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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
190/331

190 勝者と勝者

 




 ── 知将と那須資晴 ──




「この三日間で我らの体力も回復した、敵の策に嵌り兵糧が無く苦労したが城代が命がけで用意してくれた、亡くなった海賊衆も多い、我らは奥州の王者である、津軽、出羽の武士である、下野の那須と蝦夷人に負ける訳が無い、冬の厳しい試練に打ち勝って来た者達ぞ、敵を倒し津軽安東家の幟を打ち立てよ!!」



「者ども良いか、出陣じゃ!! 儂に続け!!」



 津軽安東家とは津軽半島と出羽の国を支配地として栄え鎌倉末期より続く家であり蝦夷支配を行って来た家である、この1570年代が一番栄えた時であり、上杉謙信、織田信長とも誼を通じていたとされ、戦国期を生き残る家であり後に秋田氏を名乗る、但し1570年代の戦国期後半に入り南部家、最上家などが津軽安東家の支配地を狙い、南部家では津軽地方に手を出し始める時期と言える。



「津軽安東家の兵が館から出ております、敵に動きあり、一斉に軍勢が出ております」



「良し、此方も陣を展開致す、皆予定の位置に着け、本陣は儂を中心に鶴翼にするのだ!!」



 津軽安東家の陣は偃月(えんげつ)鶴翼とは反対に中軍が前にでて両翼を下げた『Λ』の形に配置する、大将が先頭となって敵に切り込むため士気も高く、攻撃力も高いとされている。



「敵のあの構えはなんであるか?」



「あれは鋒矢(ほうし)と同じ攻撃力特化の陣かと、大将自ら戦に参加する乾坤一滴の攻撃の構えになります!」



「敵はここに来る気でいるのだな、では向かい入れねばなるまい!」



「敵は一気にここに来る気でいる、迎え撃ち迎撃致す、決戦ぞ!!」



 津軽安東家は那須の弓が強烈な威力と知り壊れた船材、館の戸板を利用し盾を強化し一気に突き進み距離を縮め乱打戦に持込み勝負を図る事にした。



「敵の法螺貝が聞こえます、敵が来ます!」



「良し、忠義、最初が肝心である木砲を、狙いを定めよ!」



「狙いは先頭の者達に合わせよ、敵が400間(約730m)の距離と迫ってから放つ、良く狙うのじゃ!」



 木砲の砲弾飛距離は1.5キロ程あるが、それはたた飛ぶだけの距離であり直線的に的を狙った場合の有効射程は500間(910m)である、それをさらに短い距離から狙う事にした、短くした理由は操作する側が的を視認でき狙える距離とする為である。



「敵が一団となって向かって来ます、間もなく500間を切ります!」



「木砲用意せよ、木砲を放ち次に大五峰弓を放つ! 木砲狙い定めよ! 木砲を撃て! 次大五峰弓発射!!」



「木砲次弾用意、大五峰弓は用意出来次第発射せよ!! 木砲を撃ち込め!!」



 ドカーン! ビューン! ドカーン! ビューン! ドカーン! ビューン! 次から次と砲弾と見た事も無い大きい矢が襲い掛かる、木砲が撃たれるたびに20人程が吹っ飛ばされ、更に20人程が大きい矢の犠牲者となる先頭の集団、しかし勢いが止まらず抜けた穴を後ろの者が補い陣形を崩さずにその距離を縮めて迫る敵勢!



 距離が300間(550m)となり半兵衛は次の指示を軍配で騎馬隊に動く様指示をした。



「良し、では参ろう山内殿!!」



「腕は落ちてませんでしょうね、佐竹殿、なんなら私の後ろにいて大丈夫ですぞ!!」



「言うたな山内殿、まだまだ腕は鈍っておりませぬぞ、では参りましょう!!」



 勢いよく飛ぶ出す二隊の騎馬隊一気に津軽安東家の先頭集団に石火矢が撃ち込まれた、この石火矢は油が散るタイプでは無く焙烙のタイプであり中の火薬が爆発し礫が周りの兵士に被害を与える石火矢である、致命傷にはならないが戦意を挫くには充分な威力ある石火矢である、その石火矢を瞬く間に騎馬隊によって撃ち込まれ敵の先進する力が衰えた。



「良し、敵の足が動きが弱くなった、では次だ福原頼むぞ那須ナヨロシク殿(義兄)!!」



 半兵衛の手が上がり福原、那須ナヨロシクが1500名のアイヌ人を率いて一斉に走り出し弓を放ち始めた、資晴の陣まで残り200間の距離となる。



「良し、ではこれより敵の陣を鶴翼で向かいに往く、前進せよ、ゆっくり前進せよ!!」



 資晴の鶴翼は足軽500騎と資晴を守る馬廻役50騎であり残り500はアイヌの者達から構成されていた鶴翼の翼としては小さく厚みの無い翼と言える。



「敵の本陣は目の前である止まるな、留まれば命を失うだけじゃ足を動かせ!!」



 焙烙の石火矢に驚き爆発音が響く度に肩をすくめ、無数の矢が飛び交い悲鳴がそこら中に起こり、動けなくなっていた兵に当主自らが渾身の力を絞り出し先頭を走り全体が動き出した、前に前に動き出す津軽安東家の軍勢、そこへ敵陣の資晴陣までも翼を広げて来た事に驚く安東 愛季(ちかすえ)は夢でも見ている様な錯覚に、何故敵の本陣が近づいて来ているのか、我らはこのまま全滅するのか・・・時間の流れがゆっくりと流れ止まる。



 何の為に進むのか、前に進む事が生きている証であり、前に進むことが戦となる、前進に次ぐ前進を命を削りながら進む津軽安東家、その距離100間となる中突如那須からの矢の攻撃が止まった、石火矢の炸裂音も止んだ。



 静寂に包まれた戦場(いくさば)何が起きたのか・・・・・そこへ資晴が馬廻役に守られながら敵将安東愛季に近づき声を掛けた!




「お見事であった安東殿、戦はこれまでである、其方の執念はしかと見届け受け取りました、これ以上は無益となります、後ろを見て下され!!」



 何が起きたのか判らぬまま後ろを振り返る、そこには2000名以上の多くの者が討ち倒れていた、残るは重症となりしも当主である自分を守る残りの数十人だけであった。



「安東殿宜しいかなこれ以上はお家の存続に関わる、そなたは戦い切ったのじゃ、武家として意思を示したのだ!!」



 足から崩れ落ちる安東愛季に泣き崩れる供回りの重傷を負った者達。



「安東殿これにて終わりである、これよりそなたらの兵を手当て致す!!」



 資晴は指示を出し、これまで戦っていた那須の騎馬隊、足軽、アイヌの戦士達も一斉に負傷している者達の介抱を始めた、動けなくなった者を急ぎ館に運ばないと凍死となる、出血した者は特に体温が下がり死に繋がる、亡くなった者には血塗りを取り除き身綺麗に手厚く対処した。



 アイヌの民は怪我の治療に長けており打撲打ち身の薬草、出血には別の薬草を用意し手当てを積極的に行った、そして今回使われたアイヌの矢には毒が塗っていなかった、これは資晴と那須ナヨロシクが話し合われた際に毒矢を使っての戦はしない事を約束させていたからであり、それを徹底させた事で予想より死者を出さずに済んだ。



 数日後館にて那須資晴の重臣と那須ナヨロシクと各大酋長、敗者となった津軽安東家の当主と重臣による敗戦処理いわゆる戦後の仕置きについて話が行われた。




「では本当にそれだけでありますか? 腹も切らずに宜しいのですか?」



「何故腹をお切りになるのです、安東殿は武家として堂々と挑まれたのです、確かに蝦夷の民(アイヌ人)を都合よく利用されておりましたが此度その天罰を受けたのです、天罰を受けた以上これで終わりとしましょう、大切な事はこれからであります」



「ここにいる那須ナヨロシク殿は某の義兄であり蝦夷を治める長です、これからは那須ナヨロシク殿と対等の誼を築かねばなりませぬ、それが一番大切な事になります、そして我ら那須の国は蝦夷の民と同盟者であります、何かあれば此度と同じく家をあげて守ります!!」



「今は戦国の世です、出羽半国と津軽を治める安東家も余計な敵を作っている時ではありませぬ、敵ではなく誼を通じて守り合うのです、守る事で得られる富を民に分け富める国を作るのです、戦国とは戦で勝っても生き残れませぬ、どこよりも早く富める国を作ったお家が民から守られ生き残れます、それが本来の政です」



「那須資晴様、那須ナヨロシク様、大酋長の皆様、皆様の温情に、これより津軽安東家は蝦夷から手を引き皆様と誼を通じて参ります、どうぞ良しなにお願い致します!」



 その後那須家、蝦夷の民、津軽安東家の三者にて和議を整えられ正式に発布された、これにより蝦夷の地はアイヌの民の国となったと言える、和人より虐げられ搾取される民ではなく、対等な関係となった、冷静に考えれば蝦夷(アイヌ)の後ろに那須家がいるという事で蝦夷の民は一歩上の立場と言えるかも知れない。



 津軽安東家の者達は那須の船にて十三湖の居城に運ばれ今後の港の使用について、交易の拠点として利用する事を承諾し、蝦夷から琉球にかけて行う交易の話に津軽安東家の港に巨大な倉である倉庫を建設する事になった、雪も豊富にあり氷室も備えた倉庫を幾つも作る事になった。



「殿、お聞きしましたか? 琉球まで交易の船を既に出しておる話を、それと常陸の小田家と小田原の北条家との話も聞きましたが、最初から知っておりましたらこの様な事にはなりませんでした、最初から那須と手を結べば問題はありませなんだ、驚きすぎて某頭が付いて行けませぬ!」



「それだけではなく南蛮とも交易をすると言うておった、それと三家で600万石を超えているとも言うておったぞ、なんでそのような家と戦ってしまったのか訳が判らん、最初に蠣崎が話を良く聞いておればこの様な事には成らずに済んだのはではあるまいか!!」



「それもそうでありますが、蝦夷を手放して十三港を開放する事で今まで以上に富が落ちますぞ、何倍もの富となりましょう、夢でも見ておるのでは無いでしょうか!」



「戦で負けた筈であるが、よく判らんが勝った以上に益が転がり込んで来るとは、これからは蝦夷の民を大切にせねば、蝦夷の民あっての津軽安東家であるぞ!!」



「まさにそうでありますな、亡くなった者の家には手厚い対処を致しましょう、家を継げる者には俸禄はそのままとし、継ぐ者が無い家には養子をあてがい家々を残せるように致しましょう、那須資晴様が言われた富を与える政を致しましょう!!」



「資晴様が当主となればこの先どんな事になるのでありましょうな、恐ろしい御仁でありました!!」



 蝦夷の函館にある元の蠣崎館は那須家の駐屯地として300名者達を置く事にし、蝦夷地の交易品を根室と函館の二ヵ所で受け取り、受け取った品の一部を十三港の倉庫に移し、そこから津々浦々に運ぶ計画で推し進める事になった、蝦夷の地はほぼ未開拓であり自然の地形を調べた上で港を作り交易品を集積出来る態勢を作らなくてはならない、まだまだ何も無いに等しい地である。



「では義兄、春にお待ちしております、弟竹太郎の元服となります、蝦夷の事お任せ致します!!」



「うむ、暫く福原殿をお借りする政がさっぱり判らん、これからは民を守らねばならん、しっかり学びこの蝦夷を富める地にして行く、では春に又会おうぞ!!」



 5月に行われる弟竹太郎の元服に参加する那須ナヨロシクとは一旦別れる事に、蝦夷から那須以外の武家は去りこれからはアイヌの者達で政を行う事に、内政にも長けた福原と配下数名が残る事に、函館の蠣崎館は函館代官と称する事になり300名の者が残り修繕と改築をする事になった、残った者達は交易の品を受け取る晴と秋に交代する。



 2月下旬資晴軍は下野に向けて凱旋する事に、蝦夷の地ではアイヌの者達と那須家の者達が和人との戦いで大勝利を治めた事でアイヌ人同士の連携がこれまで以上に進む事に、アイヌの者達が自信を深め連帯感が広がる、又この春には既に根室の地が栽培されているとうもろこしの種が蝦夷地に広がる事に、寒い蝦夷の地でも初夏に植え秋には収穫が出来、保存の効くとうもろこしが伝わる事で冬に利用出来る穀物として栄養価が高く食の改善に貢献する事に。



 現代の北海道が日本全体の食を支えている重要な地域と言う事は誰もが知っている事であり、北海道が秘めた大地の力は戦国期はまだまだ深い眠りの中であり、その大地がアイヌの地となった意味は途轍もなく大きい事であろう。




「若様、戻りましたら少しお暇を頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」



「おう、何かあるのか佐竹殿」「某に縁談が幾つか来ておりまして、そろそろ身を固めねば某もいろいろと突かれておりまして」



「おう、それは良い事である、儂も後一年か二年先辺りに身を固める事になりそうなのだ、そうしないと竹太郎に先を越されそうなのじゃ!!」



「なんと初耳でありますぞ、お相手はどちら様でありますか?」



「元服の時に披露されるのだが、それまで黙っているのだぞ、儂に聞いたと言ってはならんぞ、秘匿の事ゆえ! お相手は田村家の姫なのじゃ、あの頑固で偏屈な当主の田村殿の姫なのじゃ!!」



「頑固で偏屈とは、よろしくありませぬな、めんどくさい話でありますな!」



「田村家は国人領主であって領国の石高は3万石程だと申しておったが、位が実にやっかいなのじゃ、征夷代将軍の坂之上田村麻呂様の末裔と言うから、いつもその話をして脅して来るのじゃ、父上と蘆名殿が脅されて姫を頂く事になったのじゃ!!」



「なななんと、200万石のお家の当主と会津蘆名を脅すとは只ならぬ事でありますな、どのような脅しであったのですか?」



「それがのう、儂が元服した際にその当主が無理やり儂と話があると言うてねじ込んで来たのじゃ、その時は何事もなく帰ったのじゃが、あのじじいときたら、その後蘆名殿の処に竹太郎が養子に入り蘆名を継ぐ事に、それだけでは箔が足りぬ、儂の娘と結婚すれば田村の血も混ざり箔が付くと言い出し、征夷代将軍の末裔の娘を娶れと言い出し、娶らぬ場合は、征夷代将軍に反旗を致すのか、その時は戦と致す、と言い出し、めんどくさい話になったのじゃ!!」



「何ですかその話は、言いがかりではありませぬか」



「蘆名殿も困って父上に所にどうすれば良いかと来たのだが、その話をしている最中になんとそのやっかいな爺が勝手に烏山城にやって来たのじゃ!」



「何ですと、いまいましい糞爺でありますな!!」



「それがのうその糞爺が、相馬家とも親しいらしく勝手に相馬家の当主相馬 義胤よしたね殿の書かれた推薦状なる文を持って来たのよ!」



「そこに書かれた文には相馬家も田村家の姫と婚儀をされる事を心よりお祝いし当家も推薦致しますと書かれた変な文を持って来たのじゃ!!」



「聞いている内に面白くなってきましたな~!!」



「儂も父から聞いている内にどんどん罠の中に入って行く気がしたぞ、きっと父上は搦手され逃げる事が出来なくなったと理解したは!!」



「それで最後は姫を娶る事になったのですか?」



「父に聞いた処、確かに田村家の家は小さいが征夷代将軍という名が重みがあって近隣に影響力があり、相馬家とも親しいようだ、それと姫を娶れば蘆名家の与力になると申し出たのじゃ、さらに与力になる以上那須家に臣従すると直談判されたそうじゃ!!」



「強き家でありますな、御屋形様もそこまで手を回されては降参するしかありませぬな!!」



「それとその糞爺は当の昔に姫が生まれた時から今回のような事を考えていたようで生まれた姫にとんでもない名を付けていたのよ!!」



「ほうどのような名を付けたのでありますか?」



愛姫めごひめという名じゃ、もはや空いた口が塞がらんとはこの事よ!!!」



「いや~関心致しました、その様な当主がおるとは、見事な戦略と言うべき話でありますな、その姫は御幾つなのでありますか?」



「確かまだ6才と言っておったゆえ、父上は実際の婚儀は当分先と言っておったが、その糞爺は今でも良いとか抜かしておったと!!」




 史実の愛姫は三春城主・田村清顕と正室於北《相馬顕胤の娘》の一人娘で、伊達政宗の正室、通称は田村御前、出家後の院号は陽徳院、数え年12歳で又従兄弟に当たる、伊達政宗の元に嫁ぐ、その後、田村家は豊臣秀吉の小田原参陣に参加せず改易となる。




戦国史の中でほぼ聞かぬ名の大名、津軽安東家、小説物で登場するのは大変珍しい事かも知れません、個人的には光をあてる事が出来て良かったと思います。

次章「信長と一向」になります。

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