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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
237/331

237 越後

 




「洋一さん、資晴は越後の備え準備は大丈夫よね? もうすぐ正月よ、私臨月になるから里帰りするから、何も指示出来ないよ、生まれたら当分実家にもいる事になるから、何か聞きたい事があれば!?」



「玲子さんは出産に集中で大丈夫、那美も全然あの通りだから大丈夫だよ、ちょくちょく顔を出すから、資晴の方も準備は出来ているけど、本当に乱がおきるのか起きないのかそれが気になりますね、個人的には謙信程の人がなんで後継者を継ぐ者を選んで置かなかったのかという疑問の方がありますね、個人的な疑問ですが!」



「その事はいろんな書物にも書かれているよ、いろんな歴史研究者たちが洋一さんと同じ疑問を持って当時の様子を事細かに調べた研究者たちが、何しろ戦国代表する戦神だから、信玄と謙信は圧倒的に信長や秀吉、家康より人気はある武将2トップの伝説的な人だからね!」



「洋一さんの疑問なんだけど、ある研究家のレポートに面白い事が書かれていたのよ、謙信から景勝と景虎を見ると、景勝は姉の子を養子にした同じ血が流れている甥っ子、もう一人の景虎は停戦により人質ではなく北条氏康の子を養子として迎い入れた景虎、当然景虎には上杉家の血は流れていない、こうして見ると後継者は景勝に普通は誰もが納得して後継者として扱う事になるんだけど、ところが上杉家は家の事情が那須とは全然違うの、それがお家騒動になってしまうの!!」



「レポートに書かれている内容を読むと私も同意見になったんだけど、謙信が当主になった経緯から見ないと理解出来ないだけど、謙信が当主になる際も実はお家騒動が起きていたの、越後の国は国人領主の力が強くて国人達からなる連合国家が越後なんだよ、その大昔の越後という領域は秋田県と津軽方面まで含む、今の新潟県なんてもんじゃなくて蝦夷に次ぐ大きい領域と考えられていて、戦国時代の大きさになったのは律令が進む中で各地の国造りが進む中で分割され今の大きさになるんだけど、分割される中、豪族たちが今の越後の中心に近い処に移動して来たから力の強い国人領主達で出来た国が越後なの、だから戦でも強いのよ!!」



「成程、戦が強い理由が基礎みたいな物がしっかりあるという事ですね、でもそれがどうして乱になるのかという疑問は残りますね」



「そこで最初の謙信が当主に成った時の騒動も、もともと謙信は長男では無く次男又は三男だったようで最初から嫡子じゃなかったのよ、この時の越後の国人領主達は大きい発言権や親族の力の強い叔父がいたりで謙信が当主に成った事に異議を唱えて実際に争いが起きたの、まあーなんだかんだといいながら謙信が強くて越後を統一するんだけど、何しろお家騒動があったの」



「あのね謙信の幼名は景虎という名前なの、景勝では無いの、それも因としてあるの、覚えていたね、さっきの説明の続きに戻るけど、謙信が当主になった時に反対して争った勢力の因縁が再発したのがお館の乱よ、小さい火に油を注いだ連中が、謙信に負けた側の領主達なの、そこで最初の言いがかりを景虎の名前を使って煽ったの、謙信と同じ名前の景虎の方が当主に相応しく、謙信にもその意思があったからその名前を自分の幼名を与えていたという幼稚な言いがかりなんだけど、意外とこれが効果を表すの!!」



「へえー、名前って武器になるんですね、初めて聞きました!!」



「まあー一種のプロバガンダね、情報戦で先を越された景勝陣営、そして今度は景勝側が素早く動くから長い乱になってしまっのよ、謙信が亡くなり後継者を指名せずに亡くなった事で、昔の恨みのある連中が景勝では無く自分達の復権出来る当主として景虎を担ぐの、そして景虎の名前を使って火に油を注れた事で今度は景勝側が景虎派とされていた柿崎晴家が景勝方に暗殺されちゃうの、これが決定打となって本格的な騒動になったのよ!!」



「上杉家のお館の乱は、そもそも謙信が時期当主を曖昧にしていたからですよね、なんで曖昧にしていたんでしょうね、実に不思議です!」



「その事も他の研究者で心理学者が武将の心理から解説したレポートがあって読んだけど確かにそうなのかも知れないって筋の事が書かれているのよ、当事者ならではの心理が働いたレポートよ!!」



「どんな事が書かれているレポートなんですか?」



「先ずは謙信の性格が書かれていて、戦国を代表するストイックな武将、自分を厳しく律する事で目標に向かって行く、自分に厳しく他人にも厳しい性格だったと書かれているは、信仰心も極めていて単に他力本願で信じるとか縋るとかの信仰心じゃなくて、御堂の中でお焚き上げして何日も籠って祈願するとか、煩悩を排除する為に女性を絶つ事をしていたり、まあー代わりに衆道はしてたようだけど、衆道は煩悩じゃないの?って男ならいいのって? なんなのそれって感じだけど、何しろ稀に見るストイックな性格だったようだよ!!」



「先ずは謙信の性格が災いして、敢えて後継者を指名しなかった、態とそうしたのでは無いかという事がかかれたレポート、その理由が当主になる者は強く成らねばならない、強い者しか成る資格がない、という厳しい心理が謙信にはあって、暫く景勝と景虎を競わせていた最中3月9日に卒中で倒れ昏睡となり3月13日には亡くなってしまうの、レポートでは両者を競わせる事が突如卒中となった事が仇となったと書かれていたね、本来は時が来れば指名していたであろうと書かれていたね、お家騒動は謙信も望んでなかったと思うよ!!」



「確かにストイックなイメージが強いですね、人の意見も聞かなさそうです、史実と違ってこれから起こる上杉家ではどうなって行くのでしょうか、私には資晴の策が通じる事を願うしかないですからね」



「まあーなんとかなるでしょう、その為に多くの忍び達が配置されているんだから」



 史実に小館のお館の乱と呼ばれる上杉家のお家騒動は景勝方には以下の諸将が加担した、直江信綱、斎藤朝信、河田長親といった謙信側近、旗本の過半数、特に大身の直江・山吉の参陣が大きい点、及び新発田、色部、本庄といった下越地方の豪族、揚北衆の大身豪族が加担している点が特徴している。



 謙信側近中の重鎮や謙信旗本の多くが景勝に就いていることから、上杉家家中では景勝が後継者と見做されていたのではないかという意見もある、上杉一門の加担者では、謙信の4人の養子のうち当事者である景勝、景虎以外の、上条上杉氏を継いだ上条政繁や山浦上杉氏を継いだ山浦国清が味方している。



 一方で越後の諸将は、謙信血縁の景勝を支持したわけでなく、地域別に見ると春日山城を中心とする上越、景勝本拠地の魚沼および三島、阿賀北の大半が景勝を支持し、逆に謙信の有力支持基盤であった古志・刈羽・蒲原郡南部からは背かれた。




 景虎方には前関東管領、上杉憲政や上杉一門衆の多くが加担、越後長尾家は長年一門同士の権力争いが激しく、特に上田長尾家と古志長尾家は謙信時代にも敵対しており、上田長尾家出身の景勝が上杉家当主となることは、古志長尾家からすれば到底認められるものではなかった。



 このほか、上杉家臣団では大身である北条高広も加担し、本庄秀綱ら謙信の旗本、側近で景虎に味方した者も少なくない、もう一つの特徴は、周辺の戦国大名がことごとく景虎方に加担している点が挙げられる。



 血族である北条氏や、その同盟者である武田氏、奥羽からは同じく北条家と同盟関係にあった伊達氏に加え、蘆名氏、大宝寺武藤氏が加担している。このことから、景虎の支援に実家である北条家の力が大きく働いていたことが伺え、対外的には景虎が後継者と見なされていたのではないかという意見もある。





 ── 春日山城 ──




 1588年正月いつになく上機嫌な謙信の元配下重臣達による新年の顔合わせと宴が行われていた、特に饒舌な謙信であった。



「御実城様、ご機嫌でありますな、我らも側にいて何か嬉しい気分となります!」



「柿崎世、それでは儂が悪い見たいな物言いでは無いか、まあー良い、皆も酒を遠慮なく頂くが良い那須から届いた澄酒である、良い味をしている、儂ほど酒の味をしる者もおるまい、これは造る杜氏が良いのだ、毎年届くが中々この酒と同じものは造れぬ、米と水と杜氏の腕が交わり見事な逸品になっておるのだ、帰りに土産も用意しておる家の者にも良い新年をさせてやるのだ、それが上に立つ者の責ぞ!!」



「はっ、この柿崎有難く頂かせてもらいます、では心行くまで澄酒を味併せて頂きます!!」



「景勝、景虎も仏頂面をやめ皆と飲むのだ、それでは折角の酒と正月の祝いが台無しじゃ!!」



「そうじゃ、それで良い、皆に言い聞かせる事がある飲みながら留めておくように!!」



「上方では相変わらず義昭様が騒いでおる、儂の手元にも何度も文が来ておる、しかし、儂は応じぬと決めている、義昭様の文は信長を恨みその仕返しとしての参集せよとの文じゃ、最初は儂も将軍の元に行く事が正しいと思ったが、信長に対し恩を仇で返す事を結局したと判断した、他の多くの武家も、まともな武家はそう判断したのであろう!!」



「それではこれからどうなりましょうか、上方の争いは闇が深いと某も見ております!!」



「うむ本庄の言う通りじゃ、儂は誰よりも信仰心は強いと思っている、仏教の勢力である顕如達はあれは本来の仏教では無い、儂は仏教とは認めておらぬ、煩悩を主としている宗教よ、仏教の形を借りた全くの別物と見ておる、それが闇を深くしているのじゃ!!」



「この上杉家が加賀にて戦ったあの者達は顕如達の一向門徒の狂った者達じゃった、あの姿を見て皆も理解しておろう、それと戦う信長、儂はまだ信長の方に大義があると考えておる、だがそれは、今の上方の争いを見た場合だけの話じゃ!!」



「では御実城様は信長の事は、又我らと対峙すると思われておりますか?」



「聞くところによれば毛利が参戦し海戦で信長が敗れたと伝え聞いておる、この上方の争いはまだまだ続くであろう、とぢらが最後勝ち抜くかは儂にも読めん、どちらが勝っても何れ我らは戦う事になるであろう、勝ち抜いた敵は信玄よりも何倍も大きい敵となって表れるであろうな!!」



「では御実城様は何れ大きい戦があるとお考えなのですな、今我らは北条、那須、小田という大きい家の柱となっております、その三家も我らのもとに来れば如何に敵が大きくても我らの勝ちに御座いましょう!!」



「確かに三家の力は大きいであろう、だが三家と我が上杉の特徴を見るとやはり上杉が我らが決定打となるであろう!! では皆に謎かけ致そう、先ず北条家とはどの様な特徴の家であるか、皆はどう思っておる? 何でも良いぞ!!」



「直江、そちはどう理解しておる?」



「・・・その昔、川越の戦いで確か氏康様が当主の時に危機を脱し、時の管領様を打ち負かした話は聞いておりますので戦上手な家と理解しております」



「ほう、若いのに翌学んでいるのう、では景虎はどう思う、そちの父の名が直江から出たぞ、面白くなって来たのう!!」



「父と言われても某の父は御実城様でありまして・・・北条家の事はあまり考えた事はありませぬ、直江殿が言われた通り大敗した話は聞いた事がありませぬ、今は200万国を超える大家であります、やはり戦上手と言えるかと!」



「儂は氏康殿をよく知っておる、氏康殿は類まれなる武将で間違いない、北条家は初代早雲殿が作り、家を大きくした当主は氏康殿と言って良い、中々どうして引き際と攻め際を読める武将である、あれはきっと儂と同じく天性の備わっている才と言って良いであろう!」



「では北条家は戦で期待できる家でありますな!!」



「いや、それは違う、家が大きく成りすぎた、あの小田原が大きいのだ、あれを守るのに、それだけで100万国の石高が必要となる、日ノ本一の大きい規模になってしまった、あれは儂と同じく上方の争いで勝ち抜いた者が北条を襲う事を想定して関東の地に入らせぬ為の覚悟の大関門として今も工事が行われているのよ! その覚悟見事であり、そちの兄氏政殿が覚悟を決めて備えているという事よ! では備えているという事の意味はどう理解する景勝よ!!」



「・・・備えでありましたら、その大きい小田原の城で籠城という事でありましょうか?」



「そうじゃ、それが正解じゃ!! じゃー籠城だけで勝てた戦はこれまでにこの日ノ本であったであろうか?」



「答えはただの一度も無い、包囲して兵糧が尽きれば終わりだから、その前に大かたは和睦などしてうやむやになる、包囲する方も維持するのは大変よ、あの様にでかい小田原を包囲するには如何ほどの軍勢が必要になるのか、10万では無理であろうな!! では次に小田家をどう見ている、どいう家であるか直江はどう見る?」



「小田家は今では海の家であるかと交易の船を多く作っていると聞いております、作った船を那須と北条に渡し交易していると聞いております」



「うむ、それも正しい、しかし、陸の戦いは何度も城を取られ負けている、戦上手の家とは言えぬが国人達をよう纏めしっかりと大国を安定させておる、内政上手の家と言える、次に最後の那須はどうであるか、景勝よ、景虎よ、お主達はどう見ている!!」



「那須は戦い上手の家との印象が特に強いです、とても小さき家が大国の中の大国となりました、正直な所、敵にはしたくない家であります!!」



「景勝はどう見る?」



「景虎殿と同じであります、弓の騎馬隊が特に強いと聞いております、御実城様の事を慕っており敵にならずホットしております!!」



「ホットしたか、あっはははそれは愉快じゃな! では我らが上杉家はどうじゃ、この上杉の特徴は三家に比べてどうであるか?」



「全ての点で三家より凌いでおりましょう、故に四家の長に相応しい家こそが上杉家であろうかと思われます!!」



「柿崎よ、そう調子に乗せる出ない、確かに柿崎の言った事は正しいがそこには大きい理由がある、なんだと思う、直江景勝景虎順に思い当たる事を申して見よ!!」



「御実城様が当主でありますから三家より凌いているかと!!」



「管領職と言う大義があり当主が御実城様でありますからでは無いでしょうか!」



「景虎殿と同じであります!!」



「儂を褒めてどうする、では儂が不在となればどうするのだ?」



「・・・柿崎まで渋い顔付になっておる、さあーもっと飲め!! 今日は機嫌が良い、上杉の強さを教えてやる、良く聞くのだ!!」



「越後の国人衆は外敵には牙を向く習性があり、何代にも渡りその血を受け継いでおる、先ずその事が基礎にある、そして次に、北条那須小田又は上方の織田家でも良いが、この上杉家はあの信玄としのぎ削り若い頃より大戦を行い経験を積んで来た、これが二つ目じゃ、そして最後に儂を支える者達が団結したのじゃ!! この三つがどれが欠けてもダメであり三つが合わさり上杉家を強くして来たのだ!!」



「じゃー最後の質問じゃ、上方の争いを勝ち抜いた者との戦いはどうすれば良い、それが本題ぞ!! 最後の謎かけじゃ!!」



「また難しい質問でありますな、どう予想して良いのか、酔った頭では某には無理でありますな!!」



「柿崎はそこで聞いておれば良い、若い者達に謎かけじゃ!! さあー誰でも良いぞ!!」



「では私一番若い直江から言います、大軍を小田原に誘い込み我らも那須と合流し大軍で籠城します、兵糧は小田殿の船にて運び入れ敵が逆に疲れ果てるのを待ちます、敵が退いた時に攻撃を行います!」



「ほう、なる程な、では次は、おっ、珍し景勝が行くか!!」



「はっ、では直江の策も良いかと思いますが、折角の大軍です、どこか広いところで一気に野戦で決着を図れば良いかと思われます!!」



「ふむふむ積極的な戦であるな、では最後影虎はどう致す?」



「直江と同じく小田原に敵を誘い込み、敵も大軍で来ておりますので、どうせ小田原は簡単には落ちませぬ、実家には耐えて頂き、上杉と那須の兵を小田殿の船が敵の兵が少なくなっております上方に攻め入り敵の帰る地を無くします!!」



「むむむ・・影虎よ、一段上の読み方が出来るようになったな褒めてつかわす、景虎の答えが正に正解じゃ、敵の虚を衝く儂と信玄の戦いもそうであった共に虚を探し衝こうと何度も試み合ったのだ、勝つ為にはどこが虚でどこが弱点なのかを全ての毛穴を使い集中し読み切る事じゃ、大敵なれば敵も同じ事を考える、読み切った方が勝つのじゃ!!」



「小田家に船が無かったどうする、その場合は動けぬ、那須が弱い家であったらどうする、北条が備えておらなかったらどうする、そして肝心の上杉が当てにならなかったらどうする、どれか一つでも欠けても他にしわ寄せが来る、それでは勝てぬ、良いか四家の元にはそれぞれの家の中がしっかりと合わさって無ければ何れ来るであろう上方の敵には対峙出来ぬ、対峙する時はお主達若い者達の時であろう、その時に儂を裏切るな、儂の期待に応えよ、儂はお主達を見ておるぞ!! 今日の事を生涯忘れてはならぬ、それとお前達に伝えたが景軒はお前達の弟であるぞ、儂の息子ぞ、忍びと言うて軽く見る事は儂を軽く見る事と同じぞ、役目にて不在なれどこの事も頼むぞ! 今日は良い日であった!!!」





 珍しく謙信が我が子たちに多くを語る正月の宴、上杉謙信最後の正月となる。




いよいよ今成家に長男誕生なんですね、どんな子が生まれ育つのでしょうか、親孝行の子であって欲しいですね、リアルの事をつい(笑)。

次章「忍びの使命」になります。

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