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03.仕事は上手くいかないもの

啓太郎の朝は目が覚めた時から最悪だった。なぜあんな夢を見たんだろう。夢見が悪すぎる。仕事がうまくいってるからまだマシか。そうでなきゃ大変だ。


啓太郎はさっさと朝の支度を済ませて家を出た。啓太郎は一人暮らしなので、黙って扉を閉めて鍵をかける。


まだ朝が早いが今日は座ることができなかった。車窓が流れるのを見ながら、なぜあのような夢を見たのだろうかと考えた。会社のエレベーターという予想もしないところで、同期から葵の名前を聞いたからだろうか。あの同期は高校時代の同窓生だったから、それなら高校の時の夢を見そうなものだが、見た夢では自分がまだ小学生だった。


よくわからない嫌な夢だった。普段、起きたら見た夢のことなどすぐ忘れるはずなのに、葵のことだったから頭から去らないのだろう。


会社の最寄りの駅で降り、いくつかある喫茶店のひとつでモーニングセットを頼んだ。そしてトーストを食べながら、スマホにきている何通かのメッセージに返事を返す。ここ数日、プライベートのメールが溢れるように啓太郎のアドレスに届けられている。申し訳ないが、その何通かにはコピペで返事を返し、何通かには言葉を選びながら、返答を返す。メールの中には啓太郎の母親からのものもあった。うまくいけば金曜日に実家に帰れると思う。そう返事をしておく。



だが仕事というものは、そううまくいかないようにできているものだ。


昼前にオフィスにかかってきた電話を取った。ちょうど啓太郎が契約しようとしている顧客の担当者からのものだった。まずは挨拶をし、その直後の、すいません、を聞いた時点で良くないことが起きたのがわかった。


「5%も下げろだと!」


課長に連れられて部長に説明しに行くと、当然ながらご機嫌斜めだった。


「今の世界的な情勢でやむを得ないことをお伝えしたのですが、先方の幹部の方にご納得頂けないようでして」


啓太郎はまだ入社3年目、扱いが難しいことで名の知れた部長への問いには課長が答えてくれる。


「まさか利益を削ることを、考えているんじゃないだろうな?」


最悪ウチの利益を下げるしかありませんね。顧客からの電話の後、課長と相談した時に出た案のうち、最も安易なものはこっちから切り出すことすら許されなかった。世知辛いことに年度末が近いので、いろいろと数字が悪い方向に向かうのは許されない状況だ。


「まずはお客様の幹部の方に、直接ご説明したいという旨をお伝えしております。一方で、技術部や機器納入業者にさらなる費用低減を求めているところです」


顧客、社内、業者、いずれも既に何度も金額交渉を行っている。これから再調整してもどの相手に対しても一筋縄ではいかないだろう。


「わかった。技術部には俺から話をしておく。お客様と業者には何度も電話で連絡して、可能なら足を運べ」

「わかりました」


とりあえず社内調整は部長が声をかけてくれるらしいので、その効果に期待する。だが、顧客の担当者にはなかなか連絡が取れない。仕方がなく、必要な機器を納入してもらう予定の業者に電話をかける。


「五島さん、この前この金額で合意したばかりですよね?」


正論だ。確かに業者の営業担当者の言う通り、啓太郎はこの金額に同意した。でもまだ契約書を交わしたわけではない。啓太郎の心は痛むが、この案件自体を進めるためには、彼とその会社とのさらなる交渉を避けるわけにはいかない。


日本のビジネスは契約者間が対等ではないとよく言われる。この世界ではお金を出すものには逆らいにくい。啓太郎が顧客に逆らえないのと同じように、この担当者も啓太郎と話をしないわけにはいかないはずだ。啓太郎は必死で話を続ける。


「もちろん、ご無理を承知で申し上げております。お客様の課長からは金額を含め一旦ご了承を頂いたのですが、先方の幹部の方からはさらなる費用削減を求められているのです」


当然相手も言い返す。


「それで、私共への費用をその分削ろうってわけですね。私だってそんな無茶な見積書を上司に持っていったら怒鳴られますよ。一度は合意したでしょう。御社や御社のお客さんの社内調整でなんとかしてもらえないですかね?」


顧客とは連絡が取れない。連絡が取れても上手くいく可能性は非常に少ない。お客様はもちろんだが上司もまたこちらの思い通りには動いてくれない。どこの組織だってきっとそうに違いない。社内の技術部もどこまでこちらのお願いごとを聞いてくれるのか、こちらは部長まかせにしているので、今の啓太郎にはまったくわからない。


「もちろん値下げ分すべてを御社に負わせるつもりはありません。お互いに痛みを分かちあって頂きたいのです」


電話で30分ぐらいは話をしただろうか、とにかく相手は検討はしてくれることになった。もちろん確約はもらえない。受話器を置くだけで、疲労が啓太郎を襲う。


その後、顧客の担当者に何度電話をしても会議中とのことでつながらない。啓太郎にとっては大事な案件だが、残念ながら顧客にとってはいくつもある案件の一つでしかないのだ。


仕方がないので啓太郎は長いメールを書くことにした。金額を下げるためになにか機能を外せないか、マージンを多めに取った機器のスペックを下げることは可能なのか? 保守条件を24時間365日ではなくて、平日日勤帯のみに変更することは困難か? 条件そのままで要求された金額まで値下げすることが非常に困難であることを切々と書き綴って送信した。


送信前の誤字脱字チェックだけでも疲れてしまう。そして合意できた時に備えて、契約の社内稟議に向けた準備を行う。数字さえ入れ替えればすぐに稟議が回せる状態にしておく。しかしながら、顧客から、メールにも返事がないし電話もかかってこない。


やむを得ず、どのパターンで行く場合でも稟議ができるように準備をすることだけが、今の啓太郎にできることだった。また最悪、こんな状況で誰かに引継ぎするためのメモも作っておかなければならない。納入業者からは今の条件のままだと、減額できても端数を切り落とすことがせいぜい、それもまだ意思決定できたわけではない、との連絡があった。その努力に感謝をする一方でさらなるお願いをしなければならない。技術部からも問い合わせのメールが来ているので、それに対する返事とお願いを繰り返す。


頭はいくら下げても減らない。これまで何度もそう聞かされたことがある。たしかに物理的には減らないかもしれないが、謝罪とお願いをするたびに啓太郎の神経はますます削られていく。


結局、その日、いろんなところを電話しメールを書いたが、どこからも確定回答を得られないまま一日の仕事が終わった。前日に続いて夜遅くに啓太郎は会社を出た。昼ごはんは食べることはできなかったので、夕方にコンビニでおにぎりをいくつか買ってオフィスで食べた。それが妙にお腹に残っている気がする。


結局、駅前のコンビニでまたおにぎりと烏龍茶を買ったものの、それに口をつけずに空っぽに近い冷蔵庫に入れた。そして昨日と同じようにシャワーを浴びると、布団ふとんの中にもぐりこんだ。

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