192 政と大交易
── 蘆名家《会津蘆名》 ──
蘆名氏は、三浦氏から興った氏族、相模国三浦郡蘆名の地名に由来する、相模蘆名氏と会津蘆名氏の二つの系統が存在する、会津蘆名の由縁は文治5年(1189年)、奥州合戦の功により、三浦義明の七男・佐原義連に会津が与えられた、しかし蘆名氏は一族猪苗代氏をはじめとする家臣の統制に苦慮し、さらに盛氏の晩年には後継者問題も発生、そのため天正8年(1580年)、盛氏の死とともに蘆名氏は次第に衰え始める。天正17年(1589年)、奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで大敗した蘆名義広は常陸に逃走し、蘆名氏は没落その後家系は断絶して蘆名氏は滅亡した。
軍師玲子からの史実で蘆名が滅亡する事は以前より知っていた資晴、会津の地で過酷な飢饉が3年連続起きた事で那須が莫大な食料を調達し会津領内の民に施した事で蘆名家は那須に臣従した、現当主の蘆名 盛氏の息子、第十七代当主、蘆名 盛興は若い頃より酒を嗜み政に精を出さず酒に溺れ酒毒に身体を犯され当主として責を果たせず、結局父の盛氏が院政を図り家を保たせ、その間に那須家の次男竹太郎と元服した際に養子に迎え蘆名家の存続を図る事になった。
会津蘆名家の石高は28万石の大家であり、近隣には二本松氏、相馬氏、岩城氏、三春の田村氏となる、田村氏とは後に竹太郎の正室として姫を娶る事になっている、田村氏の石高は3万石と比較的小さいが相馬氏と同盟に近い親しい関係を築いており田村が蘆名の与力になる約束が出来上がり、自然と相馬氏も蘆名側に来る事になる、なにゆえ親しい関係なのか田村の現当主、清顕の正室は相馬家、先代当主、相馬 顕胤の娘於北であり、第十五代現当主、相馬 盛胤の妹が於北であり相馬家の親族衆が田村家という関係であったゆえである、相馬家の石高は6万石となる。
奥州では蘆名家が那須に臣従した事で蘆名に手を出す家が無くなり小競り合いはあるものの不気味なほど静かな時を迎えていた、その中で伊達家、最上家、南部家の三家が近隣の隙を狙い領地拡大の手を密かに打っていた、三家とも主に他家を引き込もうと調略の手をいろいろと伸ばしていた、三家以外にも大崎氏、葛西氏などもいるが、代表的な、その三家も竹太郎の元服式に招待され迎賓されていた、これは資晴の計であり罠でもあった。
── 大交易会談 ──
元服を二日後に控え資晴主催の交易についてのプレゼンが行われた、招待された大名は海に面した家で交易と密接な家を招待した、資晴の考えは戦で富を得る事の愚かさを露呈させる事ともはやその様な無益な事で争う時では無いと言う事、そして最大の目的は東日本を交易と言う力で纏める事にあった。
何れ来る大戦後にここにいる多くの家が史実では改易され滅亡する、残る家も無理やり養子を強要され血は断絶され名前だけが残るだけである、それを知る資晴は交易の富を持って各家が繁栄し備える事に着手する為に竹武郎の元服式を利用した。
大交易会談は那須家主催であり後見の家として管領上杉家、北条家、小田家というビック4の名を持って開催する事で各家に強烈なプレッシャーを与え、邪な考えを持つ家を抑えその者達をも輪の中に引き込もうとしたのである。
「那須資晴であります、この度は弟の元服式にお越し下さり御礼申し上げます、本日はご案内しておりました交易についての大切な話を皆様と行いたいと希望し時間を頂きました、ここには上杉家、北条家、小田家、岩城家、相馬家、伊達家、南部家、津軽安東家、蝦夷の那須ナヨロシク様、最上家の皆様になります、又本日は余りにも遠きになる為来られませぬがこの話には琉球の国も参加されます」
資晴から語られる草々たる家々のメンバーに緊張感が漂う中さらに説明は続く。
「こちらの大地図を見て下され、これが我らの日ノ本の国全図となります」
(約80%程正しい略図、但しこの時代のどの地図よりも正確と言える)
地図を見て驚く一同、誰もが知る地図とは比べ物には成らない代物であり正確である事が一目瞭然の地図に感嘆の声を上げた。
「我らの三家の那須、北条様、小田様の処にて交易用の大船を作り交易を行う事は決定しております、北はこの蝦夷から遠くの琉球まで日ノ本を一周する交易を行います、今後は毎月毎月と更に進めば隔週と各領国の港に交易の品を積み皆様の港に入港致します、それと何れ南蛮の品も我らが直接扱う事になります、ここまでの話でお聞きしたい事がありましたらどのような事でもお聞き下され、検討しなくては成らぬ事も出て来ましょう」
「某伊達より、この地図はどうされたのでしょうか、初めて見ます、日ノ本の国はこの様になっておるのですね、某は全ての話に驚いております」
「皆様は地図の意味をどれだけ大切かを知っている方達です、戦をする上で敵の地が書かれている地図は手が出るほど欲しい物であり貴重な物になります、しかし、交易にも必ず地図は必要な物なのでお見せ致しております、この地図を差し上げるには条件がありますが、条件が整えば写しを差し上げる事は差し支えありませぬ」
「交易についてもう少し説明をお願いします」
「では先ず交易の船が日ノ本全体を大きく一周する形で各領国の港に行く事頃までは宜しいですね、では交易を行うには各地の荷を集め集積し必要な品に移し替え注文された品を届ける事になります、又、外海を走る為、嵐を回避し安全を図る必要があります、そこで今はこの東国の皆様の国は問題ありませぬが西国は戦乱の中でありますので集積の場は設ける事が危険であり除外します」
「集積の場は数ヵ所は必要になります、明朝鮮側の日本海の海では、この津軽安東家の十三港と佐渡の島になります、こちら東側の海では那須の大津、常陸の霞の浦又は安房、そして北条様の小田原になるかと思われます、ただこれだけでは足りぬと考えております、何れ増やす方向となりましょう、集積の場に日ノ本全体から品が集まります、膨大な品になりましょう、皆様の国の産物も扱います、それらを売り、品を買い、領内に売る事になり富が増え、領民の暮らしも豊かになって行きます」
「那須のこの烏山を見れば如何に富み、その富が領民に行き渡っているかを確認出来ます、我らの三家では民百姓の領民であっても砂糖の菓子を食する事が出来ます、皆様の領内で砂糖菓子という高価な菓子を領民が食する事は出来ておりましょうか?」
「今は中々砂糖が入りませぬ、領民に行き渡る等本当の事でしょうか?」
「では皆様に良い品を教え致しましょう、梅皆様にあれを差し上げて!!」
梅が小皿にぺト二の砂糖汁を注ぎ渡した、訝しる一同。
「それを舐めて見て下され、砂糖の汁になります!」
恐る恐る舐める中、顔色を変え安堵する一同。
「どうですか、砂糖の甘い汁で御座いましたでしょう、それはここに居ります義兄の那須ナヨロシクの蝦夷で取れます砂糖の甘い汁なのです、蝦夷地ではこれが主な交易の品になりましょう、他にも蝦夷からは干した塩鱈は酒飲みに取っては堪らない品となりましょう夕餉の一献でお出ししますのでご賞味下さい、それと我ら三家では既に砂糖づくりに着手しております、まだ三家分しかありませぬが何れ増産され交易の品に致します、この様に色々な必要とされる品を交易して行くのです」
「失礼ですが、我らは三家に益を取られる事になりませぬか?」
「そうですね、領国で殖産を奨励せずに品を買うだけでは富めませぬ、益を得られませぬ、そこは知恵を使い品を領内で作るしかありませぬ、それが政であります、戦で頭を使い大切な兵と領民を失う事より政で領内を富める事に頭を使うのです、それが律令の第一歩になります」
「それと交易の船は三家で作りました外海の波に耐えれる新しい船であります、操船する者は特別な調練をした者になります、そこで船が増える事、定期的に操船者を交代させる必要から多くの海賊衆が必要となります、皆様の家でその船の操船に出しても良いという者をお出し下さい、その者達は何れ皆様達の船の操船者ともなりましょう」
那須資晴からのプレゼンに、その規模に驚き交易で富める話に興味が湧く大名家達、大小の差はともかく他家が領地を取る為に戦を仕掛けて来ない事が一番であり家が存続出来るという事が保証されるならどの家も天下など狙っておらずこの世を謳歌したいのが本音であろう、謳歌出来ないから争うという逆転の世界が戦国時代だ。
「凡その事は理解出来ました、最初に話されました地図を含めて条件とは何でありましょうか?」
「今は海の地をお持ちの家の皆様と話しておりますが、内陸に居ります家々のお方がこれでは参加出来ませぬ、そこで交易に参加したい家には近くの港をお持ちの家が関税無しで通行利用させる事、各港に入る交易の船にも税は無しとなります、そして参加するには不戦を誓って頂きます、戦があればその地域全体の交易が出来なくなります、参加している我らが迷惑を被りますので不戦を誓って頂きます、それが絶対条件となります」
「不戦という事であれば今行われている戦はどうなるのでしょう?」
「戦では益が無い事は皆様も理解している事でしょう、敵がいるから、敵が攻めて来るから、相手にしてもそれは同じです、交易とはその様な事をする必要が無い、むしろ戦を行えば領内は益々困窮に向かい重税となります、戦をしているのであれば早々と和議を結び、交易に参加出来る事を願います」
話を一通り終えた処で管領殿が一言危険な事を宣言してプレゼンが終了した。
「儂の交易を邪魔建てして戦を何時までも行っている家は儂が潰す、資晴はこの大交易を推し進めよ、日ノ本初の大仕事となる!!」
プレゼンが終わり散会し頭を抱える家、ニヤニヤと笑う家、魑魅魍魎とした戦国、二日目に次男竹太郎の元服式を迎えた、資晴の時は猶子になれず、今度は竹太郎を猶子ねじ込んだ上杉謙信である、謙信は謙信で着々と地固めを遠慮なく行っている、これも戦国という事である。
遡る事数ヶ月前、田村が強引に竹太郎の正室に田村の姫を娶る事になった事で一計を考えた資晴。
「父上、烏帽子親は、竹太郎の烏帽子親は決まりましたでしょうか?」
「些か心当たりはあるがまだこちらから打診はしておらぬ、だれか良い方はおるかのう? 管領殿は猶子で話が来ておるので無理であるぞ!」
「竹太郎は蘆名を継ぎますが、那須の家から見ますと奥州との最前線の家になります、竹太郎を守る家は恐らく田村と相馬になります、田村は別としても相馬は蘆名家の盾であり鉾になる家にしなければなりませぬ、そこで相馬をより蘆名に近づけたいと思いますが如何でしょうか?」
「あっはははは、よう考えたのう相馬に烏帽子親を頼むという事じゃな、烏帽子親は仮親じゃ、仮親が危ない時には蘆名も那須もいるぞという事で伊達を抑えようと言うのじゃな!!」
「流石父上です、如何でしょうか?」
「面白く良い案であろう、田村のあの頑固爺に花を持たせ使者として相馬家に行って頂こう、こうして見ると田村家とは石高以上に重みのある家であるな!!」
「昔を辿れば征夷代将軍の家であります、武士の天下人を出した家であります、これ以上の箔はありませぬ!!」
後日この相馬家で竹太郎の烏帽子親を現当主相馬盛胤に依頼する為に田村清顕が訪れた。
「今日はどうされましたか叔父上」
「実は良い話を持って来たのじゃ、相馬家安泰の話である!!」
「我が家が安泰になる話でありますか?」
「先ずはお聞きあれ、那須家の次男竹太郎殿が5月に元服をする話と招誘いの文が相馬家にも届いていると思うが、元服を終え会津蘆名の家に那須家の次男竹太郎殿が養子に入り家を継ぐ事は承知していると思う、その養子に入る竹太郎殿には何れ儂の娘である愛姫娶り正室になる、そちにとっても姪っ子が会津蘆名の正室になるのじゃ!!」
「そこでじゃ、此度持って来た相馬家安泰の話とは元服式でそなたが烏帽子親となる話を土産にもって来たのよ!!」
「なんとそれは本当でありますか叔父上!?」
「凄い話じゃぞ、元服の式には錚々《そうそう》たるお家が来られる、管領家を初め北条家、小田家、そして会津蘆名家の近隣諸国が一同来られる、その中で烏帽子親となるのである、それと竹太郎殿は管領家の猶子ともなると聞いた、相馬家がある意味管領家とも通じる事になる、どうじゃ凄い話であろう!!」
「凄し話ではありますが、そのような大役某出来ましょうか? 話を聞くだけで身震いがしますぞ!!」
「な~に、酒を一杯ひっかけて烏帽子を優しく載せて上げれば良いだけじゃよ!!」
「酒などひっかけてそんな恐ろしいお家の方々の中でなど出来ませぬ、手順を間違えたら後々まで笑われまする!」
「まあー酒はともかくとして相馬家はこれで安泰ぞ、伊達も簡単には手出しが出来なくなる、隣の岩城とも今は争っておらぬし、伊達を驚かすには都合がよい!!」
「烏帽子親になるだけでそんなに都合よい話しでありましょうか?」
「蘆名家の次期当主の烏帽子親であり、那須家の次男でもある、那須家は北条家、小田家と三家同盟を結んでおる、その三家の上に管領殿がおるのだぞ、上杉家、那須家、北条家、小田家の四家だけでとんでもない石高があるのじゃ、儂の田村家の石高の200倍以上あるのだぞ、その四家が相馬家を見捨てる訳が無いであろう! どうじゃ!!!」
「いや~頭が止まりましたぞ、これは凄い事になりましたぞ、叔父上の事ですから、この話もう承諾して来たのでは?」
「断る理由がどこにも無いので勿論受けて参ったぞ!! あ~それから烏帽子親を辞退する場合は切腹と決まった、とぢらでも良いぞ!!!」
「ちょ・・・・・!!!」
── 蘆名資宗 ──
1574年5月吉日、那須竹太郎は元服式を行った、烏帽子親である相馬盛胤もこの日の為に烏帽子の冠を戴冠する作法を100回以上何度も練習し無事に終える事が出来た。
「その方は幼名竹太郎を廃し、那須資宗と致す、資とは祖与一様に連なる者にして宗とは宗廟の源であり おおもと、本家の者という意味を込め資宗と名付ける、これより那須資宗であり間もなく蘆名家に養子となり家を守るのじゃ、蘆名盛氏殿どうか導きをよろしくお願い致す!!」
「はっ、はー、蘆名盛氏、これにて会津蘆名家は安泰となりました、会津の領民全てこの慶事を我が事として喜んでおりましょう、この度は資胤様、資宗殿の元服誠におめでとうございます!!」
戦国末期に滅亡する蘆名家、史実では起こりえなかった那須資宗が蘆名家の養子となり家の存続を図る事に、ここに蘆名資宗の誕生となった、蝦夷がアイヌの国となり、東国の国々が徐々に争いから手を引き、大交易という大きい流れに、西日本と東日本が明らかに違う方向性を歩み始める年となる、西日本は戦乱の強風が巻き起こり抵抗出来ない家々は吹き飛ばされ淘汰されていた。
管領家は八屋形の上の立場であり、八屋形の家は管領家を守る立場なんですね、形骸化されていますが、その格式を上手く利用している処が味噌という事も含めて書いております。
次章「桂馬」になります。




