表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
269/331

269 軍略




那須資晴と秀吉の使者との話し合いは物別れとなり袂別した事が軍師玲子に伝わった事で小田原成敗が史実と同じく行われると判断した、元々行われると備えて小田原城は要塞化という名の魔改造が数年前より工事が行われている中、新たな一手を玲子より指示される事に。




「間もなく新年になるから向こうも1585年から1586年に、来年は島津成敗だろうから翌年の1587年の秋口か又は田植えが終わった1588年の5月~が小田原成敗だろうね!!」



「玲子さん! 史実での小田原成敗は敗北しますが主な原因は何故負けたのですか?」



「史実での小田原成敗は北条家の戦略は小田原城での籠城と近隣にある城からの兵糧支援と援護による迎撃だったの、だけど秀吉は小田原城へ通じる関東の支援する道を封鎖して各城を撃破して降伏させ開城させて行くの! 結果的には小田原城は孤立してしまうの! 史実では小田原城は確かに籠城に備えていたけど近隣にある支援する予定の城まで手が回らずに一つの城だけ戦が長引くけど大勢には影響せず小田原は孤立して負けると言う事に!」



「今回の場合も小田原は魔改造されてますが近隣の関東の城への備えは同じ様にしてませんが大丈夫なんですか?」



「そこはむしろ態と放置しているの、史実での小田原城包囲は10万の兵と、近隣の城え攻撃する部隊12万の兵が何ヵ所にも分れて各城が撃破されて敗北して、勝利した秀吉側の兵は小田原城の包囲にどんどん参加して行き北条家は身動き出来なくて降伏して負けるけど、こんどはそれを逆手に利用する軍略を考えているの!」



「あと史実と一番違う点は那須家と小田家がしっかり戦力を持っている事、特に那須家の騎馬隊は途轍もなく強い部隊だよ、弓と槍の騎兵を数万騎もっている戦国最大の騎兵の国だよ! 機動力に長けて騎馬で持ち運び出来る青銅の木砲まであるんだからネットゲームで言う処のスキル満載のドラゴン殺しの部隊だよ!!」



「戦で過去に勝利した籠城戦は主な敗因は長期戦となって攻撃する側の兵站に問題があるとかの要因なんだけど、今回は秀吉の事だからそんな間抜けな事は無いだろうし最初から長期戦で来るから実はそこも逆手に取る予定なんだよね!」



「長期戦も逆手に取るという事ですか?」



「そうそう態とね! 今回は長期戦になっても白旗を上げない小田原城だからどんどんイライラの鬱憤が秀吉側に溜まる事になるだろうね、そして最後は逃げる事も出来ずに降伏する事になるよ、その為の一手を資晴に伝えて欲しいの歴史を知る私達は相手が行っている手を逆手に取れるというアドバンテージがどれ程凄い事なのか、大戦であればある程アドバンテージが大きくなるから相手側は混乱して意外と大敗するという結果になると思うよ、それと私という軍師玲子の守護神がいるんだから負ける要素はどこにも無いよ!!」



「なんだか武田信玄と戦った時より簡単に言ってませんか?」



「信玄の時はちょっと大変だったね、戦国一の荒神だし事前に勝つ道筋を立てて戦をする戦人だから正直怖かった面もあったよ、でも今回はこちら側が支配する領地での戦だし基本籠城戦だから打つ手の順番さえ間違えなければ詰将棋と同じなの、将棋でいう処の矢倉囲いだよ、飛車と角が那須家と小田家で自在に動いて攻撃する側をどんどん叩いて削っていく戦法かな! 小田原城自体も攻撃する武器を沢山備えているから、今回の一手は秀吉側が身動き出来ない様になる手だから威圧感の満載の手になるよ!!」



「秀吉も大変ですね玲子さんの威圧感って本当に大変だから同情しちゃいますね!!」



「ちょっと洋一さん・・それって私が洋一さんを虐めてるって事?」



「・・・冗談ですよ・・ (危なかった(笑)) 」





── 豊臣秀吉 ──




藤原秀吉は帝より新たな氏を賜り『豊臣』姓を頂き豊臣秀吉となった、その背景は五摂家の近衛の猶子となった事で関白という位を得た訳ではあるが近衛家とは別家にする分別が図られ帝より新たに六摂家として豊臣家が加えられた、朝廷は特に前例に拘り無理やり猶子となった経緯での関白職に忌避を感じ新たな家を興した事になる、秀吉にとっては帝より新たな姓を賜った事でこれ以上の誉は無く感動していた、そこへ黒田が戻る事に。


黒田官兵衛は戻る道中戦いは避けられぬとの覚悟と那須資晴から伝えられた先読みという信じられない話ではあるものの自身の身が危うい状況に追い込まれる話にやや思い当たる節があった、それは主人である秀吉の顔付が徐々に変化して来ており時には強面になりそれまでに無かった差配を無下に行えるようになっていた事が見受けられた。


黒田官兵衛が知る秀吉は相手の懐に入りそれはもう慈愛に満ちた満面の微笑で安堵感を与える心根優しい秀吉との出会いから始まり、この人こそが頂点に立ち政を行えば多くの者が救われるであろうと臣従を誓った黒田官兵衛ではあるが織田家を支配した頃より降伏した者への厳しい処断を平気で言い渡す秀吉の姿が多々見受けられるようになった、その事を官兵衛なりに厳しい成敗を自重した方が良いのではないかとそれなりに聞くも秀吉は不機嫌となり一時官兵衛は遠ざけられた時があった、又他の者が同じく厳しすぎる処断は如何なものであろうかと秀吉に意見を述べた配下は登城禁止の厳しい処分となり禄も召し上げられるなど変化しつつある秀吉にどうしたものかとの憂鬱な気持ちで官兵衛は戻った。



「官兵衛よ! お前も三成同様に追い返されたのか! まあーよい、島津を成敗した後は三家を成敗せねばならぬであろう、島津と比べれば些か大変ではあるが田舎者三家が集まった所で関白の威光をかざして服従させれば良いだけである、今からその策を練り案を提示致せ! 儂はこれより茶会である、三成行くぞ!!」



官兵衛は那須資晴から戦を回避するには支配した織田家を返し秀吉が公家となるしか無いと言われた事をとてもじゃないが伝える事は出来なかった、今の秀吉にそれを言えば真っ先に処断されるであろう事は官兵衛でも重々解る事であった、自分の身を考えた場合に運が開かれるとしたら三家に勝つ道以外無いと悟る官兵衛、ここに黒田官兵衛は渾身の軍略を練る事に。





── 小田原城大広間 ──




年が明け刻を見計らい三家の面々と越後上杉家、徳川家康など主な武将達が集まり軍議が開かれていた。



「では関白とは戦は回避出来ずに大戦となりました事は理解出来ましたが敵側となる関白の軍勢は如何程になるのでありましょうか?」



「うむ今の徳川殿からの質疑でありますが兵糧を送るなど予備の兵力を含めて関白の軍勢は凡そ25万~30万であろうと、その中に毛利の村上水軍、織田家に臣従しておりました九鬼水軍も含まれております、ただ一つ危惧する点は一向門徒がどうでるのかという事になります、関白とは何やら誼を通じているとの話が伝わっております!」



「史上稀にみる大軍でありますな! 申し訳御座らぬが三家の皆様の軍勢は如何程になりましょうか?」




「北条家が8万、那須家が7万、小田家が7万であります、合計22万となります! ここからは半兵衛より軍略について説明致す!」



「はっ、兵力差は多少ありますが上杉様と徳川様の兵数を考えればそれほど気になる差ではありませぬ、以前上杉家で織田家と加賀での戦になりました際に織田軍が京を留守にした事を利用しそこへ三家が流れ込み抑えた事例があります、それを今度は小田原合戦で行います、ただ兵数が多く敵側が関東の中に侵入する恐れがあります、幾筋かありますのでその道を今より示しますので戦となった時に厳重な封鎖出来るように備えをお願います!」



「それとここに樹木に覆われた山中に陣地を作り大きい石造りの砲台を幾つか作ります、ここには飛び道具の武器を主に配置します、鋳物の大砲、木砲、鉄砲、大五峰弓と五峰弓となります、この地に造る砲台からは眼下に小田原の城が見える事になりましょう、小田原を護る守護砲台となります!」



「敵勢は小田原の海を封鎖し兵糧攻めを行いますが関東への道筋が守れらていれば問題なく供給出来ます、海の封鎖は敵に利すると見えますがむしろ敵を追い込む手に利用致します、そこでは小田様の海軍が活躍する事になりましょう!!」



「北条様の兵は主に籠城戦への備えに小田様の海軍は小田原の海にとなります!」



「我ら徳川は何をすれば良いであろうか?」




「関白殿の軍勢を小田原から戻れぬようにする大事な蓋の役目であります!!」



「えっ、蓋でありますか? なんかもそっと活躍出来る場は無いであろうか」



「いえいえ日ノ本初の大事な蓋となります、何しろ25万程の大軍に蓋をして動けぬ役目であります、徳川様の役目大大事な役目でありますぞ!!」



「それは凄い話ぞ! 関白軍25万の軍勢に動けぬようにする蓋など史上の初の大蓋となろう、これは見物でありますな、のう皆の者、あっはははは凄い蓋である徳川殿! 歴史に残る話でありますぞ、あっははは凄い手柄話でありますな!!」



「判り申した、そこまで言われれば見事動けぬ様に蓋を致しましょう!」



半兵衛から語られる軍略は既に何年も前から練りに練られた策でありそこへ新たに小田原山中に砲台を造る事となった、予想していた小田原成敗が早まる事で三家側の兵数は二割程足らなかったがその分上杉家と徳川家にも参戦を依頼した事で兵力差はほぼ無いと言えた。



「我らの兵も小田原に籠城となるのであろうか?」



「いえ、上杉様は京を抑えて頂きます、管領家として朝廷にも安堵願う為に京に頃合を見図り軍勢を向けて進軍致します」



「では大阪は那須殿であるか?」



「その前に甲斐武田殿の騎馬隊が甲府より南下し富士周辺にいる関白勢を蹴散らし東海の道を大阪に向け陸路で進軍します」



「又別動隊も御殿場、裾野、沼津辺りにいる関白勢を蹴散らします、その後、徳川様と別動隊は合流致しますのでより強固な蓋が出来上がります!」



「ほうそれは嬉しい話であります」



色々と軍略が語られ後に小田原城で三日に渡り詳細の詰めが行われた。


一方同じ様に黒田官兵衛もひとり忙しく頭を捻り小田原成敗の合戦模様を描きながら策を考えていた、一番の問題点は色々な大名が参加しての連合軍という事で勝ち戦の場合は問題無いが戦が膠着し動かなくなった場合に戦線を離脱する家が現れ弱体化し関白軍が大敗する恐れがあった、相手は先読み出来ると言う那須資晴である、策の小さい見落としは絶対に避けねばならなかった。




── 島津成敗 ──




戦国期後半の九州では戦が増し激しい三家による三つ巴戦となっていた、その中で戦国大名の名を天下に示した島津家が九州統一を目前に関白に逆らい戦う事に、戦に発展したその背景は関白としての甘い裁定が九州の実態に合っていない無理強いが原因とされた。


その三家とは大友・龍造寺・島津そのなかから、薩摩の島津氏が日向の伊東氏、肥後の相良氏、阿蘇氏、肥前の有馬氏、などを下し、さらに大友氏の重鎮立花道雪の死により大友氏の支配がゆるんだ筑後の国人衆も傘下に収め、北九州への影響力も強めて、九州平定をほぼ目前にしていた。


豊後の大友宗麟は島津氏の圧迫を回避するため、畿内近国、北陸、山陽、山陰、四国を平定し天下統一の道を歩んでいた羽柴秀吉に助けを求めた事により関白として裁定に乗り出し和解案を島津に出した。


既に九州の大半が島津領であるという現状を無視した秀吉の和解案は九州分国案と呼ばれ、肥後半国・豊前半国・筑後を大友へ返還し、肥前を毛利氏に与え、筑前は秀吉の所領とする分国案であった、これは島津氏が本領とする薩摩・大隅・日向半国に加え肥後半国・豊前半国を安堵する裁定案ではあったが現状を無視した割譲が多く含まれており島津氏はこれに反発。


秀吉と軍師黒田官兵衛は九州攻めではなるべく豊臣本隊を使うことなく秀吉に帰服していた毛利輝元・吉川元春・小早川隆景や、宮部継潤などの中国の大名、あるいは長宗我部元親・十河存保などの四国の大名を用いる事にし豊臣本軍は温存しての島津成敗が行われる事に。


戦の規模は当初中国の毛利主体で組まれ善戦するも島津の猛反撃も鋭く膠着する場面も多々あり結果秀吉が本軍を率いて参戦となった、豊臣軍の軍勢は20万から27万の軍勢に膨れ上がり多方面から島津が支配している城を各個撃破へ、迎え撃つ島津軍は当初5万程いた軍勢が撃破される内に徐々に劣勢となり2万まで減力を減らされ戦を維持できなく秀吉に降伏した。


戦後処理の仕置で島津氏に関しての沙汰は九州において新たに獲得した地域の大部分を没収されたが、戦後処理の結果、薩摩一国が安堵された、本来であれば改易に近い処分がなされても不思議ではない仕置という見方が多い中、何故島津家は薩摩一国を安堵されたのか? この時すでに秀吉の心には朝鮮出兵と言う大きな野望があったとされる、戦に強い島津家を利用する事を秀吉は考えた末の一国安堵となった。



小田原成敗が現実的となる中、三家による軍略が描かれる、ここに小田原大戦が既に始まる事になりました。次章「正親町天皇」になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 毎回楽しみに見てます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ