慮なく話すが良い、文を渡しておく!!
関白による小田原成敗が開始されてより2ヶ月を経過し京にいる帝も不安の中で過ごしていた、先の天皇であり祖父にあたる正親町上皇からも戦であれば時を見計らい朝廷が間に入り和議を結ばせる事が朝廷の役割であると相手が関白であれば引くに引けない場合もあり手を差し伸べる事が出来るのが帝であり責任と教えられていた。
陽成天皇は即位して2年であり若干17才の若さ、戦での仲裁の経験は未経験であった、祖父の正親町上皇より助言もありどのような仲裁が良いか思案していた、そこで那須家と繋がりがある帝に仕える鞍馬天狗に戦の状況と三家の考えを確認するように命じた事で那須にいる鞍馬天狗に都に来るようにとの使いが来たのであった。
那須に仕える鞍馬天狗が京に上り指定されているいつもの神社を訪れ部屋に案内されるとそこには既に帝に仕える同じ鞍馬天狗が控えていた。
帝に仕える鞍馬天狗と那須に仕える鞍馬天狗は此れまでにも何度か面識がありお互い腹の探り合いは無用の関係であり元は同じ源流の者達である。
「急な呼び出しで申し訳なかった、帝の命により此度の件をどのように収めるかとの悩みを打ち明けられ那須殿のお考えを聞きたく呼び出してしまった、遠路申し訳ない!」
「帝の悩みは我らの悩みでもあります、遠慮なくお呼び下され!」
「うむ、そのように言うてくれて助かる、では配下の者が小田原の様子を調べた処、石垣山と言う山にて合戦が始まっているが膠着しているとの話であった、小田原の城は関白の軍勢に囲まれており特に動きは無いとの調べであり、鞍馬殿の知る事と一致しておるであろうか?」
「概ね一致しております、付け加えるならば石垣山での戦は膠着というより一方的に関白側の軍勢に被害多数となっております、山に籠る北条側に被害は出ておりませぬ!」
「では関白側は山に籠る北条の兵を降す事は出来ぬと思われるか?」
「戦闘が行われている石垣山は2年も前より此度の戦に備えた砦であります、攻める兵数だけ多くてもビクとも致しませぬ、那須資晴様が念入りに手を入れた砦になります、如何に関白とも言えども落とせぬでありましょう!!」
「ほう2年も前より備えた不落の砦であるか、那須殿は此度の戦について落とし処はどの様な見立てであろうか、帝が動く場面と策は何かあろうか?」
「鞍馬殿も那須資晴様が先の世の者と繋がっている事をご存じでありますが今の帝であらせられます後陽成天皇はその事を知っておりましょうか?」
「今の帝は関白からの莫大な支援によって即位しているが正親町上皇様からその事は時機尚早ということで未だ控える様にとの事で那須殿の特殊な事情は伝えておらぬ、ただ那須家がその昔より影となり帝と朝廷を支えていた事は伝わっておる、その事は上皇様より三家の事も含め伝わっておる」
「ではこれより話す事は正親町上皇様にお伝えした後に後陽成天皇にどこまで話すかをお任せ致します」
「そうであるな、那須殿の特殊な事情を知らずに伝えれば厄介な事が生じるやも知れぬ上皇様に相談致す」
「では資晴様の此度の戦の見通しと、その後について申していた事をお伝え致します、この話をする場合に資晴様より帝に御渡しする文を預かっておりますのでそちらも御渡し致します」
鞍馬天狗より小田原成敗における経緯の中で何故三家が関白に臣従しなかったのかという理由が語られ今回の戦では三家の力をいやという程見せつけた後に帝による和議を受け入れる見通しと語られ、その理由も付け加えられた。
小田原成敗での合戦はこの後に起きる災いに比べれば小さい事でありそれを回避する為に三家の力を世に示す必要がある事、ひいてはその力を示した事で帝と朝廷を護る事に繋がるゆえに三家は一歩も引かずに今回の戦に挑んでいると縷々説明を受けた天狗である。
「小田原での戦の後にそのような恐ろしき事が起きるのであるか? ではその恐ろしい出来事が起きない様に回避する為に三家は戦っていると申すのであるな!!」
「はい歴史の大きい流れは変える事は出来ないが起きるであろう事象に備える事で極力被害を回避していけるとの事であります、本来の歴史では那須家の石高は5~7万石という小さき家で消える家でありますが那須資晴様が幼少の頃より歴史を知る460年先の者と繋がった事で300万石以上の大家となり今日の力を得たのです、常陸の小田様も北条様もしたり同じであります!」
「その昔そなたから那須資晴殿の特殊な事情を聴いておるが改めて聞くと全てが理に適い通じている、これ即ちこの先に訪れるであろう災いに備える為の長計なのであろう、那須資晴殿は日ノ本を支える神であろうか!?」
「私も以前その話を資晴様に問いかけ致しました、笑いながら勘弁してほしいと、神では無い只の凡夫である、460年先の者と繋がり歴史を知った事でその日より苦しんでいると、眠れない夜を幾百と繰り返し苦しんでいると話されておりました、その苦しみを和らげ背中を押して支えてくれる民の笑顔があるから耐える事が出来ると申しておりました!!」
「凡夫であると申したか・・・厩戸皇子《聖徳太子》様の生まれ変わりではないかと錯覚する程である!」
「先程の話全てを上皇様にお伝え致す、きっと良い方に思案致されるであろう、今の帝も実に聡明なるお方である、確かに文は預かった那須資晴様によろしくお伝え下され!!」
帝に仕える鞍馬天狗は話を聞き那須家が行って来た政は全ては日ノ本を護る為の長大なる計画とも成されておりその中には帝と朝廷も含まれており、方程式の如く理として体現されていると悟った、その悟りの中で那須資晴という人物は厩戸皇子様の生まれ変わりであろうと又は同等の尊極なる高貴なお方であると悟った。
── 秀吉の怒り ──
「官兵衛! これは一体何なのだ!! なんだあ奴らの姿はまるで負け戦ではないか、もう半月ぞ!! 何故落とせぬのだ!?」
石垣山で行われている攻略戦で果敢に攻め入る中国九州勢の大名ではあったが連日大くの犠牲者を出しながらも誰一人頂上に辿り着けず立花宗茂が率いる部隊はほぼ壊滅という状態となり他の部隊である小早川隆景、吉川広家、大友義統も入れ替わり攻撃に向かうも一方的に被害を受けるだけであった。
「殿下申し訳ありませぬ、あの頂上に造られた砦は半月程度で落とせる代物ではありません、我らがどのように攻めて来るのかを防御の備えではなく攻撃する為に疾うの昔に出来上がった砦であり我らを待ち受けていた恐ろしい罠の砦であります、攻略するには数倍の犠牲を覚悟せねばなりませぬ、それでも果たして取れるかどうかの砦であります」
「・・・そこまで先に備えていたと申すのか、しかし我らには20万を超える兵がおるのだぞ! あの山を取れねば従っている者達に示しが付かぬでは無いか、単に攻め口から上り攻撃するだけではないであろう、攻め口を増やす方法は無いのか?」
「頂上からの矢が飛び交う流れを見ました処、今の攻め口に砦より攻撃が集中出来るように造られているようです、被害を受ける前提となりますが、小田原城の大手門に通じる外堀の板橋より攻め入る事で頂上の敵勢の目を引き寄せる事で半数の攻撃を減らせる事が出来るのでは無いかと思われます、但し敵がこの事を予想していた場合はより多くの被害を受ける可能性もあります」
「この半月で4000程死傷者を出したが全体から見れば擦り傷程度じゃ、蚊に刺された程度じゃ! 包囲している者達も連日遊びボケておる、少しは刺激が必要じゃ! 死傷者が増えても蚊に数ヵ所刺された程度であろう、そちの言う二面での戦を用意せよ、整い次第攻撃を開始せよ!」
官兵衛の新たな策は小田原包囲網の一角を攻撃する事で石垣山に備えている大筒の攻撃を柔らげその隙に頂上に駆け上がると言う策ではあるがその分今度は包囲している者達が大筒の攻撃を受ける事になる、新たな策ではあるが被害が減る策では無く無謀な策と言えた、小田原成敗が決定する前に関白の使者となり北条家の面々と話し合う中、話し合いは決裂となるが幻庵より城を見渡す事を許され四方を見渡し弱点と思われるヶ所を二ヵ所あると判断した官兵衛、ただ相手は幻庵であり罠の可能性もありこれまでそこへの攻撃はあえて関白に進言していなかった。
「これより殿下の命により小田原の城を攻め申す、九州中国の皆様は同じく石垣山を再度攻略して頂きます、こちらの地図をご覧下され、この川であります早川が城の自然の堤防となり外堀となっております、但し川の上流となります山崎の地点より外堀の役目を終えており北側に迂回する事で外堀の内側となる板橋へ抜けられます、その板橋より海側の東口より城攻めを行って頂きます、城への攻撃が始まり石垣山の敵勢より城攻めの兵に大筒が放たれましたら頃合を見計らい石垣山を攻めて頂きます、ここまで宜しいでしょうか? 案じる事あればお聞き下さい」
「城攻めは良いのだが大筒からの攻撃はどの程度あるとお考えか?」
「今迄の攻撃を見ますと10門の大筒が絶え間なく降り注ぐ事に成ろうかと思われます、砲弾に当たれば一度に3人から5人程被害を受けまする、最初に当たる者は即死となり流れ弾に当たる者は重傷となりますゆえ飛んで来る砲弾を見計らう者がおらねばなりませぬ」
「では10人に1人は観測する者を用意し警戒するとしよう」
「城攻めは此度初めてとなります、どのような罠が待ち受けておるか判りませぬ、石垣山の備えを見て判るように慎重にお進み下され!」
「承知した!」
「石垣山での戦でありますが日を追うごとに被害は減っておりましたが、敵より攻撃される間隔を肌で読み取る事が出来たのでありましょうか?」
「恥ずかしながら当初は一方的に攻撃されなす術もなく大きな被害を受けておりましたが10日を過ぎた頃より砲弾の間隔を掴み姿勢を低くする事が出来ましたがそれでも間断なく鉄砲と矢も飛んで来ますゆえ頂上に辿り着けずに結局は8千の兵が5千にまで減り申した誠にお応え出来ず残念であります」
「殿下より必ず石垣山を攻略せよとの命であります、城攻めもその伏線であります、兵を補充し今度は夜間も夜通し休みなく攻めましょう、城攻めも同じく夜通し休みなく行いまする!!」
「うむその方が確かでありましょう、頂上にいる兵数は我らより少ないでありましょう、夜通しであれば数日経過すれば敵の勢いも減少するでありましょう」
「ではこれより三日後の夜明けより城攻めの皆様は動いて下され、石垣山への攻撃はその二日後に成ろうかと思われます、皆様準備をお願い致します」
戦も三ヶ月近く経とうとする中、新たな局面を迎えようと進展するも那須資晴は動こうとはしていなかった、まだまだこれからであり序章の段階であると判断していた、そこへ京より戻った鞍馬より急ぎの急を要する話が伝えられた。
史実では参加が滅亡するきっかけの小田原成敗、石垣山での攻防が新たな局面を迎えるようですね。
次章「参内」になります。




