第八十五話 そうだよ~
「いやあ~、ボクも考えが浅かったよね~」
僕が呆然として、永盛さんも言葉を切って、訪れた沈黙のしばらくあと、みぽりんが口を開いた。
「逢瀬くんが『ダイチ』の子だという記事が出たのは前回のワワフポ十二月号。去年のものだね~。そこから五月に香久池さんに襲われるまで――もっと言えば、阿武隈さんが逢瀬くんの身近に現れるまで、逢瀬くんの『一家』には襲撃はなかったのかな~?」
みぽりんはカウボーイハットの上から頭をポリポリとかいた。
「裏世界の狡猾な者ほど、下調べは入念で、そのくせ行動は早い。『ダイチ』になにかしらの用がある者は、あの記事が出た直後から逢瀬家を狙ったはずだよね~。そんなヤツらが逢瀬家の周辺を嗅ぎ回ったあと、接触を図るのは、果たして『ダイチの子』である逢瀬くんだろうか?」
背後でソフィーが「あ」とだけつぶやいた。普段の彼女だったら「下調べもせずにどうもすみませんね」と皮肉のひとつでも言いそうなものだけれど、何も言わないあたり、彼女もおおいに戸惑っているのだろう。
みぽりんはそんな彼女に一瞥をくれて、「違うよね~」と続けた。
「ボクだったら、親の方――逢瀬くんのお母さんに目星をつけるね~。見たカンジ親子なんだから『ダイチ』本人かもしれないし、そうでなくても『女性だから扱いやすい』と考えて脅迫なり人質なりに使おうとする。そんな襲撃が絶対に『あった』はずなんだよ~」
長く喋って口が乾いたのか、みぽりんは口をムニャムニャとさせた。
「でも、それらは表沙汰にならなかった。なぜか? 答えは簡単。逢瀬愛さんが全て対処していた。史上最強と謳われる『ダイチ』の実力でもってね~。おそらく、息子である逢瀬くんにかかる火の粉も、お母さんが未然に防いでたんだろうね~」
「母さんが……」
疲れてきたのか、みぽりんはテーブルに肘をついて頬杖しはじめた。
詩織が「でも」と、口を挟む。
「『ダイチ』は男だって、強の父親だって、ずっと……」
「誰から聞いたのかな~? 『ダイチ』は『男』だと、あるいは逢瀬くんの『父親』だと聞いたのは、最初は誰からだった?」
言われて僕は考えてみる。
はじめから、僕の頭の中には「ダイチ」イコール「男」というイメージができあがっていたと思う。『ダイチ』の存在を知ったときには、すでに。
じゃあ「はじめ」とはいつなのか?
僕は格技場の景色を思い出した。僕に笑みを向ける、黒髪の少女の姿を思い出した。
「すいだね……」
みぽりんは「うぇへっへっ」と小さく笑う。
「もちろん、阿武隈さんには逢瀬くんを騙すつもりなんてなくて、阿武隈さんも『男』だと思い込んでたんだろうね~。そう仕向けた人物は別にいる。社会から隔絶していた阿武隈さんの境遇を考えると、その人物とは十中八九、彼女を育てたという屁吸術の師」
確かに僕も、「お師匠からダイチのことを聞いた」とすいの口から聞いた覚えがある。
「でも、すいちゃんの師匠はなんでそんなウソを……?」
「それはわからないね」とみぽりんは、にべもなく言った。
「ボクも不覚だったよ。『ダイチ』というコードネームに先入観があった。日本人としてはどうしても男性を思い浮かべやすい響きの名前だ。そうでなくても『史上最強』なんて二つ名が付くくらいだから、男性というイメージが強くて……。それで、キミタチの『父親』という言葉にもなんの疑問もわかなかった」
みぽりんの言葉も途切れたので、僕はナップサックを取り上げた。
「強……。まさか、おばさんに……?」
詩織の言葉に僕はうなずき、スマートフォンを取り出す。
「逢瀬くん、お母さんを責めるつもりかい?」
みぽりんに顔を向けて、僕は首を振った。
「母さんが『ダイチ』だとしても、僕が見てきた母さんは、僕のそばにいつもいてくれた母さんは、僕にとってはどうしようもなく母さんなんです。のんびり屋で、マイペースで、息子離れのしない、すいを甘やかしすぎの母さんなんです」
「何言ってるか、判んないですよね」と苦笑いした僕に、みぽりんも永盛さんも優しい笑顔をくれた。
「母さんを責める気なんて、全然ありません」
僕は少し目線を落として、「一度訊いたことがあるんです」と言った。
「母さんに、父さんのことを……。でも、母さんからはなにもそれらしいことは聞けなかった。でも、それはたぶん、僕の訊き方が間違ってたんだ。理由は判らないけど、僕の口から核心が出るまで、母さんは言わないことに決めてたんだと思います。そのとき、こう聞けばよかったんだ……。『ダイチって誰なの?』って……」
「それはね~」と、僕の頭の中で母さんがのんびりと答える声が容易に再生される。
「母さんが『ダイチ』――少し、驚いたけど……。それとは別に、母さんが『ダイチ』なら、僕にはすぐにでも確認したいことが……できました」
僕はスマートフォンを操作して、母さんにコールした。場にいるみんなにも聞こえるように、スピーカーモードでスマホをテーブルに置く。
「ダイチ」は母さんだと永盛さんが口にしたとき、僕はすんなりとその言葉を受け入れていた。ただ、その内容とは別に、僕の中でひとつ、大きな不安が生まれていたのだ。
そして、確信もした。すいはきっと、「鳴らし山」で自分が「ダイチの子」かもしれないと判ったとき、今の僕と同じ不安を抱えはじめたに違いないということを。
「鳴らし山」以降、すいの様子がどこか変になった大きな原因は、それだ。そして、僕たちの前から突然いなくなった原因も、それだ。
「山の守り人」にならなければというのもあったんだろう。セナートスからの再襲撃の予感もあったのかもしれない。でも、今の僕なら――すいと同じ気持ちの今の僕なら、彼女の不安がなんだったのか、ハッキリと判る。
僕は思わず、「ごめん、すい」とつぶやいていた。
その直後、『はいは~い。つよぽん?』と、いつもと変わらぬ調子の母さんの声がスマホから響いてきた。
「あ、母さん? 今、仕事中?」
『うん。そうだけど、お客さんあんまりいないから、いいよ~』
「じゃあよかった」
『もしかして、今夜にはすいちーと、帰ってこれるってことかな~?』
「それはまだちょっと判んないけど、訊きたいことがあるんだ。いい?」
『うん』
「母さんが『ダイチ』ってことで合ってる?」
僕は自分でも驚くほど、自然に訊けた。まるで、「今日の晩ごはん、簡単なものでいい?」とでも尋ねているかのように。
母さんも母さんであっさりと、『そうだよ~』と答える。
『やっと言ってくれたね~。よかった~』
この場の、僕を取り巻く人たちの雰囲気が少し固くなったのを感じたけれど、僕たちは変わらない調子で「親子の会話」を続ける。
「よかったって、なにが?」
『もう早くあいちん、言いたくて言いたくてしょうがなかったんだから~』
「だったら最初に聞いた時、言ってくれてたら早かったのに……」
『だって~、平水さんとのそういう約束だったから~……』
母さんが不満気に少し、頬を膨らませている様子が想像できる。
「平水」とは確か、すいの師匠だ。鳴らし山の庵の庭先、墓標に記されたヨレヨレの文字が思い出された。
『つよぽん。今、鳴らし山でしょ?』
「うん」
『あいちんも行くね。電話じゃなくてちゃんと話、聞きたいでしょ?』
「そうだね。あ、でも……」
僕はすいが籠城するようにひとりで山に籠っていること、セナートスの襲撃がいつ始まるともしれないことを母さんに簡単に説明した。
『そっか~。なるべく早く行くね~。二、三時間くらいかな』
「水無からでしょ? 早くない?」
『うふふ。ちょちょっとね……』
なにが「ちょちょっと」なのだろう……。
ひとまず僕は、母さんに「ありがと」と言った。
「『史上最強のダイチ』が来てくれたなら、スゴい心強いんだよね……」
『親をからかわないの~。うふふ』
母さんは本当に可笑しそうにしている。このカンジは、本当に本当に、「約束」とやらから解放されて嬉しがっているんだろう。
そんな母さんは、ナイショ話でもしているかのように『それにね』と続けた。
『今のつよぽんと、今のすいちーが受け入れあえば、ふたりに敵う人なんてこの世にいないのよ?』
「ン? それはどういう……」
そこで僕は思い出した。母さんには確認したいことがあったんだ。
「母さん。僕は、母さんの子だよね?」
『当たり前じゃな~い。つよぽんは、あいちんの自慢の息子ですっ』
「すいは……母さんの子ども?」
『それももう知ってるんだね~。そうだよ~。すいちーは、あいちんのカワイイ天使ですっ』
「それじゃあ、僕とすいは……血がつながった……きょうだい?」
またも、場の空気が固まったのを感じた。
僕の不安とは――『僕たちはきょうだいかもしれない』。
すいは花火のとき、ブラコンやシスコンを気にしていた。「きょうだいは結婚できない」と言った僕に、彼女はほんの少しだけ哀しそうな表情を見せた。すいは自分が「ダイチの子」だとの実感があって、けれどどこかで、僕「も」ダイチの子――僕とすいがきょうだいである可能性も考えていたんじゃないか。
だから、いなくなった。
僕も抱えたすいと同じ不安に、電話口の相手はまたもあっさりと答えをくれた。
『違うよ~。つよぽんとすいちーは、いくらでもお互いに好きになっていい関係ですっ!』
僕は知らず、深く息を吐いていた。
「……オーケー。ひとまずそれだけ聞ければ充分。母さんが来るまでには、すいとも合流しとくよ」
『立てこもる女の子を連れ出すのは、男の責務よね~』
「いや、それは判らないけど……」
『あらら~? まぁ、今から向かいま~す。つよぽん、気を付けてね~』
「うん。母さんも気を付けて来て」
『はいはーい』と言って、電話は切れた。
静まった場の中、とりあえず僕がスマートフォンをナップサックにしまっていると、詩織が突然、「えぇッ?!」と大声を上げた。
「ど、どうした……。詩織……」
「強もおばさんも、ちょっとカルすぎない?! 結構衝撃の内容だったじゃないっ?!」
「ああ……、そうだね……。まあ、こんなもんじゃない?」
詩織が涙ぐんで、わなわなと震えている。
「こんなもんって……。つ、強はおばさんの……実子じゃ、なかったってことでしょ? そういうことでしょ?」
僕は彼女に向かって微笑んだ。詩織の顔を見たらなぜか僕の目も潤んでくる。もらい泣きかもしれないな。
「言ったろ? 母さんが僕の母さんであることに変わりはないんだ。確かに、母さんの実の子じゃないってのは少しショックだけど、それ以上に、母さんは僕を大切にしてくれてる。子どもとして大事にしてくれてる。いっつも……、ずっと……、毎日、イヤというほど味わってるよ。誰より一番、僕がそれを知ってる」
「強……。アンタ……」
「強いね」とつぶやくと、詩織は顔を覆って泣いてしまった。そんな彼女にソフィーとおじさんが寄り添い、ソフィーは背中を、おじさんは頭を撫でてやっている。けど詩織は、頭に乗せられた手だけを即座にはたき落とした。
「強くん。行くのね?」
ソフィーが慈しむような目で僕を見る。
僕は強くうなずいた。
「……まっでぇっ!」
顔を覆ったまま、涙声で詩織が叫んだ。僕が彼女にふたたび目を向けると、詩織は父の手をまたひとつ、はたき落としたところだった。
「詩織?」
「つ、強と! アタシ、今……、今すぐ! ふたりきりで話がしたいのっ!」
大きく鼻をすすって顔を上げた僕の幼馴染は、真っ赤になった目を僕に据えて、そう言った。
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