異世界は突然に
ふっと意識が一瞬遠のくような瞬間を感じ頭を振る。
視界が黒を押しのけて見慣れた山の景色が目に入るけど、
なんだか今日は特別に、目に痛いほど木々の緑を感じる。
アプデでも入ったのかもしれないし、
ちょっと山小屋で休憩しながらお知らせでも確認しようかな。
ゲーム特有の簡略化された畑仕事をしていた手を止めると、
すぐ右後ろ側にある簡素な山小屋に入る。
外はログハウス風だが中はロココ調風で、自分が住んでるマンションの部屋の内装とほぼ同じになっている。
合わせるつもりはなかったけどやっぱり自宅が一番落ち着くということかな。
もちろん山小屋風家具も揃えてあるけどあんまり使ってない。
このチグハグさは人によっては嫌がるだろうけど誰も招くことはないから気にしない。
コーヒーを入れてソファーに腰掛けるとふぅーと肩を叩きながらため息をつく。
冷たいコーヒーを一息に飲むと痛覚設定を切っているにも関わらずこめかみが少し痛む気がした。
別に疲れた感じはしないんだけどな。
VRMMOのやりすぎはやっぱり脳をよく使うんだろうか。
最近一人暮らしを始めて食事も適当に済ませるようになったし。
コーヒーが好きで飲みながら夜更かしをしてVRMMOをやっても怒る人は誰もいなくて
ついつい深夜帯を通り越し早朝帯までプレイしてしまうようになってしまっている。
仕事は特にハプニングもなく、苦も無く楽もなしという感じでこなしているけど、
昼休みにVRMMOをプレイしたくてたまらなくなるのが現在の悩みといえば悩み。
他の趣味は読書とか音楽を聴く事とか一人でできるものばかりで、
誰かと共有したいという意思も特にないからSNSなんかもやっていない。
唯一VRMMOは人と交流しながらできるが生来の人見知りでゲーム内でもいつも一人。
初めて5年にはなると思うのにまだ一度も人と話したことがないと伝えれば、
その程度がわかってもらえると思う。
つらつらと自虐的なことを考えながらお知らせを読んでみるけど、
特に新規のアップデートなどのお知らせはないみたい。
とりあえずログアウトするか。
ログアウトボタンを押し、いつものように悪酔いしないよう目を瞑ると目前が真っ黒になり
ヘッドギアを外そうとして……あれ?あれ?……ヘッドギアが無い?
貰っている給料では少々痛手だった大事なヘッドギアの感覚が頭にない。
目を開けるとそこには変わらずゲーム内の山小屋の内装が広がっていた。
腕をつねってみると痛みを感じる。
・・・何か強烈に嫌な予感が背中を走る。
もう一度ログアウトしようと瞬きで操作するがメニューやアイテムボックスなどは確認できるものの、
ログアウトのボタンはログアウト済みとなっている。お知らせも見られない。
バグで今だけログアウトできないだけ?
ログアウトできないってログインしている状態の本体が放っておかれたら死んじゃうかもしれない。
今は独り暮らししてるし仕事は無断欠勤になるとはいえ家までわざわざきてくれるとは思わない。
それともまさか……これは巷ではやっているという……異世界転移??
どうしよう
そりゃゲームは楽しいし大好きだけど現実に変わってしまったらそれが現実になっちゃうってことで
そんな状態で俺SUGEEEなんてできるとは思わない。
もし異世界転移だとして山や山小屋がそのままってことはフィレオノールの世界のまま?
他のプレイヤーの人も同じ感じになってるのかな?
とりあえず山の結界を作動させないと喧嘩っ早い人とか捨て鉢の人とか誰かが入ってくるかもしれない。
そんな人たちに押し掛けられたら乗っ取られるかもしれない。
アイテムボックス以外の全ての装備やアイテムはここに納めてあるし、
街中に家なんて確保してないからここを取られると現在の装備とアイテムボックスの中身だけで生活していかないといけなくなる。
リアルだとでもう一度山ゲットまで繰り返せると思わないし、そもそも山をもう一度ゲットできる保証はない。
それにPKなんてされようものなら本当に死んじゃうかもしれない。
まあ私がいなくなって悲しむの何か両親や姉も微妙な所だ。
両親は姉と仲良しで掛かり切りだからお互いがいたら私なんて霞のような存在だった。
でも自分自身が死ぬのが怖い。それが全てだ。
そんなことはとにかく今はとりあえず情報収集しないと。
今まで通りスキルは使えるのかな?ログアウトできないにしても異世界転移にしても
これができるとできないじゃ大違いだ。
とりあえず、ステータスを開いてみよう。
名前 芙蓉
職業 仙女
HP:56000
MP:107800
通常スキル
異世界言語 霞変化 霞食い 農業 料理 掃除 裁縫 木工
戦闘スキル・・・rぃjsg;
途中まで見たところで文字化けし出して最後まで見ることはできなかった。
肝心の戦闘スキルが不明だと外に出るのが怖い……。
怯んだ所でまた表記が変わる
名前 芙蓉
職業 仙女
HP:56000
MP:107800
特殊スキル
『仙女』
特殊スキル仙女って何…?職業と同じだけど
何ができるんだろう。
取り合えず水の魔法でも使ってみようか……?
「ウォーター」
前に出した手の上に水の玉が現われた。これはゲームと同じだね。
とりあえず後の確認は山小屋から出て確認は外でしよう。ゲーム内だとハウス設定の建物は傷つけられないようになっていたけど、この状態だとどうなっているかわからないし。
大切な山小屋を自分で潰してしまうなんてありえない。
山小屋を出るとやっぱり山の緑がいつもより鮮やかに見える。
木に近づいて一枚の葉っぱを触ってみるとポリゴンじゃない確かな感触を感じる。
千切ってみるけど消えずに手のひらの上に残っている。
「ファイア」
ぼっと音が立ち手のひらの上に火の玉が現れ、葉っぱは燃え散った。
火魔法は山小屋で過ごすに至ってあんまり使わなくなっちゃったから他の魔法に比べて自信がない。
でも一応これだけ使えれば料理やお風呂などに便利だね。
じゃあこれだとどうだろう
「風」
ひゅるるるると音を立てて風の渦が手の上に現れる。そのまま手のひらの少し動かすと
向こう側に吹き抜けて消えていった。
スキル名じゃなくても使えるんだね、じゃあこれはどうだろう。
無言で土スキルを地面に使うとザザッと音を立てて足元の土が隆起した。
無言でも使えるのか。これは戦闘の時に有利に運ぶね。
でもあまり戦闘をするつもりはない。
今までだって生活系や生産系が好きで、あまり戦闘はしてこなかった。
職業仙女と山を得てからは特に。
生活や生産にも力を入れているゲームだったから今まではそれで済んだけど
これからはどうだろうか…
メニューでもう一度ハウスの設定を見直してみる。
芙蓉のハウス
山小屋
戦闘:不可
訪問:不可
芙蓉のエリア
ヴァルギス山
戦闘:不可
訪問:不可
BGMの選択がなくなっているね
これで他の人は入れない結界が貼られる筈なんだけど、今どうなってるかはわからない。
結界の端まで様子を見に行ってみようか?
辿り着くまでには笑い話で済ませられるといいんだけど。
とりあえず何かと出会った時のために霞変化を使っておこう。
・・・使えるかな?霞変化。
スキルは特殊スキル仙女とかいうよくわからないのだけになっていたけど。
水魔法とかも使えたし、職業仙女と相性のいいスキルは使えそうな気がする。
生活スキルや生産スキルも今じゃなくても使えるか一通り確かめた方がよさそう。
じゃあ早速使ってみよう。霞変化。
・・・どうだろう?自分で見た感じはいつもと変わらないのだけど。
鏡代わりにガラスで見てみると、人影はなく靄のような物が広がって見えるから、これは成功だね。
じゃあこのまま山を下ろうか。
一番地上に近い東側の薬草園を通り抜けよう。
鳥の声がしてハトマメというゲーム内動物が山小屋隣の畑に降り立ったのが見えるけれど、こちらに気付く様子はない。
そこの菜っ葉類なんかよりもうちょっと下の方に作ってるお米は大体鳥類用だから気づいてくれるといいんだけど。今は霞変化中だから言っても伝わらないね。
そういえば職業仙女の効果でゲーム時も動物は襲い掛かってこなかったし逃げてもいかなかったけど、今はどうなってるんだろうな…?
仙女になってから霞食いというスキルが生えて何かを食べる必要もなくなったし、
懐いてくるのを手にかけるのも可哀そうだから、このゲーム内では自分の作った野菜なんかを食べるだけのなんちゃってベジタリアンで、肉を食べない生活にも慣れたんだよね。
畑だって何なら自分用でなく動物たちが食べに来るから作ってるに等しいし。
人は苦手だけど、動物は好きな方だから同じ仕様だといいな。
※※※
シロナを食べるハトマメを後目に山道を通って地上へ進む。
木が草なんかは山小屋や畑周辺しか減らしてないから山道と言っても獣道だけど。
あ、イノシーが木に向かって思いっきり突進して目を回してる。
放っておいても大丈夫そうだけど…
そうだ、回復系のスキルの実験台になってもらおう。
近くに寄ってみるとかなりの速度で突進したのか牙の一本は折れて毛皮が血に濡れてる部分がチラホラ。
実験と言っても途中で目が覚めたりして痛いの思いをさせるのは可哀そうだからまずはヒーリングをかけて傷を癒そう。
ヒーリング、と。
うん。ヒーリングは自分や動物たちにだいぶ使ってきた、その経験値分威力が上がってるままだ。
あっという間に傷が癒えた。なんと折れた牙も直ってしまった。
ついでに洗ってあげよう。
ウォーター
うんうん。傷口の血が流れて綺麗な地肌が毛からのぞいている。
うわ、大きな蛭!もしかしてこれが原因で暴れて木に衝突したのかな?
取ってあげたいけど気持ち悪いから焼いちゃおう。イノシーが燃えないように気をつけて、と。
ファイア
しかしこれでも目が覚めないなんてよっぽど強く頭を打ったんだなぁ。
えーと、気つけの魔法って何て言ったっけ?スキルも見れないし口に出すでもないしまあこれでいいか
気つけ
あ、目が覚めたみたい。頭をぶるぶる振っている。何か不思議そうにしているように見える。
でも気を取り直したのかもう一度頭を振ると木々の隙を走って去っていった。
うん、元気になったみたいだし、回復系が使えるのも確認できてよかった。
怪我するようなことは避ける予定だけどもし大怪我とかしてしまった時使えると使えないじゃ大違いだもんね。威力も高いままみたいだし。
じゃ、また下りようか。
※※※
だいぶ下って来たけどまだまだ先は長そうだなぁ。
こうなったらちょっと不安だけどフライを使って上から見てみるか。
霞変化もまだ効いてるし大丈夫だよね?プレイヤーにも今の所変化中バレた事ないし。
よし、ちょっと飛んでみよう。
フライ
おおよく見える…山は記憶の通りの姿を見せていて結界もきっちり張られている。
けど何これ?全然フィレオノールの世界と違う。
近くにあった街はないし遠くに見えていた王国もなくなってるし……
……降りよう。
どうしよう、やっぱりここって異世界なのかな。
地球にも日本にも特に愛着はない。特に親しくしている人もいないし。
読み始めた本の続きは気にならなくもないけど、どうしてもというほどじゃない。
一番気にかけていたのはフィレオノールだから、世界こそフィレオノールじゃなさそうとはいえ、
スキルも山や山小屋も一緒という状態はある意味念願叶ったというのかもしれないけど、
不安だ……。人見知りの自分とは言え、誰一人知らない世界はちょっと遠慮したい。
そもそも私なんてこんな異世界転移とかで映える主人公みたいな人種とは違うのに。
もっと陽キャとか何か転移させてでも幸せにしてあげたくなるような人がいるだろうに。
神さまとかがいて転移させて困ってるのを見て楽しんでいるのかな?
メニュー画面を開いてお知らせを見てみてもやっぱり何もリニューアルもアップデートもしてない。
神さま、私はここで生きていくんですか?
途方にくれても答えてくれる人は誰もいなかった。