第八十七話 さあやるぞってときに腕まくりするのは特に何の効果もなさそうだけど、なんか勢いつくよねってことでその類のものと思ってもらえたなら心安らかにいられると思うんだ
ババババ……
異音を聞きつけた姉ちゃんも顔を上げ、赤く腫れぼったくなった目を右へ、左へと動かします。
「……ふすっ……なに?」
次第に大きくなるその音に耳をそばたてる姉ちゃん。
「なにか……近づいてくる?」
ウチの父さんとソフィーさんのお兄さんも、上空の様子をうかがいながら、林から姿をあらわします。そのうち、木々の葉っぱをざわざわと鳴らす風も吹きすさび始めました。
「ヘリ、ね……」
ソフィーさんがそう言った瞬間、彼女たちの頭上をかすめるように、黒々とした大きな物体が過ぎ去っていきました。
「まさか……、アレ……」
「山頂に行く気ね……」
ソフィーさんは小さくなっていくヘリの影を見つめながら、「マズいわね」とつぶやきます。
「空からなら……、山頂付近で降下すれば、結界呪法の『祭壇』に直行できる……」
「……強と三穂田さん、出たばかり……すいちゃんのところに……。アタシたちも応援に行かないと!」
「そうしたいのは、山々だけども……ダメね……」
ソフィーさんはそう言って、背後の林に振り向きます。姉ちゃんもその視線の先を追うと、息を呑みました。
「セ……セナートス……?」
姉ちゃんたちが見据えた木々の闇の中からは、赤い頭髪の人物がゆっくりと姿を現しました。マントのように大きな布を身体に巻きつけ、薄く笑いを浮かべて、姉ちゃんたちを見下すような目つき――。
「ウソでしょ……? アイツ……、すいちゃんの屁吸術で……」
姉ちゃんとソフィーさんはお互いの身を離し、見覚えのある闖入者に対して構えを作ります。父さんもソフィーさんのお兄さんもまた、警戒心をあらわにして腰を落としました。
ですが、冷笑する敵は、ひとりだけじゃありませんでした。
「こんなことって……」
同じ格好の、まったく同じ顔をした赤毛が、ひとり、またひとりと姿を現します。
「団体さま、ご入店ってわけね……」
ソフィーさんはそう言うと、唇を噛みしめました。四人の同じ顔の赤毛が並び立つさまに、姉ちゃんも目眩を覚えます。
「ふむ。どなたがたですかね? この山に居住者はいないはずだったのですが?」
口をきいた赤毛のひとりが、ソフィーさんと姉ちゃんに交互に目を送って鼻を鳴らしました。
「その顔……。我がセナートスの『共有感覚』で見ましたね……」
「『共有感覚』……?」
「我がセナートスの構成員はみな、開祖の申し子、一心異体。お互いの五感を、たとえ地球の裏側にいようと、星々ほどの隔たりがあろうと、共有することができるのです……」
赤毛は、勝ち誇るように説明します。
「ニェプ。クソの役にも立たなさそうな特技ね。でもご存知なら話が早いわ……。あなたたちに渡す土地は、この日本にはひとつもないわよ……」
「なるほど。こちらも話が早くて助かります……」
その言葉の切れ目が合図になったかのように、赤毛グループは一斉に、自身のまとっていた布を剥ぎ取りました。さらされた裸体は筋肉の引き締まった、ギリシャ彫刻のように整ったものでしたが、なぜか不自然に、下腹部だけがぼやけてよく見えません。
何でしょう、アレは? モザイクでしょうか。人智を超えた変態ワールドです。
「詩織ちゃん!」と父さんが叫びます。
「見るなッ! 詩織ちゃんの目が汚れてしまう!」
「んなこと言ってる場合じゃないわよッ!」
「仰るとおり!」
裸体の赤毛四人は、父さんに目を向けます。
「汚れるとは不躾ですね……」
「「「「我がセナートスの全裸こそ、最高の戦闘装束……」」」」
陶酔するようにそう言った赤毛たちは、姉ちゃん、ソフィーさん、ソフィーさんのお兄さん、父さんに……と、ひとりずつがニラむように顔を向けました。
「強くんとキスしとくべきだったわね……。来るわよッ!」
ソフィーさんが叫ぶと同時に、赤毛たちは弾き出されるように散りました。
それぞれが顔を向けた相手の眼前に、彼らは一瞬にして詰め寄りました。
「「死ねッ!」」
ソフィーさんと姉ちゃんの前に立った赤毛二人は、まるで揃えたように手刀の突きを繰り出します。
「ふ……っざけろッ!」
「「むッ?!」」
パ、パァン
ソフィーさんは二人の突きを、円を描くような蹴りでいっぺんに払いのけました。
「ソフィーちゃん?!」
「詩織さんは誘発技だけに集中して! 『ジー』も『オー』も、『どっち』もよ!」
「……判ったッ!」
姉ちゃんはソフィーさんの言葉の意味を、すぐに理解しました。
――「ジー」と「オー」……「ゲップ」と「オナラ」、どっちも誘発を狙って、「我慢する」意識を散らすってわけね。この前の戦いを「共有感覚」とやらで見ていたとしたら、「オナラ」には気を付けるけど、「ゲップ」には油断するかもしれない……。
「ソフィーちゃん、さすが!」
「そういうのいいから!」
言っているそばから、ソフィーさんに手刀と拳が迫ります。ソフィーさんは拳を腕でガードし、もういっぽうの腕で手刀を逸らします。
「長くは保たないわッ! 詩織さん! 頼んだわよッ!」
「了解ッ! ぅらぁッ!」
姉ちゃんは赤毛のひとりに狙いを定めると、右、左と二連の拳を放ちました。
「ふんッ! この程度ッ!」
赤毛はそのワンツーを、なんなくいなします。
「当てるのが……、まずキツい……」
一方、ソフィーさんのお兄さんとこれもまた別の赤毛。対峙するふたりは、お互いの出方をうかがうようにニラみあっています。
「あなたは……、このチームのリーダーかな? お強そうだ……」
「バカを言え。ソフィーさまに敵う者など、この地上には存在しないというのに……」
「ソフィーさま?」と赤毛は、ふたりの赤毛からの猛攻に守勢を続けるソフィーさん、その合間という合間に絶え間なく「誘発」攻撃を仕掛ける姉ちゃんの方へと目を向けました。
「あの小娘のどちらかが、ですか? 我がセナートスのプレープスにも及ばない、塵芥……」
「なん……だと……?」
赤毛の言葉を聞いたお兄さんの面相が、荒々しく変貌していきます。白目をむき、息遣いが荒く、歯をくいしばった怒りの表情――。
「ソフィーさまが……『コムスメ』……。『チリアクタ』……だとッ?!」
お兄さんは自分の背後に手を回すと、その手に何かを取り出しました。それは、この殺伐とした場にそぐわない、プラスチックのストロー。蛇腹つき。どこにそんなに隠し持ってたの? といった本数の束を手にしました。
そうして、ギンッと怒りの面相を赤毛に向ける、お兄さん。
「そのニホンゴはッ!」
言葉をその場に残すようにして消えた次の瞬間には、お兄さんはすでに赤毛の懐にいて、キツく握った拳を赤毛の横腹に突き立てていました。
「グッ?!」
「シランがッ!」
よろめいた赤毛の逆の脇腹に、お兄さんはヒザ蹴りを追撃します。
「ゴォッ?!」
「ソフィーさまを侮辱したなッ?!」
脇腹を抑えて前かがみになった赤い頭に向かって、お兄さんは金色の髪を振り乱した頭突きを打ちつけました。
「ガッ?!」
「死で……、ニェプッ!」
さらに体勢を崩した赤毛に、お兄さんはストローを握った拳を振りかぶります。
「コーラフロートと化してくれるッ!」
コーラフロート? 何を言っているのでしょう。カッコいいお兄さんですけど、やはり彼も、どこかネジのぶっとんだ変態ワールドの住人なのでしょうね。
放たれた弾丸のようなお兄さんの拳でしたが、体勢を崩していたはずの赤毛は顔を上げもせず、片手でその拳を逸らせました。
「むッ?!」
赤毛は仁王立つと、冷笑を浮かべてお兄さんを見上げます。
「なかなかどうして……。極東の割に、この山には手練れが集まるようですね……。ですが、さほどのダメージには至っていませんよ?」
「その口黙らせて……後ろの口に……ストローッ!」
両者は同時に跳び込み合い、お互いの顔面に拳をめり込ませます。
さて、ウチの父さんはどうでしょう……?
「クッ?! うっ?!」
「ふぅッ! なかなか! 避けるのだけはお上手な紳士だ!」
父さんは、赤毛から手刀、拳、蹴りと、次々と繰り出される連撃を躱し、逸らし、いなしています。伊達に長年、空手に打ち込んでいるわけではないですね。そういえば父さん、自分は日本トップクラスの空手家だと、ことあるごとに言っています。
……父さんもやるものですね。ただの娘大好きおじさんじゃなかったようです。見直しました。
ですが、どうやら相手が悪いようです。熟達の感覚でなんとか致命傷を免れているというカンジで、父さんには余裕が見えません。
「ホラ、ホラ! だんだんと疲れが見えてきてますよ!」
赤毛の嘲りのとおり、父さんの身体には少しずつですが確実に傷が増えていきます。鋭い手刀はまさに刃物そのもので、父さんの服を巻き込んで肌に切り傷を作っていくのです。
「ほら、ホラ、ほらぁっ!」
「ぐぅっ! クソガキがぁ!」
手刀の嵐に、父さんの服はボロボロ、腕や足のそこら中が血だらけ――満身創痍といった体に追い込まれます。
父さん……。
一足跳びで後ろに下がった赤毛は、まるで自分で描いた絵に見惚れるように、父さんを見据えます。
「断言します。貴兄は次の手で死ぬでしょう」
「日本の……詩織ちゃんの父を……」
父さんはボロボロになってもなお闘志を宿した瞳で、赤毛をニラみ上げます。
父さん、僕はそばにいないけど……、普段バカにしてるけど……。あと、「拳一の父を」とも、言ってもらいたかったけど……。どうか、負けないで。
「ナメんなよぉぉおおッ!」
そう叫ぶと父さんは――。
ビ、ビビッ バリッ
父さんはボロボロになった服を全て、自ら破り捨てました。赤毛に勝るとも劣らない、筋肉隆々の全裸です。下腹部は……露わです。
なんで? なんで今マッパになるの? 意味が判りません。見下げ果てました。「拳一の父」、って言わないでくれて、心底よかったと思います。
「ぅっ?!」
あれ? どうしたことでしょう。赤毛がひるんでいます。
まるで、強い照明を当てられたように、父さんの全裸姿に遮りを作っています。
「う、美しくないッ! 反吐が出るッ!」
赤毛のひるむ姿を好機ととらえた父さんは、間合いを詰め、がら空きになっているボディに正拳をお見舞いしました。
「ぐぅッ?!」
はじめてまともに攻撃を当てた父さんは、ヒゲの口元をニヤリとさせました。
しかし、夜の帳が落ちた山中、全裸の男が全裸の男を殴ってる光景は、狂気の沙汰です。しかも、一方は父です。こんな場面のナレーションなんて、ぼくにとっては罰ゲーム以外の何物でもありません。
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もちろん大好物は褒めコメです!




