27 那須家、強さの秘密
玲子の活躍たのしみです。
※誤字脱字の指摘助かります、ありがとうございます。
洋一から軍事同盟に向けて動きがあると連絡を受けた玲子にアマゾンからネット注文していた品が玲子に届いた。
戦国時代に特化した歴オタである、オタクにも多種多様いる、玲子は形から入るタイプである、オタクに一番多い入り方であり、専門用語で、中二病という病気に罹患したオタクの入門方法である。
玲子がデスクに向かう前に那須家の家紋が入った陣羽織を羽織り、アマゾンから届いた品を二本、腰に挿したのである、そう太刀を大小それぞれ購入したのである、いわゆる竹光という竹製の刀である、芝居とかで使われている小道具ではあるが、見た目も立派な刀身がシルバー塗装された太刀を5万も出して買ったのである、それを脇に挿し、良い案が浮かぶ度に太刀を抜いて、チェスト━と叫んで刀を振り回す。
そんな状態で臨戦態勢を整え軍師の戦略を練る日々を過ごしていた、後は武将ショップに特注で発注した軍配が届くのを待つ玲子である。
幸い玲子には、『働いたら負けという』一部極端な思考を抱く危険なオタクでは無かった。
玲子の哲学では、火の無い所にどうやって火を灯すのか、湿った木からどうやって火を起こすのか、これが軍略であり、敵が気づかない、対策出来ない戦略こそが軍略であり玲子の哲学なのだ。
戦略を練り、那須家の過去の戦を調べていると、ある事に気づく玲子・・・なぜだ? どうして?
・・・という疑問に、那須家は足軽含め全兵力が最高でも1100名程度である。
なのに、過去一度も敗れた史実が見当たらない。
これにはきっと何か秘密がある、史実に残る資料を手当たり次第に探る玲子・・・
確かにそれなら、そうなのかも知れない・・・やはりそうなんだという、那須が負けないが理由が判明したのである。
最大兵力1100名、城に残る者、戦いに不向きな者を除くと、実際に戦力になるのは最大で800人、少数で負けない、連戦連勝の事実。
戦い方を分析すると、那須の戦いに、守るという概念は存在しない、合戦では野戦に持込み、迎撃で相手を負かす、その最大の攻撃力を支えていたのが、騎馬隊であった、その騎馬隊が所持している武器は、弓であった、弓に特化した騎馬隊。
戦国の常識では、騎馬には槍というのが常識の騎馬隊である、那須では騎馬隊は弓である。
少ない戦力で得意の騎馬による弓での攻撃、那須騎馬隊の戦法は現代と同じヒットアンドアウェイという理に適った戦法であった。
ヒットアンドウェイの戦法とは、有効射程と索敵能力を使い、敵を遠くから攻撃を仕掛け、即座に撤退する戦術、ベトナム戦争で近代兵器のアメリカ兵にジャングルの中で、この戦法を自在に使いアメリカは敗れ撤退した有名な戦い方である。
那須では戦闘能力の高さを生かし、時には2000もの兵を蹴散らし、何度も勝利している。
戦闘能力を生かす戦法、それは佐竹を叩きのめす軍略に繋げる全貌が見えた玲子である。
その資料をまとめあげ伝えるべく洋一と連絡を取り、週末に初めて洋一の家に行く事になったのである、以前から興味があった、洋一の家、数百年前から川越で大きい名主であった農家の家とは、何か眠っているのではないという、目を輝かせて訪問する玲子であった。
10時半には洋一宅に到着し、洋一の彼女が初めて来るという事で、家族総出で出迎えられた玲子である、車が到着すると、さっ、車に駆け寄り、ご主人様を出迎える洋一の行動に家族も、おっ(洋一・・お前は・・そこまでして・・・、と心の中で呟く父親である)
颯爽と車から降りて、洋一の家族に挨拶する玲子、町役場で町民相手に頭を下げ事なきを得る技を習得している玲子が親しみある笑顔で>
「いつも洋一さんにお世話になっております、今成玲子です、お父様お母様ですね、それと、ご祖父様、ご祖母様ですね」
と言って丁寧に頭を下げ、洋一家族の第一印象を見事に好印象獲得成功した玲子であった。
(見事な挨拶を受け、これでは洋一は玲子さんの尻に敷かれるという確信を得た母であった)
居間に通されると、さらに玲子は隣の仏間を見て、お父様に>
「洋一さんのご先祖様にご挨拶してよろしいでしょうかと、私も今成と言う苗字なので」
と説明し、爽やかに了解を得て仏壇に向かってリンを打つのであった。
(その姿を見て、感動している、洋一も良い娘さんに恵まれたという祖父、祖母である、洋一家に到着し、この間僅か五分ほどで洋一家族の心を掴んだ軍師玲子であった)
家族と居間にてお茶を頂き、少しばかり懇談、後でお昼をと言われ、洋一の部屋に向かった、移動する前に車のトランクからボストンバックを取出し、それも持っていく洋一であった。
(ボストンバックを見た母は、もう今日から同棲・・・、それとも・・・家出か・・それならそれで、お布団を用意しなきゃと天然な母であった)
洋一の部屋は、洋室と和室の8帖間が二部屋もあった、そもそもこの広くて、でかい家は何、母屋の横にも同じ様にでかい家があり、大きい納屋も二つ、石で出来た蔵も二つあった。
「それにしても大きい家だね、隣にもあったし、蔵まであるんだね」
と聞く玲子に。
「古くからの農家だとこれ位普通なんだよ、新しい家を作ると、今迄家だった所は納屋になったり、農作物の作業場になったりして行くから、そう見えるだけなんだよ」
「この家も築30年は建つからあと20年もすればリフォームか新築を考える時が来ると思う、農家って無駄に広い家が多いから大変なんだ」
「それに今日はわざわざ来てくれてありがとう、畑で取れた野菜を帰りに持って帰って、両親が用意してくれているから」
「うんありがとう、両親も喜ぶよ」
「では時間もあれだから始めましょう」
(なにかを期待する洋一・・・)
「これから話す事は軍略そのもの、戦が始まる時に起こる事を説明するからね、まずこの広げた地図を見て」
地図にレーザーポインターで光をあてて説明する玲子、メモを取る洋一。
「いい、今は12月下旬、直ぐに新しい年が来て、その翌年の五月に佐竹は攻めて来るよ、今から約一年半後に佐竹が那須の烏山城に3000強の大軍で攻めて来るよ」
3000強と聞いて驚く洋一。
「今3000強って言ったけど、本当はもう少し多いかも知れない、史実ではそこから10年間も続く戦いだから、佐竹の全兵力は10,000強いるのよ、その内の30%強が来るのよ、この時代の戦争は起きる時期は農繁期を避けて起きるの、戦いは、田植えを終えてから収穫する前までの間と、収穫を終えてから翌年の3月までが戦争が起きる期間よ」
「それに3000強という数字は敵対兵力の3倍が勝利の法則というのがあって、籠城されても攻城戦で勝てるという兵数だから3000強なの」
「大体、5下旬~9月、10後半~翌年の3月までが戦争期間と考えていいと思う、そこで佐竹は最初の攻撃で、多めに兵力を割いてくると思うの、最初に打撃を与え、相手の戦力を削る作戦で来るはずよ」
「那須烏山城には、最短のこの道で攻めて来るよ、ここよ、時期は5月に佐竹が攻めて来る、そしてこの道を通って烏山城に侵攻してくると理解して」
洋一からそれは確定なのかという質問に対して。
「3000強という兵数は移動するのに、移動しやすい兵力なの、余計な日数を掛けないこの道で侵攻する、最短の道なので城からの兵站も供給しやすいという事を考えれば、この道になるの、他国の領土を通らない道なのよ」
なるほど理解出来た。
そして、ここからこうなるのと、次から次へ、玲子の戦略が洋一に伝えられるのであった。
聞けば聞くほど驚き感心する洋一。
具体的な攻撃時期、敵側の作戦まで説明する軍師玲子に、この人は本物の軍師だと理解した洋一。
弓兵主体の騎馬隊、戦国物語初登場ではないかと思います、玲子に仕切られまくりですね、ある意味頼もしい玲子さんです。
次章「那須七騎」になります。