224 灯台下暗し
1576年この夏、油屋の船が二回目のゴムの樹液を仕入れにマラッカ王国に向かった、現在のマレーシアである、前回の時はマラッカに到着してから樹液を集める商談を行ってから実際に集め帰還するまで10ヶ月間ほど要したが、今回は到着すれば樹液が収穫されている液を購入して来るだけである、帰還まで7ヶ月間の予定で船員達が出港した、油屋本人は乗船していない。
「今回は南蛮の国には行かなかったのであるな、代わりに誰が交渉するのか?」
「船長に任せております、船長は儂の従兄弟が務めておりますので問題ありませぬ、若には紹介しておりませなんだが、戻りましたらご紹介致します」
「ところで油屋は奥方の他に側室はおるのか?」
「突然珍しい質問ですね、私にも正室以外3名おります、それぞれ子を成してその子達も独り立ちしております、今は皆その子達と側室であった者達は暮らしております、私の面倒は付人達に手伝ってなんとか不自由はしておりませぬ」
「ほうでは女性の奥方の扱いには長けているのだな、今夜丁度良い、半兵衛の事と儂の事で皆と話をする所なのじゃ、難しい話ではない一杯やりながらじゃ、一緒に飲もう!!」
「ほう某で良ければご相伴に授かります」
この夜は昼間の続きとして半兵衛と百合の事が主な主題となった。
「面白い話ですな、家に半兵衛殿が居る時は機嫌が良くて、不在が続くと機嫌が悪くなるとは、それでは中々お勤めに力が入りませぬな、若様から何か申しても駄目なのでしょうか?」
「昔はその様な所は見受けられなかったのだが、それと儂は幼い時から百合に面倒を見てもらっており、立場は儂の方が上であるが、二人きりになれば百合の方が圧倒的に立場が上となる、その儂の言葉では届かん、返り討ちにあってしまう!」
「半兵衛殿は思い当たる節が無いのでありますか?」
「当初は問題なく普通でありましたが、信玄と戦いましあの長退陣より帰還してより徐々に私が折檻を受ける様になりました、やれやれであります!」
「あっははは、困りましたな、梅殿であれば同じ女性であります、心当たりがあるのでは?」
「正直に申して宜しいのでしょうか?」
「勿論じゃ、半兵衛に瑕疵があっても正直に言って良い、そうでなければ解決せん、無礼講の席じゃ、良く聞くのだ半兵衛も!!」
「では、はっきりと申します、ここに居る若様を初め男の皆様と半兵衛様の顔のお出来が特に目が細長で色男なのです、顔を左右に動かしますと目が流し目になり、色香のある年頃の女性は半兵衛殿に心が惹かれるのです、その事を百合様は充分承知しており、家を不在すると何処かで変な猫に取られていないかと心を焼き、嫉妬するのです、要は半兵衛様の御顔の良さが原因なのです!!」
「何? 半兵衛の顔が色前なのが原因であると・・・以前は食が細く痩せておった、今は逞しくなったが、顔付も立派な武将となっておるが、その顔付が女子が好む色前・・色男に見えるという事か!」
「あっははは、男冥利でありますな、梅殿の話を聞いて皆様が気落ちしておりますぞ、あっははは」
「では梅は半兵衛に惹かれぬのか、同じ女性であるぞ」
「私は百合様が半兵衛殿に惹かれ結婚した経緯も存じております、それに私に色々と作法をご教授致して頂いた師匠でもあります、ですので私は一切その様な思いになった事はありませぬ」
「悔しいが色前が原因とはのう、どうする半兵衛?」
「私にそう言われても困りまする、他の女子に手を出した事もありませぬ、勝手に焼く百合が問題なのです、某には防げませぬ、若様からなんとかお願い致します」
「そうはいっても夫婦喧嘩は犬も喰わぬとかそんな言葉もあるしのう、梅良い案は無いかのう?」
「ではこうしたらどうでしょうか、百合様を白河の城から此方の半兵衛様の館に来て頂ければ宜しいのでは無いでしょうか、城には城代もおります、百合様は勝手知ったる那須烏山のお城の近くであれば半兵衛様がお勤めでも近くにいるという事で心が休まるのでは無いでしょうか? お子様達も御連れになれば寂しくありませぬ!」
「それが良いのう、半兵衛の近くに居れば安心し嫉妬を焼かずに落ち着くという事じゃな、どうじゃ半兵衛? ひとつ梅の案を採用して見よ!!」
「判りました、その様に話をして見ます、梅も昨日の御方様がお開きした奥方衆とのお茶会は楽しかったようです」
「まあーあれは鶴との親しくなる機会を母上が行って頂いた場であったからな、儂も助かった」
「それにしてもこの油屋前々から梅殿は知恵者であると感心しておりましたが、半兵衛様が今孔明と呼ばれておりますお方が中々解決出来ない事をさっと知恵を授けるとは驚きました、いやこれが商人の娘なれば女主人としてさぞ繁盛する商いが出来ますぞ、いや素晴らしいですな」
「そうなのだ梅は儂の婚儀で那須家に銭が無くなりそれもあっと言う間に銭を作り出した、打ち出の小槌である、そこでじゃ、もう一つ銭の話で考えねばならぬ話があるのだ、来年の皐月の嫁入りじゃ、小田守治殿の所に嫁ぐのだが、北条家の様に騎馬の者と長持ちを運ぶ者達に小田家より莫大な祝儀を頂いた良いのか、失礼にならぬかという話なのじゃ、如何思う?」
「それも聞いております、騎馬の者に50貫、他の者達に20貫でありましたな、それでは銭が底を尽きます、小田様の家でもこの話に驚いておりましょう、今頃は銭の詮索をしているのでは大変な金額になりますから大家であってもお困りでしょう」
「そうなのよ、那須から嫁ぐのでこちら側は困らぬが、支払う側の小田家でも頭を痛めておるに違いない、誰か良い案は無いかのう?」
「困りました、那須家で銭を用意して払っております、小田家も200万石を優に超える大家です、面目があります、きっと同じ額をご用意するでしょう、我らが関知せぬ方が良いかと、面子を失います」
「おっ、梅も又何か考えがあるのだな、良い案なら採用するぞ!!」
「では皐月様の婚儀はそれこそ鶴様より盛大に行うべきです、遠慮は要りませぬ、戦国の世に響き渡る盛大に御見送りするのです、きっと沢山の銭が必要となりますが、それ以上の栄誉を小田様も日ノ本中から雅なる話だと栄を得られます、確かに一時的には銭が無く大変となりましょうが、それも一刻です、皐月様が嫁がれた後に今度は守治様の妹様が氏直様に嫁がれます、時期は知りませぬが、その時にも盛大に御見送りをすれば、その時は北条家でも莫大な銭を小田様の者達にご祝儀を御渡し致します、銭は巡り巡って戻るのです、良い事には一切の遠慮は要らぬと思われます」
「・・・なんとそうでありますぞ、この何十年も商売をしておる堺を牛耳る一人であった油屋、今梅殿が申された話は本当でありますぞ、真面目に取り組む商いほど銭は巡り利子が付いて戻って参ります、悪意ある商売ほど儲けたようで銭は泡のように消えてなくなり、借金まで背負う事になります、婚儀とは生涯に何度も無い慶事であります、梅殿が申された話は誰も損はしておりませぬ、むしろこの希望の見えない戦国の世に希望をもたらす婚儀となりましょう!!」
「私も、十兵衛も驚きました、まさに正論、大正論であります、折角の婚儀を縮小してはそれこそ三家の恥となりましょう、ここは優雅に那須家の嫁入りを盛大に行いましょう、皐月様もきっと喜ばれます、縮小しては悲しまれます」
「儂も目が覚めたわ、梅の申す通りじゃ、間違っていた、儂の考えは親切のように見えて不親切になる所であった、父上と母上にもこの事を伝える、それにしても聡明であるな、今孔明どころでは無い『今聡明の梅』であるな、大した者じゃ!!」
── 灯台下暗し ──
人は身近なことには案外気がつかないものだという、灯台は周りを照らし明るくするが足元は影になって暗いされる、資晴の話は正にそのような例えであった。
「いやはや今聡明でありますか、梅殿大した偉名を授かりましたな、半兵衛様も頷いておりますぞ!! 処で話がひと段落した様でありますが、何やら側室がどうだとかの話はなんとかなにそうなのでありますか? 皆様はそちらの話で心落ち着かずという感じでありますが?」
「つい数日前の事である、なんともならん、鶴と結婚したばかりぞ、幾ら父上と母上が早くしろと申しても、それに儂にも好みと言う物がある、女子であれば誰でも良いという訳では無いぞ、家の家格などはどうでも良いが、性格が悪ければ儂も困るし皆も困る事になる、聞いたであろう、あの徳川家での謀反が計画されておった事を、太郎が怪しい文を見つけねば家康殿は殺されていたかも知れぬ、相手は正室だと言うから驚きじゃ!!」
「その話を聞いた時は私もまつも驚きました、私であればとっくの昔に殺されておりましょう、まつがそのような悪巧みをする訳はありませぬが、正室が殺害を計画されては殿方は防げませぬ、幸い私とまつは何事もなく過ごしておりますが、その事を知った時は世も末であると思いました」
「まあー、一豊とまつであれば問題は無かろうが、性格が悪い女子と一緒となれば最悪命が狙われると言う例であるな!!」
「側室になる女子の性格が良くても、その家が、側室の親側の家が利権を求めて近寄る事もありますぞ、家の出自も吟味が必要となりますぞ、なにしろ那須家は大大名なのですから、用心が必要となります!」
「そうなると結局のところ、どんどん難しい話になって行くのう、そもそも那須家は極貧の家であったから側室どころでは無かったのであろう、分家を作り今の七家が出来ておるが、その七家も細分化されているし、那須は意外と親族衆が多い、儂の代で一豊初め皆に来て仕えて頂いておるがそれまでは譜代の者達で作られた家である、どうしても家を継ぐ者が不在となれば、その親族の誰かを当主にするしか無いであろう」
「若様、確かにその手もありますが、それは小さき家の時には争いにならず治まりましょう、しかし、200万国を継げるとなれば親族でも争いになるやも知れませぬぞ、親族から選ぶ話も用心が必要となります、やはりここは側室を一日も早くお決めになった方が周りも騒ぐ事なく良いのでは?」
「儂も側室の事を安易に考えていたかも知れぬ、皆の心配も理解出来た、だからと言ってどうすれば良いのだ、相手を見つけねば話にもならぬ、どうやって探すのだ、好みもあるのだぞ、家柄、性格と、考える事が沢山ある、儂が知っている女子なぞ数人しかおらぬ、誰かがこのような良い者がおりますと言ってくれねば候補も見つからん、探し方が判らん!!」
「ではその知っている女子とは誰でありますか?」
「梅と菊と華、それと・・・・公家殿の娘と、まだ幼い伴殿の娘、百合の子・・アウン、ウインの娘、最近ではパン屋の姉妹という処であろうか?」
「その中では梅殿しかおりませぬな、他の者ではまだまだ年若くどうにもなりませぬな!!」
「そうであろう、中々おらんのだ、儂は種馬ではないぞ誰でも良いと言う訳では無いのだ、結構難題であるぞ!!」
梅と言う話が出た処で、梅本人は部屋から退出し、自分の部屋に戻った、勿論梅本人も側室になる事などは考えてもいなかった、梅は当の昔に結婚を諦めていた、その理由は胸に残る傷跡であった、わき腹から胸までの一筋の斬撃が傷となり黒く一本の大きな傷跡として残っていた、臓物を傷めた際に切り開いた傷では無く、刺客が放った鋭い一撃が体の内部に傷跡を残し、何年経ても黒く一筋の大きな斬撃と言う傷跡を残していた、錦小路殿の診たてでもこの傷跡は生涯消える事無く残る傷跡と説明されていた。
梅は忍びあり、くの一、その使命は元服前の正太郎を守る事、今は元服した資晴を守る事は当然であるが、全ての意味でお守りする事が使命である、その梅の話題が側室という話の中で出た事で結婚とは無縁の自分の名が出た事で部屋に戻った。
その夜は結局何時しか自然にお開きとなり三々五々の別れとなった、ただ一人鞍馬小太郎だけが両親の元に戻り今日の出来事を伝えた。
「なる程のう、小太郎はそう読んだのか、最もな話である、しかし、儂らから動いては失礼にあたる、我らは恩返しする立場であり、資晴様をどこまでもお守り致す立場である、余計な手出しと思われてはご迷惑をお掛け致す、小太郎もじっと見守るが良い」
梅の両親は梅が幼い頃に亡くなっており、天狗夫妻が親代わりとなり育てた、忍びの素質があった梅をくノ一と育て、侍女に遣わした、幼い頃、小太郎と過ごしており、梅は妹と言える、その梅が結婚を諦め、資晴様に生涯仕えると、それが本人の希望であると聞いていた小太郎、梅の仕草、時々見える寂しい表情は小太郎ならでは読み取れていた。
それにしてもいろいろ事情がありますね、大家同士の結婚も大変です、庶民同士が一番です。
次章「名君の采配」になります。




