200 加賀
短編になります、お許しを!!
横並びに越前《福井県》、加賀《石川県南部》、越中《富山県》、越後《新潟県》、そして能登半島《石川県北部》で現代の4県になる、北陸4県又は新潟を除いて北陸3県という呼称で表現される、何故新潟が除かれるのか? 正直理解に苦しむが、戦国期以前より越後を除く3県は京文化の影響が色濃く、そのような文化圏という事もあるようだ、正直なところよく判らない、しかし、越前から越後まで地続きであり越前が織田側の柴田であり、越中、越後は上杉という領地となっていれば自然と能登半島を領地に<、支配下に置く事は全く不思議な話ではない。
その能登半島七尾城は上杉に包囲されており、織田側が能登を獲る場合、加賀に攻め入り能登に向け進軍する以外方法は無かった、織田信長が天下取りを目指す以上、足利義昭を信奉する上杉謙信とぶつかる事は避けて通れない関門となる。
加賀と言えば前田利家を浮かべる方も多い、越後以外を織田家の支配下にした際に能登を前田利家に、その後、秀吉に従属した事で越中と加賀を与えられる、一言で加賀百万石と言えば前田家の事であり前田利家と言える。
戦国期1598年の石高、越前50万石、加賀36万石、越中38万石、越後39万石、能登21万石とされており、北陸の石高は184万石と巨大である、何故石高が高いのか? 冬にしっかりと積雪があり豊潤な水に恵まれ、夏もしっかり気温が高いと言う米を育てる環境に恵まれている点が石高に反映されている、現代でも新潟の南魚沼産のコシヒカリと言えば日本一のブランド米であり同じ品種の米とは別格に評される、北陸の米で作られる酒は通には堪らない酒となる。
余談だが、今から20年以上も前に、東京から態々新潟に出かけ日本酒を20本程買いに出かけた事がある、東京で買えば1本1万前後の酒が現地では2千円以内で買えるとなれば、若気の至りである、家に帰り押入に酒を20本入れた所で夫婦喧嘩となった良き思い出でがある。
間もなくここに加賀大戦が始まるこの時に資晴の全くの予想外の所で火種が燻り始めていた、それを先導したのは伊達家であり、それに答えた家は最上家となる、伊達、最上に影響され揺れ動く南部家が生き残る戦いを開始せざるを得なくなる事に。
加賀での織田家と上杉家の大戦は東側を巻き込む戦に発展する事に、那須家は嵐のど真中に、中心の家となる事に、史実では無かった戦が起こる事に。
本日はここまでの短編となる。お許しください。
那須家の戦いは別方向にも広がる気配あり、当主資胤の大戦か?
次章「軸」になります。




