25 神童と神童・・・2
どんな出会いが待っているのか、史実、同じ年でした、奇遇です。
小田家嫡子、彦太郎より那須家嫡男、正太郎と誼を通じたいと言う、強烈なメッセージを受けた正太郎も元より希望していた事であり、両家は天下の風雲を急に告げる様に、それを先読みするかの如く、年の瀬まじかにも関わらず、正太郎が小田家に訪問する事になった。
時は12月14日に那須烏山城を出立し、16日夕方に、土浦の小田家居城に到着した。
城では門前に重臣、菅谷殿が待ち受けており、菅谷殿から正太郎一向に。
「那須家嫡男様正太郎様のご到着を、心よりお待ちしておりました、此度、歓待の役を申し付けられました菅谷で御座います、御用の向きは何なりとお申し下さい」
「此度はいろいろとお世話になります、菅谷殿には何かとお手配を頂き感謝申し上げ致します、よろしく差配を御頼み申します」
那須烏山からの道程は、奥州街道である、現代の国道294号線が下館まで通じており難所もなく来られ現代の筑西市まで通じおり佐竹の領国を通らずに小田家領に来る事が出来た。
「では、これより城内へご案内致しますので」
と言って先頭に立つ菅谷であった。
那須烏山城に比べ広く、櫓も多く、攻略するには平城の割には難しい城であると正太郎なりに思うのであった。
本丸に案内され、用意された部屋が3室ほどあてがわれ。
「正太郎様暫くお休み頂き、一刻程してより、当主小田氏治様とのご会見となりますので、それまでお休みください」
「忠義よ、なんだか、思いの他、歓迎されている様であるな、失礼があってはならないので、よろしく導いてくれ」
「はっ、若様なら何も心配ないかと思いますが、会見時に気になる事があれば目配り下され、某も側についておりますので、ご安心下され」
此度の正太郎一行は、忠義、小太郎、侍女の百合と、春、それと小者2名からなる少数にての目立たぬ人数にての一行である。
一刻後に菅谷より、ご用意が出来た、と広間に案内されたのである。
既に広間には、当主小田氏治、嫡子彦太郎、他数名の者が上座ではなく横に座り、我らを迎い入れたのである。
「ささこちらへお座り下され 」
と、案内され驚く正太郎、小田家当主が上座に座らず、迎い入れたのである。
正太郎は、座り拝謁し。
「此度は、私の我侭をお聞き下さり、小田家当主 小田氏治様にお会い出来ます事、恐悦至極で御座います、又、そちらに居られますは、嫡男、彦太郎様とお見受け致します、那須家嫡男、正太郎で御座います、どうぞよろしくお願いいたします」
という挨拶をした正太郎、挨拶を終えると、小田家当主より。
「小田氏治である、横にいるは嫡男、彦太郎である、挨拶、かたじけない、此度は嫡男同士による誼を通じる場であるので、難しい礼儀も必要なく忌憚なく通じる事が出来ればと思うており、この城にて、数日ゆるりと過ごされよ、嫡男、彦太郎の導きをよろしくお願い申す」
「はっ、暖かいお言葉、感謝申し上げ致します、那須家当主 我が父、資胤より、此度の御礼に些かばかりお土産を預かりましたので、こちらが目録となります」
小田家の小姓に目録を渡し、氏治は受け取る。
「これはこれは、かたじけない、かの有名な与一様が騎乗されていた那須駒を儂しと彦太郎にも駒を頂くなど、さらに那須にて名産の鮎の甘露煮200匹とは、これまた、嬉しい限りです、濁酒2樽もあるとは、これ程までご用意して頂くとは、誠に嬉しく、資胤様にこの氏治心より感謝していたとお伝えください」
「彦太郎よ、那須駒を頂いたぞ、天下の武を示した与一様の乗っておられた那須駒ぞ、しかと感謝するが良い」
「はは、正太郎殿、小田家嫡男、彦太郎です、此度、誼を得られます事、一日千秋の思いでこの日を待っておりました、那須家当主資胤様へ、彦太郎頭を床に付ける思いで感謝していたとお伝えください」
「いやいや、私の方こそ、氏治様、嫡男彦太郎様とお会いしたくて、彦星、織姫の様に一年に一度お会い出来る日を、恋心を抱くように、この日をお待ちしておりました」
「あっははは、こりゃ参った、幼きとは言え、これほどまでお互いが逢いたかったと、目の前で言われてしまっては、父親として、二人をよくぞ言ったと両手にて抱え、包みたい心境ぞ、正太郎殿、本当によく来られました、小田家を上げて歓迎致します。今後とも良しなにお願い申す」
「はっ、ありがたく、涙が浮かぶお言葉、感謝致します」
「では、これより、いろいろと考えもありの様であり、嫡男同士、私の意見もある故、ゆるりとお話を致しましょう」
「はい、ありがとうございます、此度、私、正太郎が父上に小田様と誼を通じる事は出来ないであろうかと、お願いした事が始まりであります、実は、当家に、隣国の佐竹氏が又もや攻め入るのではないかという幼な心にも、不安を父上にお伝えたのが始まりです」
「近年、佐竹氏は当家に幾度なく攻め入り乱取りを行っております、その都度、父上は、追い払っておりますが、攻め入る度合いが強くなっていると配下より聞き及んでおります、関東管領様が長尾家に移られてより、佐竹はより、この動きを強め、いつしか隣国である那須に本格的な侵攻をすると考えました」
「関八州の各大名家様の中で、同じ様に佐竹に狙われているのが、失礼ながら小田家様とお聞きし、それであれば今後の事を考えれば、お互いに誼を通じ、なにか手が打てるのではと、父資胤に、小田家様と誼を通じたく文をお送り致しましたのです」
「やはり、そうであったのですね、文を頂き、わが嫡子、彦太郎も同じ様にその意味を受け取り、偶然にも同じ年と聞き、誼を通じるのであれば、嫡子同士がしっかり結ぶ方が長きに渡り、両家に取って良いであろうと考え、結果、此度正太郎殿にご足労頂いた形になったのです」
「父上、私からもよろしいでしょうか」
「彦太郎です、正太郎殿、これよりどうか、私、小田家と誼をお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いいたしまする」
「正太郎殿、実はこの数年、当家でも佐竹により無謀な言いがかりを受け、当家の支配する佐竹領に接していた村が多数、取られているのです、村の者が佐竹領に移りたいと願いがあり、止む無く佐竹にて面倒を見る事になったと、言いがかりを公然と攻め口として、村人たちは、佐竹に脅され、言わされ、それを口実に取られたのです」
「なんとその様な悪辣な手段で領を手に入れるとは、許せません」
「その通りです、父上は直ちに兵を集め、佐竹に討ち入る覚悟でおりますが、国人領主達が佐竹に怯え、忸怩たる日々を過ごしておりました、そこへ那須家より誼を通じたいとの文を頂き、これは吉兆であると思い、私も大いに賛成し、父上に是非機会を設けたいと願い出たのです」
「そうでしたか、私も、余りにも文への反響が、響く太鼓の様に返事が来ましたので父に無理を言って此度訪問させて頂きました」
「不思議なものであるな、当主同士であれば、中々縛りを気にしてしまい、思った事を行えず、誼を通じたくとも躊躇してしまうものである、やはり、若者同士の方が縛られず、いろいろと語れる事も多々あるのであろうな、実に羨ましく、嬉しい事である、儂にもその様な友がいれば今少し違う道もあったやも知れぬ」
「氏治様、何を言いやるのですが、今は戦国です、氏治様がこの様に難しい時に舵をお取りになっているからこそ、今の小田家様があるかと思います、我が那須も全く同じで御座います、父上が言っておられました、あの関東管領様が、よもや北条に追われている中、小田家も那須家も見事乗り越えたと申しておりました」
「確かにそうであった、あれ程の危機が未だかつて関東には無かった事である、上杉家があの様になり、関東に主不在となり、その隙を狙い佐竹氏が画策し動き始めたのである、同じ八屋形の面汚しであり、恥である」
「今宵は歓迎の食を用意するゆえ、幾日かごゆるりと過ごされよ」
「はっ、ありがとうございます、一つお願いが御座います」
「おっ、どの様な事ですか」
「実は某し、大きい湖を見た事がありませぬ、外海なる海もまだ知りませぬ、小田様のご領地で向こう側が見えぬ、大きなる湖があると聞いております、是非、拝見したく見てみたいのですがよろしいでしょうか」
「おお、その様な事でありましたか、城からも見えるのですよ、明日にでも彦太郎の案内にて大きい湖を見て下され」
「おおーそれはありがとうございます」
てば後ほど、夕餉にて会いましょう。 と一旦別れる事に。
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次章「神童と神童3」になります。