表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
233/331

233 秀吉の軍師

 




 ── 黒田官兵衛 ──





 天正3年《1575年》瞬く間に京を抑え天下人に近づく織田信長の古今東西稀にみる才能の武将が現れ将軍を追放した事を高く評価していた小寺孝高《黒田官兵衛》は、主君の小寺政職に織田派に属し天下人となろう家に臣従する事が小寺家に取って最善と進言し自ら7月に羽柴秀吉の取次により岐阜城で信長に謁見した、信長からは褒美として名刀『圧切長谷部』を授かる。


年明けには小寺政職にも、赤松広秀《政秀の嫡子》、別所長治らと揃って京で謁見させる『信長公記』。


足跡として小寺官兵衛は織田家に臣従してからの中国毛利の動きを確認すると僅か2年の間に秀吉の側近となる事が判る、動きは鋭く鋭敏であり急所を突いていた。


天正4年《1576年》1月、丹波国の波多野秀治が信長より離反、 同年2月に義昭は京を追われ毛利輝元の領内の鞆の浦《元就の嫡孫》へ逃れる。


同年4月信長と本願寺の和睦が決裂、7月輝元の叔父、小早川隆景配下の水軍の将・浦宗勝が、信長の水軍を破り兵糧を運び入れる事に成功、第一次木津川口の戦い。


天正5年《1577年》5月毛利氏は本願寺勢力に属していた播磨の三木通秋と同盟し、浦宗勝を通秋の所領である英賀に上陸させた、そこへ事前に敵の動きを読み察知した小寺孝高は500の兵で逆に奇襲をし、5,000の兵を退ける、英賀合戦。


10月、信長は松永久秀が裏切り反信長派となった事から信貴山城の戦いで松永久秀を討伐した、そして秀吉を播磨に進駐させる、孝高は一族を父の隠居城である姫路城の南西に位置する国府山城に移らせ、居城であった姫路城本丸を秀吉に提供し、自らは二の丸に住まい、参謀として活躍するようになる。


これにより秀吉が中国方面における足場を作る事が出来た、城を自ら提供し一歩下がる姿勢で主君を迎える官兵衛に秀吉は初めて他の者に篭絡された気分であり、気持ちの良い事であった、一連の素早い動きは自分の分身を手に入れたと言って良い、この時より秀吉の側には小寺勘兵衛、もとい黒田官兵衛が秀吉の軍師となり寄り添う事になる。


何故小寺官兵衛という名であったのか? 主家の小寺政職は黒田氏を高く評価し、天文14年《1545年》に黒田重隆を姫路城代に任じた、重隆の子、黒田職隆には政職の養女を嫁がせ、小寺姓を名乗らせた、その事で黒田名から小寺姓を名乗る事になる。


史実では軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする、竹中重治《半兵衛》とともに秀吉の参謀と評され、半兵衛、官兵衛を『両兵衛』称された、その竹中半兵衛は那須家の軍師として存在している、何れ半兵衛対勘兵衛の戦の読みとなり軍略が語られ雌雄を決する事になろう。


この黒田官兵衛が秀吉に重用され始めた頃と同時期に秀吉の小姓として身の回りの世話を行う者が、豊臣家の行く末を担う者が登場する、その者の名は石田三成17才である、石田三成は、近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)で生まれこの地の石田村を治める豪族、石田正継、母は浅井氏家臣の娘、後の瑞岳院。


書物に寄れば三成は、色白で大きな目の美少年と、少年時代は隣町の大原観音寺で寺の小僧であったと、大原観音寺には、石田三成に関する有名な逸話が残っている、よく知られている三献の茶である。


長浜城主となった豊臣秀吉は、領地内で鷹狩中にのどが渇いたため、大原観音寺に立ち寄りお茶を出すように求めそのときに対応したのが、寺の小僧であった三成、秀吉に初めの1杯を、ぬるめのお茶を大きめの茶碗に入れました、秀吉がそのお茶を飲み干すと、今度は少し熱めのお茶をやや小さめの茶碗に入れます、もう一度飲み干すと最後に熱いお茶を小さい茶碗に入れて差し出した。


秀吉がのどの渇きを癒すために気の利いたる茶の出し方に感心し、寺の小僧から三成を引き取り養育する事になり家来とした三献の茶の逸話は有名な話である、その三成が秀吉の身の回りの世話をする側近として登場したのが、黒田官兵衛が側近となる時期と重なる事に、1人は戦国きっての軍師となり、もう1人は石田文官として最高峰の地位を築く事になる、両者は交わる事の無い二人と言える。



── 小田守治 ──



1577年5月15日、この日常陸にて第十五代当主小田氏治より嫡子小田守治が第十六代当主として誕生した、史実では誕生しなかった第十六代の当主守治の誕生である、守治は三家の海軍を司る大海将として既にその地位を固めており、小田守治の元に那須家と北条家の海軍が置かれそれぞれに海将がいる、三家は独立しているとは言え指揮系統が乱れ戦う事は戦力が分散されその力を充分に発揮するには頂点となる大海将という存在に指揮権を委ねる事が一番良いとの資晴からの提案で三家了解のもと海軍の大海将という大役を担った。


三家による交易は平時における蝦夷から日本海側九州辺りまでを那須家が担当し、琉球から小笠原諸島での砂糖の生産と太平洋側の津軽までの広範な海を小田家と北条家で行い、大交易が徐々に広がっていた、小田守治は交易の大海将では無く海軍の大海将である。


この日を迎えるにあたり守治は那須家にも3000石の船を完成させ引き渡される事に、更に3隻の3000石船を建造中であった。


5月1日に那須資胤の長女皐月が嫁入りの出発を行った、馬に乗り進めば僅か二日の道程を七日もかけて輿に乗り騎馬隊200騎、長持ち1000名、侍女40名を引連れ那須烏山城を出発した、北条家の鶴姫を送り出す際に長持ち150箱に1500名の人工衆であったが、中身を開けてびっくり玉手箱と言った箱も多く、中身がほぼ無い箱、貝合わせの遊び道具だけの箱など明らかに見世物として多くの長持ち箱が多く、那須家ではその様な事をせずに必要であろう物と手土産となる物を多く箱に入れ、結局それでも100箱作るのが精一杯であった。


皐月の侍女も行きは40名、実際に残る者は20名、他の20名は新しい館で暮らす準備の手伝いである、それと皐月は鶴姫とは違い幼少の頃より兄である資晴に連れられ職人村を見学し、公家の錦小路家に遊びに行くなど活発な姫として育っている、那須家の姫ではあるが弓と薙刀を習いそこそこの腕を持っている。


母であるお藤に連れられ甘味処にも・・・である、食欲旺盛で鶴より一回り大きい15才の皐月姫が守治の所に嫁いだ。


当主の代替わりを先に行い、二日後に那須皐月姫との婚儀を行う事に、代替わりの際に挨拶した事は那須資晴と同様に断固とした決意表明であった。



「今日より父上に代わり小田家の当主となった小田守治である、この日を皆と迎える事天に感謝致す、我が小田家は三家の海を守る大海将の家である、その使命を努努忘れてはならぬ、これより5年以内に大海将をである小田家は海を守る海賊衆による海軍を3万、陸を守る武士を7万作る事とする皆一丸となり励め!! 我に遅れるな!! 那須家北条家を守る小田家の使命を全うせよ!!」



海賊衆が多い、口荒い海の者達には一切の遠慮は要らぬ、遠慮こそ侮辱となる、その事を良く知る守治、何時になく荒々しく皆に刺さる激励とも言うべき宣言を行った、小田家も総勢10万の軍勢を目指す事になった、そして二日後にはつつがなく厳かに那須皐月と守治の婚儀が行われた、北条家の様に芝居がかった前夜祭は無く、一日で終了となった。


事前に北条家との式では四日にも及ぶ大変な式を行わされたと資晴より文が届いており守治の望む式で問題無いとの内容が書かれており小田家も安堵し、一日の式で終了した、しかし、お祝いの饗宴は二日続いた、要は配下重臣達は早く式を済ませ酒を浴びるほど飲みたいのである、海の男達とはそういう者である。




── 勧進 ──




「玲子さん、誰からの手紙ですか? さっきから考え事をしてますが、変な事が書かれた手紙でも来ましたか?」



「いや、そうじゃなくて、前に洋一さんの実家の蔵を掃除したでしょう、二回目のあの時に古い手紙を見つけた話なの、結局私には解読出来ないから知り合いの古文書を読める研究家の先生に解読の先生に依頼してたの、それがやっと戻ってきて読んでいた所なの!」



「あの時の紙ですか、どんな内容でしたか?」



「それが勧進帖みたいなの、解読してくれた先生も、続きの紙が無いから途中までしか判明出来なかったようで、その昔今成家で寺か神社を寄進する際に大元の宗門か神社に許可を得る為の承諾書を頂く起請文みたいなの、当時はそれを勧進って言葉で言ってたようなの、要は布施を行うので神社仏閣の何某を建てる事を認めて下さいって感じの承諾書かな?」



「それならあれの事かな、川越の街中に今成って地名が残っているでしょう、前に通った今成交差点ってある所、覚えている?」



「良く覚えているはよ、今成アパートとか、今成小学校、今成なんとかって名前が集中している地名の所でしょ!!」



「自分もあそこを通る度にご先祖様の村があった場所なんだと手を合わせて通る場所なんだけど、あの一角に神社あるんだよね、その神社を寄進したのがご先祖様だって事は前から聞いているから、その神社を建てる承諾書かも知れませんね!! それなら合致しますね!」



「へえーそんな神社があったの? 初めて聞いたよ、名前はなんて言う神社なの?」



「いや~自分で言うのもあれなんだけど『今成神社』って言うんだ、なんか恥ずかしくて玲子さんに言ってなかった!!」



「それは凄いや、今成神社とは恐れ入ったね、神主さんとかは親戚なの?」



「全く関係ないよ、全然知り合いでも関係ない人です、大昔はどうだったか知りませんが、特に行き来も無いし親類でも何でも無いですよ!!」



「へえーそうなんだ、御寺だとその昔は兄弟とか家を継げない人が住職になっている事が沢山あるけど神社の事は私もよく知らないな、でも今成神社があるとは、先祖の今成さんも立派ですな、あっははは」



「今度その神社に連れて行って、出来れは早い内がいいかな、今は安定期だけど、あと二ヶ月もすれば生まれる予定日だから、自由に動けるのが今の内しかないから、帰りに芋菓子を買って来ようよ!」



「じゃー今度の日曜日にでも行って見ましょう、実家にも寄って野菜を仕入れておきましょう!!」



この今成神社こそ、今成家の謎が隠されている神社である事が後に判明する、今成と那須、そしてもう一つの存在が点と点が線として繋がり、やがて面として浮かび上がる事になる、この謎を解明出来る者は未だ存在していない、460年の時が繋がる。




最後に謎めいた今成神社が突如現れましたね、書いている私も急に思い立ったように書いてしまいました、この責任思わせぶりを、最後まで読んでねと言わんばかり書いてしまいました。

次章「海賊と海賊」になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ