第八十六話 涙なんて、ひとつも流す気はない
「ちょっと! 詩織ちゃんッ?!」
詩織の要求に、真っ先に反応したのは詩織のおじさんだった。
「まさか、まさかねえ~? 詩織ちゃん、おかしなこと、考えてないよね~?」
自身の頭に絶えず乗せられる続ける父親の手を、絶えずはたき落としながら、詩織は無言で僕の目を見据える。
対面に座っていたみぽりんは立ち上がっておじさんの傍に行くと、「ささ」と気安く言っておじさんの肩に手を乗せた。
「笹原さん。大人は下がりましょ~か~」
「な、な、これが下がってられる……ふ?」
おじさんの驚いたような声のあと、彼の口元のヒゲがモコモコと上下する。そうしておもむろに、彼はその口を開く――。
「ふぁあ、あ……あ?」
そう、あくびです。
みぽりん、呿入拳を使ったんだな……。
「な、なんだ、コレ! 体が勝手にぃッ!」
おじさんの身体は突然に回れ右をし、そのまま草藪の方へと歩みを進めて行く。
「さ、行きましょ、行きましょ~、ね」
みぽりんは僕に向かってウィンクを送ると、おじさんの後についていく。
粋なことしたつもりなんだろうけど、不精ヒゲおじさんのウィンクってただただキモチワルイな……。
永盛さんも僕と詩織にサムズアップを寄越して、同じ方向に消えて行った。
「強ッ! お前、詩織ちゃんをこれ以上泣かしたら承知しないからなぁッ!」
姿の見えないなか、おじさんの叫び声が林の中から聞こえてくる。
おじさん……、できるだけ、頑張ってみます……。
ソフィーが「ふふ」と笑って詩織の背中をもうひと撫でした。
「詩織さん……。これは勇気を出せる、おまじない……」
彼女は詩織の横顔を見つめ、不意にその頬にキスをした。詩織はパチパチと瞬きをして目を泳がせたけれど、何も言わなかった。
唇を離した僕たちのキス魔は、一瞬だけ僕にも目をくれると、ソフィー兄の方へと身体を向けた。
「行くわよ、クソ兄貴!」
「ソフィーさまのご随意のままに!」
ソフィーもソフィー兄を伴い、おじさんたちと同じ方向へと歩いていく。
詩織はこのときになってようやく、「ありがと、ソフィーちゃん」と小さく言った。
アウトドアテーブルに座る僕、立ったまま微動だにしない詩織、ふたりだけが……残された。
しばらく見つめあったあと、僕は幼馴染に「こっち」と声をかけた。
「座りなよ、詩織」
「……うん」
ゆっくりと一歩一歩を確かめるように歩いてくると、詩織は僕の対面に腰を下ろした。
座ってからの彼女は一転、目を伏せてしまう。また少しの間、場には沈黙が流れた。
「詩織……」
負けず嫌いで、思いやりがあって、面倒見がよくて、僕をいっつも引っ張ってくれる幼馴染――詩織。
「……強?」
僕は席を立つと、彼女の背後に回る。詩織も呆気にとられて僕を目で追う。
僕は腕を振りかぶって――。
パンッ
「イタッ?!」
詩織の背中に平手をくれた。
「なにすんのッ?!」
「はは……。いつもの仕返し」
詩織は一瞬だけ眉をひそめたが、「よしッ!」と笑みを作る。
負けんな……、詩織。
僕はそのまま、詩織の隣に腰を下ろした。
「ごめんね、強」
彼女は僕に笑みをくれながら、そう言った。泣き顔のままだけど、そこにはなんの陰もない、いつもの詩織の顔があった。
「でも、今しかないと思ったから……。後悔、したくないから……」
「……うん」
「ハッキリ言うわよッ!」
「うん」
大きく息を吸って、彼女は息を止める。ひとつ身震いをすると、彼女は僕からテーブルの天板へと、目を移した……。
「アタシ、強が好きッ!」
「……」
「ずっと、ずっと、ずっと……。好きだったッ!」
詩織――。
僕のずっとそばにいてくれた女の子。僕の思い出には、いつも君の姿がある。「強!」と呼び掛けてくれて、時には呆れて……、僕を見る君の笑顔がある。
ダメな僕は、つい最近まで君の気持ちに気付くことはなかった。いつかソフィーが言っていた、「鈍感が過ぎるのも罪よ」って言葉。僕は、どんな罰でも甘んじて受けるよ。「鈍感」という罪と、もうひとつ、罪を犯すから……。
僕には、今の僕には――。
「詩織、僕は……」
「ちょっと待ちッ!」
詩織は僕の開きかけた口元に、手を伸ばして制した。そうして顔を上げ、見下ろすようにして僕を見る。
「強の気持ちはアタシ、判ってるから。ズルいかもしれないけど、答えはいらない。判りきってるから」
詩織は笑った。
「こんなの……、アタシひとりの自己満足だから、気にする必要なんてない! すいちゃんを迎えにいってあげなさい!」
居丈高に言う彼女に笑みを返すと、僕は向けられた彼女の手を両手で包んだ。
「……強? なにしてんのよ?」
「詩織の手は、あったかいよ」
「あは……。なに言ってんの?」
彼女は呆れた笑いをこぼす。
「ひとつだけ、僕にも言わせてほしい」
「……なによ?」
ちょっと不満気に、彼女は口を尖らせた。
「詩織は、後にも先にも、僕にとって最高の幼馴染だ」
「……」
「もう、クラス中、町中、日本中……『自慢の幼馴染です!』って叫び回りたいくらい」
「……バカじゃないの?」
詩織は「あはは」と笑った。
僕は彼女の手を握る力を、少しだけ強めた。
「だから、どうか……、僕の最高の、自慢の幼馴染のままで……いてほしい」
「……あは、ははっ!」
彼女は天を仰いで、笑い声を上げる。
「あはは! バカすぎるッ! なに言ってんのッ?!」
「え、あれぇ……?」
僕の正直な気持ちでしたが、爆笑されてしまいました……。
詩織は席を立つと、「立って」と僕の手を引っ張った。手を離して立つと、彼女は僕の横にピタリと身体を添える。
「なに? なんなの?」
そのまま詩織は、自分の頭のてっぺんに手を当てて、その手を僕の方へとスライドさせた。それがちょうど頭のギリギリにぶつかってきて、僕は「いて」と小さくつぶやく。
詩織は僕の顔をのぞき込んで、「知ってた?」とイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「強、アタシの背を追い越してたんだよ。ずっとアタシの方が背、高かったのに」
「え、そうなの? いつ……だろ……」
「アタシがそれに気付いたのは……、前にこの山に来たとき。すいちゃんの『操魂』を解いたアンタとふたりで庵にいたとき……」
それは……、そのときには僕はもう――。
「強が……たぶん、すいちゃんを好きだって自覚したとき……」
うぅ……。
「僕ってそんなに丸わかり……、かな?」
「丸わかり、だね。すいちゃんだけじゃない? 気付いてないのって」
「ふたり揃って鈍感よね」と、詩織はまたも頭上を見上げる。
「アタシには……、明日のことなんて判らない。未来のことなんて知らない」
「でも安心してよ」と彼女は僕に顔を戻して、僕の瞳を見据えた。不敵に笑みを浮かべて。
「今この時、アタシは強の最高の幼馴染とやらでいてあげる。それをずっとずっと、アタシがメンドウになるまで、続けてあげるわ」
それはつまり、僕の願いを……叶えてくれるということだ――。
「だからアンタも……強も! アタシの、最高に……カッコいい幼馴染でいなさい! いいっ?!」
パァンッ
「いてッ?!」
僕は、いつにもまして強い平手を背中に頂いた。「やられたらやり返すッ!」と詩織は笑い声を夜空に響かせる。
「強を好きになって損してたわって、アタシに……、みんなに! 思わせないでよっ?!」
「それは……、結構な重責だね……」
フンッと鼻を鳴らすと、彼女は僕にハグをする。
「……詩織?」
「これだけ……。これだけだから……」
僕の鼻先を彼女の髪がくすぐる。シャンプーと、ほんの少しだけ汗の匂いがした。
少しして、思い立ったように僕から身体を離した彼女は、ニカリと歯を見せて笑う。
「さ、すいちゃんを迎えに行ってきなさい! 今すぐッ!」
「……うんッ!」
「みぽりん」と僕が叫ぶと、草藪のなかから、カウボーイハットのおっさんが姿を現した。そのままニヤニヤとしながら、僕たちに近づいてくる。
「ユースフルデイズはもう、終わったのかな~?」
「訳わからんこと言ってないで。みぽりん、僕を抱えて山、登れますか?」
「行けるとおもうけど、数十分はかかると思うよ~。その間、ボクだって結界の効果でキツそうなのに、逢瀬くん大丈夫なの? ボクひとりで行って阿武隈さんを連れてきたほうがいいんじゃない?」
僕はかぶりを振った。
「こうなったら一分一秒でも早く、すいに逢いたいんですっ!」
「うぇっへっへ~。ユースフルしてるね~」
「こちとら頭痛なんていくらでも受けて、ゲロなんていくらでも垂れ流す覚悟ですよっ!」
「それじゃあ」と言ってみぽりんは、僕の身体をその脇に抱え上げた。宙ぶらりんでなんだかキマらない格好なのは、まあ弱キャラの定めだね。
「詩織、悪いけど、僕が先にすいをぶん殴ってくるぞ」
「いいから早く行きなさい! 三穂田さん、強をお願いします!」
無様な格好で暴力予告をする僕に、詩織はシッシッと手で払う仕草をした。
「途中で気を失っても、叩き起こして地獄の道のりを味わわせてやってください!」
「地獄て……」
「いやあ、本当に面白い子たちだね~」
「じゃあ、行くよ~」とみぽりんが言うと、僕を見下ろす詩織の姿が瞬時にして消えた――じゃなくて、僕が、僕とみぽりんが詩織の前から「消えた」。すさまじい速度で木々が、草の波が視界を流れて行く。そして――。
「ぇえ、ぉええぇッ! おろおぉおッ!」
「いやあ、お望みどおり、盛大に出してるね~。ユースフルだね~」
クソォッ! 頭いてぇッ! 口の中が酸っぱいッ! でも、でも……失神だけはするもんかッ!
詩織が言うところの「地獄」、味わい尽くして、すいに、詩織に、ソフィーにも! 感想レポート提出してやるわッ!
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「ニェプ、私には何もナシかい。……強くんもたいがい野暮よね」
「……ソフィーちゃん」
風のようにして消え去った強兄さんと三穂田さん。それを見送った姉ちゃんの隣に、ソフィーさんが並び立ちました。
「すい、すい、すい……。ヨッシー、ヨッシー、ヨッシーって……。あのふたり、ホントいい加減にしてもらいたいものよね」
「……うぅ、う……、うぁああぁあっ!」
ソフィーさんを見つめながら顔を崩していった姉ちゃんは、堰を切ったように彼女にすがりつきました。
「あっ、あぁ、あ、あぁん!」
「……よく頑張ったわね、詩織さん」
大声でむせび泣く姉ちゃんの頭を撫でてあげるソフィーさんでしたが、ふと、顔を頭上に向けました。もうすっかり夜空、山の澄んだ空気の中、星がまたたいています。
「野暮は重なる、か。泣いてる場合じゃなくなってきたわね……」
ソフィーさんの言葉のすぐあと、山の静寂の終わりを告げる「ババババ」といった異音が、遠く夜空を伝って姉ちゃんの耳にも聞こえてきました。
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もちろん大好物は褒めコメです!




