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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
187/331

187 蝦夷合戦

 





 ここで少しアイヌ人との戦いを振り返る、アイヌ民族との戦いはこれまでにも何度も起きている、大和朝廷の支配地が東日本側に特に関東以北に徐々に及ぶ中で争いが度々起きる事に、この事は日本書記に襲撃や討伐の記録が残されている、朝廷に帰順した蝦夷の者を関東の地に住まわせて行く事に、その後、朝廷は律令を推し進める国造りを行う中で更なる帰順を求め東北方面に東征を行う事となり、蝦夷の民アイヌ人は北へ北へと追いやられて行く。


戦国期初期に代表的な戦がコシャマインの戦いという大きい戦が、1457年に蝦夷北海道で大勢のアイヌ人達が首領のコシャマインに率いられ一斉蜂起し、和人との大戦に発展する、その発端はアイヌの少年オッカイが鍛冶屋に小刀を注文したところ、品質と価格について争いが発生し怒った鍛冶屋がその小刀でオッカイを刺殺した事がきっかけとされている。


アイヌ人は鉄器等の刀を作る鍛冶技術が無く和人から交易で得ていた、何故アイヌの民は鍛冶の技術が発展しなかったのか? 簡単に言えば戦が無かったからと言える、鉄器を作る鍛冶の技術は戦による武器の発展過程で培われておりその延長に他の鉄器が生産された、戦が無い以上鍛冶技術の必要性が無かったと言える、アイヌ人同士での狩場で得物を取る縄張り争いも小規模であり話し合いが主体で解決されていた。


しかし和人との交易は対等ではなく質の悪い刃物を高価な品であったり約束とは違う量を求められた事が度々あり何度も似た様な事が起きる中、子供が殺された事で酋長のコシャマインを長として一斉蜂起に繋がる、当時松前~函館周辺支配地域に安東家の館が12あり、10館を破られコシャマイン側が優勢となる、劣勢の中、蠣崎家家臣武田信広によってコシャマイン父子が弓で射殺されるとアイヌ軍は崩壊したとされる大戦がコシャマインの大戦である。




── 蠣崎館評定 ──



「我らが乗って来た船が壊され津軽に帰れなくなった、それとこの館にあった食料も無くなっており町の者達も不明じゃ、我らはここに3500もの兵がいるが食料はあと5~6日分しか無い、この事を考えると敵の中にも策を考える智将がいるのであろう、この状況をどう打開し、アイヌの者達を殲滅すればよいかの評定を行う、意見ある者は述べよ!」



「では某から、このままここで待機している訳には参りませぬ、どの様な方法であれば津軽の居城にこの事を伝える事が出来るのでしょうか、先ずはこの窮地を打開するのが先かと思われます、蠣崎殿であれば何かお考えがあるのでは?」



「申し訳御座らん、小舟の手配は出来ますが、津軽の海を渡るには小舟では無理かと、最低でも10石以上の船でなければ危険です」



「10石となれば25俵ですか・・・壊れた船の木材を解体利用し、修繕する事は無理でしょうか?」



「船に詳しい者は誰かおらぬか?」



「船の修繕が出来なかった場合時間だけが過ぎて行きます、ここから遠くになりますが松前の漁船であれば船はある筈です、ここからだと幾日必要になりますか?」



「松前ですとここから海沿いに25里離れております、けして平坦な道ではありませぬので三日は要します」



「では殿、松前に健脚の兵士を多めに放ち襲われても防げるように致し松前に向かわせましょう、それとは別に船の修繕もやって見ては如何でしょうか、我らは兵糧さえ手に入れれば問題無く戦えまする!」



「うむ、他に良さそうな意見は無さそうであるな、松前には多くの者を放とう鉄砲隊も30名連れて行くが良い、それと騎馬の者も10名程連れて周辺を警戒しながら行くが良い、船の修繕も蠣崎の手の者が直せそうな船を見繕い試すのじゃ、それと昼間は周辺の野山で巻狩りじゃ、鹿を得るのだ、兵達を鼓舞し戦闘意欲を上げる事とする、昼間であれば我らの兵数を見れば簡単に襲って来ないであろう!!」



「早速明日には出立させよ、兵糧は必ず来るであろうから我らは巻狩りと戦支度じゃ、これよりは油断せず船など壊されぬよう注意を怠るな!! 怠る者は断罪と致す!!」



翌日に松前に向け100名もの多くが館から出立した、安東愛季は蠣崎が蝦夷の支配に胡坐をかきアイヌ人に隙を突かれこの様な事態に陥ったと判断し責任を取らせる事にした、松前に向かう100名には危険が伴う事が予想され、その責任者を蠣崎季広とし向かわせたのである。



「我らの後ろに20名程のアイヌ人が付いて来ます、如何致しますか?」



「我らの動きを見張る為に着いて来ているのだ、このまま放置し松前に向かえば行き先が知れ渡り邪魔されるであろう、どこか見通しの良い所で隊を分けあの者どもを追い払い、もう一隊は先行させてはどうであろうか? 幸い我らの数は100名と多い!!」



「では、鉄砲隊10名と他に10名を置いて他は先行致しましょう!」



見通しの良い所で鉄砲隊10名と他10の計20名がアイヌ人を追い払うために残る事になったが、ついて来ていたアイヌの者達もその場に留まり、結局その20名は先行した隊に向かう事が出来なくなってしまった、追尾していたアイヌの人数を勝手に20名と判断し他にはいないと思うあたりが思慮の足りなさと言う事である。



「アイヌを追い払う為に我らは残りましたが、奴らの方が我らをここにくぎ付けにしております、我らは兵糧を一食分しか持ち合わせてはおりませぬ、如何しましょうか?」



「蠣崎の指示で残ったが、奴らを放置して追いかけては行き先が判明してしまう、かと言って奴らは見えはするがこちらに向かって来ぬ、困ったのう!」



「今夜はここであ奴らを見張り我らに近づけば鉄砲で仕留め、近づかなければ早朝出立し合流出来るよう急ぎ行くしかあるまい!」



「判り申した!」



結局この20名はその夜に襲われ帰らぬ事になった、当然と言えば当然の結果である、翌日も松前に向かう者達に付け狙うアイヌ人達、この日も同じ様に一部の兵を残し他の者達は松前に向かった、結局無事に松前の漁村に到着した者は残り50名程に減ってしまった。



「急ぎ使えそうな船を漁民から接収せよ、大きければ大きい程良い!」



「全部で5隻が十三湖まで行けそうです、操船者も用意致しました」



「なんとかこれで行けそうであるな、ではこれより居城に戻り殿の急場を知らせる事にする、乗船致せ、十三湖に向かうのじゃ!」



松前の浜から十三湖の港まで約10里の40キロの距離であり松前と津軽半島の先端までは20キロを切る距離、後は海峡を無事に渡れば半島沿いに向かえば自然と十三湖の中の港に到着できる。



「良し、出立じゃ!」



50名がそれぞれ分乗し出港すると、佐竹海将が率いる30石船の戦船10艘が行く手を阻む様に現れる。



「敵の船が多数現れました、下野の那須の家紋旗が見えます!」



「おのれ又しても、固まるな、散会し、近づく船に鉄砲を打ち込め!」



佐竹海将率いる30石の戦船は全部で20隻、その内10艘を十三湖の港に向かって来る船を攻撃するために津軽半島の先端小泊周辺に隠れていた。



「やはり何処からか来る事が出来たようだ、佐竹海将の言う通りであった、あの船を囲み攻撃せよ、敵は鉄砲を持っているが揺れる船では中々当たらぬ、我らの弓の方が確かである、火矢にて的の大きい帆を燃やすのだ!」



10艘の戦船、片側には浮力のあるアウトリガーの浮木があり、直進性と横揺れには和船より優れておりヨットと同じく帆の向きも変えられ旋回能力は大変に高い船が三家の30石戦船である、向かって来る船に対して1隻が進路を遮りもう一隻が横から攻撃を仕掛ける、陸とは違い一度の攻撃では中々仕留める事は出来ないが、旋回能力が速い分、二度三度と手数を多く攻撃が出来る。



「良し、帆が燃えたぞ、次の船に向え、残るは3隻ぞ!」



「拙い残り一里半と言う所で、このままでは捉えられてしまう、残念だが二隻には犠牲になってもうしかない、三隻にて横に並び両側からの攻撃の的になり、真ん中の儂が乗る船を守り進むのじゃ! 進路を塞ぎに来れば両側の船で体当たりし、道連れにするのだ!!」



三隻が横並びになった事で佐竹海賊衆はその意図を読み取り10艘の内両側に3艘を挟む様に向かわせ、残り4艘で進路妨害を計る事に急ぎ転回指示を出し、残り一里の距離で理想の形となり両側より一斉に火矢を放ち進行方向を残り四隻で次々に塞ぎ込む事に。



「このまま正面の船にぶつかり進路を開けるのだ、帆が燃えて来ておる、蠣崎殿の船を守るのだ、なんとしても港に行って頂くのじゃ!」



冬の時期の海戦、海に落ちればあっという間に体温が奪われ1分もしない内に海に沈む、三隻の内1隻が動けなくなり、更にもう一隻も最後のあがきを行い、動かなくなる、そして蠣崎が乗る最後の船の帆に火矢が当たる度に火を消し、火矢が放たれ防ぐ為に身体で矢を防ぎ矢傷を負う中、乗船している者全てが最後の望みをかけ十三湖の港を目指し、命が尽きるのが先か、港に着けるのが先かの極限の中号令が響き渡った。



「攻撃を止め、直ちに反転し函館に戻る、攻撃は此れまでとする!! 動けなくなった船の者達を降参する者は捕虜と致せ、抗う者は天寿を全うさせよ!!」



いつしか最後の蠣崎が乗る一隻が十三湖の入り口に入り込めた、最後の船に乗っていた者10名と操船者2名の内死者は6名重傷者は4名と言う熾烈さであった、重傷者には蠣崎も含まれていた。



「大変です、城代、一大事であります、殿の函館に向かった軍勢が危機に陥っております、急ぎ援軍と兵糧を運ばねばなりませぬ!!」



「今城下にて蠣崎殿が重症となり船にて知らせて来ました、敵の罠に嵌り今頃は兵糧が無くなった頃であると、ここに知らせに向かった100名もほぼ全滅したとの事です!」



「何だと、殿の話では数日で方を付けると言うておったが、何が起きておるのだ? 蠣崎は話せるのか?」



「矢傷を何本も受けており重傷であります、先程までは話せておりましたがあの様子ではなんとも判りませぬ!」



「判った、儂が蠣崎の元に向かう、お主は手の者を使い船の手配と兵糧と兵を徴収せよ、兵糧は多ければ多い程良い!!」



蠣崎館では蝦夷に来る時に乗船した船の修繕を行うも船大工では無い者達が行っても見た目は修繕できても実際には一刻も掛からずに浸水し利用出来ないと判断し、連日巻狩りをして鹿などのを捉え食料確保に努めていたが北海道の冬季は自然が厳しく狩りに出かけたまま戻らずに凍死する者もおり獲物も中々得られず軍勢の志気は低下していた。



「もう良い、巻狩りで獲物も無く死者をこれ以上出す必要も無い、身体を動かした事で余計に腹が減る、兵糧が来るまでじっとしているのだ!!」



「しかし殿、兵糧を詰めなんとか持たせて来ましたが底を尽きました、松前から無事に船は出ましたでしょうか? 一人も戻って来ておりませぬ!」



「大丈夫であろう、それに城代の石井は知恵者だ、今頃は兵糧を確保し船の手配をいる筈である、そう願うしかあるまい、数日食が無くても塩と白湯を飲み耐えるのだ、各自これ以上体力を奪われる事無きよう工夫せよ!!」



冬の北海道に兵糧も底を尽き3000強の兵達、春の時期であれば獲物を得る事も出来たであろうが、余計な体力を使い、凍死者を出し、知らずの内に自らを死地に追い込んでいた。




── 軍議 ──




「松前からの船が一隻敵の城に戻りました、他は仕留めましたがもう一息の処で逃げられました、申し訳御座らん!」



「佐竹海将の責任ではありませぬ、敵も必死なのです、忍び込んでいる和田衆からの話では既に兵糧が底を尽き塩を舐めて白湯を飲んで耐えているだけとの事です、そこで今夜から夜襲を謀り火矢にて敵に休む暇を与えないよう行いましょう、それとは別に兵糧が運ばれて来る事を考え今度は浜で敵勢を待ち構え被害を与えましょう!」



「では我ら戦船は浜で構えて、敵の船に打撃を与えまする、恐らく今度は多くの船に兵糧を乗せて来る筈です、その兵糧に打撃を与えまする! 旗艦の1000石船と500石船も出撃致します、夜襲の件、山内殿、那須ナヨロシク様よろしくお願い致します!」



「敵の戦船は足が速い船なのだな、それと那須の家紋幟を掲げていたのだな蠣崎!」



「はっ、敵の戦船は30石程度、和船とは違う船です、足が速いだけではありませぬ、旋回し戻って来るのも早く、何度も攻撃を受けなんとか一艘だけ戻れたのです」



「となれば兵糧を積んだと見せかけの偽船も必要であるな、敵は間違いなく蝦夷人では無く下野の那須じゃ、最初から那須と判っておればやりようもあったが・・・・それと兵糧はまだ残っているのか?」



「間もなく尽きる頃かと思われます、殿は巻狩りをすると言うておりましたが、冬の蝦夷は獲物がおりませぬ、厳しい事になっていると思われます」



「むむむ・・・なんとか数日は持ちこたえる筈じゃ、殿であれば暫く大丈夫じゃ!! 他にあるか?」



「盾を多く用意下され、敵の蝦夷人は毒矢を使います、盾で防げば戦いに持ち込めまする」



「うむ判った、お主は療養致せ、ここからは儂が出張る!!」





── 那須資晴艦隊出動!! ──



「半兵衛支度は整ったか? 予定より遅れておるぞ!!」


「今少しであります、会津蘆名殿から蝦夷は極寒の時期、手足の指先が凍え壊死するとの事、領内にある油紙を集めているとの事です、必ず足先と指先に巻き寒気に触れぬ様にとの事です」



「和紙に油を吸い込ませれば大丈夫では無いのか、態々蘆名殿が集めなくても良いのでは?」



「確かにそうなのですが、和紙に油を浸み込ませ乾かさないと使えないとの事です、油に浸しただけでは油まみれになり使えないとの事です、乾燥させた油紙が必要との事です」



「そうであったか、であれば一豊達も難儀しておろう、それにしても早く行かねば!!」



蘆名が治める領地の会津の山々には豪雪地帯となる地もあり積雪は一間1.8mを超える地もある、雪と寒さ対策を怠れば死に繋がる事から油紙とかんじき、蓑傘など多数を用意し資晴に届けられ、馬廻役50騎と足軽100騎、戦闘部隊として騎馬隊120騎、長柄足軽500騎、木砲隊120名、木砲40機、戦船の操船海賊衆80名他鞍馬10名、和田衆20名を乗せ1000石船1隻、500石船3隻、300石船3隻に30石の戦船20隻を搭載させ大津を出港した、那須資晴艦隊の出動となった。





知らず知らずのうちに大戦となる蝦夷の大戦、蠣崎家の主家、津軽安東家と那須家の合戦へと突き進む。

次章「函館海戦」になります。






知らず知らずのうちに大戦となる蝦夷の大戦、蠣崎家の主家、津軽安東家と那須家の合戦へと突き進む。

次章「函館海戦」になります。

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