264 罠
「小太郎準備は万全か?」
「はっ、滞りなく進みました、上杉家の皆様もご助力して頂けており軒猿衆をお貸し下さいました」
「お~それは良かったお館の乱にて知らせずに先に動いた事心証悪くしていたらと心配しておった、名目上上杉家は関東管領となっておる、面目は尊重せねばならぬ!!」
「御屋形様そこまでの心配は入り申しませぬ、某多くの方々より感謝され申した、表面上では無く心より感謝されていると拝されます、御屋形様の行った景虎様救出は多くの方より感服したと心眼をお持ちの当主様と皆々驚いておりました!」
「嬉しい話であるな、では玲子殿から授かった秘策を行う事が出来るのであるな、軍師玲子殿よりなんとしても那須家にはもう一人軍神が必要であると、此度は武勇の要となる人物との話じゃ! 織田家の中で今は亡き攻めの三左と呼ばれた森可成殿と匹敵するであろうとの話であった、武辺の者という意味で軍神であると言うておった!!」
「では那須家では武田太郎様や一豊様、佐竹様に匹敵する方なのでありますな!!」
「洋一殿の指摘では那須家は他家に攻め入る武将は不得手な者が多く攻められた際に撃退する戦を得意とされるそれゆえに一豊、太郎と同等の壁を突き破る武将が必要であるとの説明であった、それとあの者は只偏に武辺を誇らずに織田家の中で実力で地位を築いた武将であると、それゆえに生かす事が本望であろうと、本人の意中は別として図るべしという事であった!!」
「我ら鞍馬の者であっても名は知れて申すがそこまでのお方でありましたが、某は勘違いしておりました、羽柴殿の武勇ばかりお聞きしており思慮が狭かったようであります!」
「いや儂も盲点であった、良い話ばかりに飛びついておった! 敗軍の将という印象は拭い去らねばならぬ、戦とは本来運不運という目に見えぬ理の世界じゃ、結果だけに囚われてはならぬのだ、古の教えに百戦百勝より百戦目の一勝に拘るべしという故事がある、例え弱いと見なされる武将であっても最後の一戦に勝ては゛大勝利という事なのであろう表面に囚われずに儂もさらに大きくあらねば日ノ本など視野に入らぬであろう!!」
「某も大いに反省しとう御座います、指示を受ける事に慣れ過ぎました、自ら考え進言出来るようお役に立ちたいと申します、では手抜かりなく成し遂げて参ります、是非にご覧下さい!!」
── 罠 ──
「官兵衛よ! 一旦本軍を引き下げ隙を作り態と陣地を取らせるのだな!?」
「如何にもそうであります、柴田様の軍勢は峰々の上にあります、我らの陣地は未完成でり下方にあります、下方にある陣地を取らせるのです、それによって峰々に配置された敵軍に隙間が生じます、その隙間に襲い掛かるのです、殿! あの中国返しをここで再び行えば陣地を取った敵勢は戻れずに失う事になりその勢いで柴田様の本軍に襲い掛かるのです!」
「では武装は所々に置いて下がった方が良いな、身軽にして素早く移動せねばなるまい、またもやここで大返しを行う事に成ろうとは戦国の中で大返しなど出来るは我らだけであろうに! 官兵衛よくぞ考えた、柴田殿には申し訳ないが冥途の土産に大返しをご所望させようぞ、さぞや満腹になるに違いない!!」
秀吉本軍は柴田軍を誘い込む為に賤ヶ岳の戦場から離れ大垣城へ向け進軍する事に、その理由として織田信雄が再度軍を起した為に柴田軍との挟撃を防ぐ為と宣伝された。
史実では柴田勝家は、この好機を逃すまいと佐久間盛政に出陣を指示し羽柴軍との最前線にあたる大岩山砦を陥落させるのに成功、大垣城にとどまっていた羽柴秀吉は、各所の砦陥落の報を受け大垣城を出て賤ヶ岳を目指します。
大垣から賤ヶ岳まで約52㎞の道のりを、わずか5時間で走破し賤ヶ岳付近に到着。これが驚異的な速さだったことから、美濃大返しと呼ばれています。
賤ヶ岳砦を奪われ、すぐに羽柴軍が来ると思っていなかった佐久間盛政は、為す術もなく羽柴軍に包囲され、撤退を余儀なくされるも羽柴軍は逃げる佐久間軍を追撃し撃滅さらに早期に決着を付けるべく秀吉は柴田勝政への攻撃に転じます。
佐久間勢が攻撃を受け崩れる中背後に陣取っていた前田利家は戦線を離脱、これに合わせ、金森長近と不破勝光の軍も撤退し、柴田軍は徐々に崩壊し始めます、そこに秀吉軍の木下一元と木村隼人正らが攻撃を加えたことから、柴田軍は総崩れに。
「総崩れしたぞ!! 今ぞ全軍で襲い掛かれ柴田の息の根を!! 止めを刺すのだ!!」
「官兵衛よ、これで柴田殿は終わりである何度も不当な物言いで儂を小馬鹿にしてくれたが胸がすっきりと痞えが取れたぞ! 見よ! あれだけ立派な陣を構築しても護る兵が総崩れじゃ惨めなものよ!!」
「殿おめでとうございます、此度の戦で殿が天下人になったも同然と言えまする、後は織田家家中の中で柴田様に付きました信雄様を如何致しますか?」
「そうよなあ~儂には臣従しないであろう、先ずは領地は全て接収し反省を促そうその上で仕置は考えようぞ、それと信孝様は我らの味方となり軍勢と兵糧を手当して頂いた、ありがたい事じゃ! 儂がお家乗っ取りと見られぬ褒美を与えると致そう!!」
「それがよう御座います、後は朝廷への対応で御座います、そちらは殿の得意分野で御座います!!」
「うむ、案ずるな! これにて儂に逆らう織田家中の者達は一掃したであろう、容赦はせぬ様に、時節を見えぬ者達は役には立たぬであろう、心入れ替え臣従する者は配下と致そう!!」
賤ヶ岳の戦では七本槍と呼ばれる秀吉子飼いの者達が活躍したとされるその七名とは脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明の七人である、譜代の家臣を持たぬ秀吉が誇大に活躍した事を宣伝し俸禄を与えたとされる。
── 敗走 ──
勝家は自軍が崩れ再構築は無理と判断し急ぎ城に戻り自刃する覚悟でいた、城にはお市の御方と娘がおり城から逃がせば全てが終わると急ぎ城に戻ったがそこには既にお市のお御方も娘達も城にはいなくなっていた。
「どうした事か? お市は何処に行ったのじゃ!!」
「殿・・殿より使いの者が現れ敗戦となった故お市様と姫様を逃がすようにと指示を受けた者が既に皆様を救出されておりまする!! ご安心下さい!!」
「何・・儂の使いだと・・その者が連れ出したと言うのか!?」
「はい、使いの者が20名程現れ籠に乗せ殿の命にて安全な処に運ぶと申しておりました」
「儂はそのような命を出してはおらぬが一体何者であるか? ではここにはおらぬのだな!! 戦は敗戦となった秀吉が来る前に皆の者は城から出るのだ、急ぎ城から出るが良い退避する者には目こぼしもあるであろう、今の内に逃げよ!!」
「殿を置いて出ていく事は出来ませぬ!」
「儂にはやる事があるのだ、皆は城から出よ! 厳命である!!」
ひと通り指示を出し自室に戻った柴田勝家・・・・やがて城を囲み始める秀吉軍ではあるが城攻めを行う前に城より出火し燃え始める・・・大勢の羽柴軍が囲む中で突如天守が爆発し城は陥落した。
「官兵衛・・・これは一体どいう事じゃ? お市様はどうなったのじゃ? 姫君は?」
「・・殿・・残念でありますが諦めなされ、柴田様と冥府に旅立たれたのでありましょう、お市様は浅井殿を失い信長様を失い此度は柴田様を失う事に疲れ果てたのでありましょう、姫君も幼く共に自刃されたのでありましょう、今は手を合わせるだけであります!」
史実では勝家は北ノ庄城に逃れるも、4月23日には前田利家を先鋒とする秀吉の軍勢に包囲され、翌日に夫人のお市の方らとともに自害、佐久間盛政は逃亡するものの黒田孝高の手勢に捕らえられ後に斬首され、首は京の六条河原でさらされた。
柴田勝家の後ろ盾を失った美濃方面の織田信孝は秀吉に与した兄・織田信雄に岐阜城を包囲されて降伏、信孝は信雄の使者より切腹を命じられて自害した。
── 勝家 ──
話は少し前に遡り城天守が爆発する前に勝家は上杉家の軒猿衆により無理やり捕縛され拉致され連れ出されていた、勝家の性格上言葉での説得は今は無理であるとの判断から最初から捕縛の準備を整え自室に入った勝家を一気に取り押さえ連れ出していた。
何が起きたのか判断も出来ない状態で捕縛され籠に押し込めれ上杉領内の寺で解放されるもその理由を聞き両目から歯茎より血しぶきを上げ悔しがる勝家の姿がそこにあった、悔しい理由は死ぬ事も許されぬ敗軍の将であり己の不甲斐なさに血しぶきを上げていた。
「その方とは一度は戦った身であるその方の気持ちは充分理解しているここで儂が介錯する事は出来るがお市殿と姫君がかの地で待って居る、そこにて判断するが良い!!」
「上杉殿! 某はそなたを恨み申す、武将の死様こそ大切なる事は上杉殿もよくご存じの事それを奪うとなれば死よりも大切な事がこれよりなかった場合は上杉殿にも死んで頂くこの事忘れずに!!」
「うむ、某も充分に弁えておる、その方の命持て遊ぶつもりも御座らん、儂の命もその方に預けようぞ!! 先ずは柴田殿の目で確かるが良い、その方の目に光が射す事に成ろう! いずれ光が射した眼にてお会い申そうぞ!! 戦国はまだ終わっておらぬ!!」
柴田勝家は死ぬ事すら自分の自由に出来なかった事に怒髪の怒りで顔の形を歪め軒猿衆と共に那須に行く事に、道中では幾らか冷静になり上杉景勝が言っていた此度の戦で一年以上前から織田家で変が起こる事、その後此度の戦に発展する事、そして勝家が負ける事を知った上で城から捕縛し連れ出したと説明をされた、一連の事を知る那須資晴に会い説明をうけた上で自刃するかどうかを決める様にと、そこには既に正室のお市と姫君達も勝家を待っているとの信じられない話であった。
勝家の中では東国を纏めた要の家である那須家と言う認識はあるもののこれまでに一度も那須家とは接触しておらずほぼ何も知らない家であり織田家の重臣滝川が毒による病の介抱を受けている事と元は織田家の勝家より上の立場であった佐久間信盛が今では仕えている家である位しか知識が無かった。
本能寺の変が起きる前に織田家での招請で三家の当主が呼ばれ饗応する中で信長の政に賛意を示し味方になった事は重々承知しているが変が起きる事も此度の戦になる事も知った上での招請に応じ信長様に味方すると成った経緯との齟齬をどう考えれば良いのか理解出来なかった、やはり景勝が言うとおり直接那須資晴に問いただし、何の為に自分を生かしたのかを聞いた上で場合によっては恥の上塗りとなった場合は刺し違えてでもと覚悟を固める勝家であった。
武将の死様は生前と同じであり死ぬために生きるという信念が存在していた、その死様を取り上げられた勝家にどの様な役割が待っているのか今の段階では誰にも判らぬ事と言えた、今は死を回避しただけである。
勝家は根っからの古武士なんです、そんな勝家ですが勝家を嫌いな人ってそれほどいないと思います、判りやすい武将であり間違いなく信長を支えた重臣です。
次章「矜持」になります。




