夢日記
中三の師走の暮れ、私は夢を見た。このような夢を見るのは久しぶりであった。今思うと、なぜこのような夢を見たのか不思議で仕方がない。私の深層心理かとフロイトのようなことを考えては、そういえば夢判断って否定されたんじゃなかったっけ、と思う。まぁ、とにかく話を聞いてもらおう。
私は、自分の部屋のベッドに座っていた。そして、目の前には本来ないはずの本棚が斜めに置かれており、それを隔てるようにして二人の顔を知った女がいた。区別のためにAさん、Bさんとしてこう。Aさんは本棚にもたれ掛って文庫本を読んでいた。彼女は背が高いのだが、座ると余計にその足の長さが強調される。まさに、モデル体型といったところだろう。背表紙には「林真理子 アッコちゃんの時代」と書かれていた。その横にはもう読み終わったもであろうか、数冊の本がきれいに積み上げられていて一番上の表紙には「ゲゲゲの女房」と書かれていた。
彼女の本を読むたたずまいは、何か冒涜してはならない絶対不可侵的な何かを初め感じた。そして、黒髪の普段まっすぐ下されているのを頭頂部できつくまとめたポニーテールに目が無意識に行った。あの艶やかな髪はどうなっているのだろう、一度手櫛をかけてみたいと思っていた。
ポニーテールから目を下すと、項に目が行った。高いところで結んでいるので普段よりそれがはっきり見え、彼女の美しさに色気を感じる一つの所以となった。彼女は普段は眼鏡をかけているのだが、その時はかけていなかった。コンタクトを入れているのか、本を読む時々に目を気にしているようなしぐさを見せた。普段見せないその顔を私は目に焼き付けようと、じっと彼女の顔を見ようとした。が、私は彼女の顔を直視することができなかった。私は現実でも夢の中でも彼女と面と向って話せないのかと自分の奥手な性格を恨んだが、私の中の自我がそれを許さないがために今の自分が存在するのもまた事実である。
私は将棋をやっていた。この世界では私のような性格の人間が強いといわれている。そこでは相手の先のまで読まなければならない。だから、相手が指した手に対してすぐに飛びついて手拍子で指してはいけない。重く腰を据えて時間をかけて自分が納得する手を導き出さなくてはいけない。後悔をしないように。実際に私は我田引水かもしれないが強かった。大会でも何度も優勝していたし、今度遅いながらも奨励会に入ろうかと思っていたし周りもそれを応援してくれた。
しかしこの時ばかりはこの幼い時から将棋に打ち込む過程で形成されていった性格に初めて将棋をしていなければと思ってしまった。しかし私が将棋をしていなければ彼女らとは出会っていなかったであろう。将棋をしているものにとって、一度は夢に見るプロ棋士。私もその一人であったので、先生方が扇子や色紙に揮毫しているのをそばで見ていた。先生の中にもその上手下手はあったが、私はその時に前者になりたいと強く思った。だから、近所の書道教室に通うようになった。そこでBさんと出会った。
Aさんは同級生だがBさんは一つ下の後輩だ。一度体験で教室に行ったとき、空いている席がなかった。その時彼女の友達であろうか、隣に座っていた子が洗い場に筆と硯を持って行った。五分ぐらいでその子は洗い終え、書道バックに道具一式を片付けると、荷物を持って帰ってしまった。必然的に私は彼女の横に行った。その席に来た時彼女の横顔を見た。彼女の顔は日本の女性という言葉で言い表すことができるだろう。彼女も同じく長い黒髪を持ち、それを下ろしていた。目は大きくはっきりとしており、顔の中で一番輝いていた。そして色白で細くもなく太くもない、いわば健康優良児そのものだった。私は隣に座った。横目で彼女を見ていると、私はそれに釘付けになった。彼女のピンと伸ばされた背筋と見事な正座。しばらくすると直しが終わった書道の先生が教えに来てくれた。先生は筆の持ち方からうったてまでをその日は教えてくれた。そして迎えが来て私は家に帰った。帰りの車の中で私は彼女のことばかりを考えていた。あの自らの作品を書く際に半紙におろされていた視線。そのまっすぐな自分と向き合う曇りなき眼。それが忘れられなかった。あの眼をもう一度見たかった。彼女にもう一度会いたかった。
それから次の教室がある一週間、私は彼女のことで一杯であった。そして一週間後、書道教室に行った。前と同じ時間に行くと前と同じ席に彼女はいた。今日はすでに隣は空いていた。私は親に買ってもらった書道バッグをもってその隣に座った。
斯くして私とBさんは出会った。
Bさんは私の本棚から何かを探しているようであった。といっても、本棚には将棋の専門書と漫画と純文学の文庫本しかないのだが…。
私はずっと彼女らを見ていた。なぜかすごく幸せな気分だった。わたしは、彼女らのことが好きであった。命を懸けてでも、全てを投げ売ってでも守れると思った。そんな一目惚れをした彼女らが同じ空間にいる。それを私は見守っている。「夢よ、覚めてくれるな。私を夢の住人にしてくれ。私のすべてを奪ってもいいからここに永遠にいさせてくれ!」そう願った。夢だとわかっている夢だけにその願いは強いものだった。それと同時に、この居心地の良い時間もいつかは終わってしまうと頭の隅では考えてしまっているのだ。
その時、Bさんと目が合った。多分十数秒は見つめあっていただろうか、その間私の頭の中は真っ白になった。そして、真っ白な頭の中には私の浮薄な考えの代わりに彼女の美しさが液体となってそこに流れ込んできた。妙に心地よいもので私と彼女とのこれまでがフラッシュバックされた。
ブザーが鳴った。昼食の合図だ。するとBさんはすっと部屋を出て台所へ向かった。Aさんの方はというと文庫本にしおりを挟み、積み上げられた本の上にそれを置くと立ち上がり、ドアのほうを向いた。彼女がドアノブに手を差し伸べようとしたとき、私は彼女に話しかけていた。
「こうやって話すんは久しぶりやな。吹奏楽は今どんな感じなん?」
「今はアンコンの練習しよるんよ。Bさんと同じトロンボーんで金管八重奏の曲やるんよなー。」
私は彼女と並んだ時初めに思ったのが彼女の背が伸びていたことだ。もう私と並びそうな背丈だった。
「背えのびたなぁ。今なんぼあるん?」
「165」
とてもあっさりした答えだった。身長のことはあまり触れてほしくないのかと思ったとき、彼女の顔を見た。言葉に詰まった。人間は素晴らしモノや形容しがたい美しさに触れる時に、にやけて言葉が出なくなるというのを聞いたことがあるがまさにそれであった。その時私は絶対の美に触れた!その形容しがたいほどの美を前にして私は立っているので精一杯であった。精一杯の言葉を考えてただ一言言った。
「きれいになったな。」
彼女はこの言葉に答えることはなかったが、その表情は嬉々としていた。その美しさに耐えられなくなり目が覚めた。




