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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
159/331

159 元服

元服・・・現代の成人式ですね、毎年荒れた成人式の話題がニュースになりますが、恥ずかしい話です。

 




 ── 元服 ──





 元服とは子供から大人になったという証の儀式であり、通過儀礼とされている、戦国期の元服は12才~16才の間に行われるのが一般的であり、1571年3月15日、14才にて那須正太郎は元服式を行った。


 しかし、その裏側では100万石以上の大主の嫡子であり本人とは関係のない所で父である当主も正太郎を守るべく孤軍奮闘していた。


 遡る事数日、招待した格上の管領上杉家と、公家の山科 言継(ときつぐ)より横槍というか、今後を見据えた要望のやり取りに辟易していた当主の資胤。

 元服式の数日前に二人は那須に訪れ資胤に立場を利用し要望を吞み込ませようと立ち回っていた。

 それは将来正太郎が当主となった時に自分の陣営に付かせる為に二人して正太郎を猶子とするよう資胤に迫っていた。


 猶子とは養子と違い、仮親になるという意味合いであり公の場では仮親の子として認知される、関係性は養子の方が強く、仮親の家名や財産を継承するなどの特典は無いものの、一種の親族関係になる、今回のケースでは管領上杉謙信と公家の山科言継の二人が、仮親となり正太郎と仮の息子という関係を築きたいとの要望が資胤に力押しで呑ませようとしていたのである。



「確かにお二人のお話は承りました、しかし、二人同時に親となる猶子など聞いた事などありませぬ、先ずは那須家にて話し合い、それからご返事致します、但し、断る事になる事もありますのでご了解下さい」




「正太郎如何致す、その方にとって大事な話であるぞ、足枷になる話かも知れん、考えを聞かせよ!」



「管領様も山科様も自分に都合よく那須を引き入れたいのでしょう、管領様と猶子を結べば何かと戦に巻き込まれるかも知れませぬ、今も一向との戦をしている最中です、此度来たのは那須の戦力を宛にしているのやも知れませぬ、それに比べて山科様の場合は立場は公家であります、山科様に有利となる意味は、自らの立場を公家の中で示したいのでしょう、自分には大きい家が後ろ盾にいると示したいのでしょう」



「武家と公家です、安全な方はまだ山科様の方と思われます」



「では、管領様に対してはなんと言って断るのだ、八屋形の家は管領の家を支える立場ぞ」



「それこそ父上、元服式を利用致しましょう、そうすれば管領様の顔も立ちます」



「どいう意味じゃ、元服式と関係あるのか?」



「ですから、これこれ、この頭に載せる烏帽子親を管領様にやって頂きましょう、烏帽子親も仮親という意味があると聞いております、猶子より軽い関係であります、公家殿とは猶子を結び、管領様には烏帽子親になって頂くのです、これで解決であります」



「相変わらず冴えているのう、確かに烏帽子親も仮親だ、その方の後見役という意味を持つ、これで管領様の面子も立つ、各領主が沢山いる中での烏帽子親であれば効果も絶大よ、うん、それが良い」



「では早速両者に伝えて参る、しかし、これからも面倒事が増えそうだのう、儂の時は七家が集まっただけであったのに、竹太郎の時もこうなるのかのう、実に面倒である」



「某が大人になる式であります、面倒と言われると困ります、母上に言い付けますぞ!」



「あっははは、それとあの事も発表するゆえ良いな、これで正太郎も立派な大人の仲間入りだ」



「判りました、では父上、管領様と山科様によろしくお伝え下さい」



 山科言継は官位は正二位、権大納言、贈従一位、朝廷の財政を預かる最高責任者、内蔵頭として、後奈良・正親町両天皇下で逼迫した財政の建て直しを図る功労者と言える。

 朝廷財政の主な収入の内訳は諸大名からの献金であった。言継はその献金獲得のために各地を奔走することになった。


 公家の中で誰よりも各地の大名と渡り歩き、人脈の広さは戦国随一の者であり、本職の家業では有職故実(ゆうそくこじつ)(しょう)、製薬、和歌、蹴鞠、漢方医学、酒宴の企画開催、双六などの多彩な才能の持ち主でもあり、傍ら医業を内職しており、庶民から依頼を受けると診療を行い、薬や塗薬を与えるなど人としても心豊かな公家であった。



 当日は大勢の者が見守る中、前髪部分を剃って髪形を変え、衣服も大人用に改め、選ばれた関東管領上杉謙信が、烏帽子えぼし親として介添え役を行った。


 烏帽子親は、元服する者が前髪を剃ったあと、烏帽子を与える役目を担い、元服を迎える者に烏帽子を与え冠を頭に頂くのである。

 冠を頭に頂き、大人となった証の儀式であり、大人になった事を証明する者が烏帽子親である。

 烏帽子親は儀式の中で大変重要な位置を示しており、満座の中で誰もが見て相応しいと認められた者が役目を行う事で両者の関係が周知される事で仮親の意味が含められていた。


 この儀式で冠を頭に載せ一礼した後に、少年期の名前正太郎から大人となった名を紹介された。



「そなたの名は今日より正太郎から『資晴(すけはる)』と致す、資とは那須家代々の受け継がれて来た一字あり、その意味は物事の初め、物の初めという、那須家の祖である与一様に因んだ一字である、晴とはこの者の前では暗闇にも明が灯る事を意味し、天晴(てんはれ)ぬれば地明らかなり、天地明察の者也との意味が込められている、今日より其方は『那須資晴』と命名される」



 満座の聴衆が見守る中、忠義が大きい声で。


「資晴様おめでとうございます」


 と述べると、見守っていた全ての者が拝礼し、一斉に。


「おめでとうございます」



 と挨拶された、その後、管領殿より更なる慶事が紹介された。



「ここで資晴殿に度重なる慶事を紹介致す、資晴殿は山科言継様の猶子となられました、又、北条家氏康殿の姫君で鶴姫様と婚儀の約を交わされました事を紹介致す」



 万座の見守っていた全ての者が拝礼し、一斉に。



「おめでとうございます」


 と大合唱の挨拶となった。



 この後は広間中庭にこの日の為に特別に造られた宴席に移り、饗宴が開かれた。

 中庭には能舞台が設置されており、舞台から見て左右と正面にひな壇を作り那須家独特の催しが行われた、正太郎がこれまでに行った数々の政で領内が豊かになり、領民が共々に祝いたいの要望で企画された催しであった。



 獅子舞、烏山太鼓、猿楽、巫女舞の数々が披露され、大勢の招待客も貴重なる食材と澄酒、堺から取り寄せた珍陀酒(ちんたしゅ)も振舞われた、口直しのデザートには『那須プリン、珠華プリン』も出され、土産には全ての者に『蜜のカステラ』が用意されていた。



 各地から来た大名は元服式を終えても那須の様子を探るべく帰還せず逗留する家も多くいた、その中で会津蘆名家より紹介された小さき豪族が資晴に面会を求めたのである。

 その家の名は田村郡の田村家である、征夷大将軍 坂上田村麻呂の末裔とされる田村清顕(きよあき)が資晴に面会を求めて来たのである。



 何故当主の資胤ではなく元服を終えたばかりの資晴に面会を求めたのか蘆名に確認すると長年蘆名と戦い鎬を削った相手が那須に臣従し、その経緯を聞き、三年に渡り飢饉で苦しむ蘆名を那須の家では国を挙げて糧食を手当てした経緯を知り驚き、その差配を行った若き嫡子に会いたいとの理由であった。



 田村の領地も同じく飢饉に喘ぐ中多くの者が亡くなり領主としての責が果たせず苦しんだ経験から他家が国を挙げて支援する話を聞いた事が無くだからと言って簡単に臣従するとは考えられ無かったのである。


 田村家は征夷大将軍の末裔であり、相手が誰であろうと膝を屈せず数百年に渡り領地を守り独自の道を歩んで来た家であり、独立心が強い家である、佐野家と似た古武士の家である。




「判り申した、では某で良ければお会い致しましょう、城の広間にてお待ちしております、田村殿にそうお伝え下され」



「父上、田村家が私に面談を求めて来ましたゆえ、広間にて謁見致します、田村家とはどの様な家でありますか?」



「田村家であるか、征夷大将軍の末裔の家であるな、那須とは特に縁など無いが、古き家であり、那須と同じく弓の家である、那須駒と同じく三春駒という馬がいる地である、ある意味数年前の小さき家であった那須と似ている家では無いかと、それと戦上手な家であったと記憶している、それ位しか儂も知らぬ、まあー話を聞いて見るが良い」



「判り申した」



「那須資晴であります、此度は態々某の元服にお越し下さいまして感謝申し上げ致します、田村様にて私に用があるとの事、折角ですので誼を通じる場と致しましょう」



「お時間を頂きありがとうございます、折角の場にて忌憚なく教えて頂きたい」



「私の田村は此れまでに周辺諸国と何度となく戦を行って参りました、所が蘆名が那須に臣従してより戦がぴたり止みました、蘆名もそうですが、蘆名に臣従しておりました須賀川二階堂も静かになりました、これは那須の若様が采配したとお聞きしましたがそうなのでしょうか?」



「その事でありましたか、那須に臣従しているお家で止む無き場合は別として、戦を止め、領地を広げるより内政に励み富ませる政に専念する様に申し述べております、蘆名には特に三年に及ぶ飢饉にて領民が飢えに苦しみ多くの者が亡くなりました、その様な時に戦を行うは天に唾する愚かな行為であると厳しく申し述べております、きっとそれにて蘆名と臣従しておりました須賀川二階堂が静かになったのです」



「では内政に力を入れ領内が富みましたら又戦を行いますか、私は今後の見通しを知りたいのです」



「これまで戦をしておりました田村様であれば備えたいという事でありましょう、でははっきりと申します、こちらからは戦を仕掛けませぬ、その様な愚かな事に時間を割いている場合ではありませぬ、領内を富める政は十年、二十年、数十年と長き刻が必要であります、人の一生を賭しても足りぬ仕事になります、戦で領地を得ても富はありませぬ、我らの武家が領地を治める使命は領内に住む者達に豊かに生きる場を作る事であります、戦など下の下の下策であります」



「・・・・これは驚きました・・・では我らは下の下の下策を行って来たという事ですか?」



「憤る気持は理解出来ます、ではお聞きします、田村様は戦以外何をされて来ましたか? どの様な政をされて来ましたか? その政に民は、農民は豊かになりましたか?」



「・・・・・」



「田村様本当に強き家とはなんで御座いましょうか?」



「戦で強き家は沢山あります、では戦が止み戦いが無用となりましたらその家はどうなりますか?」



「それが答えになります、我が那須家は常陸の小田家、小田原の北条家と三家にて無用な戦を避けようと、こちらから戦を仕掛けずに、共に領内を富む政を致そうとしております、日ノ本1800万石の内約400万石(本当は500万石)の領内では戦が止んでおります、大きい池に投じた一石の波紋が広がる様に政に力を入れております、田村様が戦を仕掛けて来ぬ限り我らは何も致しませぬ」



「折角の場で御座います、私の説明に疑義が無く確かにその通りである確信出来ましたら、共に波紋を広める政を致しませんか? 田村の田村たる由縁は何でありましょうか? 本来帝が世の政を治める律令を武威を持って支えたお家が田村様のご先祖様であります、汝須らく 一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者かというお言葉こそ田村様に相応しい言葉であります」



 間もなく40に成ろうとしている田村清顕は聞いてはいたが、これほどまで完膚なきまでやられた事に、実に清々しい思いと、田村たる田村の由縁を14才の若者に諭された事に不思議と身体から熱を帯びていた。 (まだ間に合うのであろうか、某にもそのような政を行う時間が残されているのであろうか? 出来る事なれば領民の豊かになった民の顔が見たい、譜代の民達に豊かで平穏な暮らしを与えたいと願っている自分に笑みを浮かべていた)



 史実の田村家は、蘆名、須賀川二階堂、相馬、石川、岩城、伊達と言った周辺諸国と戦を繰り返し、最終的に勢力を伸ばして来た伊達家の政宗に一人娘の愛姫を嫁がせ伊達家の下に付き家の安泰を図るが、小田原への参戦をしなかった事で秀吉から改易となる、史実の那須家と同じ運命を辿るのである。







 ── 牛痘 ──





「へえー史実と同じ資晴になったんだ、やはり大きな流れは同じなんだね、これで那須資晴の誕生か、なんか不思議な感じだね、実際に会っていないけど、もっと正太郎といろいろやりたかったね」



「でも同じ人間だし、正太郎でも資晴でも同じですよ、これからが本番なんですから、玲子さん、軍師お願いしますよ」



「判っております、では資晴殿に最初の指令を出します、ちゃんと伝えてね、結構大変な事だから、数千名の人命が掛かっているから」



「えっ、戦でもありそうなのですか?」



「戦と言えば戦だけど相手は病原菌、疱瘡よ、私達の言葉では天然痘がそろそろ危険な時なの、今から手を打てば被害が軽減出来るから」



「えっ、ワクチン? まだ無理ですよ、そこまで医学が進んでいませんよ」



「大丈夫、ワクチンと同じ効果が得られる方法があるから、公家の錦小路殿が先験的な事を取り入れていたでしょう、覚えている?」



「公家殿ですか? そんな事ありましたか?」



「牛よ牛、以前天然痘に罹患し回復した侍女を何名か養っていたでしょう、この者達はもう天然痘に掛からず、罹患した者達の介助が出来ると正太郎に説明したの覚えて無いの? あれよ、それに牛を沢山飼っているでしょう、その牛の中に瘤が出来た牛がいる筈だから、牛痘に罹患している牛がいるからそれを利用して今の内に免疫がある人達を増やしておくのよ」



「そんな事が出来るのですか? 相手はウィルスですよ」



「この天然痘は紀元前から人類と戦って来たウィルスなの、全世界で古代の文明社会が被害を受けて来て、時代時代の医師達が治療方法を探していたの、それも2000年以上も掛けてね、確かにワクチンの開発は現代にならないと無理だけど、それに近い治療方法を江戸時代の後半特に末期には見出すのよ」



「それはどんな方法なんですか?」



「偶然の産物と言えば簡単だけど、不思議な発見と言うか、ある時こんな噂を聞くの、酪農で牛から乳しぼりをしている農婦は天然痘に掛からないという不思議な言い伝えが、当然嘘であろうと思うも確か/

る事に、その結果、ウシの病気である牛痘(人間も罹患するが、瘢痕も残らず軽度で済む)にかかった者は天然痘に罹患しないことがわかってきたの、その事実に注目し、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1796年、8歳の少年に牛痘の膿を接種させた後に天然痘の膿を接種させ、発病しないことを突き止めたの、ジェンナーの名前位聞いた事あるでしょう?」



「ごめん、何の人だか知りませんでした」



「まあーいいは、それよりワクチンに近い治療方法はウシの病気である牛痘を利用するの、牛痘接種(種痘)によって天然痘を予防する疑似的に天然痘に罹患させ体内で免疫を作る方法よ、基本的に私達がワクチンを打つ方法と同じよ。」


「でもその牛痘を打つ訳だから打たれた人も牛痘に罹患しますが、大丈夫なんですか?」



「確かにそうなんだけど、本物の天然痘に比べたら問題無いの、人間には症状が軽く、瘢痕も残らず、しかも近縁である天然痘ウイルスに対する免疫を獲得できるというおまけ付きだから今の内にやるのよ、そうしないとアイヌ人が特に危険だから」



「えっ、アイヌの人達ですか?」



「あっ、ごめん最初に理由を説明していなかったね、蝦夷のアイヌ人と接触した事で病気に対する抵抗力が無いアイヌの人達は本土から伝染された天然痘で大勢の人達が亡くなるの、何故アイヌの人口が少ないのか? それは天然痘に罹患し多くの人が亡くなり極端に人口が減ってしまうからよ、折角義兄弟が出来たのに同盟者たちが死んだら大変だからよ、この治療方法を知っているだけで数段上のアドバンテージを稼げるわよ」



「それは大変な事じゃないですか、判りました、やり方を教えて下さい、伝えますので」



 天然痘は古くから日本でも蔓延しそれこそ多くの者が亡くなった災害とも言える伝染病であった、赤いお守り、赤ベコ、赤い布で作られた人形など、これらは魔除けとして作られた経緯があり、その魔とは天然痘を指したと言われている、東北のお土産屋さんには首を振る可愛い赤ベコの人形が売られている、元々は魔除けの人形であった。



 さあー正太郎は『那須資晴』となりました、少年期を卒業となります、第二幕は青年期の資晴の活躍となります、皆様これにて、少年期正太郎を卒業致します、159章という長い時間を要しましたが拝読のお付き合い大変に感謝申し上げ致します。


 誤字脱字の指摘訂正本当にありがとう御座います、第二幕、青年期の資晴の応援よろしくお願い致します。


 感想、プレビュー よろしくお願い致します。


 草々




『那須資晴』の誕生しました。皆様応援ありがとう御座います。

次章第二幕『刺客』になります。

いきなり危険な題名に・・・・大丈夫かな?

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