最終話:こんなに満たされているのに
翌朝、啓太郎と葵は結婚式を挙げたホテルを早めにチェックアウトし、実家へ向かうローカル線に乗り込んだ。双方の実家に挨拶した後、再びこの駅に戻って今度は新幹線で東京に向かう予定だ。
今朝は随分早起きしたので、高校時代に毎日乗っていた列車で、ふたりそろってうたた寝をしたが、最寄り駅に着く少し前に目が覚めた。まず予定どおり葵の実家に行くと、そこには啓太郎の両親も来ていた。
新婚夫婦とその両親、6人で昔話を楽しんだ。
「こうちゃんと葵はいつも仲良く遊んでいたわね」
「僕はどちらが自転車に早く乗れるかを、競ってたのを思い出すな。縄跳びで、どちらが二重飛びを10回できるとか」
「花見も良く行ったな。いつかふたりの姿が見えなくなって、探しに行ったら、並んで桜の木の下で昼寝をしているのを見つけて安心したのを思い出した」
「あの頃の私たち、冗談でこの二人が結婚すればいいのに、って言ってたわよね。まさか本当にこうなるとは思わなかったわ」
ふたりがまだ幼稚園に入園する前の話から、二次会で高校時代の友人たちに祝福された時の話まで、話題は尽きない。啓太郎の実家に行く必要が無くなったから、もっと会話をすることもできたが、少し早めに実家を出ることになった。
「まだ列車の時刻まで十分に時間があるんだけど」
啓太郎が自分の父親にそう言うと、葵の母親が代わりに答えた。
「でもけーちゃん。ふたりともしばらくここに帰ってこれないでしょ? 思い出の場所とか見ておけばいいと思うの。例えばさっきの話にもあった、昔よく行った公園とかどう? ちょうど桜が見頃よ」
啓太郎と葵は葵の実家を出た。
「お母さんの言う通りあの公園を見に行こうよ。私も昨日は行けなかったんだ」
「そうしようか」
葵の実家から少し歩いて、幼い頃に何度も通った公園にやってきた。満開の桜と、それを少し過ぎた桜。多くの人が陽気に誘われて花見に来ていた。
「さっきのお父さんが話していた、私たちが寝ていた桜を見に行こうよ」
葵が少し早足になったちょうどその時、強い風とそれに連れ去られた桜の花びらが一斉に葵を襲う。
「うひゃ」
葵の長い髪にも、薄手のジャケットにも、あちこち花びらが張り付いている。
「なんかすごかったね」
そういう葵に啓太郎はなにも答えることができなかった。ここ数日間、何度か感じた、あの理不尽な悲しみが再び啓太郎を襲う。桜吹雪の中ではしゃぐまだ幼い頃の葵。校庭の桜を一人黙って見上げる中学生の葵。つい先ほど突然の桜吹雪に驚く、昨日結婚したばかりの葵。
それらはもうすべて思い出になってしまった。啓太郎は立ち止まって、自分の頬を流れる涙をぬぐった。
「ケータ、どうしたの?」
葵が心配そうに啓太郎に問いかける。
「俺はいま、すごく幸せなんだ。だってみんなに祝福されてこうやって、ずっとずっと大好きだった葵と結婚できた。午後に東京に戻ったら、新居に葵を迎えることができるし、明後日からは新婚旅行に行ける。それに仕事も、まあいくつか先輩に引き継いできたけどいい感じで進んでいる」
葵が啓太郎に近づいてくる。
「それなのに、こんなに満たされているのに、なぜだかとっても悲しい気持ちになってしまうんだ。幼稚園の時のかわいい葵にも、小学校の時に既に綺麗だった葵にも、ウェディングドレスに身を包んだ葵にも、俺はもう会うことができない」
涙交じりになる、啓太郎の声を葵が黙って聞いている。
「これまで葵とずっと一緒に過ごしてきたのに、その多くのことを忘れてしまっている。さっき、うちの親やおばさんたちの話に出てきたことも、いくつかはもう思い出せない。そんな当たり前のことが、どうして、どうしてこんなに悲しいんだろう」
啓太郎は地面に舞い落ちた桜の花びらの上に腰を降ろした。葵もその横に並んで座ってくれる。
「ケータの気持ち、私にも少しわかるよ。でもさ、私とケータはこれからも一緒に時間を過ごせるじゃない。未来の私に会うことについてはどう思ってるの? 新婚旅行に行くの楽しみじゃない? 気が早いかもしれないけれど、一緒に子どもの名前を考えるのもすごく楽しみじゃない? 一緒にお爺ちゃんお婆ちゃんになって散歩するのだって、私は楽しみにしているよ」
そう言って葵が啓太郎に話しかけてくる。
「過去の私を思い出してくれるのも嬉しいけれど、将来ずっと私と一緒にいることをもっと楽しみにして欲しい、そう思ってるんだ。どうかな?」
啓太郎は座ったまま、少しだけ葵に自分の体重を預けた。
「そうだね。これからも一緒に楽しい思い出を作っていきたい。葵と一緒に」
葵が急に立ち上がったので、啓太郎は少し体のバランスを崩しかけた。
「でしょ? もうちょっと公園を歩いてみようよ。もうちょっと時間はあるし。ね?」
桜の木の下で葵が啓太郎に微笑んでいる。去年も、一昨年も、その前も、毎年見てきた葵の笑顔。来年はどんな葵の笑顔がみれるのだろうか?
啓太郎はたちあがって葵の手を取った。
「ゴメンちょっと時間つかっちゃったね。ぱっと見て回ったら、駅に行こうか?」
啓太郎と葵は手を取って、歩き始めた。自分たちの未来に向かって。これまでと同じように、きっと素晴らしい未来が待っている。啓太郎はそれを確信した。
本日中にエピローグを投稿します。




