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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
203/331

203 艦隊動く

いや~202回の連日投稿でストップになりました、お読み頂いておりました皆様これからは間隔があきますがどうぞよろしくお願いします、一回の原稿を作成するのに相当な時間とエネルギーが必要で、この期間相当気を張り詰め書いて来ました、ダイエットもしておりますが10キロ減量になりました。ハイボールの量も減り、身体には良かったかも知れません、今は作品を最後まで仕上げる事を目標にと思います。今後もお付き合いの程よろしくお願い致します。

 




「凄い、凄いぞ、幻庵様見て下され、夢を見ている様であります、浜の者達も驚いておりますぞ!! これが三家の力なのですね!!」



「儂が生きている内にこのような景色を見れるとは、まだこれは始まりぞ、もっともっと大きくなるぞ!!」



 この日、佐竹海将と小田守治大海将が相模湾の沖合で合流し、小田原の港に向け入港した、小田原の港には北条家の大船も停泊しており、三家初の艦隊が勢ぞろいした事になる。



 小田家

 3000石船1隻、1000石船5隻、500石船10隻、300石船15隻、30石戦船100隻


 北条家

 3000石船1隻、1000石船3隻、500石船 6隻、300石船10隻、30石戦船 60隻


 那須家

 1000石船2隻、500石船 4隻、300石船 4隻、30石戦船 40隻

(那須の3000石船は建造中)


 合計、3000石2隻、1000石10隻、500石20隻、300石19隻、30石戦船200隻

(30石戦船は各艦艇に搭載されている)




「某、梶原景宗かげむねと申します、北条家海軍を率いる海将であります、小田様、佐竹様、どうぞよろしくお見知りおき下さいまし!」



「梶原様ですね、お名前は伺っておりました、小田守治で御座います、どうぞよろしくお願い致します」



「私もお名前は良く存じております、佐竹義重であります、よろしくお願い申す!」



「それにしても見事でありますな、雄大と申しますか、壮麗と言いますか、これだけの数が揃うとそれだけで負ける気が致しませぬ!」



「この様になるまで小田殿のご苦労大変であった事でしょう、この佐竹頭が下がります、海の事を知っております者なれば、これがどれだけ大変な事であるか、只々感嘆するばかりです!」



「ありがとうございます、豊富な木材と1000人を超える船大工達のお陰です、造船所を作る者達も含めれば数得きれぬ者達の苦労が染み入った大船であります、三家の力があればこそであります!!」



「お二方、ささ城に参りましょう、城から眺める艦隊も凄き景色でありますぞ、殿は管領様のとろに行っておられ不在でありますが、大殿と大権現様がお待ちしております!!」



 三家の艦隊が勢ぞろいし、七日間相模の海にて艦隊としての隊列を組み旗艦に合わせ左右に動き時には一斉回頭を行い、全速、半速など湾内で調練し備えた、間もなく小田家2万、北条那須が各5千、計3万の軍勢を乗せて目的地に向け出港となる、その目的地は極秘であった。



 三家の艦隊が揃う事で北条家では艦艇用に開発した大砲を開発しており、鋳物で作られた当時最高の大砲を搭載する事にした、木砲の技術が鋳物の砲にも施され、砲内に螺旋の溝が施され、何度も調整し最適な火薬量と鉄弾を作り上げていた、弾の大きさはソフトボール程度の砲弾、球状ではなく現代の弾丸とほぼ同じ先端を丸くした円錐とし風の抵抗を弱めより遠くに飛ぶように作られた、砲内に螺旋の溝が施されている事で直進的により飛ぶ砲弾になった最新式の大砲を作り上げていた。



 三家は琉球との交易も順調に進んでおり、明へ硫黄を渡し代わりに火薬の元になる硝石を得る事で、堺から購入せずに火薬の問題をクリアし南蛮貿易で高い金を払い仕入れる必要が無くなっていた、その事で信長にも三家には火薬が豊富に無いという認識になっていた。





 ── 正親町天皇 ──





「二条を呼べ、関白の二条を呼ぶのじゃ、山科も呼ぶのじゃ!!」



 帝から呼びつけられた両名、慌てて御殿に拝殿するとそこには怒気を含めた顔の正親町天皇が座っていた。



「帝・・・帝・・・どうなされたのでありますか、些か御不快なる色をされております」



 二条晴良はるよしは一度関白になるも辞任しているがこの時は再び関白に返り咲きしていた、前関白の近衛は一度京を追放されており二条との確執も噂されている、近衛も前関白という事で信長の計らいで帰京と帝の許しがあれば拝殿をする事は出来るが、蘭奢待の一件より遠ざけられている。



「これを見よ、ついに虎の尻尾を出したぞ、キツネの尻尾を隠し、虎の尻尾を出して来たのじゃ、あれほど近衛には申していたが、信長は朝廷を見下して来た、これを如何する?」



 戦国期代表の帝と言えば正親町天皇の名が歴史物には登場する、三英傑の、信長、秀吉、家康という時代の中で一際苦労を重ね、時には極貧を味わい御所の修繕も出来ずになんとか生きながらえた帝である、永正14年《1517年》5月29日、後奈良天皇の第一皇子として生まれる。



 弘治3年《1557年》、後奈良天皇の崩御に伴って践祚した、当時、天皇や公家達は貧窮しており、即位後約2年もの間即位の礼を挙げられず、永禄2年《1559年》毛利元就・隆元父子から即位料・御服費用の献納を受けたことにより、永禄3年《1560年》1月27日に即位の礼を挙げることが出来た。



 本願寺法主、顕如も莫大な献金を行っており、天皇から門跡の称号と紫衣を与えられたそれ以後、本願寺の権勢が増したとされる。


 永禄11年《1568年》、織田信長は、正親町天皇を保護するという大義名分により、京都を制圧した、この上洛によって、皇室の危機的状況に変化が訪れた、織田信長は、逼迫していた朝廷の財政を様々な政策や自身の援助により回復させた。一方で、天皇の権威を用い、信長の敵対勢力に対する度重なる講和の勅命を実現させている。



 正親町天皇は天正元年《1573年》頃から信長にその存在を疎まれるようになる、びたび譲位を要求されたと同年12月8日の『孝親日記』に記されている、2年後には譲位後に居住する仙洞御所の予定地を探していたともされ、信長としては、儲君の誠仁親王を早く天皇にすることで、より朝廷の権威を利用しやすいものにしようという思惑があった、正親町天皇はそれを最後まで拒んだ、ちなみに本能寺の変に関する一説として朝廷関与説が浮上するのも、このような事情によるものである。(諸説あり)



 どちらにしても蘭奢待を要求した事も契機となり信長と正親町天皇との間には亀裂が生じていた、そこへ新たな要求が朝廷に伝えられた。



 信長からは宗教勢力の弱体化を狙い、紫衣は勝手に朝廷が認めてはならぬ、幕府と事前協議を行う事と五戒を犯している者には認めぬという2点を朝廷に認める様にと強要の要求であった、この事に怒りを表す帝であった。



「これは朕に対しての命令か、信長の官位をこの三月に従三位にしたのであるぞ、従三位の者が朕に要求するとは・・・・朝廷に贖うという事か?」



「落ち着いて下され、先ずは真偽のほどを確かめましょう、何の為の要求なのか、織田は確かに最近つけ上がっておりますが、朝廷の費えを出しているのも事実であります、あの者の働きで御所が修繕され、都から盗賊の類も見かけなくなりました、帝に贖うのであればそのような事は致しませぬ、ここは真偽を確かめその上で図れば宜しいかと」



「私も二条様の、関白様の言われている真偽を確かめしてから対処する事に賛意であります、どうかここは落ち着かれお勤めするのが宜しいかと、それと五戒の件と紫衣が本当であれば五摂家と参議の皆にて話し合わねばなりませぬ、たとえ帝とて勝手に先例を超えての判断は出来ませぬ!!」



「山科言う事最もである、朕は真偽が判らぬうちは何も応えぬ、それで良いな!!」



「それで問題ありませぬ!!」



 朝廷とは物事を解決する機関ではなく命を下す機関と言える、困った事が持ち上がれば参議に諮り意見を述べ合うも答えが出るまでに、相当時間もかかり、献金が有る、無いで答えも変わる、誠にしたたかな所と言える、帝だけの意見が通る世界ではない。



 五戒は各宗派の問題であり、紫衣は朝廷の特権であり介入はあってはならない話と言えた、この件は暫く持ち越しとなって行く。






 ── 南部対津軽安東家 ──




 最上、伊達、南部が織田信長の要請を受け、南部は現在の青森県津軽半島に向け進軍を開始した、この時代の津軽半島は正面から見て北側と東側一隊は未開拓の地が多く半島としては大きいがここを抑える事で日本海側の津軽半島の西側から北にある十三湖一帯の繁栄した津軽安東家の支配地に向け進軍が行える。



 南部家の歴史は古く甲斐武田家とは同じ系統の家と言える戦国期の南部家は織田信長とも誼を通じ1570年代から1592年が最大に勢力を伸ばした時と言えよう、1575年時点の居城は三戸になる、その後1598年天正18年《1592年》に盛岡城が築城され居城となる。


 三戸から盛岡に移った理由は、1592年に豊臣秀吉によって岩手・紫波・稗貫《花巻市》の3郡を正式に与えられ領土が南に広がり、九戸政実くのへまさざねの居城であった福岡城(九戸城を改称)に本拠を移し、さらに蒲生氏郷がもううじさと浅野長政あさのながまさらのすすめによって不来方こずかた(こずかた)の地に築城した、これが盛岡城である。



 この時点の南部家は東北の北側の覇者とも言える、信長の様に従い、最上の策を利用し津軽半島に進軍を開始し油川《青森市》出前で、津軽安東家の本拠地に向けての入り口で大軍と遭遇する事に驚く事に。



 油川宿場《現青森市》は奥州街道と羽州街道の交差する宿場であり、油川又は現青森市から津軽半島の海岸通りを進む道を松前街道と呼ばれ当時の主要な場所でありここを抑えるかで戦況が変わる、津軽安東家としても先にこの場所を抑える事に陣地構築を南部が来る前に成していた。



 南部の軍勢は9千の大軍、津軽安東家は先の蝦夷での那須家との戦いで兵を減らしており、全兵力6千、そこへ那須資晴1万と那須ナヨロシクが1千の兵を引連れ援軍として駆け付けた、油川宿場には数得きれぬ軍勢で南部家を待ち構え驚かせたのである。




「物見より報告、敵の津軽安東家、油川に陣を築き待ち構えております、那須家の旗多数あり、、軍勢の数多く油川の宿場全体に兵がおります!」



「なんだと那須の旗があるだと、那須は相馬では無いのか、なぜここにいる!?」




「津軽安東家の使者が参ります!」



「使者からの文です!!」



 使者から渡された文には、南部家当主信直に取ってそこには恐ろしい事が書かれていた。



「なんと・・・本当か? 約定まで交わした最上が・・・」



 顔色を一気に変える南部信直、そこに書かれていた内容は、最上が南部領に攻め入っている、ここで我ら津軽安東家と那須を相手に戦うか、それとも油川の地を譲り無難に撤退するかを迫る文であった。




「十兵衛、我らはどうすれば良い、安東愛季ちかすえ殿もお困りである、戦をするは問題無いが、蝦夷で我らと戦った事でこれ以上兵の損耗はきついとの事じゃ、かといって我らが正面に出て戦えば安東殿の面目は失う事になる、良い策はないかのう?」



「一つだけあります、通じるかも知れませぬが、通じぬ場合は戦になります、相手の南部がどう受け止めるかで御座います!」



「どんな手じゃ、どうすれば良い?」



「敵を騙し、撤退させます!!」



「騙すとは十兵衛?」



「嘘の事が書かれた文を渡します、まず南部家は慣れ等の兵数を見て驚くかと、驚いた事を利用し嘘の文を渡します」



「うむ、それでその嘘とは?」



「此度の敵は最上と伊達と南部であります、伊達は相馬に攻め入り、資胤様が対応されております、大田原殿話では最上はまだ動いてないとの話でした、そこで文には南部領が留守となり、最上は南部に攻め入っていると文に書くのです!!」



「お~それは面白い、どうであるか安東殿?」



「たった一枚の文で信じましょうか?」



「確かにそうだのう、それで撤退すればこんな簡単な事はないのう、しかし驚く事は間違いないのう、儂が南部だったらどう判断するかのう? もう一つ真実味が必要かも知れぬのう、もう一つ何かないかのう?」



「皆も考えよ、あと一工夫じゃ!!」



「若様宜しいでしょうか?」



「うむ、女子の出る幕では無いが、儂が許す、梅なにか良い案はあるのか?」



「どうせなら、ついでにこの地、油川の宿場町を要求してはどうですか、ついでに脅し取れば良いかと?」



「はっ、戦をして獲れと言うのか?」



「違います、このまま撤退するなら、この油川の地を安東家に譲れば見逃してやると文に書くのです、そうすれば、宿場町一つを放棄するだけで、南部も安心して帰れます、今は敵対しているので帰る場合撤退戦となれば被害が甚大になると判断し、中々帰る決断が出来ませぬ、背中を押してあげるのです、宿場町と交換で!!」



「なななんと・・・敵を帰らせこの繁盛している宿場の町を分捕るというのか・・・どうじゃ十兵衛、安東殿如何に思う?」



「この町は街道が交わる宿場であります、安東家に取って喉から欲しい所になります!!」



「南部家は確か居城は三戸でありましたな、ここから十和田を抜け35里という距離でありましたな、街道があるとは言え隘路の山道もあり、ここに来るまで大変であったかと、撤退に移れば甚大な被害は覚悟せねばなりませぬ、梅殿が言われた宿場町との交換で安心して帰れるとなれば応じるやも知れませぬぞ!! 若、これは妙案かも知れませぬ、帰れば儲けものです!!」



「十兵衛もそういうのであれば試しにやってみよう、陣を、布陣をしっかり敷き何時でも襲えるようにしておくのだ、相手に見抜かれてはならぬ、文は儂が書くと致す!」




 文を読み、軍議が開かれる南部本陣。



「皆はどう思う、最上が我らの領地に攻め入っているとの話を信じるか?」



「正直判りませぬが、このまま津軽安東を攻め入っても相当な覚悟が必要となります、敵の方が兵数が多いのです、それも相手は那須になりました、あれほど多くの軍勢が援軍として来るとは何も聞いておりませぬ、最初から那須が来ると判っておれば我らはここまで来ておりませぬ!」



「では我らは嵌められたのか?」



「判りませぬが、この状態をみれば嵌められたとしか思えませぬ、最上は前々から何度も領内に攻め入っております、我らを遠くに追いやり隙を突いたとて不思議ではありませぬ!」



「では撤退とした場合、油川の宿場は渡す事になるぞ、それはどうなのだ?」



「南部に取って一番端の宿場です、最上に領内を荒らされるより被害はありませぬ、殿が不在の間に乱取りでもされたら取り返しが尽きませぬ、ここは一日も早く戻らねばなりませぬ、そして我らの軍勢が無傷で戻れる事が最善であります、最上と戦うとなれば兵を減らしてはなりませぬ!」



「確かにそうじゃ、我らがここで戦っても得る物が無い、無傷で帰るだけでもしめたものじゃ、急ぎこの話を、そちが纏めよ、口約束では駄目じゃ、約定を交わして来るのだ!!」






 ── 艦隊動く ──




 加賀で激しい合戦が行われる中、信忠が全軍の指揮を執った事で鉄砲隊5000の活躍もあり上杉軍を大聖寺城から追い出し、上杉軍は手取川まで陣を引く事になり、北条家と那須家も参戦する事になり史実同じ手取川合戦が行われる事に、信忠が上杉軍を追いやった事で信長が5000の親衛隊を率いて織田軍本陣に合流した、信長が動いた事を確認し、軍師玲子から授かった大きい一手が、小田守治が王手を打つ為に小田原から三家連合艦隊が出航した。



 3万の兵を乗せ初の三家連合艦隊の出航となる。




次章「大手」になります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 いろいろと盛り上がってまいりました。 [一言] ハイボール美味しいですよね。 202回の連日投稿とは驚きです。 とにかくご自愛くださいませ!
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