253 本能寺の変・・大阪入り
── 要請 ──
「信雄、信孝よ、読んで見よ、これがお前と秀吉の違いぞ、お前達が馬鹿にしていた猿と何が違うか理解出来ねば天下を治める政に、中枢の役割は出来ぬぞ、文に何が書かれているか、どんな意味があるのか儂に感想を述べて見よ!!」
4月に入り毛利と対峙している秀吉から信長に戦の模様が書かれた内容と信長が本軍を率いて援軍に駆けつけて来て欲しい旨が書かれていた。
「これは・・・秀吉が毛利に苦戦していると読むべきでは無いでしょうか? 戦模様の仔細が書かれております、戦に負けた時の言い訳が出来るように、それゆえ父上に援軍の要請をしているのでは無いでしょうか、文に書かれた事を素直に解釈すればそのように書かれております」
「信孝はどう読む、信雄と違うなら違っても良い、正直に述べよ!!」
「はい・・・秀吉は毛利との戦で大勝利した功を父上に献上しようとしております、天下を治める際に父上の威光を最大に持ち上げようとしております、秀吉はそのような男です、本当に苦しい戦をしておるのであれば父上を呼びませぬ、そんな危険な処に父上を呼び毛利との戦で敗戦となれば秀吉は責任を取る事になります、そんな危ない橋を渡る男ではありませぬ」
「ほう・・・信雄とは全然違う意見であるな、信雄は素直に文を読み解いた、信孝は秀吉と言う人物の真意を文からよみ解いたという事じゃな、まあー二人の意見は意見として聞いておこう、儂には毛利が近い内に頭を下げに来ると判っておる、東国の三家が我らに付く事がはっきりすれば頭を丸めて許しを請うて来るであろう、他の者を遣わせば問題ない、お主ら二人の内どちらかが秀吉の処に行くが良い、全ては三家を饗応してからじゃ、その準備を怠る事は許さぬぞ!!」
信長は二人から秀吉の文を読み解いた意見を聞く中で信孝の意見は信長と一致している事に驚いていた、あの虐待とも言うべき顔まで変形され片目を潰した拷問で一命を取り留め秀吉に預けた事で知らぬ内に信雄の一段二段上の物見が出来る男に成長していた事に関心するとともに何れ天下が治まれば四国を統治する長に充分出来るので無いかとほくそ笑んだ、一方信雄には伊賀攻めで織田家の名に胡坐を欠き敗戦した時と全く変わっていなかった事に次男という立場が邪魔しているようであった。
秀吉の文は一見すると苦しい戦であり援軍要請と読めるが、信長が軍を率いて来る事で毛利が簡単に敗北すると書かれており、要は信孝が述べた意見通りの信長の威光をさらに高める為の手柄を譲る内容が書かれた文と言える、既に毛利との戦で勝利が前にある状態でありその見通しが出来た書かれた文である、本当に苦戦した戦であれば絶対に主君である信長を呼ばず援軍だけを要請で済む、織田家の家臣で態々この様な文を書き主君の威光を高める援軍要請の文を書く者は秀吉だけであり、そこが秀吉を重臣として駆け上がって来た才能と言える、柴田勝家などの古参の武将には、媚び諂う《こびへつらう》姿としか映らず卑怯者として罵られる謂れがこれである、秀吉が百姓からここまで駆け上がった理由をその様な理解しか出来ない多くの侍の本質は、侍という身分が誰よりも上位であり百姓などは手駒でしか無い事、そのような輩が出世するなどあってはならないという根に染み付いた性とも言える、秀吉と勝家の大きな違いでもある。
── 大阪入り ──
小田原を出港し数日後には堺の港に到着した三家の一行は休む為に油屋が手配した迎賓する館に数日宿泊する事に、貿易の町堺は既に織田家の支配下であり警備は万全であった。
日程は堺で数日過ごした後に安土での一連の行事を行い、帰りは同じく堺で今度は織田家の商家で一番の大店今井宗久が主宰する一連の行事に参加する事になっている、往路の油屋はあくまでも休息と言う名目であり、三家でこれまでの情報集めという意味合いである。
「では油屋殿この堺も平穏で穏やかに治まっているという事であるな?」
「顕如が本願寺を離れた事でそこにいた者達も離散しており一揆に繋がる出来事は何処にも聞こえませぬ、嘘のように平穏となっています」
「それはそれで良い事じゃ、米の値も戻ったと聞いた、後は本当に毛利だけであるな、織田殿は既に天下人として歩まれておるのであろう、しかし、油屋よ、ここからが肝心な話である、心して聞くが良い、絶対に他言はしてはならぬ、理由も聞いてはならぬぞ、お主の父とこれまでの誼が深くあるゆえ、忠告するのだ、絶対に他言無用である!!」
「儂らが安土の城からこの堺に戻り今井宗久に持て成されているその時・・・・・であるのだ、良いな、備えよ、場合によっては我らの船を頼れ、起きた場合に小田殿の船が港に付く、小田家の家紋ある船を頼れ、良いな!!」
「三家の皆様・・・・・・・」
全身から血の気が引く店主の油屋、真っ白な顔となり全身を硬直させ言葉を失う中拝礼したまま固まった。
「案ずるな、今からなら充分に時間はある、それにこの堺は簡単に攻められぬ、突如嵐が来るとなれば被害もあるやも知れぬが守られるであろう、我らの忍びも堺に配置済みじゃ、脅して済まなかったが備えるに事が一番じゃ、良いな油屋!!」
数日間の休養を経て織田家の迎えが来た事で安土の城に向かう一行、途中指定された信長が近年京での隠れ寝所として利用している寺にて一泊する事に、指定された寺宿とは大内裏にある『本能寺』であった事に三家の面々は顔色を失った。
「如何なされましたかな、些か顔色が優れませぬが、御所の近くの寺ゆえ利便にも優れており古刹の名所であります、上様も時々利用されております本能寺であります、上様のお気に入りの茶器にて茶人よりおもてなしを行う事になっております」
「それは忝い、京の復興が進んでいる事に早く魅入っておりました織田殿が如何に都を大切にしている事に安堵しておりました、茶の作法不識ではありますが楽しみであります」
「那須殿心配入り申さず、茶とはゆっくりと嗜む物であり、作法に縛られて頂く物ではありませぬ、簡単に言えば自分好みの詩風を取り纏安穏なる心にて頂ければそれが最善の茶であり作法とは無縁であります、北条家にも茶人がおりますが茶はあくまで茶であります」
「小田家にも茶人はおりますのか?」
「茶人でありますか、当家には茶人と呼ばれている者は仕えておりませぬが特に何も困っておりませぬ!」
「那須にもおりませぬが、平穏なる世が訪れれば茶人が幅を利かせる時が訪れるかもしれませぬなあ~、作法は作法として嗜むうえで学ぶ事があるやも知れぬ、先ずは茶人による茶を楽しみと致しましょう!」
「それと北条様はよくご存じのお方が寺にて先にお待ちしております、皆様をお迎えしてお待ちしております、明日はそのお方と共に城に参ります」
「ほう私の知る方でありますか、誰でありましょうか、その方も此度招かれたと言う事でありましょうか?」
「はい、上様の配慮にてそのお方も招かれております、寺に着けば一目でお判りになるかと思われます、織田家と北条様を繋ぐ者になります」
「そうでありますか、それでは楽しみにしておきましょう」
本能寺とは法華宗本門流の大本山とされ、洛中法華二十一カ寺本山の一つ、信長が上洛時に利用していた理由は、寺が城のような構えを持ち全体に堀が廻らされており他宗との争いで防御に優れた作りになっていた点があげられる、それと本願寺勢力が及ばない法華宗という事もあり利用するには最適な寺とされた。
それと当時の京では法華宗には有力な財界人が多数存在しており、その有力者達の支持を得る為に信長は利用したとされる、又、大内裏の中にあり御所にも近く政治的にも有利な場所であると判断ゆえに信長の利用する寺となった経緯がある、その本能寺に招かれた三家、三家の当主を門前で向かい入れる者がいた。
「ようこそお越し下さいました、此度織田家の同盟者にて教導役を仰せ仕りました徳川家康であります、北条様とは誼深き者ではありますが、那須様、小田様、家康で御座います、どうかよしなによろしくお願い申し上げ致します」
「・・・まさかその方が我らを向かい入れる者とは織田殿も酔狂であるな、確かに一番良い方が我らを向かい入れた、気が楽になった、今宵は那須殿、小田殿に色々と紹介致そう、楽しい一時となろう、あっはははは」
織田信長は家康を利用する事で三家の懐に入れると考え、家康にはその旨を事前に伝え三家の懐柔策の一つとした、北条家とは同じく同盟関係にあり親しい間柄である、北条が折れれば那須も小田も問題無く決着が着くであろう、後は失礼の無い対応を、天下人として威厳を保ち三家を安心させれば1000万石が味方に付くという算段であった。
翌日に安土城に向かう出立時には警備の護衛として織田信孝が責任者となって現れ三家の面々に挨拶に訪れた。
「北条様、那須様、小田様、某織田家三男信孝と申します、父より皆様を御守りしてお連れする様に命を受け参上致しました、これより先導致しますのでご安心下さいませ!!」
「これはこれはご丁寧なる配慮、我ら三家心よりの配慮に感謝致します、態々お身内の織田様に引率されるなど有難く、これ程の安心は御座りませぬ、よろしくお願い申します」
「ではこれより出立致します、ご免!!」
無事に京に入り安土に向かう一行を織田信孝が引率者として・・・これより主役が揃う安土の城に入城となる。
本能寺で一泊するとは・・・いよいよ天下人の城に入城ですね。
次章「本能寺の変・・信長と三家」になります。




