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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
272/331

272 陣触れ




着々と両陣営が戦準備を整える中、関白の使者が那須資晴の元に訪問した、その内容は三家成敗は回避する最後の機会となる条件を受け入れよという具体的な項目が示されていた。



「では使者殿の丹羽殿! 関白様の文を読まさせて頂く!」



「・・・・・・ほう・・・」



「確かに読まさせて頂いた、ここに書かれいる条件を受け入れれば戦を回避し共に安寧なる世を作ろうと書かれておる、この内容を丹羽殿は御存じあるか?」



「那須様にお答え致します、そこに書かれている内容は某も知っておりまする」



「うむ、では一つ一つお答え致そう、先ず受け入れられるものはここに書かれている人質の件であるが、臣従するとあれば戦国の習いにより致し方なしと言える、よって受け入れは可能である! 次の項目で三家に年10万貫を献上と書かれておるが荒れた国内の復興に理由すると言う意味であれば額は途方もない提示あるが検討の余地はある、しかしここまでが限度であろう!」



「三家にて行っている交易の運上金一割の供出、蝦夷の地を関白に割譲、琉球から手を引くという内容は検討の余地も無い、交易を行う際に織田殿と交わした約定を反故にする話となっている、それと日ノ本における蝦夷の地は外の地であり南蛮と同じ帝の支配が及ばぬ処である、その地を我が那須は蝦夷の民と誼を通じ開拓しているのじゃ、関白には何等権限が及ばない地である、琉球も同じであり琉球と三家は同盟を結んでいる、琉球に対して武力で攻め入れば三家は黙っておらぬ、交易の運上金、蝦夷と琉球の話は関白には話をする資格は無しである! これが答えである!」



「ではその三件をお互い歩み寄るという事で検討されて見ては如何でありましょうか?」



「丹羽殿 使者であれば何処かで落とし処を思案するは当然であるが丹羽殿よ! そなたの主家は豊臣に変更されたのか? 織田家ではなかったのか? 関白もそうであるが織田家に仕えていた者達はあの清須会議で信忠殿の遺児三法師君を支える誓いをしたのでは無いか? その織田家は何処に消えたのじゃ?」



「・・・・面目御座らん」



「信孝殿がおる尾張一国が今の織田家であり他全てが関白に飲まれてしまった、先程の拒否した条件を検討の課題として縮小した案を受け入れても何れ時が経てば織田家と同じく飲まれて行くであろう、領国にしても徐々に言いがかりをつけ削られて行く事は目に見えておる、大義無き和議は天に唾する行為である! それに我ら三家は小田原での戦を当の昔に覚悟して備えておる、苦しい事になるのは関白であろう、丹羽殿も関白に近づくは程々になされ、今は力ある関白ではあるが栄枯盛衰であるぞ!!」



「那須様は関白である殿下の世は続かないと思っておりますのでしょうか?」



「信長殿もそうであったが支える厚みが無かったという事ではなかろうか、上に立つ者は切り開く事で力を使い支える者達はそれにしがみ付き恩恵を受けて行くが上に立つ者が亡くなると積み木がぐらぐらと揺れて崩れてしまった、残念ながら関白殿もそうであろう!」



「似た様な事はこの戦国では多くあります、三家は違うと申すのでありますか?」



「些か違うとだけ申しておこう、三家は命運を共にしており配下の下々も常日頃より共に助け合う事を誓って誼を深めております、鉄の団結という鎧の上に断ち切れぬ鎖を幾重にも巻き付けております! そして三家は人としての矜持という理を抱き誇りとして政を行って来ております、その三家の厚みを小田原の城に配置しております、どうであるかな? 焦っているのは関白殿ではあるまいか?」



「・・・良い返事が出来なくて申し訳ありませぬが、関白殿の勢いは飛ぶ鳥落とす程であり瞬く間に西国全てを纏め九州の地も全てが関白に付き従う事になりました、その手腕は力押しだけでは御座らん、某も見事であると感服しております、織田家の件は多々反省するしかありませぬが三家の皆様が付き従う事で日ノ本全てが安寧なる世に成ります事は某にも理解出来ます、何卒再考を願うばかりであります!」



「うむ、丹羽殿が申される事は最もであるが我らが付き従う事でも、残念ながら今の関白に付き従っても安寧には成らんのだ、関白は留まると言う事を知らぬお方じゃ! その欲望は人智を超えた業をこの日ノ本に植えつけて行く悪行に走る事になる、それを我らは知っているから今の関白には従わぬのである!!」



「那須の御屋形様某は使者であります、三家のお考えを聞き伝えるのが役目でありますがこれよりは私個人の思慮にてお尋ね致します、是非に那須様のお考えをお聞かせ下さいまし! 三家と戦う事になった先には何があるのでしょうか? この先に何があるのか某には見えておりませぬ、那須様であれば見えている物がおありなのではないでしょうか?」



「これは又難しい事をお聞き致しますな、戦の先には果たして関白殿が求めている未来は待っていないであろうと、代わりに我ら三家側に付き従う東国はより明確な自治を得る事に成ろう! 此度の小田原成敗と関白は申しているようであるが成敗される理由が曖昧じゃ! 北条家で黒田殿に伝えた和議の条件は関白には伝わっておらぬ、伝える事すらも出来ぬ程恐ろしい力を得ており欲望に支配されておると儂は見立てている、丹羽殿も儂との話を伝える際は能々吟味し身の安全を図るが良いであろう!! 儂からはここまでじゃ!」



「那須様忝のう御座います、これより帰還致します、どうか那須様も御身をお大事にされて下さいまし」



小田原成敗を行う前に関白としては三家に臣従を何度も求めたという努力をしたというポーズを得る為の此度の使者であり丹羽も充分その事を知っ上での使者であったが話せば話す程にどちらに大義があり正しい政をしているのか判断出来なくなった、特に那須資晴から語られた人としての矜持という言葉には驚きであった。


戦国武将が人としての矜持と言う信念で動き安寧なる国を作り上げた例は古今東西出来なかった事でありそれはあくまでも理想であるがその矜持という言葉を聞き三家は理に反しない政を本当に行っていると実感した、丹羽は織田信長の重臣として聡明さでは一番の者であった、柴田と秀吉が争う中も仲裁に入り織田家の向かう方向をその都度間違わぬ様に陰で支えていた、信長もその事は充分知っており丹羽を上手く操っていたが今の秀吉にとっての丹羽は一介の者であり助言も求められずややもすれば隠居を求められる程度の存在と言えよう、秀吉が関白と言う特別な地位を手に入れた事により独善を極めた今の豊臣家、戦が果たしてどのような結末になるのかより一層不安が増した会談であったと・・・言えよう」




── 陣触れ ──




1587年秋豊臣秀吉は関白の命にて支配下にある織田家、五畿、西国、九州の全てに陣触れを出した、第一陣は毛利家6万で沼津までの東海道筋を全て押さえ関白軍を迎える準備に、それとは別に毛利の海賊衆は遠方の島津を初めとして九州の軍勢3万を同じく沼津に送り、合流した総勢12万にて翌年の6月迄に小田原城を包囲する指示を行った。


豊臣家直轄の九鬼水軍にも小田原城が包囲されるに従い鉄甲船を相模湾の小田原周辺に展開させ浮き砲台として三家の海軍に対処させ海の封鎖を命じた、この日の為に鉄甲船を造船し12隻の大型艦が向かう事に、この船は何れ朝鮮、明国に渡る際の主要な戦艦としての役割を担う事を考えての造船であった。


軍師である官兵衛は使者として訪れた際に小田原城から見下ろした備えには弱点と言える場所は二ヵ所だけであった、その二ヵ所でさえ堅牢な防備と言えたがそこを突破しても城に攻め入る事は無理であろうと、ただ弱点である二ヵ所を突破する事で城の南側へ抜ける道が確保出来ると考えた、その道を抜ければ関東に入れる手か掛かりの道でありその一点突破しか可能性が無いと考えていた。


その弱点は幻庵が敷き詰めた罠の可能性も充分に考えられる事から先ずは城下の約半分となる西側全体と海上を封鎖する事で関白軍の兵站を守る安全策を取る事にした、籠城戦であり場合によっては越年しての長い戦を覚悟しての戦略を状況を判断しながら一手一手確実な策を行うしか無かった。


関白軍が陣振れしたという事が小田原に伝えられ北条家に身を寄せている配下の奥方衆は那須に避難する事になった、奥方衆が側にいる事で余計な神経を使わずに腰を据えて対処出来、那須に避難する事で安心して憂いなく旦那衆は戦える事にした、同じく小田家の奥方衆も呼び寄せる事になっていた、那須家の軍勢はこの下野には徐々に移動し不在となる、関白軍が小田原に集結すればするほど那須軍の騎馬隊は何処かに消えて行く事になる、一方小田家の軍勢は一切動かずに不気味なほど静かに時が来るのじっとしていた。


三家の役割は籠城戦は北条家が、外からの攻撃は那須家が、海上戦は小田家が担う事になっておりそれぞれがしっかりと連携が取れていた、それとは別に那須家に仕えている忍びの和田衆が京、大阪周辺に網の目の様に配置されその動きが手に取る様に三家に伝わる仕組みが作られており秀吉の動きも掴み取っていた。


那須資晴の打つ手には明かされていない手が幾つも用意されており手元には金、銀と言った持ち駒がありそれらの駒を何時打つのか、司令塔の那須資晴は那須に不在であった。


時は少し遡り柴田勝家は那須家高林の地で飯富から蛇行突撃の極意を伝授され日々調練に励んでいた、勝家は織田家での槍一番の使い手であり紛れもない名手であった、勝家の場合騎馬での突撃では無く徒過による先頭を走り抜き戦線を突破し敵陣を崩すやり方を得意としており戦功をあげていた、騎馬にも勿論問題無く対応出来る戦人である、ただ飯富の蛇行という極めて特殊な戦い方は一瞬で敵陣の陣列に弱みを見つけ一気に崩す戦法は感にたよる事が多くその見極めには何度も調練して肌で読み取れるしか無かった、飯富の容赦ない叱責に次ぐ叱責を受け人から獣の如くなる仕打ちを受けての特訓を行っていた。


鬼となる飯富、飯富の心には自分の跡継ぎを勝家と定め蛇行突撃の極意を授けるべく鬼と化していた、その心を知る勝家も鬼となり血を流し極めようとしていた。


関白軍が陣振れを出した間もない頃に飯富より那須資晴に文が届けられた、そこに書かれていた内容は極意を授け申した、新しい鬼が誕生しましたと書かれていた。



ワクワクしますね、陣振れの場面が来てしまいました、新しい鬼も誕生したようです。

次章「進軍」になります。

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