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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
216/331

216 婚儀

 




 ── 婚儀 ──




 結婚とは娘、息子が他家の娘、息子と結婚する事であり家同士が繋がるという、お互いの家が親族になるという意味合いを強くし両家の争いを無くす、又は力の強い家が相手側の家を利用する、力の弱い方が強い家の庇護に入るなど戦国時代の大名の結婚式は政略結婚と言える、現代の一般的な恋愛から結婚に至るケースは大変に珍しい事であろう、親が婿を決め、嫁ぎ先を決める許嫁として元服前後には決まる、領民達も似たように親同士が決めるなど、いない場合は相手を見つける領内の世話人に依頼する仲人が存在した。



現代も仲人の世話に寄り結婚するケースも文化は残って居るが最近ではネットアプリで簡単に男女が出会い、相手の素性が解らぬ事で利用され事件に繋がる事も多々ある、出会い系サイトでの利用は当の昔に結婚した私にはどうも危険な匂いしかしない、それはともあれ、戦国大名の結婚式とはどんな具合なのであろうか。



 戦国時代の大名家同士の結婚式は地域全体へ家の凄さを披露する政治色もあり実に派手な演出にて娘を嫁ぎ先に送くられた、北条家はこの戦国期織田家に次ぐ二番目の大家と言える260万石を超える大大名家として嫁ぎ先の那須家240万石に対し恥を欠く訳には行かなかった、北条家は四代に渡り繁栄して来た家であり、那須は大家となったのは未だ十数年という短さである、やる事成す事全てに那須資胤も領民も北条家の行う嫁入りに魅入っていた、魅入っていたと言うより呆れていた。



 鶴姫が小山の城に到着した頃に鶴姫の父親北条氏康、当主であり兄の氏政、氏政の嫡子氏直を初め一門200の親族衆が那須に到着した、小田原の城には幻庵が留守役として城に残っている、200名の中には忍びの風魔小太郎達も紛れていた。



 式を行う三日前には招待された者達多くが集まり式を利用し外交戦が繰り広げらていた、城下の町は花嫁の嫁入りを見物する人で大賑わいとなっていた、時期当主の資晴があの童であった神童正太郎の結婚式、領民こぞって嬉しい行事であり、待ちに待った式が間もなく行われる事に誰もが喜びに包まれていた。



 喜びの式を迎えようとする中、資晴は母親のお藤のお方にある相談をしていた、鶴姫との情事についての深刻な相談していた。



「母上、困った話のご相談があります、私もどの様にすべきなのか、ここは母上にお聞き届け命を受けたく相談に上がりました!」



「今更私に相談とは余程難儀なる話であろうか、銭の話は受け付けぬぞ!!」



「母上冗談を言っている場合ではありませぬ、実は洋一殿より鶴姫と結婚を行っても最低1年は契りを結んではいけぬとの話なのです、私はそれでも問題ありませぬが、私からの説明で失礼にならぬのかと悩み相談に上がりました!」



「はあ? 結婚して契りを待てとは何の為であるか?」



「それが鶴姫は13才になったばかり、身体の成長が、大人の女性となるには、これから数年間で急に発育する時である、発育する前に、やや子が出来ると鶴姫の命を、寿命を縮める事になる、鶴姫は若すぎる、発育していない身体でやや子が作られると危険であると、それ故に結婚しても契りをしてはならぬというのです、この事をどう説明すれば宜しいでしょうか?」



「妾が資晴を産んだは18の時じゃ、確かに13の嫁とは早い、やや子が出来るかどうかも怪しい、だからと言って婚儀を行い契りをせぬとなれば北条家より何かしかの疑いが起こるかも知れぬ・・・父上では・・・ダメである、医師より今の話を伝えれば理解を得られるであろう、今の話を錦小路殿に伝え、北条家と鶴姫にいい含めて頂くのじゃ、婚儀を行っても鶴姫の成長が止まるまで契りはせぬと、鶴姫の身体を思うての事であると説明して頂くのだ、資晴からの説明では北条家にも失礼にあたる」




「判りました公家殿には急ぎ私より伝え、そのように動いて頂きます!!」



 現代の医学では19才以下で出産する事を若年出産と呼ぶ、初潮からあまり時間を経ていない場合ホルモンバランス、子宮、骨盤の状態が整っておらず、妊娠をしても身体が赤ちゃんを育てる、赤ちゃんを産む力が弱い、小学6年生又は中学1年生が赤ちゃんを産むという事であり、まだ発育時の途中だ。



 特に15才以下だど、妊娠高血圧症候群《妊娠中毒症》胎盤早期剥離、胎児発育不全、流産を起こしやすい、つわりが重く長引き、難産となりリスクを背負う事になる、態々契りを早め子を作る必要は無いとの医学的な根拠を洋一から伝えられた資晴、北条家に失礼があってはならぬ事なので母上に相談し、医師の権威者錦小路殿に動いて頂く事にした、これにより当面は鶴姫の身体の発育を見守る事になった、翌日に北条家では鶴姫を囲みお別れの前夜祭を営んでいた。





 結婚式の前夜、離れの館で北条家親族衆による前夜祭が行われていた、『おいとま請いの式』と呼ばれる儀式、鶴姫が北条家の親族と別れる儀式、氏康が上座に座り鶴姫と対座し素焼きの盃で酒を酌み交わし親族衆の別れの宴会を行った、那須家では特に行った事のない別れの儀式であった。



 相変わらず泣いてばかりの氏康、父親を慰め役の氏政も鼻水を垂らして泣く始末、二人を見て笑う親族、笑われた氏康氏政親子が文句を言うも、いい加減疲れた鶴姫が一言述べて泣き止んだ。



「父上様も兄上様もそのように泣いてばかりでは鶴は嫁ぐことは出来ませぬ、嫁がせぬためにそのように泣かれるのですね、鶴はこれより小田原に帰ります、資晴様に嫁ぐ事が叶わぬのなら幻庵様の元で出家し尼となります、では母上これより小田原に帰りましょう、鶴はこれ以上父上様、兄上様の泣く姿は見とうありませぬ、ご先祖様にもうしわけありませぬ!!」



 予想しない鶴の一言、出家し尼になる、小田原に帰ると聞き正気に戻り、鶴姫を引き留めるも既に立ち上がり頑として帰ると言い張る幼い鶴に慌てふためく北条家の前夜祭の『おいとま請いの式』鶴姫の性格は意外と頑固であった、結局母親の采配の元、なんとか落ち着かせ嫁ぐことを了承させた、そして最後に鶴は一言、言い含める様に。



「妾は嫁ぐために那須に来ました、三家の頭領たる父上様の北条家がこの様に騒ぐなどこの事資晴様に知れ渡りましたら恥ずかしゅう御座います、父上様、兄上様に文を書きまするこれ以上は悲しまず、騒がず母上様、皆様をお守り下さいまし、どうか宜しくお願い申し上げます!!」13才鶴姫が挨拶を行い勝手にお開きにした、ぽかんと口を開けて取り残された親子の前夜祭となった。




 式初日、前夜祭翌日夜明け前の早朝より忙しく支度を整え『出立の儀』が新郎側よりお迎え役が到着した、しかし鶴姫は姿を現さず『当家ではこれほど大事にしているのだ、というもったいぶり』を見せた、しかしこれは演技だという事を那須家には事前に伝わっていなく、お迎え役は城に戻ってしまった、早朝に迎えに来る様にと依頼され夜も明けぬ前に行く理由を知らず迎えに行ったものの、結局姫は出て来ぬ事を理解し城に戻ってしまった。



 大慌ての北条家、てっきり話が通じている物と、北条家では娘が嫁ぐ時に『出立の儀』で態と大切な娘を嫁に渡すのだ、そう簡単には渡さないと言う芝居じみた儀式を行って来たが、そんな風習が無い那須ではお迎え役が準備が終わりましたらお知らせ下さい、その時にお迎えに上がりますと述べ戻ってしまった。



 慌てた北条家、仕方なく昼頃にお迎え役に知らせを走らせ呼ぶ事に、お迎え役が氏康の前に座すると、役目大儀、資晴様にはよしなにお伝え願いたと声を掛け、はじめて新婦鶴姫が姿を見せ、出立した。



『お迎え役』が先頭に立ち烏山城本丸に案内役をする、新婦鶴姫側から『送り役』の者達が姫の乗った籠を武士数人で警護し侍女達、祝儀品他嫁入り道具の長持ちを運ぶ者達、最後は殿は《しんがり》迎え役の武士数人で城に向かう、城まで徒歩15分の近距離。



 資晴の城に着くと、初日は『ご休息』と称して、鶴姫に与えられた部屋で一夜を過ごした。




 翌日二日目本番の広間では厳粛な式となった、、資晴は上座正面右側に座り緊張している中、鶴姫が案内役の侍女に連れられゆっくり広間に入り顔も下を向いており、白無垢の角隠しで見えず、ほとんど着物の塊が移動し上座正面左側に座った。




日本では平安時代ごろから結婚式に花嫁が白い衣装を身につける習慣が、白無垢には、結婚をきっかけに新しく生まれ変わるという意味と白は何色にでも染まる色、これより婚家の色に染まっていくという意味に、白い衣装が白無垢として確立されたのは室町時代とされ怒りの象徴であるつのを隠すことによって、従順でしとやかな妻に、女性は嫉妬に狂うと鬼とされ鬼になることを防ぐ意味で角を隠すとされる。




 鶴姫が着座を終え正式に『結婚の儀』が執り行こなわれる事に、ここでも珍事が三々九度を行うと理解していた北条家、しかし新郎と新婦の前には朱塗りの盃が一枚だけ、目が点になるなる中巫女から酒が注がれ順に口を付け固めの義が終了し、あっさりと終わり宴に移行した。



 ※三々九度は平安中期から徐々に広まるが大名家により取り入れていない家も多く、那須ではまだ習慣として広まっていない。



 北条家の皆々は固めの義が終了した事で既に鶴姫が嫁いだ事になったので、口出しはせずに気分を良くして両家の宴となった。



 相手は時期那須家当主資晴である、北条家に何度も進言し、新しい田植え、そして信玄を退け、数多くの金山を掘り当て、領国は実り豊かになり、石高は260万国を超える、その大恩人が鶴姫の婿になったのである、これ程嬉しい事は無く、喜びは例えようもない慶事であった。



 固めの義を終え、宴に移る中、微動だに動かぬ鶴姫、顔の表情が読めず、横にいた資晴はそっと顔を除くと目を閉じ寝りこけていた、前夜祭から何かとあり、重い白装束《重さ5キロ》に身を包み13才の少女は座ったまま寝入っていた、資晴は梅を手招きし、皆に静かにするように口に指をあて、侍女衆に布団の用意を指示し、そーっと運び出し寝かせる事にした、本来ならこの後に初夜となるが、事前に錦小路殿より初夜は当分無し、姫の身体が育つまで見送る事を伝え北条家でも理解していた、床入りの義は形式だけとする事になっていた。



 鶴姫は結局この日は起きずにぐっすりと眠った、三日目に那須家『お披露目の義』が烏山城広間で重臣達配下が参集し執り行われた。



 資晴と鶴姫は白装束から色直しをされた色鮮やかな着物に着替え、上座に座る中、筆頭家老大関より『この度は、つつがなくご結婚の儀が執り行われた由、まことにお目出度く、これにて、当家の繁栄もますますもってゆるぎなく、まことに、執着至極に存知たてまつり候、那須家万々歳であります、資晴様、鶴姫様誠におめでとうございます』と口上が述べられた、重臣達がそれに見習い一斉に誠におめでとうございます、とお祝いの言葉が掛けられ、重臣達を鶴姫に紹介し今度は那須家の宴となった。



 この三日間で婚儀の式、行事が終わる予定であったが宴の最中に忠義から資晴にある事が告げられた。



「若様この度はご結婚誠に目出度く某はこの上なく誰よりもお喜びしております、鶴姫様もどうか私忠義を御頼り下さいます様願います!!」



「うむ、忠義儂も嬉しい、忠義は儂の最初の臣下となった者である、鶴姫も遠慮なく頼るが良い!」



「忠義様、温かいお言葉を頂き嬉しゅう御座います、右も左も判らりませぬ、どうか皆様も宜しくお願い致します」



「はっはぁー、ここにいる梅も長きに渡り若様を御守りしている侍女であります、忠義同様お聞き下さい、それと若様、若様は婚儀の式に忙しく知らぬと思われますが、今城下では縁日が開かけております、多くの民が婚儀を祝うべく集まり城下の町はお祝い一色に染まっております!!」



「お~それはなんと儂の結婚を祝って縁日が開かれておるのか?」



「はい、露店の店も多く開かれ、城下の町はお祝いと称し値を下げお祭りの如く賑わっております、領民も若様と姫の婚儀をお祝いしたく縁日が昨日より開かれております、幸せという語呂から四日間行う様であります!」



「では明日も明後日も開かれるという事であるな、父上、母上、この慶事を黙って見過ごしては資晴の名折れとなります、明日皆を引連れ鶴姫と供だって領民に感謝の意を示して宜しいでしょうか?」



「領民が慶事と祝い、自ずから縁日を開き祝って頂けるとは親としてはこれほど嬉しく有難い話は無い、儂も領民に感謝の意を示そうぞ!!」



「流石父上である、鶴よ今の話を聞いたであろう、領民が二人の婚儀を祝う為に縁日を開いておる、明日皆でお礼の意を示そうぞ、忠義良くぞ教えてくれた、明日の手配を頼む、先頭は忠義が皆を率いるのだ、一豊の隊にて姫を守るのだ!!」



 烏山領民の嬉しい心意気、この三日目のお披露目は楽しい親族の宴となった、翌日式四日目に開催されている城下町で行われている縁日に領民への感謝と慰撫のお披露目を行う事にした。



資晴は夏の盆踊り、秋の豊穣祭りを初め領内を巡行する際に炊出しを行うなどの賑わう事が大好きでありこれまで数多く開催して来た、一番最初の佐竹との戦いで大津の浜を得た時に那須家で念願の塩の道が開かれた時に余りの嬉しさに祭りを開いた時の感動が、領民と一緒に楽しく行った幼い時の思い出が常にあり、何かを楽しむという事に対して誰よりも率先して行って来た、此度は領民側からの婚儀を祝う縁日を開催していると聞き感動を禁じ得なかった。



三日目の親族との宴の最中資晴の頭は既に明日の事で一杯となり、忠義、千本、福原、一豊に次々と指示を出して和田殿、佐久間殿を北条家、小田家他招待客が休憩している客殿及び控えの間に走らせた、梅にも指示を出し巫女48を出動させる事にした。



三日目の夜に資晴はまじまじと鶴姫の顔をやっと見ながら、鶴姫の事をほとんど何も知らず、幾つかの事を二人きりで話した。



「鶴よやっと二人きりとなった、よくぞ那須の資晴の元に来てくれた感謝致す、長き時を苦楽を共に歩もうぞ、那須の事はまだ何も分からぬと思うが、ゆっくりと覚えれば大丈夫である、儂も付いておる心配する必要は無い、儂に言いずらい事等あれば母上や梅を頼るのだ、きっとそなたに寄り添い守るであろう案ずる事は無いぞ!!」



「ありがとう存じます、私は幼い時に資晴様とお会いし琴を奏でたあの日の事を忘れずにいつか資晴様の元に嫁ぐのではと幼い頃よりどこかにありました、それが本当となりとても嬉しく何も不安などありませぬ、未だ幼く寝屋を共に出来ませぬ、心苦しく申し訳ありませぬ、しかしながら資晴様の後を離れぬよう付いて参ります、今少しお待ち下さい!」



「身体の事は案ずる必要は無い、数年でそなたも大人の身体になる、今やや子を授かればそなたの命を奪う恐れがある、そなたは大切な妻なのだ、労わるは当然の事である、処で鶴は馬を操る事は出来るのか? 出来れば輿に乗らず明日は城下の町を巡行したいのだが」



「駒を操る事は出来ますが、背が足りず乗る事が出来ませぬ、降りる事は出来ますがやはり介添えが必要となります」



「そうであろうな、儂もそうであった駒に乗ってしまえば操れたが乗り降りが大変であった、良し儂に考えがある明日は楽しみに巡行致そう!!」



鶴姫の身長は未だ130を少し過ぎた処であり現代の子より10cm以上は低かった、この戦国時代と現代では成人した男性も女性も比較すると共に平均10cm前後は低く、男性であれば身長160cmあれば大柄な部類に入り170もあれば大変立派な体格と言える、資晴は成長期に海の領地を得た事で海から得られる魚に恵まれ、猪、雉、鹿などの肉食にも恵まれ、それと錦小路殿より牛の乳、牛乳を飲む機会も多く身長は170程ある体躯に恵まれ立派な若武者に育っていた。



鶴姫は数ヶ月前に初潮を迎えた未だ13才という幼な妻で身体の成長期である、現代も男子より女子の方が身体が早く発育し、今が食べ盛り、女子の場合15才前後で骨端線が固まり骨の大きさがほぼ決まり身長を左右する骨の成長が治まっていく事になる、骨端線とは骨の外側、外周部分の大きさである、13才の鶴姫はまだまだ身体が大きくなる年齢と言える。 





昔は三日間も結婚式が行われたんですね。

次章「鶴と梅」になります。

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