09.桜の下の彼女
早朝、啓太郎は故郷にほど近い地方都市で夜行バスを降りた。こんな早くから開いていて、しかも長居できそうな店は24時間営業のハンバーガー店しか無かった。
昼前にホテルで人前式を挙げる。その後同じホテルで披露宴の代わりに親族だけを集めた会食をする。夜は高校時代の友人たちを呼んだ二次会。いずれもこの街でやる。式は準備が必要だから、さすがに家族も葵も起きているだろう。
朝のセットメニューを食べているうちに、啓太郎は眠くなってきた。夜行バスの座席は啓太郎には狭く、あまり眠ることができなかったからだ。そのおかげか、ここのところ毎晩見ていた変な夢は見なかった。もしこのハンバーガーショップで寝てしまえば起きられないかもしれない。以前電車の中でスマホのバイブで起きることができず、啓太郎は終電の中で最寄り駅を通り過ぎてしまったことがある。
この店で時間を潰してから式場と会食場所になるホテルへ行こう、そう思っていた。だが、少し迷惑かもしれないが、さっさとホテルに行った方が安心だから、さっさと移動することにした。ホテルだから24時間営業に決まってる。そう葵と家族にメールしておく。
ホテルに着くと控室の一角のソファーで休ませてもらえることになった。啓太郎はそのまますぐに眠ってしまったのだろう、自分が寝た感覚もないまま、次の瞬間には父親に起こされた。
「啓太郎、起きろ。そろそろ支度をしないと間に合わないぞ」
久しぶりに会ったのに挨拶もなしにこれだ。啓太郎はあらかじめ聞いていた部屋に移動する。そこで簡単だが髪のセットをしてくれるのだ。今朝は髭も剃っていないから、そちらも合わせてお願いしないといけない。
髪のセットが終わると次は更衣室に行って、花婿衣装に着替える。事前に選んでおいた、あくまで花婿衣装としてはだが、比較的地味そうな服に着替えた。
「母さんや葵はどこにいるの?」
父によると、啓太郎の両親がここに着いた時には、既に葵とその家族はもう用意を始めていたらしい。そりゃ花嫁の方が準備に時間がかかるだろうというのはわかる。そして啓太郎の母も息子を父に任せて、あちらに行ったのだという。それもまたわかる。
啓太郎の準備が終わると、式が始まるまであまり時間がないとのことだったので、急いで葵の控室に向かった。スタッフが案内してくれた部屋に入ると、純白のウェディングドレスに身を包んだ笑顔の葵がそこにいた。
「綺麗だ。葵、すごく綺麗だよ」
泣きだしそうになる自分を抑えながら、啓太郎はなんとかそれだけは口に出すことができた。
「でしょ? でもケータも格好いいよ。それにちゃんと間に合ってよかったわ」
もっと言いたいことがあったけど、うまく口が動かない。それにスタッフが先ほどから時計を気にしている。
「うん。そじゃあまた後でね」
啓太郎は後ろ髪をひかれる思いで、自分の両親と一緒に葵の控室を出た。短い時間だったが式の前に一度葵と会えて良かった。そうでなければ式中に泣き出してしまったかもしれない。
式の式はいわゆる人前式。チャペル風のホールだが、十字架とか宗教的なシンボルはない。新郎が入る時には特にアナウンスもなにもしないようにお願いしていたので、随分地味だ。双方の親戚が何人か来てくれている。最前列まで行って両親と別れると、立ち合い人の前に一人立つ。
「もう一歩こちら側にずれてください」
立ち合い人小さな声に従って、啓太郎は自分の立ち位置をずらす。
「それではみなさま、これより五島啓太郎様と八重樫葵様、ご両名の結婚式を始めます」
立会人の胸についたピンマイクがONになったのだろう。ホールの中に音声が響き渡る。こんなにあっさり始まるんだと、啓太郎は思った。
「それでは新婦とそのご両親の御入場です。みなさま拍手をお願いいたします」
啓太郎でも知っているクラシック音楽が鳴り始め、ホールが開くとそこに葵とその両親がいた。葵は両親を平等に扱うのだと言っていた。両親に挟まれてヴァージンロードを歩いてこちらに近づいてくる葵を、啓太郎はただただ見つめ続けた。そして葵の手が啓太郎に導かれる。啓太郎は葵の手を優しく掴んで立会人の前に並んだ。自分の心臓の高鳴りを啓太郎は感じる。
式自体はすぐに終わった。あっさり始まったかと思うと、あれよあれよという間に、二人は立会人の前で永遠の愛を誓い、啓太郎は生まれて初めてのキスを花嫁にした。
短い式が終わった後、新郎新婦の写真撮影があった。ホテルの豪華な廊下で。ホテルのロビーで、玄関で。他のお客さんには迷惑だと思うけど、この衣装を着ていると誰もがほほえましそうに見てくれる。最後に案内されたのは玄関の外にある大きな桜の木だった。
「あの、僕と一緒の写真だけじゃなくて、彼女だけの写真も撮ってもらっていいですか?」
もちろんです。とのことで、啓太郎は葵から少し距離を取った。青空の下に見事な桜が咲いている。その下に花嫁衣裳の明里とその長い裾を汚さないようにしているスタッフが佇んでいる。風が吹いて花びらが葵の傍をはらはらと落ちていく。
啓太郎はとうとう涙を止めることができなくなった。この写真を撮り終えたら、もうウェディングドレスの葵を見ることは二度とできない。自分のために婚礼衣装に身を包んでくれた、美しい葵の姿を見ることはもう二度とないのだ。そしてさらに悪いことに、そのすべてを脳裏に焼き付けたままにすることはできない。今、こうして啓太郎のために桜の下で微笑む彼女のことだって、啓太郎は忘れてしまうかもしれない。
そんな当たり前のことが、どうしてこんなに悲しいのだろう。




