155 500万石
早いですね、もう収穫です。
─── 三家の石高 ──
北条家は昨年185万石から198万石に、駿河侵攻での影響が残り残念ながら200万石には手が届かなかったが、武蔵と上野での石高が貢献し198万石まで伸ばした。
那須は昨年124万石から140万石に、会津と西上野でも塩水選による田植えが出来たが、田への肥料まで手当てする時間が無く伸びは+16万石であった。
小田家は昨年は140万石から165万石という大幅な増で一気に25万石という伸びがあり、この伸び率で行くと2~3年で北条を抜く勢いの石高に、その大きな理由は小田家の領地が北条と那須に比べて大きい山も無く、なだらかな平坦の地が多いという理由がある、特に常陸、上総、下総には河川も多く、用水を引きやすく、平坦な荒れ地の開墾が二家に比べて広がった事が貢献した。
その結果、1570年度の石高は。
北条家が198万石
小田家が165万石
那須家が140万石
合 計 503万石
昨年より54万石も増えた事になる、一つの大きい国の石高を得た事になる。
三家では年貢を五公五民となっており、54万石の半分が実質の入る石高であり半分の27万石が農民達が増えた石高になる。
これを現代の金額に置き換えてみると、米の相場ここ数年下がり安定しており、米一石は1000合であり1合は1文、現代の100円となり、一石の価格が10万円である、お米屋で30キロの袋、5袋が1石になります、30キロ一袋2万円という計算になります。
では27万石が農民に渡るという事は10万×27万となり=270億円になります。
その結果、三家で270億円、三家の農民達で270億円という莫大な収入増となるのです。
特に那須と小田は数年間で石高を一気に増やしています。
ここで大きな問題が又もや発生、貨幣経済が整う中で、物々交換から銭による交換、支払いと仕入れの基本となる銭不足が徐々に押し寄せる事に、那須では一度経験しており、油屋から大量の銭を金と交換したが又もや不足し始める事態に。
── 洋一と玲子 ──
「三家は順調に石高を増やしている様ね、当面の目標だった500万石を達成するとは大した物よ、京周辺が信長を中心に騒がしいから、こちらは着々と内政を充実させて今度は強兵の政策も見直しだね、前回は確か400万石の時に常備兵10万を目指していたから増やせるね、特に帆船も増えているしね」
「そうですね、しかし、500万石でも最後残るのは難しいのですか?」
「考え方なのだけど、北条が改易され滅亡した時の石高が北条家が約280万石、その他北条側と同じ様に豊臣側の小田原征伐の命に中々応じなかった家々が120万石強と言われているの、合計すると400万石だよね、小田原城が豊臣側に囲まれ、援軍を寄せ付けなくて結局降伏して開城するけど、何も抵抗出来ずに終わった事実を考えると500万石では残れない様な気がするは、もう一段、二段と石高と武器も含め戦力の充実が必要だと思ってね」
「玲子さんの頭の中では生き残る戦略は描かれているのですか?」
「勿論よ、私の中では生き残るだけじゃないわよ、もっともっと上を目指しているんだから、秀吉は通り道みたいな物よ、侮ってはいないけど、まだまだ三家の力を大きくする事を考えているのよ」
「最近は特に正太郎に伝えていませんが?」
「じゃー二つ伝えて欲しい事があるの、一つは銭が不足しているって言っていたよね、500万石の領内で銭不足だと経済が狂って来るから北条家に鋳物技術が整っているから銭の金型を作らせて、三家で共通の銭を作る様に手配して欲しいの、米余りが起きそうだから、米を買い取って新しい銭を渡すのよ、米の価格が全ての基準だから一合一文でどんどん買い取って銭を領内に行き渡る様にしないと大変な事になるから」
「それと小田家で作っている帆船の増産を急ぐように、300石~500石船だけでも数年後には100~隻は整えて、海軍を作るの、小回りの船も沢山必要よ」
「えっ、そんなに必要なんですか、何に使うの?」
「何って、三家の船で、交易を確立するの、航路をしっかり作るのよ、蝦夷から琉球までの日本を一周する交易の確立よ、停泊する港だけでも数十はあると思うよ、今の正太郎達の戦国時代の交易は、例えば堺~小田原~堺という二ヵ所が行き来する交易だから、堺は方々に交易をしているけど、日本を一周する交易ルートはまだ確立されていないの」
「えーと北前船ってありませんでしたか?」
「それは江戸時代になってから近江商人が活躍して航路を作ったのよ、但し主に日本海側を中心に作られた航路なの西回り航路の事を北前船が主に活躍した所、それに比べて東回り航路って呼ばれている北条家、小田家、那須家の海は太平洋側だよね、当時の和船は陸沿いに船を走らせるから、潮の流れが重要で、太平洋側は陸から離れないと潮の流れが逆になって進めなかったの、太平洋側を進むには陸から離れないと行けないから危険を伴っているから、海が荒れて遭難する事故もあったの」
「どっちにしても今の正太郎達の時代では交易の航路は確立されていないから今の内に誰にも邪魔されない時にやった方がメリットがあるから、一周する航路の確立を考えれば最低でも数十隻は常に運行されていないと補えないから必要なの」
「では中継地点にしっかりした港がないとダメですね」
「そうね、先ずは三家の太平洋側を確立した方が良いかな、蝦夷から琉球までの海運よ、巨万の富を生み出すから戦争なんかしている場合じゃないの、その二点をしっかり伝えて欲しいの」
「判りました、それと来年春に正太郎が元服する様です、それは放置でいいですか?」
「うん、放置放置で問題無し、史実だと那須家最後の当主那須資晴の誕生なんだね、最後にしないから、私が付いているから問題無し!」
── 正太郎 ──
「では和田殿済まんが将軍と油屋に使者となって行って欲しい、特に将軍には誼を通じておくが良い、誘われるかと思うが、銭を渡して置けばなんとか大丈夫であろう」
「はっ、重要な役目喜んで引き受けまする、いつかは将軍の下に行かねばなりませんでした、調度良い時期と思います」
那須家に先の将軍義輝に仕えていた幕臣の和田が那須に居るという事が将軍に伝わり、戻る様にと文が届いたのである、その文には新しい将軍義昭に仕えるようにと命が書かれていた、和田は那須に必要な人材であり今更将軍に仕えても意味のない事だと和田も理解していた、そこで正太郎と相談し、幕臣の状態で那須で預かる方法を考え、一旦要望通り京に行く事になった。
京将軍家。
「よう戻った、僧侶であった時に何度かお目にかかったが、今では儂が将軍である、その方は幕臣であり、儂に仕える事が当然である、なにゆえ今まで戻らずに那須に居たのだ?」
「はっ、先ずは遅くなりましたが、将軍宣旨を受け見事、征夷大将軍になられました事おめでとう御座います、将軍の威光により京も平穏となる日は間もなくと思われます。」
「某の事を忘れず文を遣わされ心より感激しこの度、急ぎ駆け付けました、しかし中々直ぐにはお仕えする事が出来ませぬ、某の忠臣からのお話を致します」
「何直ぐには戻れぬというのだな、理由があるのであるな、説明せよ」
「では、大きい声で話す事が出来ませぬ話ゆえ、今少し近づきます、お許し下され」
「判った、近こうよれ、お前達も近づくが良い!」
「ありがとうございます、では・・・実は上様が今織田殿から将軍が行うべき政に横槍を入れておると聞いております、そこで某の世話になっている那須の家では将軍を支えるべく密かに、私に将軍を支えるには多くの銭が必要であると、那須の国は遠くの為軍勢を差し向ける事は出来ぬが支える事が出来る品として、将軍が自由に織田殿に気兼ねせずに使える銭が必要であると判断され、某に託されたのです」
「なんと本当か、もう那須にまで伝わっておるのか? それに儂を支える為に銭をと!」
「此度は500貫の銭を私に託し、お持ちしております、後ほどお納め下さい」
「それと戻れぬ理由に、那須殿が言うには、某和田は、義輝様の時より各大名家に使者として遣わされており多くの家と誼を通じておりました、その人脈を生かす為に、私を使い那須の家が大名家と誼を通じ、それが何れ将軍を支える勢力になるであろう、それゆえ、京に留まれば織田殿の目が光っており動けなくなるから那須に戻る様にとの話を将軍に伝え承諾を得る様にと話されたのです」
「なんと・・・確かにそうである・・・・ここにいるより其方が動い分那須が他の大名と誼を通じて行ける、その誼を辿り儂を支える勢力を作るというのじゃな!」
「仰せの通りで御座います」
「これは驚いた、皆の者この話如何思う?」
「これは朗報です、大きな味方が現れました、和田殿が多くの大名家に使者として遣わされていた事は周知の事です、京で動けば監視されます、那須の地であれば問題とならぬでしょう」
「これは紛れもなく朗報である、自由に動くにも織田から銭を拝領せねばならぬ身の上では何も出来ぬ、この500貫は自由に使える銭であり、これからも期待出来る銭であると思うが和田よ、期待しても良いのかのう?」
「毎回500貫という訳には参りませぬでしょうが、支援の約束は取り付けております」
「お~、聞いたか? 那須の石高はどれ程である?」
「大まかですが、約80万石程であろうかと!(本当は140万石)それ程多くの石高があるのか、わが味方に80万石が付いたという事じゃな、これはでかいぞ、その方和田よ、ここはやはりお主は那須が言うの様に他家と那須の地から誼を通じる方が確かである、やはり戻るが良い、幕臣としてこれまで通り客将としているが良い!」
「はっ、ありがとうございます、それと那須殿の話では、織田殿から遣わされ幕臣になった者にはお気を付けて下されと言っておりました」
「それは大丈夫だ、その点は儂も警戒しておる、それにしても許せんのは儂を利用だけして儂の動きを封じ込めようとするとは、あの織田は一体何を考えているのか、確かにあ奴のお掛けで将軍には成れたが、これでは傀儡では無いか、何故儂が織田の許可を得ねば何も出来ないのか、今は大人しくしておるが、和田の様に儂を支える者達が増えるであろう」
「那須殿にはくれぐれもよろしくと伝えるのじゃ、いずれ官位なども申請すると伝えるのじゃ」
「はっ、ありがとう御座います」
和田は無事に将軍の下を去る事に成功し、油屋の境に向かった。
堺では信長に矢銭2万貫を渡し、その後の状況を確認する事と金と銭の交換が滞りしている件を確認する事が目的であった、また出来れば砂糖も仕入れる事が出来るのかも確認する事になっていた。
油屋と対面した和田は疲れ切っている油屋に話を聞き同情していた。
「矢銭以外にもそのような要求があったので御座るか、それで応じたのか?」
「既に銭も渡してしまい、後には引けなくなり、結局皆で応じる事に致しました、某の宝であった品も織田家が保管し守り世にお披露目する名目で茶器も持って行かれてしまわれた、もう手元には戻らぬでしょう」
「なんとそれではただ同然で取られたのですな、悪賢い知恵でありますな、勝手に守るから出せとは、余計なお世話で迷惑な話でありますな」
「それに矢銭を取り纏めた宗久が今では織田家に入りびたりで一人で大儲けをしております、御用商人となって身代を大きくしております、あ奴も悪知恵が働く奴で同類なのでしょう」
「しかし手をこまねいている訳にも参るまい、明銭との交換はどうなる?」
「あ~それなら4万貫も貯まっております」
「それは沢山貯まったのう、皆協力してくれたのか?」
「それもありますが、織田が矢銭を要求したので、この際渡す2万貫を堺にある悪銭で収めようとなり銭を集めるだけ集め、織田には悪銭を渡したのです(笑)その時に選別して残った4万貫が蔵に残っております、金と交換できる良銭になります」
「それでは少し意趣返し出来たのであるな、それと砂糖はどうであるか?」
「やっと最近南蛮の船が戻って来たばかりで手元には300貫程しかありませぬ、京周辺にも卸さねばなりませぬから150貫程しか渡せませぬ」
「ちと耳を貸すが良い、まだ誰にも言うてはならぬが、那須がいよいよ蝦夷と交易を行う、明年から蝦夷の品が入る、昆布も入るぞ、それと干した鱈であるがこれが本当に旨い、極寒の地で乾燥させるからであろうが旨味が凝縮しておる、そちは油屋であるから口に入る物が主な品であろう」
「なんですと蝦夷ですか、それは聞き捨てならぬ話ですな、些か元気が出て来ましたぞ、昆布は是非とも欲しい品ですな、それと干した魚ですな、酒に必要な品です、一向の者や坊主達が挙って買うでしょう、是非ともこの油屋が仕切りたい物です」
「若様よりいろいろと詰めの話をしたいと申していた、明年3月に元服を迎えるその時に祝いの品を持って来るが良い、いよいよ若様が表に出る時ぞ、茶器の一つ、二つを取られたと言って嘆いている時ではないぞ、これからが本番ぞ!」
「判り申した、手元にある銭4万貫と砂糖150貫、油など多数用意します、和田殿はその船にて乗ってお帰り下され、火薬も貯めておったのがありますから全部渡しましょう、火薬はもう扱えぬ様です」
「そうか、やはり織田が関係しておるのか?」
「ええ、元々今井宗久が鉄砲と火薬を扱っておりましたので、今後は織田家に回すのでしょう、他の者には入りませぬ、そうだ、那須の家には米は売る程ありますか?」
「あ~沢山あるぞ、それがどうした?」
「織田殿が戦を始めており本願寺でも蓄えようとしており、値が上がっており品不足なのです、この秋の収穫も先物として既に買われており今では例年の倍はしております、もっと上がると見ております、しかし、売る米が無ければやりようも無く、米があるのであれば幾らでも買いまする」
「では船を寄こすが良い、万石単位であると思うぞ」
「では四隻程差し向けましょう、久慈川の港はどうなっておりましょうか、完成しましたか?」
「まだ使えぬ、あと半年は無理であろう、大津に停泊するしかないの、大津は以前より整備されておるから1000石船も停泊出来るぞ」
「本当で御座るか、では1000石船も向けましょう、帰りは米を満載して帰る様に致しましょう」
三家で500万石という富があればこの時代のあるものであればどんな物でも手に入れるだけの財力と言えよう、三家で動く戦略、三位一体という言葉が適格かも知れない、現時点では一番大きい勢力と言えよう。
500万石とは言わないから500万円欲しい私です。
次章「品評会と秋祭り」になります。