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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
180/331

180 悲喜と驚喜

北条家と徳川家が接近している様に思えますね。

史実でも同盟を結びますが。

 




 飯富の素早い一突きにて黄泉に旅立った山県昌景、元の名は飯富昌景、飯富虎昌の弟(甥との説有)であり、太郎が謀反を企てていると信玄に告げ、太郎と傅役であった飯富虎昌等が捕らわれ処断された、その後飯富性から信玄により山県性を与えられ側近として活躍し、史実では長篠の戦いで死する47才の生涯を閉じる。



 太郎の堂々とした武威に高坂を初め騎馬隊は太郎を受け入れ信玄のいる本陣に向かう事に。

(高坂を初めとする騎馬隊に取って当主問題は親子の問題でもあり口を挟む事は出来ない、それとここまで堂々とした太郎の姿にも若き当主としての威厳が備わっており贖う必要も無かった)



 武田本陣では一方的に蹂躙という言葉が適した状況になっていた、勝頼の騎馬隊が蛇行を行い、資胤の騎馬隊から襲い掛かる矢を避けようと必死に動き、信玄がいる本陣に近づけさせない様に苦戦の中奮闘していた、矢が肩に刺さった者、腕に足に腹に刺さる者も命尽きるまで勝頼に付き従い贖っていた。



 信玄を守る本陣も既に半数の足軽が倒れ、穴山が率いる1000騎の馬廻役も信玄の盾兵となりその数を減らしていた。



「止めよ、もう止めよ、穴山をここへ!」



「御屋形様、御屋形様・・・」



「どうやら儂の時間が尽きるようじゃ、戦を止めよ、此度はここまでじゃ、そちは親族衆この後の武田家を見届けよ、戦の勝敗は世の常、此度はここまでと致せ! 後は任せた、暫く眠る!」



 信玄はもはや話せる状態ではなく、長い戦にて知らずの内に労咳に蝕まれていた、そこへ太郎が現れ激情した事で呼吸困難となり体力を使い果たしてしまった、今は起きる事も出来ず、眼を閉じるしか無かった。




「殿、御屋形様、旗が上がりました、如何やら降伏の様です!! 退き太鼓が鳴っております、武田信玄が退きますぞ!!」




「ほう、諦めたか、些か拍子抜けであるがこれまでのようだ、勝鬨を上げよ!!」



「那須の下野の那須が信玄を下した、勝鬨ぞー、エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!」




「負けたのか・・・退き太鼓が鳴っておる・・・那須に負けたのだ!! 父上の元に行こう!!」



 陣に戻り信玄の様子を聞き、敗北した事を悟り、穴山に先程までの太郎との話を伝えた。



「某は武田家の親族ではありますが、当主を決める立場の者では御座らん、太郎殿が戻ったとなれば後は御屋形様の意向を聞くだけとなりますが、見ての通りとなります、先ずは和議の行い戦を止める事が先となります、某が使者となりましょうか?」



「いや、兄上がいる以上儂が出る、弟の儂であれば儂の首で済むやも知れぬ、皆は陣にて待つが良い、それと皆の手当を頼む!!」



 三方ヶ原の中央に資胤の騎馬隊、その後方から太郎が率いる騎馬隊の大群が資胤の元に。



「御屋形様、態々のお助け感謝申し上げ致します、父である信玄が率いておりました騎馬隊は私の命に従っております、出来ますれば武田家の降伏の話に私も参加しとう御座います、宜しいでしょうか?」



「うむ、勿論である、此度はようやった、今後の事こそ肝要である、そちの思うが儘に任せる甲斐武田家を再興させよ!!」



「ありがとう御座います、必ずや再興を致します!!」



 勝頼は兜を外し、資胤達がいる場に一人出向いた。



「武田勝頼であります、父信玄は病にて起き上がれず私が降伏の使者として罷りました、武田は降伏致します、某の命と引き換えに残った者を助命願えないでしょうか、それ以外は特にありませぬ」



「良く言った勝頼、兄として嬉しく思う、お主の命確かに受け取った、今日よりお主は武田勝頼ではなく、諏訪勝頼として生きよ、そして新しく生まれ変わる甲斐武田家を支えよ、それが皆を援ける助命の条件である、勝頼、兄が其方を守る、安心致せ!!」



「御屋形様これにて捌きを終えまする、新しい武田家は全ての者が臣従する事になります、どうかよろしくお願い致しまする!!」



「見事なる捌き確かに見届けた、甲斐武田家を頼むぞ! さてもう一仕事が残っている後程会おう!」




 資胤は太郎の差配を見届け、資晴がいる陣に向かう事に。



「若様、御屋形様が此方に向かって来ております」



「どうやら方が付いたようじゃ、戦は終わりであるな、父上の表情はどうであるか?」



「何やら笑っております、笑顔でこちらに向かって来ております」



「ふむふむ、そうであろう、そうであろう、何しろ危ない場面は無かった筈じゃ、後は儂が泣き顔で芝居をするだけじゃ、梅、半兵衛、忠義も儂に合わせるのだ、裏切る出ないぞ!!」



「もうここまで近づけば良いかのう、では行って参る!! 父上~父上~ 某・・某~!?」



 バッシーン~バタ!  父資胤に泣き顔で近づくと右頬を張り倒され吹っ飛んだ資晴・・・う・・梅・・!!



「この馬鹿も~ん、儂を誑かし、最初から戦をする気でおったな、今度は左じゃ!」



 資晴は満座が見守る中、生涯でこの一度だけ両頬を思いっきり張り倒された、側で見ていた梅まで目を瞑り心の中で『うわ~!!』と叫んでいた、半兵衛は瞑想の世界に逃げ込み、忠義はお経を唱えた。



 その後主な面々は浜松城に移動し祝勝を祝う事に、太郎達は引き続き信玄を近くの寺に移動させ手当する事に、そして武田家の態勢を新しい体制作りに着手した。




 この大戦での武田信玄が率いる軍勢の被害は死傷者4000、負傷者も6000を超える大きい被害を受けた、一方資晴他那須の軍勢被害は1000程度の微少と言えた、鎧の下に鎖帷子を身に付け事で大きい被害を受けずに済みその効果は絶大であった。



 戦が終了した時期は田植え準備追われる三月中旬である、春の足音がそこまで来ていた。その足音は数日後には畿内を電撃の如く伝わった。




「殿、殿、三河殿から至急の文であります、急ぎ殿にと早馬が・・・」




「なに至急とな・・・・・・ウオー~ウォ~なななんと、ウォ~ウォ~! 天は我を 救った、これで押返せる、劣勢を跳ね返せる!! ウォ~ウォ~!!!」






「将軍大変で御座います、大変で御座います、一大事であります!!」



「如何した、天下の将軍がいる城にて騒ぐな馬鹿者!!!」



「それどころではありませぬ、これをこれをお読み下さい!!!」



「あっ・・・・   ・・ ・ どおいう事だ? 信玄が敗れたのか? 誰に負けたのだ? それと武田家の当主が変わったと書かれておる嫡子の太郎と言う者が当主になったと・・・勝頼という奴では無いのか? それより織田はどうなるのじゃ、浅井、朝倉はどうなるのだ? 儂はどうなるのだ?」




「なに? 義兄が負けた? 信玄が負けたのか、それも門徒15000が全滅したというのか、僧徒もやられたのか? 下間は行方不明だと!!」




 信玄が敗北した事は数日で畿内に広まり、信長包囲網に与えた衝撃は大地を揺るがした、信玄と一向門徒が消えた事で信長は命拾いし、歓喜の感情が爆発し、舞を舞い、織田包囲網の敵側に攻勢を仕掛ける事になった、信長は信玄が敗北した事で転換点が訪れた。





「どうだ、移動出来そうか?」



「無理で御座います、御屋形様はもう起き上がれませぬ、眼を開ける事もあまりありませぬ、甲斐への移動は無理であります」



「話は出来るのか?」



「こちらの話は聞こえております、辛うじて少しばかり返事を致します、それとお会いになるのであれば口に布あてて下され、労咳は移る病です、勝頼様の母上も労咳でお亡くなりしております、御屋形様もその時に移られたようです、身体に精気があり体力が勝っている時は隠れておりますが、身体が弱まれば牙をむく病です、お時間は短くお話下さい、それと念の為衝立を致します」



「判った、準備が出来たら声を掛けてくれ」



「父上・・・父上・・・お久しゅう御座います、太郎です、太郎になります」



「・・・・・た・・ろう・・か、何しに参った・・・儂を笑いに・・来たか・・・」



「父上、某が武田の当主となりました、甲斐の国は守られます、どうかご安心下さい、勝頼も諏訪の領主として甲斐を支えて家を守ります、ご安心下さいますよう!!」



「そうか・・・そなたを逃がしたは那須資晴であったのだな、儂にも中々読めなかった、影の正体を掴めなかった、見事な若者だ、恐らくこの世の者ではあるまい、人ではあるが人ではない、あの眼力は強者とは別の物、全てを知っている透視の眼だ、その者が後ろにおれば武田家は大丈夫であろう・・・よくぞ生きていた、儂の軍配はお主に、太刀は勝頼に頼む、さらばじゃ!!」



 太郎は父信玄との最後の別れを行った、部屋を退出した後に、信玄は笑みを浮かべ静かに息を引き取った、1573年4月12日、53才史実と同じであった。

 後世の歴史家は労咳に侵されておらず京に上れば天下は信玄の物になったであろうと、信長が一番恐れた相手こそ武田信玄である。






 ── 海戦準備 ──





 三方ヶ原の戦を終え凱旋すると、急ぎ蝦夷への出港準備に追われた、この秋に函館周辺を治める蠣崎と蝦夷アイヌとの戦準備を整える為に大忙しであった。



「準備の方はどうであるか? それと義重殿は疲れは残っておらぬか?」



「はっははは、我らは木砲を撃っていただけでありますので全く疲れておりませぬ、それより若様の頬の腫れやっと治まりましたな、青タンになっておりましたから、見た目がちょっと痛々しく心配しておりましたがやっと治りましたな!!」



「まあー儂が父上を騙したので痛い目に遭ったが、儂の顔を見た母上が父上に殴り掛かり赤タンを作っておった、父上の目の周りが赤いのは母が殴ったのじゃ、帰還してから、まあー色々ありすぎて結構疲れておる、処で本当に半兵衛は大丈夫か?」



「某も御止めしているのですが、ちょっと半兵衛殿が理解出来ない時がありまして本当に大丈夫でありましょうか?」



「やはりそうであったか、あれが本来の姿なのかも知れぬが、三方ヶ原でも急に詩吟を延々と披露され、最初突然変な声でお経でも読んでいるのかと驚いたが、祁山悲秋の風更けてと謡うから、聞いている内に、あ~これは、五丈原と三方ヶ原を重ねているのだなと理解したが、その謡の長い事、長い事、頭をハリセンで叩こうかと思った位じゃ! して今はどんな感じなのじゃ?」



「それが船酔いを克服すると言い出し、以前は船酔いしない為に船に乗り酒を飲んでぶっ倒れ、今は先に酒を飲み船に乗ってはぶっ倒れております、ちと頭がおかしいのではないかと、こんな感じです!!」



「・・・・言葉が出ないとはこう言う時に使うのか、ほっとくしかないかのう、なんであんなに蝦夷に行きたがるのかのう?」



「酔ってぶっ倒れている時に奥方の名前を呼んでいるので恋しいのでしょうか?」



「えっ、それは・・・きっと逆じゃ・・以前半兵衛は家出を繰り返して居った、家に帰りたくなくてじゃ、もしや、それが理由で蝦夷に行きたいと・・・そうかも知れぬ、いやそれに違いない、蝦夷に家出するために船酔いを克服しようとしているのじゃ!!!」



「そんな理由であのように苦しんでまで克服しようとしておりますのか?」



「天賦の才あるものは何を考えておるのか儂にも判らん、一度百合を訪ねた方が良いかも知れぬ、他に準備は問題無いであろうか?」



「え~え、後は小田様の処から30石の戦船が届けば問題ありませぬ! それと向こうの海で海戦を想定した木砲の調練も行う予定をしております、そこで弓之助殿の話では此度の戦でも大量の火薬を使いました、蔵にはまだまだ火薬はありますが、若様が言われておりました大きい海戦が起きた場合、調練もしておかねばなりませぬ、火薬の使用はどのように致しましょうか? 少し控えた方が宜しいでしょうか?」



「それなら目途が付いたのじゃ、堺から無理であるが琉球から入る事が出来たのじゃ、なんでも明には火薬の元になる石が大量にあって、我らが用意出来る硫黄と交換も出来る事になったそうじゃ、明では硫黄が不足しておるそうよ、那須も北条殿の処にも火山があるので硫黄が沢山ある、比率は違うが交換出来る事になったのよ、当面は問題なく備蓄も出来る、安心して調練に使って大丈夫じゃ!」



「それを聞いて安心致しました、木砲一回で火縄銃の数十発分も使うので心配しておりました」



「砂糖も順調だし、蝦夷が終われば戦は当面無いかも知れん、国力を上げる時じゃ、それと管領殿も交易に付いては仲間に入れろと佐渡の島を自由に使えと文が届いた、これからは海の時代じゃ楽しみだのう!!」



 5月に入り佐竹義重海将は船団を引き連れ蝦夷に向かった、義兄弟の兄である那須ナヨロシクが蝦夷から蠣崎を追い払う戦の準備のために200頭の那須駒を用意した。






 ── 悪あがき ──





 信玄が倒れた事で諦めたかと思った将軍義昭は最後の抵抗を見せていた、信玄に代わる武将を、織田を相手に戦う武将を求め御内書を書きまくって戦を想定し兵糧をかき集めていた。


 1573年春から夏にかけ戦況は一時膠着と、信長も信玄が倒れた事で勢いづくも戦疲れをしており、義昭に休戦の和議を試みる、しかし、その義昭は将軍の権威は信長の上でありそもそも信長が命を受ける立場であり将軍を軽く見る事が全ての始まりであり、そのような者と休戦など考えられないと断ってしまう。



 その背景には信玄が亡くなった事を信じれない事、仮に亡くなっても新しい当主太郎が父の遺志を受け継ぎ将軍の元に来ると期待していた、更に浅井朝倉も奮闘しており、自分だけが和議に応じる事は出来ないと言う義昭なりの事情があった。



 そんな中、京が戦で荒れておりこのままでは帝のいる都の姿が日に日に無残になって行く事で信長からの働きもあり正親町天皇が義昭に和議を命じ、帝の命であり義昭は表面上仕方なく結ぶが、反信長の動きは止めていません。



 和議を結んだ事で信長は岐阜に戻ります、岐阜に戻る際に信長は琵琶湖に大船の建造を命じ、信長は信玄と同様に戦略家であり備えを事前にする猛将、変事が起きた場合に即京に行軍出来る準備として大船の建造を命じていました。



「信長が岐阜に戻った、今なら京を固め、信長を包囲できる、京に上れなければ畿内を纏める事は出来ずに兵を動員出来ぬ、儂はこの時を得る為に和議に応じたのだ、儂はこれより挙兵し信長を成敗する!!」



  7月3日、義昭は信長との講和を破棄し、槇島城において挙兵した、兵力は3700余、義昭に一番足りないとされている物、将軍と言う権威を過剰に価値あるものと考え、時局を読めず先見の明が余りにも無いという事であり、それを支える優秀な武官が不在であり、諫言する配下を退けてしまう愚かさが、これまた愚鈍の将軍と言える。



 義昭が挙兵したとの報を受け信長は将軍討伐の兵を上げます、7月6日には大船にて琵琶湖を渡り翌日7日には二条御所を包囲、8日には立て籠もっていた者達が開城し降伏、義昭は槇島城にて籠城しており7万の軍勢で包囲、18日には降伏し開城するしかなく義昭は捕らわれる事に。



 結果義昭は京を追放され毛利家で庇護を受ける事に、この挙兵にて足利幕府は滅亡し、将軍の終焉となる、しかし、義昭は懲りずに毛利の元で相変わらず御内書を連発していたがほぼ相手にはされずに暫く表舞台から消える事に。






 ── 感状 ──





「父上、織田様より祝いの品と感状が届いたとの事ですが、何があったのですか?」



「まあーこれを読んで見よ、中々面白い事が書かれている!」



「・・・・私達が信玄を倒した事で日ノ本が平穏に向かっていると、信玄を倒した事は天が味方した事であり天はその証として那須を遣わされた・・・信長が諸処の戦に勝ち、此度は騒乱の元凶である将軍を京から追放も出来た、正に慶事でありこれ偏に下野の那須のお陰である云々・・・何れ官位を・・・・進呈・・・・成程、織田様は那須が信玄を倒した事で天下人に近づけた訳ですね、そのお礼の文ですね」



「それとこれは・・・同盟を求めておりますが?」



「儂は一度の信長に会った事はあるがその時は儂を馬鹿にしている様な感じじゃった、小さい家の那須の事などどうでも良いと言った感じで、あの時二度と会う必要ない御仁と思った、その印象は今も同じである、同盟はやんわりとお断りするつもりぞ」



「そうですね、形式上は管領家の下にいる八屋形になります、管領様と織田様では水と油でありましょう、管領様は最後まで将軍をお助けしようと動いておりました、その将軍を追放したのであれば両者は近づかないと思われます」






1573年、史実で大きい動きがあった年です、まだ大きい出来事があります。

次章「滅亡」になります。

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