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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
184/331

184 露見

家康の前半生は受難続き。

 




 ── 油屋 ──




「やっと会えましたな、油屋殿如何致したのじゃ、頭を丸めて出家でもなるさのか?」



「お~和田殿お久しぶりで御座います、見ての通りの有様です、情けなくて世を離れようかと仏の道に入ろうかと、先ずは身なりから整えておりました!」



「では娑婆世界から仏門に入られますのか、一体どのような心境でそのように成られたのです」



「某は根っからの商売人です、財を築くために走り抜いて来ました、確かにあこぎな事にも手を出した事もありますが、人から奪った事はありませぬ、何十年もかけて財を富ませやっと買い入れた家宝も幾つかありました、某にとっては命を削って手に入れた品であります、それが全て紙切れ一枚で無くなりました」



「もう私の手元には戻らぬでしょう、たった一枚の紙切れで堺の豪商達が持っておりました自慢のお宝が奪われたのです、もう商売から離れようかと思いましてこうなりました!!」



「あの油屋殿がこれでは余程の事があったのですね、処で誰が何を奪ったのですか?」



「あ~申し訳ありませぬ、肝心な事を言うておりませんでした、奪ったのは織田信長様です、奪われた品は茶器と色々な器になります、10点程勝手に持って行ってしまわれました」



「信長様も強引ですな、それゆえいろいろな家から攻撃されているのでしょう!」



「和田殿もっと小さい声でお願いします、告る者がそこら中におります、堺の商人で信長殿に敵対している家と商いした者が追放され財を全て没収された者が何人もおります、睨まれたら終わりとなります」



「それは又なんとも、では店はだれが店主として差配しているのですか?」



「息子に代替わりをしました、今は一応隠居の身となっております」



「先にお伝えしておきますが、那須資晴様も音信不通で心配故私が来たのです、それと資胤様から椎茸の代金といろいろ頼まれた品も買いに来たのです」



「あ~それは申し訳ありませんでした、では店に戻りましょう御代はしまってあります、それと息子を紹介致します」



「和田殿、これが儂の息子、今は油屋常心です、妻の兄弟から養子となりました、某の息子は前に出家しており俗世間に戻りたくないと申して、養子を頂きました、挨拶をするが良い那須家の和田殿じゃ、幕臣でもあるお方じゃ!!」



「私、父の後を継ぎました油屋常心と申します、和田様どうかお見知りおき下さいまし」



「こちらこそ、和田と申します、一度那須に遊びに来て下され、父上にこれから説明致すが、那須ではこれより途轍もない大きい交易を行う家となります、日ノ本一の大商いの話でありますぞ!!後程父上からお聞き下さい!」



「はっ、判りました、恐れ入ります」



「では和田殿奥でお茶でも進ぜよう!!」



 お茶を飲みながら三家での蝦夷から琉球までを含む交易の話に驚き、既に砂糖まで三家で作っている事、さらに砂糖の樹液も蝦夷から入る事、管領上杉家も一枚乗って来る話に、心が躍る油屋であった。



「交易の船が64隻とは・・・それで日ノ本全てを取り仕切る交易なのですね・・・いやはや空いた口が戻りませぬ、資晴様はただ者では無い事は充分知っておりましたが、想像の遥か上を行くお方ですな、追い付けぬお方になっておりますな!」



「実はのう油屋殿の処に来た理由の一つに資晴様より秘命を受けて来たのだが、隠居したのであれば話しても仕方が無いのう!」



「いや、まだ僧籍に入っておりませぬから話によっては噛む事は出来ますぞ(笑)! 」



「そうは言われてものう中途半端にやられても資晴様が困りましょうし(笑)! 」



「いやいや是非御聞かせ下さい、その秘命とやらを聞かねば踏ん切りが付きませぬ(笑)! 」



「秘命であるから一切公言はしてはなりませぬぞ、いいですか、先程の蝦夷から琉球の話を致しましたな、油屋殿は南蛮の者とも交易をしておりましたので、今度はこちらからこの地図のここへ外の国へ我らの品を持って交易をして来て欲しいのです、小田様が今途轍もない大きい船を2隻目を作っておりまして、その大きい船であれば外国の海を難なく渡れますので交易を任せたい話なのです!!」



「なんと某がこの地の外国と交易に行けるという話なのですか? してその船の大きさとは1000石以上はあるのでしょうな?」



「船の石積は3000石という大船じゃ舟板が二重になっているので見た目は4000石以上はある船になる、既に1隻は完成しており琉球まで往復しておる!!」



「3000石ですか、それはでかい船でありますな、それだけでかい船であれば何処にでも行けますな、儂も戻らぬ茶器の事は忘れ娑婆世界にまだいる事に致しましょう、茶器は茶器で御座います、和田殿是非那須資晴様によしなに伝えて下され!!」



「お任せ下さい、それと油屋殿で南蛮船で奴隷となって操船している者、何かしらの職人、医師、算術が得意な者などこれはと言った者を多く買い取って下され、資晴様の御考えでは一隻二隻での交易と考えていない様です、朝鮮、明も含めて壮大な絵をお考えの様です!!」



「それは又想像できぬ大きさでありますな、某も堺を代表する商人として己の使命ここにあったのかという話であります」



「まさにその通りでありますぞ、三家中心の同盟国が戦国の世を生き残るには嵐にも耐える大樹になりその太き枝の葉で領民を包み守れるように誰よりも先に手を打つと申されております!!」



「いはやは、出家する前に和田様に来て頂き感謝致します、この油屋新しい命を頂けました!」







 ── 浜松城 ──





「ようこそおいで下された引馬御前様にお会い出来る日を心待ちにしておりました!!」



「三河様も息災のようで嬉しく思います、よくぞ信玄を追い払いこの引馬、いや浜松をお守り下さった妾からもお礼を申し述べさせて下さいまし!」



「これも御前様を初め北条様の御計らいでなんとか守る事が出来ました、心より御礼を申します」



 笑みを浮かべお互いにお礼を言いあい中々先に進まない二人の会話に横にいた正信が。



「殿、御前様を部屋にご案内しては如何でありましょうか、立ち話が長くなっております、御前様に失礼になります!」



「あっ、これは申し訳ありませぬ、ついつい嬉しくて話し込んでしまいました、ささ、どうぞ御前がおられた時より些か大きく城普請を行っております」



「立派な城に生まれ変わっておりますね、嬉しく思います、妾の時は何も出来ませなんだ、守るだけで精一杯でありました、三河様にお譲りして正解でありました、領民も喜んでおりましょう」



 相変わらず広間でも話が進まない二人、何しろ二人は幼馴染であり沢山話したいのである、これではただの昔話で盛り上がっている近所の親父と婦人だと言わんばかりに正信が。



「殿・・殿・・・御前様は何かお話があって来たのですぞ、先に用事を済ませてからごゆっくりと昔語りをした方が宜しいかと・・・」



「そうであった、ついつい嬉しくて話しておった、御前様気が付かず申し訳ありませぬ」



「私の方こそ懐かしく嬉しく用事を忘れておりました、では改めて大切な話をせねばなりませぬ、こちらの文は武田の新しい当主太郎様が甲斐躑躅ヶ崎館で見つけ何やら良からぬ事が書かれておると北条様の処に届いた文になります、北条家でも書かれている内容を吟味しても今一つ判らず、妾まで確認する事になりまして書かれた文を見ますとこれは三河様にとって一大事なる話かと思い北条様に許しを得て参りました、文をご確認下さいまし!!」



 暫くじっと読む家康徐々に血の気が無くなり明らかに動揺が見て取れた。



「これは・・・私の殺害を依頼していると・・・・駿河御前とは関口様の領地の・・・・瀬名・・だと御前様は思われたのですね、瀬名が私を謀る文と・・・・」



 頷く引馬御前!。



「正信これを読んで見よ!!」



「・・・・・殿・・・これは由々しき事なれど・・・公には出来ませぬ・・手を間違えばお家一大事になります、家が割れまする!!」



「家が割れると申すのか?」



「打つ手を間違えば、この浜松と岡崎が割れます、奥方様の手元に信康様がおり既に岡崎の政を殿の代わりにしております、信康様と奥方様は一度も離れた事がありませぬ!!!」



「儂がぬかった、儂の手元で育てておれば・・・なんとする正信?」



「三河様ひとつ宜しいでしょうか?」



「そこに書かれております事は信玄が亡くなり露とは消えましたが新たな策を考えているやも知れませぬ、又は考えていないかも知れませぬ、先ずはそれを見極める事が先かと、瀬名の性根は妾も良く知っております、義元公を亡き者とした信長殿を恨みに恨み尽くして行きついた哀れな姿がその文なのです」



「書かれた内容の責は瀬名だけが背負う事ではありませぬ、三河様が背負う責もあります、婦道とは相方との音律なのです、共に気遣うてこそ響きの良い音が出せまする、その文が書かれたという事は苦しみの果て、その苦しみに気付けなかった責は殿方にもあるのです、大変失礼な物言いで申し訳ありませぬ!」



「引馬御前様心に響く諫言この家康感謝致します、先ずは見極めた上で考えとう御座います、正信も狼狽えず今は未だ何も起きてはおらぬ、奥に対して相応しい殿方になれる努力が足りなかったのも事実じゃ、その努力を致す中で見定めて参ろう!!」



「では、この件に就きましては某が差配し考えて見ます、殿は殿としてやるべき事をお願い致します!!」



 太郎から届いて謀り事が書かれた文は既に新たな謀り事になって家康を亡き者にしようと岡崎では動いていた、その首謀者は瀬名であり駿河御前であり今の築山殿(正室)と大賀弥四郎一派である。






 ── 本多と本多 ──





 本多正信なくして家康の天下は無かったと評されるほどの人物であり知の懐刀と言えよう、徳川幕府初期の家康、秀忠の側近中の側近として幕府の礎を築いた一人である、逸話として家康は正信の事を臣では無く『友』であると評したとされる。


 もう一人本多がいる、武勇の忠勝、本多忠勝である、有名な言葉に『徳川に過ぎたるものあり、唐の頭に本多平八』と信玄が褒めたたえたと言う、智略の正信、武勇の忠勝、家臣団に恵まれた家康と言える。




「本多様お呼びでしょうか?」



「うむ、正成、今お主の手勢で岡崎の城にいる者はいかほどおる?」



「五名程になります」



「ではこれより岡崎の奥方様の処に出入りしている者を見張るのじゃ、それと出来れば相手の素性をよく確かめその者が誰と接触を図っているかを調べるのだ、徹底的に調べるのだ手勢が5名では足りぬ、手元の伊賀同心者で気が利く者をもっと潜り込ませるのだ、小者から中間者として忍ばせ一人ももれなく調べ上げよ、それと領内の者では無い者が出入りしていた場合誰が手引きをして城に入れたのかを探るのじゃ、お家一大事と思い念入りに行え、どんな些事であっても見逃すな逐次報告せよ!!」



 正信は服部正成に岡崎の築山殿の事を徹底的に調べる手配りをした、謀り事には必ず協力する者がいると、その協力者を探る事にした。



 服部正成は後に半蔵と呼ばれ、服部家代々の当主は半蔵と名乗った、伊賀の配下同心者を率いる徳川家での諜報を主務となる忍びの者達の長である。







 ── 1573年冬 ──




「では那須ナヨロシク様我らは海浦で隠れております、思う存分にお戦い下され、敵は鉄砲がありますので打ち合わせ通り森の中で戦い下され!」



 第四代当主蠣崎 季広(すえひろ)は父の代からアイヌ人と対立し抗争を繰り広げており、函館大沼周辺地域のアイヌの村々は武力による支配下に置かれ、逆らう者は強制的に奴隷とされ、婦女子は慰め者となり虐げられていた。



 那須ナヨロシク大酋長達は蠣崎を陸から攻撃する為に佐竹海将と戦船を操る海賊衆と弓を放つアイヌ人の射手は別々の行動に、佐竹海賊衆の役目はあくまでも津軽安東家からの援軍を阻止する役目となる、蠣崎の兵力は600前後多くても700、それに対して主家の津軽安東家は3000の兵力はいるであろうと充分考えられる、対するアイヌ人の攻撃部隊は3000名を超える多くの戦士が蝦夷中から集まった。



 戦国時代の蝦夷という通称は北海道を含む島々を大まかに示した呼び名であり、北東側の根室の先にある、国後色丹択捉得撫島の旧北方領土、千島列島、カムチャッカ半島先端の島までと、北西側の稚内から先の樺太までの広大な地域を蝦夷と言う通称で呼んでいた。



 アイヌの人々は樺太では中央付近北緯50°まで、北東側の根室の先はカムチャッカ半島の先端までが明治38年1905年のポーツマス条約で正式に日本の領土として国際的に認められた、その主因はアイヌの人々の恩恵で日本の領土になったと言える、何故なら既にアイヌの人々がその地域に古くから生活を営んでおりアイヌ人は日本に住む古くからの先住者として地位を確立していたからである。



 アイヌ人の辿る生活圏と1905年のポーツマス条約で認められた領土は完全に一致しており、アイヌの人達が先に生活圏を広げ後から日本の人々がそこへ経済的な恩恵を求めて占領して行きいつしか領土であると主張して行く、領土主張する経緯とアイヌの人々への敬意を考慮すればロシアにアイヌの島を返せ、という言い方も充分出来る事を忘れては行けない。



 国の内閣府のHPには北方領土の事についてはその経緯が紹介されているが肝心のアイヌ人の功績がほぼ書かれていない、アイヌの人々が厳しい環境を克服し生活圏を広げていた事で今も北方領土が日本の領土との主張が出来る事を考えればアイヌの人の功績を前面に出すべき事であると述べておきたい、話は戻りる。



 当初3000名と伝えられいたアイヌの戦士達、予想を超える戦士の数、その活躍の陰に根室の大酋長イソシアンの娘と結婚し根室に住み着いた助の活躍があった、助の家はマタギを生業にしている家系で先祖はアイヌ人でありその風貌もそっくりである、助は大酋長の代理として樺太に行きアイヌの村々を訪ね同盟をするべく、その者達を束ね、更に根室側の島々のアイヌ人達を引き連れ参加した事で予定の戦士数を超えて参集出来たのである。



 蝦夷の大酋長は4名、その中の会盟主が那須ナヨロシクであり指揮官となった、その号令で攻撃が開始された、12月中旬夜半蠣崎館に一斉に火矢が放たれた、館であるが幾つもの建屋から成り立ち城に近い様相と言えた、その館に一斉に火矢が降り注ぐ。



「殿・・殿! 夜分失礼致します、大変で御座います、何者かによって館に火矢が火矢が降り注いでおり、小火が多数熾きております、急ぎ火消をして大事ないように手配りしておりますが、余りにも多くの火矢であります、この先はどうなるか判りませぬ!」



「何? 火矢で攻撃だと・・・敵はあの野蛮な者達であるか?」



「夜半の為姿は確認出来ませぬが、矢を見る限り蝦夷人に間違いありませぬ!」



「兵を集めよ、儂自ら野蛮な蝦夷人を倒してくれよう、急ぎ兵を集めよ、一番太鼓を鳴らせ!! 戦じゃ!! これより野蛮なる文字を持たぬ獣退治を致す!!」




蝦夷統一の戦いが始まりましたね。

次章「那美」になります。

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