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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
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248 敗北

 




 第二次木津川口の戦いで、海戦で敗れた毛利の村上水軍、その影響は多大な方面に及んでいた、その理由は本願寺に籠る五万という大勢の者達の事が因であった、帝より民がこのままでは飢え死にする事になる、それを知りながら放置すれば朝廷の責任が問われる事になる、大勢の者が飢え死にする前に顕如と織田信長に対処を求め朝廷が前面に出て動く事になった。



 織田信長と深い誼がある元関白近衛が抜擢され内裏に拝殿が許され帝より直接依頼された近衛。




「信長殿よ、間もなく念願の天下は目前じゃ、帝が我を許し拝殿し直接、戦を止めるようにと我を使わした、こののち顕如の元にも行くが、信長殿の勝ちはこれで決まった、あとは毛利を如何様にて手懐けるだけとなった、まずは目出度い事である、そこでじゃ、そなたの考えを聞かせて欲しい、如何にすれば戦を止めるのかという事を!!」



「今更朝廷が動いても遅い、儂の腹は決まっておる、あ奴らを根絶やしに致す、全ての者を亡き者にするのが一番であると腹は決まっている、殺すだけよ!!」



「ではその決まった腹を朝廷の面目を立て、どうすれば、どのような条件で在れば呑める話となるのであるか、その辺りも聞かせよ!!」



「条件か、儂の条件を呑むようであれば顕如が生き延びる脈はあるという事か、あの者が生きようが死のうがどうでも良いが、条件と言うのであれば、そうであるな、帝の面目を立てるという事であれば、顕如が儂に直接頭を下げる事、謝罪の証文を書き天下に敗北した事を示す事、前に申した僧たる者は五戒の戒律を守る者、武器を用いず、本願寺を明け渡す、最低限これらの事は必要であろう、如何かな近衛殿!!」



「うむ、最もな事である、この際だから謝罪の意味も込めて銭も毟り取るが良い、戦費となる銭も取り上げるが良い、儂が取ってやる、あ奴らはこれまでに何度も朝廷に逆らい和睦を反故にしておる、二度と無益な争いを起こしてはならぬ、僧でありながら戦好きとは仏も見放しておろう、ではそなたの条件を認めるまで干上がらせるが良いであろう、あとの事は儂に任せよ!!」



「はははは、近衛殿のお手並み拝見と致そう、銭の事は任せた、あははははは!」



 海戦で勝利した事で顕如に残された手は無かった、毛利家本体は秀吉との戦に取り掛かっており水軍を亡くし本願寺への兵糧を運ぶ手立ても無くそれどころでは無かった、毛利家の本音は将軍義昭も重荷で在り、本願寺に手を出した事を後悔していた、毛利家は現在の領国さえ守る事が出来れば万々歳との思いがあった。



 元亀元年《1570年》9月12日の石山挙兵から始まった本願寺顕如との戦は足掛け10年に渡る長い戦となった、二度に渡り講和が行われたが、結局は敵を欺く講和で在り次戦に備えるための講和であった為に10年にも及んだ戦になった、そして最後は朝廷の働きで講和となるが本願寺を明け渡すという顕如側の敗北で終わる事に、この10年という時の流れは、その時間を巧みに使い信長の勢力は拡大した、敵対していた大きい勢力がほぼ無くなり、最後に毛利だけが取り残された形に。



 織田家の重臣でありながら謀反を起こした荒木村重も城を放棄し逃走を図り何時しか毛利家に身を寄せていた、他に行く家も無く毛利しか頼るところが無かったと言える、この荒木村重は不思議な道を歩んだ者と言える、史実では茶人として復活する、天正6年《1578年》に謀反を起こすまで、村重は津田宗及や今井宗久、千利休ら堺の茶人たちと度々茶会を行っていた、天正10年《1582年》6月、信長が本能寺の変で横死した後、村重は尾道から堺に移ったとみられ、天正11年《1583年》初めには道薫どうくんと名乗って、津田宗及の茶会に出席している。



 朝廷の厳命とも言える講和の呼びかけにこれ幸いとし顕如も受け入れた、帝の命を大義と捉えての講和に応じる事で織田信長に降伏した訳では無いという理由での受け入れであったが、交渉にあたった近衛との話では帝の命であっても信長は顕如側が一定の条件を受け入れて初めて応じるとの話に、その内容を聞きこれでは明らかに敗北であると、誰が聞いてもこの条件の中身を知れば武家に負けたと判断される内容であった。




「これでは帝の意思と違うでは無いか、講和とはそれぞれが身を引く事でありその様な条件など呑めぬ、我らを誑かし甘く見るとは近衛殿よ、やはり噂通りに信長に操られておるのか、我は受け入れぬぞ!!」



「仮に儂がそれらの条件を受け入れても今の本願寺は儂の息子教如が表に出ておる、教如が果たしてそれを受け入れる事はあるまい、その場合は如何するのだ、帝の命を疎かにする事になるぞ、帝の言葉を無下にする信長を説得させ条件を取り下げるのがそち近衛の役目であろう!!」



「何をその様に息巻いておられるのか、ここに来る前に信長とは話しておる、信長は帝の命をなんとも思っておらぬ、本願寺に籠る5万の信徒を皆殺しにする、帝の命であっても関係無いと断固その方達を磔とし根絶やしにすると、その覚悟は帝の命であっても揺ぎ無く絶滅させるとの話であった!!!」



「・・・・・・」



「信長は講和などどうでも良いと考えている、信長の条件を呑まずに五万という大勢の者達が飢え死にした場合そなたが、顕如が降伏せずに見殺しをしたと世間では見るのではあるまいか、示した条件は儂が信長になんとか認めさせた最低の条件であるぞ、時間を経て再度交渉となれば、顕如よ、次はそなたの首が必要となるぞ、それでも良いのか? それともお主も帝の命を無下に致すか、さすれば帝も一向の宗派である本願寺を邪教として打ち壊しを帝の勅命として宣下する事になるであろう!!」



「ひぇ~! お待ちあれ・・儂の首が離れるという事であるのか、あの条件を認めねば次は首が必要というのか、信長はそこまでの境地に達しているのか!?」



「当然であろう、この10年間で織田家の者が、万を超える者達が亡くなっているのだ、その怒りと恨みはとうのむかしに達しておる、義昭と組み織田包囲網を何度も築き、浅井、朝倉を滅亡に追いやり、次は信玄を唆し、上杉にも余計な真似をさせ、最後に毛利まで動かしたのだ、それらの家の亡くなった武家の侍達は数万はいるであろう、その後ろには妻や子がいるのだ、その責をどう考えるのだ、顕如よ、そなたは本当に仏の教えを民に導く僧侶なのであろうか、何処に僧侶としての責ある行いをしているのだ!!」



「よく聞くのだ、朝廷は色々な宗派の者達とも深い関係がある、それはお主も良く知る所であろう、しかしどの宗派も乱れているとは申せ五戒を誓い俗世間を離れその証として僧達は戒名を頂いておる、そなたの名である顕如という名も受戒を受けた、仏門に入った証であり、戒律を守る証として与えられた名ではないのか、受戒を受けた者達が武器を持ち、戦乱を利用し、己が欲望を満たす為に昼間から酒を浴び、女を抱き、肉食を好むなど何処に僧侶しての資格があるのか!!」



「帝は此度朝廷が斡旋した和議が整わずに終わった場合はその方達を見捨てる事にしたのだ、帝も覚悟を決めているのだ、如何致す顕如!! 和議に応ずるか、それとも地獄に逝くか、最後の答えを申し述べよ!!」



 追い詰める近衛、しかしこの近衛も顕如とこれまで何かと信長包囲網を手助ける動きをしており見えない形で信長が不利になる状況を作ろうとしていた、その近衛であったが帝も動いた事で顕如を見捨てる事にした、顕如もその事を察するも結局信長からの条件を呑み込むしか方法が残されていなかった。



 石山本願寺の一揆鎮圧戦争、石山合戦と呼ばれる戦国期最大の武装勢力であった本願寺は敗北した、本願寺は大坂退去の誓紙を信長に提出し去る事になった、その際に近衛に銭5万貫という大金を支払った、史実では顕如達が本願寺を退去した後に、引き渡し直後に石山本願寺は出火し、三日三晩燃え続けた火は石山本願寺を完全に焼き尽くした。



 顕如達一向の者達が本願寺を明け渡した事で事実上、織田信長は天下人になったと言って良いであろう、敵は毛利しか残っておらず、毛利にも織田信長と争う理由が無くなった事になる、後は毛利をどのように始末するか、どう料理するかだけであった。



 近衛の活躍で傍目には和議が整った事で信長は5万貫の銭の内1万貫は朝廷に、5千貫は近衛の褒美として渡し、残りは信長の懐に入った、次に攻める地は信長に逆らった者達を成敗する為に、信雄が勝手に戦を起こし負けた伊賀攻めの支度に取り掛かった、史実での第二次天正伊賀の乱と呼ばれる戦準備に自らが作戦を考え信雄に復讐戦を挑ませる事になった。





 ── 氏真館 ──




「大層なご活躍であったとお聞きしております、信長の勝利となったは残念でありまぬが、帝の意思であれば仕方無き事になります、先ずはお疲れさまでした」



「なんの儂は昔より信長とは親しくしておる故、あ奴の考えを、底が見えておる、顕如には残された手が無い故、敗北を受け入れるしか生き延びる方法が無かったのよ、それにな、和議を整えた後にも些か先の事に付いて話して居る、顕如は確かに敗北したが再起の芽は残して居る、あの者が持つ武力は簡単には無くならない、一度刃を握った僧徒は懐にある数珠を忘れてしまっておる、簡単に刃は手放さぬ!」



「それとあの者は使える様になったのか、千代女なる者の術は入ったのか?」



「ご安心下さい、千代女の話ではもう我らの者になったとの事です、封印は成功している由に御座います、後は機会が訪れればと思いますが、中々機会らしい時に恵まれませぬ、果たして我らの考えている機会などありましょうか、それの方が心配であります」



「今の信長は強運の持ち主である、中々機会は訪れ無いであろうが、準備だけは怠ってはならぬ、顕如が負けた因は準備を他人任せにしていたからよ、胡坐をかき他家を頼り戦を行っていたから負けたのだ、本願寺に籠るのであれば、最初から数年分の兵糧を用意すればこの様な結果になっていなかったであろうに!!」



「5万からの者達の兵糧となれば、それも数年分となれば莫大な銭が無ければ無理ではありませぬか?」



「あ奴はその莫大な銭を持っているのだ、親から受け継いだ時に15万貫、各地の支配下の寺より祝儀に5万貫、受け継いだ時に既に20万貫という途方もない銭を持っていたのだ、その後もしっかり貯め込んでおる、儂が此度5万貫取り上げたが手元にはまだまだ銭が残っておる、あ奴の本性は餓鬼なのよ、僧の多くは欲を貪る餓鬼の者が多いのよ、身なりで本性を胡麻化しておるが収奪の者達である!!」



「そんなに莫大な銭を持っておりますのか、呆れて言葉が出ませぬ、しかしその銭の一部を近衛様にも、その懐にも入ったとの聞きましたぞ、私も窮乏しております、是非に御情けをよろしく願います」



「まあー当分は懐が温かい故、儂を頼るが良い、どれ瀬名の所で休んで来ると致そう!!」




顕如が敗北し、戦国期の出口遠くの向こうに小さい光が見えて来た頃と言えます。

次章「毛利と秀吉」になります。

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