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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
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258 本能寺

 





(※ ザッザッザッザッザッザッザッザッ)



「上様・・・上様・・・」



「蘭丸か! 如何した!?」



「はっ、何者かの軍列がこちらに近づいて来ております、今確認をしております」




(※ ザッザッザッザッザッザッザッザッ)



「微かな地響きが聞こえておる、急ぎ確かめよ!!」




遡る事数刻前信孝を中心に軍議が開かれた、この時点で何処に向かうかは一部の者を除き誰にも知らされていない。




「これよりこの先の篠村八幡宮にて軍議を開く、その前に・・・・」



「うっうう・・何事ですか、これは信孝様これは一体何の真似でありますか、某を捕縛するなど洒落では済みませぬぞ!!」



「済まぬ丹羽殿、そちには生き証人として見届けて頂く、これから儂が行う事を生き証人として最後まで見て頂く為に失礼ながら捕縛させて頂いた、某の処分はその後お任せ致す、許されよ!! 失礼の無いように連れて行け!!」



「これより軍列を整え、敵勢に攻め込む、儂の指示の聞かぬ者は追放と致せ、我らは京の町を知り尽くしている、この印がある場所を竹矢来にて塞ぐのじゃ!!」




信孝の率いる多くの軍勢は織田家の中で信孝と同じく次男三男と言う家を継ぐ資格が無い者が多くこれまでに雑用の多くを強いられ一段下の者として虐げられてきた者が多い、ある意味同じ境遇の者が多く信孝が半殺しとなってその後顔が変形し片目が潰れた殿として戻った時は誰もが泣き崩れ忠誠を誓う者が多い軍勢であった。


6月1日夕刻に進軍を開始した信孝軍、丹羽を捕縛した理由はこれから行う下刻上を最後まで見届ける生き証人として最適の人物として信孝が戦目付という役にて組み入れた、後の事柄に備えての策として丹羽を利用した、信孝は確かに氏真達による呪印を施されていたが既に奥底の中で父信長と兄二人に対しての復讐の心は燃え上がっており呪印は火に油を注ぐ役目であって心そのものは縛られていなかった、氏真側から見れば呪印が施されたと判断しても不思議では無かった、信長の力を弱める事に精を出す者達には信孝は従順な傀儡に写っていた。



「殿、敵勢とは何処にありましょうか、我ら重臣に教えて下され!! 我らは殿に忠誠を誓う者であります、丹羽様を捕縛する程の御覚悟、我らにも同じ覚悟を決めたいと申します!!」



「その言葉感入る、敵勢とは我が父であり兄である信忠である、我の復讐からでの戦ではない、織田家は朝廷を裏切り帝を廃すると決めたのじゃ! 天下人となり日ノ本を全てを手に入れるとその為に朝廷を廃し恐れ多くも帝を傀儡とすると決めたのじゃ! 我天地に誓う断じて許すまじ、織田家が狂ったゆえ、織田家を正さんが為の大義の戦をこれより行う、皆の者儂に続け、大義は我らにあり、父上の間違いを正し、父と兄上成敗する事が儂の役目である『敵は本能寺にあり!!!』」





「急進・・急進・・迫る軍勢は織田家の家紋を掲げております、幟旗は織田木瓜であります」



「急ぎその軍勢に立ち止まるように命を出せ、それ以上許可なく近づく事ならずと命を伝えよ、それと誰が率いているのか確認せよ!!」



「はっ、森様急ぎ伝え確認して参ります!!」



「上様、今の話お聞きかと思われます、どうやら御身内の軍勢かと思われます、ご親族衆の軍勢のようであります」



「近くに信忠もおるが大勢の軍勢を率いてはおらぬ、信孝であれば・・・この大内裏に近づく道では無い・・・いや大軍を率いておる者は信孝しかおらぬ・・・! 」



「急進!!・・急進!! 軍勢止まりませぬ、道々に竹矢来が設置されて封鎖されております!!」



「何!!! 儂とした事が!! ぬかったは 『是非に及ばず《やむをえぬ》』 蘭丸急ぎ戦支度じゃ、皆を起こせ! ここに攻め込んで来るぞ、敵は信孝じゃ!!!」



「はっ、皆の者急ぎ上様の安全を確保せよ! 篝火を焚け、門を固めよ! 退路を作れ!! 信忠様にもご注進を走らせよ!!! 者ども火急ぞ、急ぐのじゃ!!!」




軍勢が止まらぬとの報に一瞬にして信孝の軍勢だと理解し、この本能寺に向けて攻め込むと読んだ信長、信長の思考と信孝の思考は攻守は別として繋がった瞬間である。


信孝は京に入ると信長のいる本能寺と信忠のいる妙覚寺に向けて二つの軍勢に分け進ませ道を封鎖し囲み攻め入る事にしていた、しかし信忠の妙覚寺には思いの外身辺警護をする1000名の者達がおり、蘭丸からの信孝が攻め入る事が告げられ父上の信長を救うべく妙覚寺より竹矢来で塞がれた道を強行突破し、本能寺に向かうも既に信孝の軍勢に囲まれており近くの二条御所に入り御所に詰めている市中警護500名と信忠の身辺警護1000名にて果敢に本能寺に向けて攻撃を開始した、二条御所は市中警護を担う城として城内には多くの武器が備えており信忠の判断は正しいと言えた、しかし信孝の率いる軍勢との差はあまりにも大きく抗しがたいと言える。



「上様、信孝様の軍勢攻め入って来ております、今の内に御下がり下さい、私が死守致します、御下がり下さい!!」



「無駄じゃ! 退路は無いであろう、余は余自ら死を招いたようじゃ! それにしても大きく成りよった、信孝は一段二段どころの話ではないこの儂をも乗り超えてしまった、覚醒したのよ、一番見所有る奴を儂は見抜けなかったのよ! 信孝よ 見事である!! 儂を喰らうが良い それでこそ儂の息子ぞ!」 



「信忠も終わりであろう、信雄では最早相手にならん、果たしてお前がこの先にいるであろう那須資晴に勝てるか見物である、後の世で聞かせてもらおう、蘭丸! 火を付けよ! これまでじゃ! 誰も近づけるな!!」



二条御所にて奮戦していた信忠も兵数の差は如何ともしがたく本能寺が落とされた、程なくして同じく包囲され父信長を追う形で後を追った。


この襲撃の模様を記した『当代記』によれば、信長は初め弓を持って戦ったが、どの弓もしばらくすると弦が切れ、次に槍を取って敵を突き伏せて戦うも肘に槍傷を受けて内に退き信長はそれまで付き従っていた女房衆に女はくるしからず、急罷出よと逃げるよう三度警告し、避難を促したと云う、すでに御殿には火がかけられていて、近くまで火の手が及んでいたが、信長は殿中の奥深くに篭り、内側から納戸を締めて切腹した、この討ち入りが終わったのが午前8時(辰の刻)前であった。


興味深い話に明智勢の鉄砲隊が公家の近衛屋敷の屋根に上り本能寺に向け信長勢を攻撃したとされる、後にこの事が大きな問題となり近衛前久は失脚する事になる。


又、大阪冬の陣、夏の陣などで登場する信長の弟・織田長益《斎有楽》は、信忠と妙覚寺に滞在していた、信忠に従って二条御新造に籠もったが、臣たちを欺いて脱出し、難を逃れたという、長益も下人に薪を積ませて自決の準備をさせていたが、周囲に敵兵がいないのに気付いて、ここで死ぬのは犬死と思い脱出したと云う『当代記』には「織田源五被遁出ケリ、時人令悪」とあり、長益の脱出を当時の人は悪しき行いであると批判したと言う。


ここに戦国の巨人 織田信長はここに死する事になる。


生誕 天文3年5月12日、ユリウス暦1534年6月23日、先発グレゴリオ暦1534年7月3日

死没 天正10年6月2日、ユリウス暦1582年6月21日、先発グレゴリオ暦1582年7月1日


従三位・権大納言、右近衛大将、正三位、内大臣、従二位、右大臣、正二位贈従一位・太政大臣、贈正一位 と駆け上がり最上位の官位まで上り詰めた。


信長と言う傑物が戦国の世に誕生した事で秀吉が見出され、家康も育ったと言って良いであろう、信長あってこその二人である、秀吉と家康の功績を比較した場合いずれも甲乙の判断は難しいが信長の残した功績は一歩も二歩も上と言えるであろう、秀吉も家康も多くの点を信長が行った政を見習い取り入れている。




── 堺・資晴 ──




「御屋形様京より急ぎの知らせが届きました!」



「知らせの内容はどうじゃ!!」



「御屋形様も申した通りの結果で御座います、変を起こした者は織田信孝殿との事です、織田家の下剋上となりました!!」



「子が親を喰うたという下剋であるか、とてつもなく大きいお家騒動であるな、日ノ本が変わる出来事になってしまった、軍師玲子殿が言われた予言が的中した、玲子殿が知る歴史とやらとは違う形で現れた、果たしてこの先どうなって行くのやら!? 小太郎! 我らはこのまま帰還する、手筈通り伊賀の忍び達は残し動いたら取り返すのじゃ! 伊賀を三家の飛び地と致すのじゃ!!」



案の定 軍師玲子が予言していた通りに本能寺の変が起きた、史実と違い変を起こした下手人は織田信孝であった、史実で起きる大きい出来事に変化は無かったが違う形で起きた事で謀反という変から織田家のお家騒動という下剋上として本能寺の変が事象として現れた事でこれから起こる織田家内紛による主導権争いで柴田派対羽柴派との戦に発展し秀吉が勝利するのか、それとも違う形で結末を迎えて行くのかは軍師玲子にも読めない、織田家の行く末が大きなカギを握る事になる。


本能寺の変が起こり京の町は騒然となるも一通りの軍事行動が終了すると信孝は各方面にお家騒動を起こした仔細顛末の文を発した、そこに書かれていた内容は織田信長が間もなく征夷代将軍に就く事、将軍となり大きな政策の柱に朝廷の権力を奪いやがて信長は国王となり帝を配下に据える政を強行すると書かれており親子であっても見過ごせぬ事であり逆賊の行為は天罰を持って誅したという内容が書かれていた。


本能寺の変を起し父信長と嫡子信忠を討取った信孝は騒然とした京の町を何事も無かった様に市中警護に戻った、ただ目に見えぬ事として氏真館にいた者達の姿は京より姿を消していた、その行方は近衛にも判らず不明であった。




── 数日後 ──




「何? 信孝様からの文が届いたと?」



「・・・・なんと・・・信孝様が上様を討取った・・・何が・・・上様・・・!!」



「これは一大事じゃ、殿!・・・羽柴様いち早く戻らねばなりませぬ・・・ 殿が《羽柴様が》天下を握る好機と見るべき、千載一遇の好機!! 殿!! 今は戦場です、嘆いてはなりませぬ、敵に知られる前に動かねばなりませぬ、毛利との落とし前をつけてしまいましょう!! 」



「勘兵衛済まぬ儂には何も浮かばぬ、そちに案があるなら進めよ、心がここに在らずとなっておる、何をどう考えれば良いのか心ここに非ずである、勘兵衛の差配で談合せよ!!」



「判り申した、急ぎ安国寺を呼びまする、某にお任せ下さい、横にいて頷くだけで済みまする」



信孝からの火急の知らせが届き狼狽える秀吉、軍師となる黒田勘兵衛は自分を見出した羽柴秀吉を急ぎ京に戻らせ天下取りへの一歩を歩みださせようと一瞬にして頭を切り替えた、黒田勘兵衛の主はあくまでも秀吉であって信長では無い、秀吉が出世する事が勘兵衛の利でもある。




戦国の巨人が亡くなった事で秀吉が大きく動く事になります、信孝の思案する織田家の行方と秀吉、そして柴田勝家達重臣の行く末が大きく動く。次章「大返し」になります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 明智光秀だとただの謀反ですが、信孝が首謀者となると織田家のお家騒動の側面のほうが強くなりますね。秀吉にしても勝家にしても大義名分がないです。彼らは織田家の武将ですからね。
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