199 苦悩
織田信長が天下人一歩手前までなれた特徴に戦い方に、他の大名とは違う特徴がある、信長は合理的に物事を捉え旧習に縛られず、新しい物を好む特徴が戦にも表れている、その一つが大量の鉄砲を使用した武将と言える、そして信玄、謙信とは違い敵勢力より多くの兵を用意し、圧倒的な物量で戦を行う、それと長年戦続きの織田家では家臣団もそれぞれが信長の影響で先鋭化されており一国一城の大名の力を充分持っている、一言でいえば人材が揃っているという点が天下人手前まで行き付けた理由であろう。
信忠率いる本軍3万が一ヶ月程進軍開始が遅れた理由に、敵勢力に三家が参戦した事で手厚い軍備を整える必要があった、手厚い軍備とは5000丁の鉄砲である、織田家以外にも周辺諸国の大名にも鉄砲を供出させ今井宗久を使い玉薬を用意するのに時間を要した。
「殿、滝川様から文が届きました!」
「うむ・・・成程、読めたぞ、これが奴らの力の根幹であるか、五郎左を呼べ、丹羽の呼ぶのじゃ!」
「殿お呼びでしょうか?」
「滝川から来た文じゃ、読んで見よ!!」
「・・・滝川殿の手の者が調べ上げた訳でありますな!」
「あ奴の手元には忍びがおるから調べ上げたのであろう、流石滝川である、それと五郎左を残しておいて正解だった、敵の騎馬の動きを封じる為に、河原者を雇い馬防柵を作るのじゃ、騎馬の動きを封じれば那須の力は半減する、銭は惜しみなく使え、河原者を多く集め策を設置するのだ、信忠が向かう前に出立せよ!」
滝川一益の家系は甲賀出身であり、本人は忍びでは無いが多くの甲賀衆を抱え諜報には優れた武将である、上杉側に三家が加わり、攻撃の要と思われる那須と北条を探り、特に近年急に大きくなった那須の戦力を調べ上げた、そこには騎馬をどこよりも多数所持し多くの騎馬隊を戦で用いていると報告されていた。
この報告は半分は正解であるが肝心の弓については触れていなかった、五峰弓は外見を見るだけでは小型の弓として映らない、狩猟用の弓と判断されてしまう事が幸いであったと言える。
── 艦隊 ──
「良し、小田原に向け出港じゃ! 銅鑼を打ち鳴らせ!! 那須海軍の出港じゃ!!!」
織田信忠が率いる織田家本軍が岐阜を出発した頃、那須大津浜から佐竹海将が率いる那須海軍が小田原に向け出港した、1000石船2隻、500石船4隻、300石船4隻と30石の小型戦船40隻を搭載し、陸で戦う5000の兵を乗せ出港した、同じ頃常陸、小田家、小田守治が三家の大海将として小田海軍を引き連れ小田原に向け出港した、小田海軍の陣容は、旗艦3000石船1隻、1000石船5隻、500石船10隻、300石船15隻、それ30石の戦船100隻を搭載し、兵員2万を搭乗しての大艦隊を率いての陣容で出港した。
小田家はこの時、日ノ本一の海軍と言って良い、何年も前から資晴から何れ大海戦が起こる事を知らされ、先駆けて海軍士官学校を作り、明船を模した戦船を造る造船ドックを幾つも作り、3000石という巨大な艦船も完成させていた、船を造っては那須と北条に引き渡し、北条家でも士官学校と造船ドックを作り、那須の大津でも大船作りが始まった、ここに初の三家連合艦隊が小田原に集結する事になる。
── 苦悩 ──
遡る事二ヶ月ほど前。
「痛い、痛い、痛ててて、ダメでちゅ、パパの指を痛てて、噛むのやめてくれる那美ちゃん、パパを虐めないで!!」
「最近何でも甘噛みするのよ、バナナも噛んで食べれるから、前歯が生えて来たから噛みつかれると本当に痛いのよ、これで私が痛いって言ったの本当だったでしょう!!」
「いや~これ程痛いとは、それも笑いながら噛んでますよ、痛いのを面白がって噛んでいます、もう少しで指が切れるかと思いました」
「面白がってやるから、なんか小悪魔になってますね!」
「ミルクからそこそこ固い離乳食になって沢山食べるから睡眠時間も長くなったから助かっているけど、これからはどんどん目が離せなくなるから、ハイハイも速いし、サークルの中に入れとけば、出せってアピールも凄いし、子供を育てるって本当に大変だってやっと理解出来たよ」
「女の子は男の子より幼少時は成長も速いって言いますから、育児保育の勉強で今が赤ちゃんの天才期って時期だそうだから、一番色んな事を覚える時期って言っていたから、本能的に噛んで学んでいるから、成長している証拠ですね!」
「あっ那美がもう寝てます(笑)」
「ご飯を食べて洋一さんの指を噛んで満足したのよ(笑)」
「寝ている内に那須の事ちょっと話しておきましょう、洋一さん、ちょっとこの地図を見て、それと史実で無かった大戦が始まるけど、年表のこれを見て欲しいの!」
「先ず年表ね、史実だと信玄が亡くなって、勝頼が当主となって1575年に武田家と織田徳川連合軍で長篠の戦いがあるでしょう、結果これで敗れた武田家は衰退して滅亡に繋がる有名な長篠の戦いね、でも今の武田家は太郎になって長篠の戦いは起きていない、肝心な事をここで言うよ、史実で起きた長篠の戦いの時機と今回の織田家との大戦の時機が全く一致しているの、同じ年の同じ月に起きているの、これをどう読み解くかが問題なの?」
「え~なんですって、玲子さんそれは本当ですか、信玄が亡くなって、もう関係無いと思っていましたが、その影響がまだ残っているという事ですか?」
「残っているというより、増幅しているって表現が正しいかも!!」
「・・・・・」
「正太郎達・・いや資晴達は大丈夫なんですか? 長篠の戦いで信長は圧勝していますよね、資晴達が負けて、史実と同じ結果になりませんか?」
「これが歴史の修正力って事で言えば大敗するよね、信長の圧勝で終わるよね、私もそう思うの!」
「ちょっと勘弁して下さいよ玲子さん、やっとここまで来たんです、ここで大敗したら信長の天下となって戦国は終わります、十兵衛も那須にいるから本能寺も無いでしょうから、信長の独裁国家になって、どこかの国みたいに危ない国になってしまいます、私達夫婦にも責任が及びます!!」
「あのね、だれが負けるって言ったの、このまま行けばそうなるかもって話よ、だからならない様に、その為に私がいるのよ!!!」
「えっ、じゃー何か良い案があると言うのですか?」
「たった一つだけ、貴重な存在がこの日ノ本にはあったの、それを使う事したの、信長相手に通じる手なんですね!!」
「まあーもう一人調子に乗せて使う予定よ、その者なら簡単に誘いに乗るから心配ないけど、先ず貴重な存在を動かすには、この地図のここを抑えるのよ、そうすればそれを使う事が出来るから!!」
「調子に乗らせて使う者って、義昭ですか?」
「あ~忘れてたわ、まだ毛利にいたんだね、使い道は・・・・無いね、使うとややこしいから、毛利にずーっと預かって頂きましょう!!」
「詳しい話を順序だてて話す~資晴に伝えてね!!」
史実で行われた長篠の合戦が全く違う形で行われる事を察知した玲子、歴史の修正力が違う形で、補う形で表れたと読み取った、但し史実では信長の圧勝となり武田家は滅亡に向かう、それと同じ事に成らない様に大きい一手を作り出す事で那須側《四家側》の大敗を防ぐ軍略を作り出した玲子、そしてこの戦にもう一人苦悩する武将がいた、徳川家康である。
「困ったのう、正信、如何すれば良い、我が家は両家に従属している家ぞ、両家が戦となった場合どうすれば良いのか、戦が終わった後に災いが襲い掛かるぞ!!」
「いや、これは本当に困りました、片方に付けば敵側に通じと思われ矛先が来ます・・・・蝙蝠外交と疑いがかけられます、一番しては成らぬ事です!」
「それは儂も充分承知している、織田殿は兵5000を送れと言って来ておるのだ、どうすれば良い!!」
「それとあの槍馬鹿が使者が来た時にあろう事か使者が忠勝にこの事を話したのじゃ、忠勝が絶対に行くと申して調練を始めたのじゃ、どうすれば良い!!」
「あの槍馬鹿が、使者も使者でありますな、いや困りました、どう致せば丸く収まるのやら!」
「銭で治まる話なら銭でも何でも用意するが、なんか良い方法は無いものかのう!!」
「今の銭でも何でも用意する話、本当でありますか?」
「おう、この際、解決するなら出費も仕方無しじゃ!!」
「殿が皆から吝嗇守銭奴と言われておりますからてっきり勘違いしておりました、出費も仕方なしという事であれば解決する方法がありますぞ!!」
「誰が儂の事を吝嗇守銭奴と申しておるのだ、許せん話であるな!!」
「では評定の場で聞いて見て下され、皆が殿を吝嗇と思っておりますぞ!!」
「・・・・まあ良い、で解決策とはなんじゃ?」
「織田様には信玄と戦った時に佐久間殿が3000の援軍を寄こしてくれております、ですから今回5000ではなく3000の兵を送りましょう、それも年寄が多い老兵を送るのです、織田様は3000で我慢してくれます、それと老兵であれば先陣には使いませぬ、控えの兵となりましょう、さすればその者達も生還できる可能性があります、これでどうでしょうか?」
「確かにそれで良いかも知れぬ、しかし北条殿にはどう対応するのだ?」
「北条様には一応の事情を説明し、戦う気が無いので戦力外の老兵3000は送った事を話、我ら徳川の苦しい事情を知って頂き、代わりに兵糧を送ります、北条家は我らに援軍など求めませぬ、争う意思が無いと言う意味で兵糧であれば受け取りましょう、如何でありますか?」
「織田殿にこちらの苦しい事情など説明しても首を切られるだけであるが、北条殿なら話が通じると読んだのだな! う~なんとかそれで行けるかも知れぬな、正信では兵糧はどれ程送れば良いかのう、100俵程であろうか?」
「殿、殿は北条とも戦をしたいのですか、だから皆から吝嗇守銭奴と言われるのです、100俵では戦になります、相手を馬鹿にしておりますぞ!!怒」
「済まぬ、幼少時からずっーと質となっておったので倹約が染み付いておるのじゃ、ではどれ程用意すれば良いのじゃ?」
「では格上の北条様に兵糧を送るとなれば蝙蝠外交と見られず戦後に鉾が向かわぬ様にするにはそうですな、米5000俵辺りが妥当でありますな!!!」
バタン・・・・・
「殿、殿・・・・医者じゃ、医者を呼べ、殿が倒れた!!!」
徳川家は織田家と北条家に属する立場となっており、その両者が争えば当然どちらか側に付かねばならなくなる日和見で都合の良い方に付くなどすれば敵と見なされる、織田家には3000の兵を送り恩返しを行い、北条家には事情を説明し争う気は無いとしその証拠に兵糧を送る事にした、北条家には使者として本多正信が行く事になった、徳川家には外交に向く配下が少なく、律義者で頑固者の集まりである。
家康がケチなのは現代でも知れ渡っている、そもそも家康の家臣団が律義者過ぎており、戦功を得る事に遠慮があり、石高を増やすなら他の者に手厚く与え、徳川の家を充実して頂きたいと言う思いが強くあり、自分の俸禄より新たに召し抱えた者へ配慮し家の力を付けるという家の存続を第一とした。
家康が天下を獲り、これまで支えた者への俸禄が少ない理由に、それまでの苦悩と苦労があり、折角取れた天下を手放す事無く永遠に続けたいと言う切なる理由が根底にあると言われている。
現代の日本でこんな逸話が残っている、愛知の県民性はケチであり他の県とは違う、しかし、しっかりと貯め込んでいる、その証拠に昭和34年に襲った伊勢湾台風で甚大な被害を受けた愛知県は真先に蘇った、県民が貯めていた貯蓄を使いどこよりも早く家を建て直したという。
(諸説あり、私の叔父より何度も聞いた話である(笑))
兎にも角にも徳川家は両側の敵に成らぬ様に苦悩し正信は北条家に訪れた。
「どうか、そのような理由にて、我が徳川家の苦衷を察し願いたい、他意はありませぬ!!」
「前回も苦衷であったのう、我らが掛川に攻めた際は武田と一緒に攻めており、最近は奥方の姦計を伝え、徳川家を救っておる、そして此度は織田と我らに挟まれ困っていると、毎回毎回、面倒な話を持って来るのう、さっぱりした話はないのか?」
「申し訳ありませぬ、どうか我らに他意なく敵対したい訳ではありませぬ、戦後の鉾を向けぬ様お願い致します!」
「父上、幻庵様如何なされますか?」
「どうなされますかと言われても、織田と縁を切る事は出来ぬのか?」
「今直ぐには中々、これまでの経緯もあり、殿はそれなりに恩を受けておりますれば・・・であります」
「儂はどうでも良いぞ、今更徳川が我らに矛先は向けぬであろう、今回は仕方ないと受け止めようぞ! 氏康はどうする、その方が決めよ!!」
「幻庵様がそうであれば・・・話は変わるが本多殿、家康殿は奥方と別れたのであるな?」
「はい、お陰様で寝首を掻かれずに済みました、離縁し徳川家より放逐致しました」
「・・・であれば、戦が終わった後で一向に構わぬのだが・・・はどうであろうか? 難しい話であろうか? お主も、その経緯は知っておろう、何かと不憫であり、家康殿であればと思うて思うのだが、その方はどう思う?」
「なんと、我らも殿を思えば不憫でなりませぬ、あのような事になり、しかし、それが実現するのであればこの上ない喜びとなりましょう!」
「ではこの事、我らの秘事とし、なんとか致そうでは無いか、のう本多殿、兵糧の件は承った、それで良いな氏政!」
「私も父上の案に賛成であります、是非実現したいものであります!!」
三家の連合艦隊、面白そうですね、戦好きの方には堪らない展開かも知れませんね。
次章「加賀」になります。




