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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
174/331

174 人は石垣人は城





──脱糞だー! ──




「物見より連絡、武田の軍勢7割が祝田坂に入りました、武田の軍勢7割が祝田に!」



「良し、これより城から討って出る、城を出たら鶴翼の陣を展開し、武田の兵が逃げられぬようにする、祝田坂を鶴翼で塞ぎ武田を殲滅するのだ、佐久間殿は鶴翼の左翼をお願い申す、我らは中央と右翼を作ります、では出陣じゃー!」



「お~! 」





「御屋形様、家康が城から出ました、罠にかかりました!」



「良し、急ぎ戻り魚鱗を展開せよ、徳川が到着する前に陣を展開するのだ!」



「はっ、急ぎ全速で戻れ陣を展開する、徳川を網に掛けるぞ!」




家康は武田が下り坂の祝田坂に入り幅3~4間程度の坂道に入れば28000もの大軍が長蛇の列となり、その後ろを襲り鶴翼で包み逃げ道を塞ぎ、武田が戻って来る上り道に対して坂道を下るように攻撃する事を考え、有利に推し進める作戦に出た。



信玄は最初から不利な態勢で態と家康の前から退く道を選び、家康が城から出る為の偽計で誘い出した、家康が城から出たという報告を受け、信玄は予定通り家康が動いた事で、急ぎ坂から戻り広い戦場に相応しい三ケ田ヶ原に戻り魚鱗の陣を敷き、家康を待ち構えた。



三方ヶ原台地は東西10km、南北15km、標高は25~110mの広い扇状地、大軍同士の戦には適した広さ、浜松城近くにある台地である、家康が城を出た時刻は夕闇迫る午後の四時。




「間もなく三方ヶ原になります、その先が祝田坂になります!」




「鶴翼を開け鶴翼で祝田に向かう、佐久間殿は左翼でお願いします、勝手に退くはダメでありますぞ!」




「まだ言うか、左翼は任せよ!」




「前方に無数の人影があります!」



「避難していた農民か?」





「いや・・・た・・・武田の軍勢であります、武田が前方におります!」




「なに!? 止まれ全軍止まれ、動くな、物見を放て、武田の様子を確認しろ!」




「武田が動きます、物見が殺されました、武田がこちらに向かって来ます!」



「こうなっては仕方なし、全軍このまま戦闘を行う、覚悟を決めよ!」



「武田は魚鱗、魚鱗の陣を敷きこちらに向かって来ます!」




「正信如何する、もう陣の変更は無理です、翼を縮め羽を厚くします、翼を厚くするのだ、間もなく武田が来るぞ、急ぎ翼を厚くするのだ、本田忠勝、忠勝はどこにいる?」




「拙者ならここにおり申す!」



「忠勝は殿から離れるな、良いな!」




「某は信玄の首を狙います、殿の面倒は他の者にお願い申す!」



「馬鹿者きさま勝手にするが良い、榊原、榊原が殿をお守りするのじゃ!」



「判り申した!」





武田の魚鱗の陣とは、魚の鱗のような、逆三角形の陣形、一点突破の攻撃に特化した陣形、兵が集密集し陣を作るため、兵力が分散せず、攻撃特化の陣であり上杉謙信も得意とした陣と言われている、魚鱗の陣は本来兵数が相手より劣る場合に敵を突き破る陣として築かれる、しかし敢えて一気に家康を葬る為に魚鱗とした信玄。



それに対して鶴翼の陣とは、鳥の翼の様に兵を両脇に広く展開し、敵を包み全方向から襲い掛かる陣と言えよう、兵数が多い場合に取る陣形であり一般的な陣形と言える、但し翼の部分に厚みが無い場合突破され陣形が崩されやすい点があげられる。



三方ヶ原の戦いは家康が大敗北した戦として有名であり、戦う陣形も間違っていた、敵兵の多い武田側が攻撃力に特化した魚鱗で家康に向かって来る事で僅か二時間余りで2000名という多くの兵を失い、家康も戦場を逃げ回り、武田があまりにも強く、馬の鞍の上で脱糞したという事が多く紹介されている、なんとか命からがら浜松城に戻り、憔悴しきった家康の姿が書かれた絵が残されている、この時の恐怖を忘れさせない為に家康が書かせたという『しかみ像』と呼ばれている。



武田側の被害は200名程度と言われた圧勝の戦い、それが三方ヶ原の戦いである。

夕陽も落ち辺り一面暗くなり信玄は戦いを止めさせた、既に徳川の兵も散り散りとなり、残すは浜松城だけとなった。



「見よ、徳川の兵を家康を守るために多くの者が死んでおる、哀れよのう、あいつの為2000以上もの命が失われた、惨めであるのう、これだけ痛めればもう追って来れぬであろう、数日ここに陣を敷き様子を見た上で織田がいる京に向かう、野営の準備を致せ!」






「おのれ、役立たずの佐久間め、あ奴のお陰でこの有様じゃ、左翼が戦う前に勝手に霧散しやがって、見つけたらただではおかん、大切な兵が大勢死んでしまった、どうしたら良いのじゃ、城の門を開けよ、篝火を沢山焚くのじゃ、昼間の様に明るくするのじゃ! 武田が来る前に篝火を焚くのじゃ!」




「え~い、袴と褌を持て、褌と袴じゃ!」



「褌と袴ですか?」




「そうじゃ、余りにも怖くて、馬上で糞を漏らしてしまったわ、初めて脱糞してしまった、これも全部あ奴のせいじゃ、戦う前から陣形が崩れたのじゃ、佐久間め、武田に内通していたのでは、絶対に許せん!」



「見つけたら、あ奴の顔に儂の糞を塗り付けてやる!」




家康が行った偽計空城の計は見事に成功し信玄は城内に突入しなかった、その大きな理由は二つ、ほぼ無傷の武田軍、この状態で京を目指し織田との決戦に供えたい、もう一つは城には多く兵が隠れており罠だと勘違いした信玄は豪胆であるが常に慎重に動き懐疑的に捉える性格が家康に取って幸いとなった。



三方ヶ原の戦いは家康に取って生涯の中で唯一の大敗した一敗地と評される。




信玄は暫く留まり、浜松城の様子を探ると共に、城周辺の村々で乱取りし兵糧を蓄え、やり放題の悪事を働き三河の岡崎に向け進軍した。

信玄が乱取りに拘る理由に、兵糧も軍資金もここ数年の戦で枯渇していた、無い物は奪う、これこそが信玄の宿している業であり、業に身を委ねて領地拡大し領民を殺して来た宿業である。



信玄は正月が過ぎるまで浜松周辺で過ごし、年が明け、三河岡崎の手前、野田城に布陣した。




「御屋形様お薬になります」



甲斐に比べて温かい地とは言え、二月に差し掛かろうとする冬の時期である、長期に渡る戦疲れもあり咳き込む事が増えて来た、信玄は労咳を抱えており、勝頼の母、諏訪御料人、又の名を湖衣姫を労咳で亡くしており、その際にうつされたとされている、労咳は潜伏期間が人によって十年以上もあり、日頃の健康状態により中々発症しない場合もある、但し体の免疫機能が弱まる時に油断してはならない命取りの病である。



「夕方になると咳が出る様になった、少し肉など食した方が良いな、誰か、猪を仕留めて来るが良い、猪鍋(ぼたんなべ)と致そう!」




信玄は野田城にはそれ程の攻撃を行わず、兵力温存、城からの降伏を勧告しゆっくりと春を待っていた、そこへ予期せぬ者が甲斐から逃れて来た者が信玄の前に現れた。





「御屋形様、甲斐より千代女の配下という男が急ぎ面会を申し出ております、如何致しますか?」



「千代女だと? 配下の男・・・忍びか?」



「ではここに連れて来い、念の為衣服を改めここに連れて来い!」



千代女には配下の忍びが三名おり一人だけ生き残りがいる筈であった、その者であろうか?



「その方が千代女の配下という者であるな?」



「はい、以前一度だけお目にかかっております、千代女様配下の忍びであります」



「おう、確かにそうであった、千代女に何かあったのか?」



「はい、大変な事が甲斐の国で起きております、甲斐の国は那須に奪われております、甲斐の国全てが那須に支配されております、千代女様も捕らわれており、なんとか某が遠く越後から近江に抜けやって参りました、甲斐の国は下野の那須に支配されております」



「あっ・・・何を言うか! 誰一人その様な事が起きている事など知らせは入っておらぬ、きさま殺されたいのか?」



「間違いありませぬ、各関所を初め多くの獣道まで那須の者が監視しており、はい出る隙間がありませぬ、伝えたくても甲斐から出られぬのです」



「街道の木曽がいるでは無いか、木曽路であれば簡単に来る事が出来るでは無いか?」



「木曽、木曽様は既に那須に内通しており、木曽路も厳重に監視されております!!」



「ななな親族衆の木曽が内通していると申すのか! ありえん、絶対にあり得んぞ!」



「馬場を呼べ! 急ぎ馬場を呼べ!」





「御屋形様如何致しました、何を慌てております?」



「急ぎ手の者を使い、木曽路と甲斐の躑躅ヶ崎館を見て来い、こやつが言うには甲斐の国が下野の那須に占拠され支配下になってしまったと言うのじゃ、木曽も敵に内通しており木曽路が抑えられていると言うのじゃ、急ぎ手の者を使い、調べるのじゃ、誰にも言うてはならんぞ、はっきりせん内にこの話露見してはならぬ、それとこいつを監視せよ、嘘であった場合は磔と致す!」




これこそが軍師玲子の深淵なる策であった、武田家の領地を無傷で奪い、武田の力を太郎に移す渾身の一手を描いた策であった、西上野の長野業盛の戦力を失わず、一年以上前から木曽を味方に付けるべく動き、信玄が留守になる時を見計らって徐々に包囲網を作り揚げ、鞍馬の忍びが商店しおやを開き、薬売りとなり、情報を細かく掴み、獣道を抑え、外からも内からも出れぬように封鎖し、甲斐の国を占領してしまったのである。



後は武田信玄と那須資晴との戦で決着となる、父資胤より戦になれば帰還せよと厳命を受けていたが、一戦にて決着を付けるべく資胤の知らない所で、資晴も小田と北条に援軍要請をしていた、そして必勝の策を軍師半兵衛は描き、今孔明半兵衛たる証を打ち立てる軍議を躑躅ヶ崎館で開いた。





「以上前々から調練しておりました布陣を展開し武田をねじ伏せ致します、大切な事は守りの戦いではありません、叩き伏せる戦であります、力でねじ伏せる事が大事となります、戦意を失った敵は武装解除し戦場から離れる様勧告して下さい、以上となります、確認したい事はありますか?」



「武田も全力で来る事になり両軍合わせて4万以上となります、某の別動隊も全体の動きが場合によって把握出来ない事が予測出来ます、そこで合図の狼煙をお願いしたいが!」



「ご最もな話です、十兵衛殿から見える大きい狼煙をご用意致します、狼煙が見えるまで辛抱して下され!」



「承知!」



「他にありますでしょうか?」



「済まんが儂から、実は懐事情の話じゃ、皆に配った鎖帷子の代金はしっかり後日お支払い頂きたい!」



「えっ、それは余りにも、頂けぬのですか? 長野家では2000も買う事になりますのか?」



「あっはははは、当たり前で御座る、父上に借金して作ったのだ、とんでもない費用が掛かりました、城が一つ買える程の銭だったのです、もう皆様は身に付けて調練しており慣れております、新品でないので返品出来ませぬ!」



「若・・若・・・我らを嵌めたのですか?」



「儂は一言もあげるとは言っておらん渡しただけである、何なら分割でも良い、儂の懐も寂しいのじゃ!」



この後軍議は収集つかなくなり、戦の事より鎖帷子の代金で大揉めとなった。

 




「これより三方ヶ原に向かう、全軍出立じゃー!!!」


「お~!!」



結局鎖帷子の代金は三分の一が那須本家、三分の一が那須資晴、残り三分の一が各家で用意する事になった。鎖帷子を作る事は大変な労作業であり一年以上かけて毎日1000名以上の者が作業に従事し1万着以上が用意された、梅が刺客に襲われた際に身に付けていた半袖の鎖帷子の防御力に注目した資晴が作らせたのである。



 資晴の軍勢16000は三方ヶ原での布陣は以下のようになった。



 資晴を守る本陣 忠義率いる馬廻隊1000騎(弓騎馬隊)と長柄足軽500騎他伝令100騎



 八卦の陣(八門遁甲の陣)布陣


 最前線第一段3500名


 第1・千本義隆率いる騎馬隊(弓)500騎

 第2・千本義隆率いる騎馬隊(弓)500騎


 第3・山内一豊率いる騎馬隊(弓)500騎

 第4・山内一豊率いる騎馬隊(弓)500騎


 第5・芦野家弓騎馬隊500騎

 第6・芦野家弓騎馬隊500騎

 第7・芦野家弓騎馬隊500騎


 最前線第二段3500名


 第1・伊王野家弓騎馬隊500騎

 第2・伊王野家弓騎馬隊500騎

 第3・伊王野家弓騎馬隊500騎


 第4・福原資広率いる騎馬隊500騎

 第5・福原長晴率いる騎馬隊500騎 弓騎馬隊の弓の名手 福原資広の従兄

  

 第6・佐野家騎馬隊500騎

 第7・蘆名軍騎馬隊500騎


 第三段槍騎馬隊『蛇行突撃隊』槍2000名+弓400 計2400名


 第1・武田太郎率いる騎馬隊(槍)500騎+弓騎馬隊100騎

 第2・武田信虎率いる騎馬隊(槍)500騎+弓騎馬隊100騎

 第3・飯富虎昌率いる騎馬隊(槍)500騎+弓騎馬隊100騎

 第4・蘆名松本率いる騎馬隊(槍)500騎+弓騎馬隊100騎



本陣前防御専用八門3500名

(ピザの様に7つの集団に分かれており、それぞれに本陣に通じる道がある、ゆっくりと右回転している)


 第1・長野業盛率いる長柄足軽500騎

 第2・長野業盛率いる長柄足軽500騎

 第3・長野業盛率いる長柄足軽500騎

 第4・長野業盛率いる長柄足軽500騎


 第5・蘆名盛氏率いる長柄足軽500騎


 第6・佐野昌綱率いる長柄足軽500騎

 第7・佐野昌綱率いる長柄足軽500騎



別動隊 


明智十兵衛率いる騎馬隊(弓槍混合)1500騎




進軍を開始した資晴、那須資晴を倒さぬ限り甲斐に戻れぬ武田信玄、果たして勝負の行方は、いよいよ戦国史最強の武田軍とぶつかる事に、武田軍は浜松で勝利を得た事で寝返る者もおり、その数を3万と膨れ上がっていた、対する資晴は約半分の16000である、数字的に見れば圧倒的に不利である、どのような戦が行われるのか、史実に無い大戦が行われようとしていた。






── 浜松城 ──




「殿、殿、幕臣の和田様がお見えになりました、急ぎ支度をお願いします、幕臣の和田様になります」



「幕臣だと・・・義昭将軍の使いか、まさか儂に信長殿を襲えと・・・・? 」



「あなた様が幕臣の和田殿でありますな、一体私にどの様なご用でありましょうか? 見ての通り今は武田と戦い、お恥ずかしい姿なのですが!」



「判っております、それにしてもやれらましたな、勝敗は兵家の常であります、この大敗があればこそ大勝に繋がり申す、今は辛いでしょうが、ほんの一刻であります」



「励まして頂き感謝致す、大敗したこの徳川にどの様な事で?」



「では単刀直入に申し上げましょう、某間違いなく足利将軍の幕臣でありますが、今は那須家の客将となっております、本日は那須の客将として徳川殿のもとに参りました、これより話す内容は武田との戦で大敗した事などを忘れ一気に挽回出来る話をしに参った」



「一気に挽回ですと? 我らは武田に2000もの兵を殺されたのですぞ、その者達の事を忘れろとおっしゃるのですか?」



「忘れる、まさか、その様な戯言をいいに態々来ておりませぬ、むしろ亡くなった者達の無念を晴らす話で参ったのです、先ずは黙って私の話を聞いて下され!」




「良いか、徳川殿、既に武田信玄の国、甲斐の国は無くなりました、無くなったと言うより既に他の者が主となりました!!」




脱糞家康の話は有名ですね、馬も災難だったでしょう!

次章「五丈原」になります。

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