183 姦計
氏真がボロクソに。
「では母上は那須の高林で父上と暮らすという訳で本当に宜しいのですね?」
「ここの暮らしも良いのだが、ここでの暮らしでは妾は政も戦も世の事から隔離されて暮らしていた人形の暮らしだったのじゃ、那須で暮らして世の事を知り何を学び、何をしなくては行けないのかを知る事が出来た、太郎には判らぬであろうが、この甲斐での暮らしでは飼われていたのじゃ!」
「もちろん今は違うの事は充分承知している、ただここでの数ヶ月間暮らして判ったが楽しい思い出が一つも無かった事に気が付いた、妾には子育てしか希望が見いだせなかった、それにのう、あの高林の領民達の笑顔が浮かぶのじゃ、屈託のない顔で妾に接してくれていた顔が恋しいのじゃ、今では新しい夫もおる、許せ太郎よ」
「判りました、某も若様の処には定期的に行かねばなりませぬ、その時に高林には寝泊りさせて頂きます、那須の高林にも武田騎馬隊が2000騎配置する事になっておりますので父上に采配して頂きます、それとこちらの父信玄が書かれていた文の下書きなのですが心当たりはありましょうか?」
「何処かの女性か奥方に書かれた文の様ですが書かれている内容が何やらよからぬ事かと思われます、母上がこの館を去った前後の辺りかと思われます」
「どれ見せてみよ・・・確かに信玄の字であるな・・・・安堵状の下書きのようじゃな・・・・なんだこれは!?・・・・この女が自らの家を武田に差し上げる事に対しての領地の安堵状のようじゃが・・・・夫を本当に殺して良いのかと信玄が聞いているぞ?・・・・駿河御前とは誰だ? 妾は思い当たる女性はおらぬがこの文は汚らわしい事が書かれている文ぞ!」
「下書きのようなのでなんとも言えませぬが、どこぞの家の奥方が夫を殺す依頼とその家を差し出すのでその事で領地の安堵状と思われますが重臣達に聞いても誰の事かは判らぬという事でした、ただその中に駿河御前と言う方に書かれたようなので北条家と関係があるかと、以前は父信玄は北条家とも同盟を結んでいました、何かの謀があったと思われます」
「下書きとはいえ、怪しい文じゃ、どうせ明日皆で資胤様の元に皆で挨拶に行くのでその文を持ってどうするか聞いて見るが良い、我らは那須の家に臣従しているのじゃ、同盟先とはいえ勝手に北条家に我らからこの件を伝えては資胤様の面目が立たぬ、そう致そう!!」
「判りました母上!!」
三家同盟により関税も無く通行が出来る事で甲斐躑躅ヶ崎館から行田に抜け烏山城まで二泊三日の行程で行けるようになり、急ぎの工程では二日目には烏山城に到着出来る事に、母三条を連れての行程であり無理せず出立した。
「早く烏山の城下で出回っていると申した新しい菓子を食してみたいのう、この事を一日千秋と言うのかのう『那須プリン』と匹敵するそうじゃ、最初あれを食した時は太郎が居なくなり泣く日々を過ごしていたのじゃが、しおやの店で食した時に美味しさに驚きプリンを2個も食してしまったのじゃ、今でもあの時の事は覚えておる、今度の『す~なんとかケーキ』言う菓子もあの時のように美味しい菓子なのであろうのう」
「母上は美味しい菓子を食したくて高林に戻られるのでしょうか、昨日より菓子の話ばかりしておりますが?」
「ほっほほほほー妾は嶺松院の為に先に食するのじゃ、此度は甲斐で留守となった嶺松院に新しい菓子の事を伝えなくてはならぬ、その使命があるのじゃ、ほっほほほほほー」
「まあー楽しみな事があるようで良かったです、甲斐でも食せる様に菓子職人を育成し館近くに甘味処を作りましょう、幸いしおやの店は残して良いとの事です、その近くに色々と烏山の城下にある店を見習い賑やかな所と致しましょう、来年からは新しい田植えも行います!」
「そうじゃのう、那須のように五穀豊穣の秋祭りもするが良い、勝頼にも諏訪で行わせるが良い、甲斐は新しい国となったのじゃ、きっと良い国になるであろう!」
夕方に到着した太郎達一行は資胤による歓迎の宴が行われた後に太郎より渡された訝しい文について話が行われた。
「これは明らかに危険な事が書かれておる、下書きではあるが清書されたと考えた方が妥当である、しかしこの駿河御前とは誰であろうか?」
「和田殿がおれば駿河の事詳しかろうが我らでは思い当たらぬ」
「某も思い当たる方がおりませぬ、もしや支える主人の官位が駿河守という事でその奥方を御前と呼んだのでは無いかとも考えましたが、駿河守という官位を頂いた者が当の昔に甲斐家の重臣板垣殿の官位であったような、但し本当に授かったかどうか判りませぬ、それと氏真殿が確か駿河守では無かったかと? 困りましたな」
「氏真殿であればその文と書かれている事が一致するように思えます、不埒な事を平気する愚かさに奥方が信玄に殺す様に依頼したとて不思議ではないが・・・氏真殿の奥方様は北条氏康殿の娘様で早川殿であろうから、態々信玄殿に頼まなくても父の氏康殿に頼めば良いだけじゃ、それに安堵状なども関係ないの」
「既に勝手に氏真殿で話が進んでおりますが(笑)、この文は北条殿に渡して思慮して頂きましょう、我らでは判りませぬし、対処出来ませぬ! それで宜しいでしょうか?」
「その通りじゃ、それより蝦夷からとても良い味の干し鱈があったのでそれで一杯いこうではないか、折角集まったのじゃ、女子達はなんとかケーキで盛り上がっておる!! 資晴もそこそこ行けるようになったので丁度良い!!」
「スフレケーキと言う名であります、竈の熾火で最後焼くので夏に作るはどうかと申しておりました、卵と砂糖さえあれば出来る菓子です、父上も一度は食してみると良いです」
「そうなのだが、澄酒とは合わんであろう、こっちの甘い入り豆の砂糖塗しの方がまだ良い、これも旨い」
「太郎殿甲斐にあって那須に無い名物は何であろうか?」
「そうでありますな同じ山国ですので食材は似ておりますので、こちらでは『ほうとう』はありませぬな、うどんを平たくした物で色々な具材を入れた味噌で煮た物です」
「ほうそれも美味しそうですね、他にはありますか?」
「那須でも食しますが、馬肉を皆食べます、それと山鳥の新鮮な肉を生で好んで食する者が多いかと」
「那須でも馬肉は普通であるな、鳥の生肉は聞かぬな、今度試して見るか!」
太郎との楽しい一時を過ごし、三条のお方と飯富は高林に、同じ頃佐竹海将は秋となり蝦夷に向け蠣崎との戦準備のために大津から出航した。
── 北条家 ──
「父上、幻庵様、那須資胤殿より武田太郎が見つけた怪しい文の下書きが見つかったと、那須ではさっぱり判らぬのでとその文が来ました! お読みになって下さい」
「なんじゃこの文は・・・誰を殺せと言っているのだ? 駿河御前だと・・・!?・・・幻庵様その昔勝手に自らの事を駿河守とか言っておられませんでしたか?」
「あっ・・・その方儂を疑っておるのか? その昔確かに勝手に官位を名乗っていたが儂とは関係ない話じゃ、それに儂の奥方は遠に亡くなっておる、駿河と書かれておるが誰であろうな、義元殿・・今川義元殿も官位が駿河守であったな、義元殿が亡くなり氏真が駿河守になっておる・・・・あ~まさかお主の娘ではあるまいな? 早川に聞いて見るが良い、何か知っているかも知れぬぞ!!」
「父上、もしや妹が氏真を謀ろうとしたのか?」
「何を言う、それであれば儂を頼ればいいだけじゃ、なんで信玄に頼むのじゃ怒!!」
「氏政いいから呼んで来るのじゃそれとお田鶴も呼んで来るが良い、遠江に長くおったから色々知っているかも知れん!」
「判りました、某は氏真殿の事では無いかと思いますぞ、辻褄が合います、どおりで氏真と一緒に那須にも行かず今は京にも上りませぬ、謀って欲しかったのでありましょう!!」
「父上、妾とお田鶴をお呼びとの事ですが何かありましたでしょうか?」
「二人ともこれを読んで欲しいのじゃ、なんでもこの文は甲斐の躑躅ヶ崎館で武田信玄が書かれた文の下書きのようなのじゃが、些か訝しい事が書かれておってな思い当たる節が無いかと見て欲しいのじゃ!」
「判り申した、この文でありますな・・・・ちょっ・・・・何ですかこの不浄なる文は・・・夫を殺して新しい男を用意される事を望んでおりますのか・・・汚らわしい文です、誰ですかこの御前とは・・・狂っておるのですか・・・眼が汚れました!!」
「お田鶴はどうであるか?」
「これは・・・駿河御前・・・駿河御前・・・駿河・・・これはもしや・・これは危険です・・・この駿河御前は昔の名です、今は築山御前と呼ばれております、間違いありませぬ、瀬名です、瀬名で間違いありませぬ!!」
「瀬名? 築山御前? 誰だ、本当に存在する御前なのか?」
「瀬名と私は幼少時から今川館で顔見知りの中であり一緒に義元公様より可愛がられて育ちました、瀬名とは今川家の親族衆関口親永様の姫の名であります、駿河御前とは、関口様の領地駿河持船の領主であり城主であった頃に何れ瀬名は駿河御前と呼ばれる事を公言していたのです」
「ところが義元公がお亡くなりになり、あの馬鹿者氏真が事もあろうか親族の関口様に今川が弱くなった責として切腹させたのです、これは瀬名に間違いありませぬ!!!」
「という事は氏真を殺せと書いてあるのか? 文の内容と少し違うが?」
「叔父上大変です、これは駿河御前は瀬名で間違いありませぬが、今は駿河御前という名で呼ばれておりませぬ、今は築山御前と呼ばれております、築山御前です、築山とは三河徳川家康様の奥方になります!!」
「ななな・・なんと三河の奥方・・・家康の奥方だと言うのか? その奥方が家康の殺害を依頼していたと言うのか!! 待てよ待てよ、何故殺害を・・・殺害を依頼する理由はなんじゃ!!!」
「その理由もあの馬鹿者氏真に因があるのです、義元公が亡くなる以前より三河の質が沢山駿府にはいたのです、数十名はおりました、義元公討たれ、三河様は自分の領地三河を織田から守るために岡崎の城に留まりました、それを裏切りと考え、駿府にいた三河様の質を見せしめに磔にしたのです!!!」
「質を殺された三河様は今川家と縁を切り織田家と同盟を結びました、瀬名は築山はその事も恨んでおります、今川家での栄華を忘れる事が出来ず今川から離れた三河殿を恨んでいるのです!!」
「狂っておる・・・狂っておる・・・春よ春よ・・・離縁じゃ、あの馬鹿とは離縁じゃ!良いな、狂った馬鹿とは離縁じゃ!!!」
「はい、あのような輩に嫁いだ事は、妾に取って汚点でしかありませぬ、妾が殺したい程であります!!」
「それより父上、幻庵様、今は信玄もおりませぬ、危険は去ったので無いでしょうか?」
「う~どうであるかのう・・・女子の恨みは死んでも残ると言われておるから信玄が亡くなったのであれば他の者に依頼するのであるまいか?」
「ここに書かれている汚らわしい文であればどんな手を使っても三河様を謀ろうとするのでは無いでしょうか、瀬名は闇の中に棲んでいる危険な物の怪になっておりましょう!!」
「お田鶴がここまで言うのであれば相当危険であろう、この文を三河に届けてやるが良い、後は向こうで対処するしかあるまい、家康殿も一角の武将である、よもや姦計などで謀られる事はあるまい!!」
「叔父上にお願いがあります、私を浜松に使いに出して頂けないでしょうか?」
「お田鶴が行くというのか? 危険では無いのか?」
「いえ、瀬名は浜松にはおりません、岡崎でありましょう、三河様は瀬名の本性を知りませぬ、しっかり伝えねば対処を誤ります、瀬名は正室です、それなりの力をもっております、打つ手を誤ればお家騒動に発展致します!!」
「幻庵様いかが思います?」
「ここは一番事情を知るお田鶴が行く方が賢明かも知れぬ、護衛と風魔を付け、襲われぬように船で行くが良い、であれば大丈夫であろう!」
「では先触れを出しておく、氏政からも文を書く様に!!」
── 蝦夷会盟会議 ──
「ではこれより冬の戦について会盟を行う、最初に皆に紹介しておこう、私の義弟の臣下で海の将軍佐竹殿である、此度も馬を初めいろいろと品を届けて頂いた、蠣崎を追い出した後は皆も交易に力を入れ村々を富ませて頂きたい、それと那須の家ではぺト二の樹液を必要としている、この冬にも女性達に採集をすれば春にはいろいろな品とも交換出来る、では佐竹将軍挨拶を頼む!」
「皆さま佐竹で御座います、皆様の武勇は聞いております、必ず蠣崎を追い払いましょう、20隻の戦船をお持ちしました、戦いが終われば全てお渡し致します、皆様も同じ船を造れるかと思います、足早の船であります、戦では蠣崎を援ける為に陸から津軽安東の侍たちが援軍として来ると思われます、船にて邪魔建て致しますので協力して是非倒しましょう!!」
「では質問などあればどうぞ」
「陸の津軽安東は蠣崎より手強い家なのか?」
「蠣崎の主家です、蠣崎より多くの侍達がいます、蠣崎より数倍兵を持っています!」
「那須ナヨロシク我らの兵は全部で3000だが敵はどの位だ?」
「蠣崎は600程、津軽安東は全部で5000の兵を持っているようだ」
「ではどうやって戦うのが良いのだ? 我らは戦の経験が無い!」
「那須ナヨロシク殿私から説明しても宜しいでしょうか?」
「頼む!!」
「では皆さま、この地図を見て下され、ここに蠣崎の館があります、ここには兵が600おります、そして皆様の仲間が150人奴隷となっております、皆様は最初この館に攻撃を行います、そうすれば蠣崎は兵を繰り出して皆様を攻撃する為に出て参ります」
「兵が館から出たら蠣崎の兵を森の中に誘います、森の中であれば得意の弓で攻撃が出来ます、蠣崎には鉄砲が、これと同じ物を持っております、後で見せますがこの鉄砲からこの鉛の玉が飛び出し攻撃してきます、当たらない様にその為に森の中で身を隠して戦います」
「皆様が戦っている内に仲間を開放する為に私の仲間が助け出します、そして蠣崎の館に火を点けます、蠣崎の兵が戻る場所が無くなるように火を点けます、戦いに不利となれば陸の津軽安東に助けを求めに行きます、そして戦船で援軍が来ない様に邪魔をして敵の船を攻撃するのです」
長い間戦の経験が無いアイヌの戦士に順序よく根気強く説明する佐竹海将、何度も説明するうちにアイヌの人達に不安が消え、それぞれが調練する事に、今回の蝦夷遠征では山内騎馬隊が教官として馬の扱いと馬からの弓の射撃訓練を行う事に、海では佐竹海賊衆が船を操り、弓を撃つアイヌ人達60名を戦船に配置し実際に海での調練を行う事に、冬まで二ヶ月の準備期間となる。
何故冬に攻撃を行うのか、蝦夷地の冬は陸地も氷り湿地帯も凍る為に移動が楽になり、函館周辺の地理を知らないアイヌの人達も安心して攻撃が出来る、そもそもアイヌは冬の時期の方が和人より活動が活発なのだ、冬に近づく程に佐竹達一行は冬の寒さに驚き凍え始めた。
「いや寒いですのう佐竹殿、指が悴んで感覚が麻痺致します、困りましたな!!」
「山内殿それどころではありませぬ、あの海風の冷たい事、耳が取れそうです、取れているのでは無いかと何度も確認する程です、若様が手にはめる手袋を用意して頂きましたが替えのが無く一度濡れると手袋が凍ってしまい、アイヌの奥方達にいま縫って頂いている処なのです」
「我らも鷹匠が付ける手袋を持って来たのですが、手汗で濡れると凍るのです、凍ると指先が痺れて真赤に腫れて来ます、真赤のまま放置しておくと指を切る事になるとアイヌの方より説明を受け実に難儀しております、なにしろもっと寒くなると言っておりますから、参りました!!」
内地の冬と北海道の冬を比較しても雲泥の差があるという事である、那須の国も那須山側は寒いが、佐竹も山内も元々育った地が温暖な国であり驚くのは無理もない事である。
戦まで残り一ヶ月の11月末である。
お田鶴のお方が怪しい文の正体を突き止めましたね、瀬名又は築山御前という名は良く歴史物に登場しますが、駿河御前という名では、この作品での採用が最初かも知れません、他にもあるかも知れませんがね。
作中では書きませんでしたが、実はもう一人駿河御前という名で呼ばれる方がいます、それは秀吉の妹朝日が家康と結婚した後に呼ばれる名が駿河御前なんです。
次章「露見」になります。




