226 伊賀攻め
資胤の正室お藤の方から告げられた資晴に相応しい側室は侍女の梅である、梅は鞍馬の娘であり、鞍馬一族は那須家を影より守る者達であり七家の武家とは違う生き方の使命を担った忍びという特殊な家の者、その昔は帝を守る使命を聖徳太子より与えられた忍び達、日ノ本頂点の系譜を持っており、これ以上ない家の者達に属する侍女が梅である。
梅は資晴が元服前より最初の侍女百合の見習い侍女として11才の時に、くノ一の素質第一の少女であった為に鞍馬より資晴の身を守る役目の元それ以来側にいる、資晴の近くにいる事で優れた武将が常に周りにおり、資晴と洋一、軍師玲子からの軍略、佐竹との戦、信玄との戦、蝦夷大戦と数々の戦を近くで経験しており知らずの内に梅の才能は忍びのくノ一とは違う、自らが軍略を描き、戦略を考え、どう対処するのが最善なのかを導き出せるくノ一に成長していた。
評定で意見が纏まらず思案する最中、梅の一言で解決に動く評定でのやり取りに、資晴の重臣達も梅の存在は何時しか侍女という枠を大きく超えており評定に参加するのは当然の存在になっていた、戦時での軍略、戦略は半兵衛と十兵衛が入れば充分であるが、平時での軍略は明らかに梅の助言の方が的を得ていた、もう一つ資晴が刺客に襲われた際に身を挺して資晴を守り犠牲になっている、幸い鎖帷子を身に付けており公家の錦小路の医療にて一命を取り留めた、自らの命で資晴を守る事を行う梅の存在は武士の魂を持つ者と言える、その梅を、資晴の母親、お藤のお方は息子の身を案じる心根の者、側室に一番相応しい者は梅であると進言した。
「伴殿、天狗殿そういう訳で妾が梅を側室に推薦したのじゃ、この話は資晴にも伝えておらぬ、誰も知らぬ、知っているのは殿と我らのみとなる、誰にも言えぬ話であり、先ずはその方二人の意見を聞きたいのじゃ、今の話を聞き、思う所を述べて頂きたい」
「それでは私からお話し致します、大変光栄なるお話しであります、鞍馬の者達も大変喜ぶ話であると思われますが、梅本人が結婚については以前拒否の姿勢を述べております、生涯一人で居りたいと申しておりました、資晴様が鶴様と結ばれる際に今後の事について確認し、その様に述べております、それが大変に気になる処で御座います」
「天狗殿は如何思われるか、正直に教えて頂きたい!」
「私も伴と同じであります、ただ梅を迎えるにあたり大関殿を代替わりするお話し、なんとも申し訳なく思われます、後は梅本人がどう判断するかで御座います、無理強いも難しゅう御座います、ここはお方様と伴にお任せ致します」
「うむ、では二人は反対はせぬという事で宜しいな、後は女子同士で話を進めようではないか、明日にでも梅を私の所に連れて来て欲しい、資晴に感づかれない様に頼む、何某の理由を付けて連れて来て欲しい」
── 伊賀攻め ──
織田信長は顕如との戦いで門徒以外の鉄砲を扱う雑賀衆と根来衆に頭を痛めていた、織田家の鉄砲隊より優れており下手に敵地に飛び込めば被害が拡大してしまう事に別の戦略を用いる事にした、遠回りの戦略となるが銭雇の忍び達を先に攻略し、雑賀衆の中で反信徒であり様子見をしている者達を調略する事にした。
世に言う伊賀攻めの攻略に着手する事にした、伊賀国は現在の伊賀市と名張市にあたる、石高は約10万石と国としては少ない石高である、少ない石高である為忍びの者達が銭雇で働く様になり鉄砲伝来とともに多くの鉄砲衆集団も作られて行った、甲賀と伊賀二つの大きな忍びの集団は甲賀は銭雇の者が少なく各戦国大名に仕える者達が多かった、特に三好と六角には多くの者達が仕えていた、それに引き換え伊賀は銭雇が多い者達であった。
織田家にも滝川の働きで間諜の者達として多くの甲賀衆を配下にしてはいるが、伊賀に立ち向かうには数が全く足りていなかった、伊賀攻めの大将に息子の織田信雄を任じ攻略させる事にした、1576年秋、織田信雄は命じられ動き出す。
伊賀の忍びは大きく分けて12家の家から成り立ち、小さき家はそのどれかに属し成り立っている、その中で主力の中心となる忍びの家が服部家、百地家、藤林家の三家であり上忍三家と称されていた。
織田信雄、信長の次男であり、三男の信孝を罠に嵌め追い落とした張本人、信雄は長男で嫡子の信忠には忠順に従っているが、戦国の世であり自分に当主の座が機会があるのではと虎視眈々と狙っていた、信雄は北畠家に養子で出され伊勢国を支配地としていた、北畠家に養子で入り実権を握る為に、北畠家で邪魔となる者達の排除を暗殺という手を使い亡き者にしていた、この伊賀攻めの時には邪魔な者を消し去り北畠家の実権を手中に治めた時であった、伊勢国の石高は56万石と大きく伊賀とは比べ物にはならない。
信雄にとって都合の良い時に隣の伊賀攻略の命を受けたと、功を上げ、より信長の目に止まるようにする好機と捉えた、たかが10万国の国であり、何倍もの兵数で攻め入れば簡単に攻略出来ると読んでいた、そこに大きい判断ミスが潜んでいた。
上忍三家の内、服部家の多くは徳川家に仕えており残って居るの者は京周辺の様子を徳川家に伝える繫ぎの者達しか伊賀には残って居ない、その残り少ない服部家より、数ヵ月前に百地家と藤林家に火急集まるようにと知らせが届く。
「今、話した事が服部本家より伝わった、ここに残る服部衆では数も少なく退避するしか無いが、百地と藤林が残り戦う場合は我らも参戦致す、敵は大軍である如何にするか三家で決めねばならぬ、他の家はそれに従う事になる」
「貴重なる話し実に忝い、我ら百地一党は単独でも織田と戦う覚悟じゃ、みすみすこの地を渡さん、忍びの意地にかけて一矢報いる、藤林殿は如何致す?」
「百地が残り、我ら藤林が去るなどありえん、我らこそこの地を守る、何なら我らだけでも問題無い!!」
「判った、では我らも残って居る服部党も参戦致す、忍びに手向かう織田に痛い目に合わせようぞ、それとここだけの話であるが、この戦が終わった後に我ら三家の頭領が是非会わねばならぬお方がいる、その事を覚えていて欲しい、当家では棟梁がお会いなさる、百地殿藤林殿も心得て下され、そのお方より此度の件が伝わっておる事なのだ」
「ほう、その様な、我らを呼び出すお方とは誰であるか、この知らせはありがたい事ではあるが三家の面々が会わねばならぬ者とはお主、名前は知っておるのか?」
「勿論である、この印のお方であります!!」
「・・・・・・・・」
「本当にお会い出来るのか、有難い事じゃ、ご先祖様に土産話が出来る!!」
「あっははは、土産話の前に負けてしまってはご先祖様に叱られるぞ、しっかりと策を練り、退けようぞ!!」
ここに初めてとなる戦国期における忍びの国《伊賀国》を上げて織田家との戦が始まる事に。
── 『梅』──
「梅をお連れ致しました、事情は何も伝えておりませぬ」
「梅よ、いつも資晴を支え、鶴の事も助かっておる、今日呼んだのは妾から話があって伴殿と三人にて懇談したく呼んだのじゃ、梅も正直に意見を述べて良い、一切の遠慮は入らぬぞ、大切なる話ゆえ本心を話して欲しいのじゃ、良いな!!」
伴に連れられ城中に向かう中、なにやら重たい話がある予感がしていた、お藤のお方様からの説明にその予感が的中したと察した梅、説明された内容を聞き身構える事に。
「妾から説明した方が良かろう、梅も資晴の側室の話は聞いておろう、その側室を選ぶにあたり資晴も妾も難儀しているのじゃ、那須家は200万石を超える大家となっておる、誰もが羨ましがる大家である、その嫡子が側室を探しているとなればどの家でも娘を側室にと我先にと押し寄せる、そのような事は回避したく思案するも解決する目途が見出せぬ、梅にもこの理を理解出来よう!!」
「ここからが大事な話であるぞ、武家の家から選べばその家が場合によっては将来の那須家に代わる家となる恐れがある、かと言って武家の家から横槍が入らぬようにするにはそれなりの者が必要になる、那須家に仇とならぬ家の者であり、その恐れが無い者を何度も何度も探し確認するも誰1人もいなかった、ただの一人だけを除いては見当たらなかったのじゃ、どんなに検討を重ねてもその者しかおらなかった!!」
お方様の話を聞き、息する事も出来ぬ中、ごくりと唾を呑み込む梅。
「ただ一人、資晴の側室に相応しい者とは『梅』しかいなかったのじゃ、那須家に災いを運ばず、資晴を何処までも守り通す強き意志と意思を持ち合わせた『梅』そなたが妾の選んだ女子である、梅は妾のこの答えに応える事は出来るかを正直に教えてもらいたいのじゃ!!」
暫く沈黙した中、梅も覚悟を持ってお方様に己の意思を拝礼し返答する事に。
「お方様の御話し私のような者に恐れ多い話でありますが、嬉しく心より感謝致します、しかしながら側室になる事は出来ませぬ、資晴様の側室になれるとなればこの上なく幸せなる事になりましょうが、それでは資晴様に申し訳なくお受け出来ませぬ、どうかお許し下さい」
梅の説明を聞き、矛盾なる説明に理由がある事を察したお藤は。
「梅よ、遠慮は要らぬ、もう少し説明を聞きたいその具体的なる訳を知りたいのじゃ、梅の説明では側室になれるとすれば幸せな事と申したが、しかし資晴に申し訳ないから受け入れられぬ、と申した、その受け入れられぬとなる、申し訳ないと話した意味はなんであるか?」
「・・・・言わねばなりませぬでしょうか?」
「ここには妾と伴殿の三人だけじゃ、誰にも漏れぬ、梅のその根にある蟠り《わだかまり》こそ側室になるならぬは別として溶かねばならぬ事では無いのか? 妾も梅と同じ刻を刻み歩む者であるぞ、苦しみも喜びも共に寄り添う者であるぞ」
お方様の梅を労わり大切に思っている事が素直に伝わり梅も覚悟して話す。
「お方様、この梅は資晴様を誰よりも慕っております、慕うがゆえに己の醜き姿をお見せする事が出来ぬのです、この姿をお見せする事は私には苦しくて仕方ありませぬ、慕うがゆえに、女子として、これをお見せする不敬は出来ぬのです」
梅はそっと立ち上がり着物を脱ぎ上半身裸となった。
梅が着物を脱ぎその理由を一瞬で悟るお藤の方は、急ぎ立ち上がり梅を抱きしめた。
「良い良い、もう見せなくて良い、梅よ、そなたは妾の娘である、娘であるぞ、伴よ素晴らしき娘を育てた、鞍馬の宝である、ささ着るが良い、その傷こそ資晴を守った傷では無いか、そなたが素晴らしき娘であるとの証左である、後は妾に任せるが良い、何も恐れるな、梅は妾の誇りぞ、案ずるな!! 恥ずかしい思いをさせてしまった、妾の落ち度じゃ、許してたもれ、しかし、その傷を見ても妾はなんとも思わぬぞ、さぞや辛かったであろう、きっと資晴もそう思うに違いない」
梅を落ち着かせ最後に言い聞かせるお藤のお方であった。
「梅よ、良いか、その傷の事もきっと資晴は知っておる筈じゃ、その上で梅を側室に資晴が望むとなれば梅も受け入れて欲しい、いや受けるのだ、それが梅の幸せに繋がる、梅の後ろには伴もおれば妾もおる、誰がなんと言おうが妾が盾となり鉾となる、資晴を守れるは梅であるぞ、良いな資晴が梅を側室に望むとなれば受け入れよ、妾からの願いじゃ!!」
梅が側室を断った理由、それは刺客に襲われ際に出来た大きな傷跡が腹部から胸にかけての一筋の大きな斬撃の傷がはっきりとある事であった、梅も女子であり幸せな家庭を築きたいとの願いはあったが余りにも大きい傷跡を抱えて嫁げる先など無い事は知っていた、嫁げば相手側に失礼にあたる、身体に瑕疵なる傷を抱えての嫁入りなど持っての外と諦めていた。
伴はここまで一言も言葉を発していなかった、伴には梅が拒否する理由を察していた傷跡は確かに大きく床寝を共にするには年若い女子であれば必ず気に止む程の傷跡である、その傷跡を何年も毎日見る梅本人に取っても心に大きい傷跡が出来ていると察していた、その心の傷を乗り越えぬ限り次に進む事は出来ないと考えていた。
お藤のお方による、資晴が望む場合との話に梅も了承する事になった、当主の奥方、正室のお藤のお方が梅に寄り添い、梅の幸せについて話す以上これ程ありがたい事は無かった、当主資胤もそうであるが正室のお藤のお方もその出自は小さき家の者であり、決して裕福とは無縁の者達であった、人に寄り添うという人としての矜持を大切にしている当主夫妻である、傷跡はともかく、心の傷跡は幾らか癒えた梅であった。
この側室の話は解決するまで些かまだ期間が必要であった、当主資胤が七家を次の世代に大きく動かす必要があった、戦国期の世代交代で時々問題となるのが当主が変わっても当主が院政を行い新しい当主の行う政に邪魔となり二極の態勢となり家の力が弱まってしまった大名が幾つもある、会津蘆名家もそうであり、滅亡した浅井家も同じと言えた。
資胤は当主が資晴に引き継がれた場合、資胤を支えた家々の老臣共を一緒に引退させ全くの新しい資晴の体制に整える事にした、前当主が次の当主のやり易いように整える、権力の移譲が出来るよう最後の総仕上げを行っていた、これが出来る当主はいるようで中々いないのが世の常である。
忍者と織田家の戦い、映画でありましたね『忍びの国』百地も登場し敵の織田信雄、そしてアイドルグループの嵐、リーダーの大野 智が忍者で出演した映画が、映画ストーリーが伊賀攻めなんですね。お笑い場面も多々ある映画でしたが、ストーリーは伊賀攻めという実話を元にしているので楽しめました。
次章「豊国と戦国」になります。




