24 神童と神童・・・1
神童・・・「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」あるいは「神童も大人になればただの人」と言われることがある。だそうです。
軍師玲子からの指示を受けた洋一から11月初めに小田家との軍事同盟の思念が正太郎に伝えられたのである、家同士の同盟とはもはや正太郎の領域ではなく当主である資胤の権限であり、余計な口出しは出来ない重要な懸案事項であった。
早速、父上に動いて頂こうと相談したのであった。
「正太郎よ、そちの言う通り、小田家と同盟が出来た場合は、軍師殿が考えた通りに両家に取っては力になりそうだが、小田家も屋形号を持つ家柄、中々どうして、古き家柄というのは、新しい事を受け入れず、嫌う所がある、那須家は二年以内に佐竹が攻撃してくると判断して動いておるが、小田家はどう受け止めるか正直わからん、とりあえず誼を通じよう、使者を送る旨を小田家に使いを致す事にして見るが、どうなるか先が見えんので、正太郎もその様に捉えよ」
「はい、父上、他家との話なので正太郎は父上に全てお任せ致します」
「うむ、ところで来月12月で六才になるのう、読書きなど、どうであるか」
「 はい、最近は画数の多い字も書ける様に取り組んでおります、午前は体を鍛え、午後に読書きをしております」
「うむ良い心がけである母と相談して身内でお祝いを行うゆえ、後で知らせるので待っておれ」
「はい、父上、ありがとうございます」
当主、資胤は、小田家に誼を通じようとの文を持たせ使者を放ったのである。
那須家居城の烏山城と小田家の土浦城は移動距離にして、僅か80キロ程度の比較的近いところにあるが、間に佐竹に挟まれ、これまでは特に挨拶程度の交流しか無かったのである。
関東管領上杉家が、威勢を奮っていた頃は上杉家を中心に八屋形の各家はそれほど争いが無かったが、北条との戦いで敗れ、長尾景虎の元で庇護を受け、長尾景虎が上杉家の養子となり、管領職を譲り、名を上杉謙信と改めてから、ここ関東の地は佐竹が暴れ始めたのである。
佐竹が暴れると、宇都宮氏、小山氏、結城氏も勢力拡大に力を入れる様になり戦乱が巻き起こる状況になっていたのである。
同盟については父に任せ、正太郎は鞍馬の配下に堺へ行き、字が大きく見えるガラス板を、なんでも目に付けて字が見える物を数個求めて来る様依頼し、南蛮人から切子という石を溶かし器を作る職人と今後役に立つ様な者がおれば買い取って来て欲しいと依頼されたのである。
他にも食べる事には不自由させないので、主を求めている浪人など目ぼしい者がいれば連れて来て欲しいとの依頼し10貫を渡したのである、1貫は、1000文、2石になり、コメだと2.5俵の換算になる。
重さだと、10貫で37.5キロという恐ろしい重さであり、那須家の臣として身分と手形とご朱印を渡した。。
正太郎が依頼した字が大きく見えるガラス板は眼鏡の事である、眼鏡は既に西国の大名達には出回っており商業都市堺にはあると洋一からの思念、何ととしてでも手に入れたい品であった。
眼鏡はフランシスコ・ザビエルによって持ち込まれており、ヨーロッパでは既に13世紀には、広く流布されていた、ザビエルが持ち込んでより10年以上経過しており、堺であれば手に入ると予測していたのである。
なぜ眼鏡が必要なのか、それは遠眼鏡という新兵器の開発である、洋一なりに正太郎が作成を理解出来る物は何かを考え、それは現代の小学生低学年が工作出来る物に絞ったのである。
ネットでいろいろと検索し戦国時代でも材料が手に入り、作成出来る物を候補に上げ、合戦時にも役立つアイテムの中で、眼鏡さえあれば簡単に作れる現代のスコープという遠眼鏡に目を付けたのである。
ネットではポテトチップスの円筒ケースを利用し10分も掛からずに小学生が作っている動画も紹介されている、これなら正太郎の時代でも作れると判断した。
12月に入り6才のお祝いを行っている最中、小田家より返事の使者が来た。
広間にて既に控えていた使者に質胤は、上座に座り。
「那須家当主 資胤である、態々の返事のご使者殿大義である」
といって、使者の用向きを聞くのであった。
「はっ、某し、小田家に仕える菅谷という者でございます、此度は那須家当主資胤様宛に、小田家当主 小田氏治様より、資胤様に書状をお預かり致しましたので、お届けに参りました」
「こちらが文になります」
と言って資胤付きの小姓に文を渡し、小姓から文を取り上げ読む資胤。
「ふむふむ、なになに・・・ほほう、その方は、この文の内容を聞き及んでおる様であるな」
「はっ、氏治様より訪ねられればお答えする様にとお聞きしております」
「なるほど、文によれば小田殿の嫡男、彦太郎殿と、わしの嫡男、正太郎が同じ年との話、これからは若い者の時代に繋げる良き関係の誼を是非結びたいと書かれておるが、その通り理解して良いのかな」
「はっ、主、氏治様からも当主による誼は大切なれど、いずれ両家とも10年、15年後には家督を譲る時期を迎えよう、であれば、戦乱の世に親から子へと争いのない関係を築ければ幸であり、立場は違えども、より深き関係ができるのではないかと言われておりました」
「では先ずは手始めにここに書かれている、嫡男同士による親交を深めたいとの事は話は誠の事であるな」
「はっ、氏治様のお話では、ご当家の嫡男正太郎様は大変に優れた神童とお聞きしております」
「又、当家 氏治様嫡男彦太郎様も、中々どうしてこれまた大変に優れておりまする、此度の件をお聞きした嫡男、彦太郎様は那須家より嬉しい知らせを聞き、自ら是非親交を深めたいと願い、父である氏治様に懇願され、文を遣わされたのであります」
「知らぬ間に凄い話になっておるのう、実は此度の誼を通じたいとの願いも、嫡男、正太郎から儂に依頼され、氏治殿に文をお送りしたのよ」
「なんと、その様な経緯があったのですか、これは実に驚きであり、慶事なる事の始まりでは無いでしょうか、この話を氏治様と彦太郎様がお聞きしたら大変喜ばれる事かと思います」
「うむ、ご使者殿、今日はごゆるりとされ城に泊まり、明日にでも返事を用意するので待って頂きたい」
「はっ、早速のご配慮感謝申し上げ致します」
「ではごゆるりとして下され」
と言って広間からでる資胤であった。
正太郎の6才の祝いもほぼ終わりかけていたが戻った資胤は、後ほど部屋に来るようにと言い、飲みかけの濁酒を飲んだのである。
半時後に父のもとに。
「父上、正太郎です、よろしいでしようか、おお、入れ、忠義には、休む様に伝えたので、私だけになります」
「先程、小田殿からの文と使者からの伝言を確認した所じゃ、これを見ると良い」
と文を見る正太郎・・
「これは、私と小田家の嫡男 彦太郎殿と誼を通じたいとのお話しでよろしいのでしょうか」
「うむ、使者に確認したれば、なんと、小田殿の嫡男、彦太郎殿がおない年で、むしろ彦太郎殿より、是非に正太郎と親交を深めたいとの願いだそうだ、お主と同じ様に大変に優れておる嫡男だと言っておったぞ」
「確かに似たような両家の環境で育てば、子供心にも同じ様な考えに至るのでしょう、私は洋一からの伝えがあるのでなんとか、やれておりますが、本当はもう、いっぱいいっぱいの所です」
と笑う正太郎であった。
「あははは、中々言う様になったではないか、父としても嬉しいぞ、お主もそうであるが、当主とは、常に誰よりも人の上に立ち先を考え、那須家の事、領民の事を背負っており、孤独な戦いであり、お前の言葉を借りれば、わしも、いっぱいいっぱい、なのじゃ、わっはははー」
「本題に戻るが、折角小田家嫡男が誼を通じたいと申しているのだ、まだ年内であれば1ヶ月近く日がある、充分に行き来できるが、この際だからお主行ってくるか? 二日で行ける距離であるし、平家の里よりは、道のりも楽であるぞ」
「父上の許しがあるならば是非行きとうございます」
「ではその様に文を使者へ返事を持たすゆえ、明日、使者にお主も会ってみるがよい」
「はい、判りました、では明日よろしくお願い致します」
翌日、朝餉の後に父、資胤と正太郎は使者に会うのであった。
「使者殿、昨夜は眠れましたか?」
「はっ、大変美味しい夕餉と、なんとも言えぬ極上の濁酒を頂き感謝致します」
「うむ、、使者殿よ、これがわしの嫡男正太郎である、良しなに頼む」
「はは、正太郎様、小田家より使者として参りました、菅谷と申します、お会いできる事大変に嬉しく思います、今後ともよろしくお願い申し上げ致します。」
「正太郎です、お使者の菅谷殿、此度は嬉しい文の返事、こちらこそ感謝申し上げ致します。
早速なのですが、是非私、正太郎が小田家嫡男彦太郎様へ、年内にご挨拶にお伺いしたい旨が書かれた文になります。」
「12月に入ったばかりなれば年の瀬までにまだ日があります、是非、小田家の皆様へご迷惑でなければ、私が小田様のもとへ挨拶に行きたいのでご都合はどうでしょうかとお話し下され、ご都合よろしければ日程などお知らせ下さりませ、よろしくお伝えください。」
「はっ、承りました。」
「なんだこれでは文の内容全部伝えてしまっでは無いか、わっはははは、菅谷どのよろしく小田殿にお伝えください。」
「はっ、おって返事を致しますので、こちらこそよろしくお願い致します。」
とんとん拍子で小田家と嫡男同士による会見が行われる事に。
どんな会見になるか楽しみです。
次章「神童と神童2」になります。