表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
236/331

236 田村の前に田村無し

 




 西国では信長包囲網の最後の砦となる本願寺顕如勢力と毛利が参戦した事で織田家を中心に幾重にも極が絡み合い誰が抜け出し西を制して行くのか混沌とした闇が覆っていた、それに引き換え東の一大勢力となった那須を中心とする三極とそれを見守る上杉と言う極は平静を保ちながらも代替わりを行い新しい芽吹きが何れ来るであろう大戦に備え動いていた。



 1578年春に田植え前に蘆名資宗が三春の城主、田村清顕きよあきの娘『愛姫めごひめ』との婚儀が正式に決まり一人息荒く動く清顕、初代征夷大将軍,坂上田村麻呂の子孫と常に名乗りを上げ他家を自在に行き来する田村家25代当主清顕が岩城親隆いわきちかたかの元を訪ねていた。



 陸奥国の伊達晴宗の長男として誕生し本来嫡子という立場であったが、父、晴宗と外祖父、岩城重隆との約定により、重隆の養嗣子となり岩城氏の家督継承者に、永禄12年《1569年》、養父である重隆が没し家督を継承している、先に行われた伊達家、最上、南部が信長の誘いで那須家に刃を向けた戦で伊達輝宗が相馬を攻めた際に自らの判断で相馬への援軍の兵を起こし弟の伊達輝宗を退け勝利した。



 弟が継いでいる伊達家より何度も兄である自分に岩城家に対して臣従を求める無礼な強要とも言える仕打ちに贖う中、相馬家に攻め入った事に次は岩城に攻め入ると判断し自らの判断で援軍にて駆けつけ那須側の陣営でその武勇は知れ渡っていた、那須資胤もその行動を褒めたたえ太刀と那須駒を送る事に。



 岩城親隆はその後相変わらず独立した、どこにも属していない立場を貫き内政に力を入れるも相馬家、田村家とは誼が深くなっていた、当然と言えば当然であろう、そこへ田村清顕が相変わらず坂上田村麻呂の子孫であると口上を述べながら勝手に岩城の元を訪ねて来ていた、岩城もそこはもう慣れており一献交わすなど実に親しい中となっていた。



 田村清顕の領地は三春という豊かな地ではあるが石高は3万石という決して多くはない、しかし兵数も少ない家ではある、戦となれば気性は荒く一歩も引かぬ強い意志で敵が倍の兵であろうが関係なく飛び込み何度も蹴散らしす武勇の将であった、頑固であり物事は自分を中心に回っている、それが田村であり田村なのだという不思議な武将である、しかし嫌味は感じないから妙に魅力ある人柄と言える。



「今日は岩城殿に土産の話を持って来たのじゃ、何しろ儂は田村だからのう、ちゃんとした土産を岩城殿にと思って手を尽くして来たのじゃ田村だけに下手な事は出来ぬからのう!!」



「まあー某も充分田村殿が田村殿である事はもう聞かなくても充分知っておりますぞ、所でどのような土産話なのであろうか?」



「それよそれ、儂が田村だから出来た土産話よ、この事は蘆名資宗どの、まあー儂の婿殿じゃな、その婿殿にも了解を得ておいたので安心するが良い!!」



「・・・一体なんま事になりましょうか、当家と関係ある事でありますか?」



「勿論じゃ、岩城家の格を一段高くする為にこの話を持って来たのじゃ、岩城家に取って良い話になる事間違い無しじゃ、良く聞くのだ!!」



「良い話であれば伺いましょう!」



「では、今年の秋の岩城家の石高は先の相馬家への援軍を出した事で那須資晴様より、岩城家が臣従しておらぬのに特別に新しい田植えを教えて頂き、今年は石高が3万国程増えたであろう、某の処でも今は5万石という立派な地になっておる、戦をして領地を増やし3万石得る事は大変なれど領地は増えてもおらぬのに3万石増やすとは実に嬉しい話となったであろう、如何かな?」



「その話でありましたか、私も大いに驚き早速那須資晴殿にはお礼の文と進物をお送りしております、いや領内は皆喜んでおりますぞ!!」



「そうであろうそうであろう、本来なれば皆那須を本家とし臣従した場合に領内が豊かになる新しい田植えを教えて頂いておるのじゃ、先の相馬家への援軍の采配は見事であり天晴という事で特別に教えて頂けた訳ではあるが、明年も翌年もその新しい田植えと新田を増やして行けば何れ岩城20万石が近い内に来るであろう事は間違いないと言えよう!!」



「確かにその通りでありますな、那須の家に足は向けて寝れませぬな!!」



「ふむふむ岩城殿もその事よくよく深く考えて下され、そこでじゃ、明年儂の愛が会津蘆名資宗殿、婿殿に嫁ぐ事になっている事は承知していると思うがここまでの話は良くご存じかと、そこで大事なる話の土産話とは、その婚礼に合わせて岩城家が那須家に臣従して如何との話なのだ、岩城家が何処にも属さず事は儂も充分承知している、承知している事は那須家も同じじゃ、その那須家はただの一度も岩城家に臣従を求めた事も無い、求めれば失礼であろうと考えての配慮じゃ! 相手が小さき国人領主であろうが又は格のある大名であろうが、何処に対しても無理強いせずに、礼を持って接する家が那須である、儂の話は突拍子もない話であろうか、岩城殿を侮辱した話であろうか? 岩城殿の腹の中は如何考えか?」



「むむむ、その様な話でありましたか、先の戦で私は確かに伊達家に弟に刃を向けました、それが正しい事であり岩城を護る事だと、それは今も変わっておりませぬ、ただ実に一言、儂が生まれ育った伊達家と戦う事となり、寂しくもあり悲しくもあり、やるせない気持ちは今もあります、ただこれは個の感情であり大義てもなんでもありませぬ、その気持ちが戦を終えてから益々大きくなり申した!!」



「伊達家は儂の故郷でもあるのです、その事を考えると一度那須家に牙を向いた伊達家で生まれ育った自分が自ら手を上げ那須殿の所に行って良いのか、伊達家を見捨てて良いのか正直踏ん切りがつき申さぬ、これが儂の本心なのです!!」



「なるほどのう、既にその気持ちはあったのであるな、臣従すれば伊達を見捨てる事になりはしないか、弟を追いやる事になるではないかと言う事であるな、この田村、この田村なら充分理解出来る話じゃ、戦国とは悲しき業を背負った者達の罪人なのであろう!!」



「儂の誰にも話してない事を岩城殿に伝えるゆえ聞くが良い、儂の田村が何故那須に臣従する事になったのかという話じゃ、会津が三年連続の飢饉のあの時に儂は衝撃を受けたのじゃ、何度も言うが儂の家は田村という名の名でありそれに誇りを持っておる、あの飢饉の折りに会津から米を求めて儂の元にも何度も何度も米を分けて欲しいとそれこそ百姓達が来たのじゃ、近くの三春に来るのに行き倒れて亡くなった者もおる酷い飢饉じゃった、あの時は三春も飢饉で米を分けてあげる事が出来なかった、田村の名を持つ我が家がご先祖様が聞いたら嘆くであろうと、田村の面汚しと儂は自分を責めたのじゃ!!」



「毎晩冬空に向って井戸水を浴び神仏に祈ったのじゃ、毎日毎日死んでいく者達に儂は詫びた、何も出来ない、田村と言う名前だけでは何も出来ない田村と言う名前の重さに苦しくて苦しくて儂も命を絶ち逃げ出したくて仕方なかった、それ程苦しかったのよあの時は!」



「ところがある時を境にぴたっと会津の者達が米を求めに来なくなった、皆死んでしまったのかと恐れ慄いた、そして伝え聞いたら那須の若様が那須家を上げて会津の領民に米を配っていると聞き腰を抜かした、銭で米を買ったのかと思ったら銭の支払いが無いと言うから又腰を抜かした、他家の領民を救う為に何万石という米を会津に運び、年が明けた春には岩城殿と同じ新しい田植えを教え、その年の秋より会津は飢饉とならず今では石高を以前より増やしておる!」



「儂はこの一連の那須がした事を深く考えた、那須が行った事は本来、田村が行わなければ成らぬ事を那須が国をあげて見返りを求めずにした事に頭を垂れた、那須こそ田村では無いか、田村の姿が那須によって蘇ったと全身が熱くなったのじゃ、儂には娘しかおらん、何れ田村が田村を継ぐ者は那須の血が流れている事が正しいと判断した!!」



「会津蘆名も同じじゃ、蘆名には後継ぎがおらん、那須資晴様の弟が養子となり蘆名を継ぐ事になり儂は急いで当主の那須資胤殿に強引に戦の気持ちで掛け合い娘の愛を資宗殿に嫁がせる事に成功したのじゃ、それ以来儂は会津の為に那須の為にこの命を使うと決めたのじゃ! これが儂の田村が何故那須に臣従する事になったのかという話じゃ!!!」




「そのような経緯があったのですか、田村殿の話を聞き儂は恥ずかしい、あの時儂は何も考えていなかった、飢饉に備えて米を用意していない蘆名に非があるとだけ実に他人事であった、先の話も結局は伊達家が故郷であるとか、どうでも良い理由を田村殿に話し己の愚かさを公言していた事を恥ずかしく、お許し下され、大義とは那須が会津に行った事、他家であれ苦しむ者達に手を差し伸べる大義より大きい物はありませぬ!!」



「私にも那須があゆむ大義の中に入りとう御座います、田村殿どうか導いて下され、この通りであります!!」



「うむ、儂はそなたにこそ共に歩んで欲しいと願い今日ここに来たのだ、儂に出来る事、それを行う事が田村であり、田村なのだ、共に歩もうでは無いか岩城殿!!!」






 ── 鞍馬 梅 ──




 無事に秋の豊穣祭りを盛大に開催し那須家では鞍馬 梅《侍女 梅》が側室として室に入った、盛大に祝う訳では無く鞍馬の関係者と那須家の面々にて厳かな式を行い祝いの式を行っていた。



 北条家から嫁いだ正室の鶴姫はお藤のご母堂より経緯を説明され、自分がまだ子供を産めない事、今少し上様である資晴のやや子は望めない事を充分理解しており、側室が優しい梅であった事に安堵していた、祝いの席には参加せず配慮する事に。



 梅は側室であり正室では無い、正室でない以上特別な嫁入りの式出来ない事になる、そこで那須資胤より拝領していた十二単の艶やかな着物を着付け皆にお披露目されていた、そこには全くの別人の梅が座り披露されていた。



「・・・本当に梅であるのか?」



「何を言いやる、資晴よ、そなたの良く知る梅では無いか、一体今まで何を見ていたのか、天狗殿まで自分の娘ではありませぬか、全く男どもは女子の美しさを理解しておらん、のう伴よ、これでは梅をやるのが勿体ないのう?」



「天狗よ、私、伴もその昔は梅に劣らず美しかったのを覚えておらんのか、これでは当分酒の肴は無しでよいのう!!」



「・・・いや、いや待て待て、それとこれは・・儂は感動しておったのだ、のう小太郎」



「・・・私に振らないで下さい」



「まあー何はともあれ、良かったでは無いか、単衣がこのように艶やかに梅に似合うとは実に良かったのう資晴!!」



「はい、皆さま今日はありがとう御座います、不思議な事でありますが、鞍馬天狗殿は義父となり伴殿は義母となりました、小太郎は某の義兄になりました、それと菖蒲あやめという可愛い義妹も出来ました、そして梅が側室となり正直何がなんだか不思議な感じでありますが、皆家族なりました、これからもよろしくお願い致します! 梅よ、何か一言頼む!!」


(菖蒲は女将の伴殿が資晴の使いで堺に行った際にやや子が腹の中に出来ていた子である、この時10才となっていた。)



「・・・梅は梅であります、大御屋形様、ご母堂様、これからも些かも変わる事無く資晴様に尽くしてまいります、これからもよろしくお願い申し上げます、兄上様、綾目、梅の代わりに父上と母上を頼む! 」 



「梅よ、頼むと言っても梅も目と鼻の先にいるのだ、儂もいるから安心致せ あっははははー」 







ふ~田村という名前をこの章で全部で32回書く事が出来ました、目標達成です、30回目指してました(笑)、田村の頑固じいさん頑張りました。

次章「越後」になります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ