第九話 過言だった
「おっはよ~ん、ヨッシー」
「おっはよ~ん、つよぽーん」
「どう、コレ? エ・プ・ロ・ン、似合うでしょ~」
このところ、目覚めてすぐ目にするのがすいのニタニタ顔の生活が続いた。
だが、人間とは慣れるもので、三日目にあたる昨日の朝、僕はその状況に対する完全な無視を成し遂げたのだ。
そんな僕に、今日のすいは別の趣向を図ったらしい。
「うんうん、可愛いよ~。すいちー、新妻さんみたい!」
やめてくれ、母さん。増長する。彼女は増長するから。
「うへへ~。もう、あいちんったら気が早いよ~」
「でもなあ、お料理の腕はちょっと……」
「あちゃペロ~」
なんだ? あちゃペロって。
舌を出すな、舌を。
「はいよ、ブレックファーストお待ち!」
卓上に出された皿には、何か得体の知れない黒い物体が乗っていた。
「何……コレ?」
「卵や……じゃなくて、スクランブルエッグ!」
うんうん。判るよ。
卵焼きが上手くいかなかった場合のスクランブルエッグへの移行。
でもね。これは世間ではスクランブルエッグとは言いません。
「炭だね。まごうことなき……」
「ダメよ、つよぽん。女の子が作ってくれた料理はちゃーんと平らげるのが男の責務よ」
母さん。その発言は、この物体が非食品だと認めているようなものだ。
「ヨッシー! 今日はのんびりしてらんないよ!」
「むがぁっ」
すいが無理矢理に黒い物体を僕の口に流し込む。
何だこれ! 甘苦っ! ゼッタイ健康に悪い!
「早く準備して! ほら、脱ぎ脱ぎできる?! 手伝おうか?!」
まだ食事(とは呼べないシロモノ)を咀嚼しきっていない僕を立ち上がらせ、寝室へとグイグイ押してくるすい。
「むぅ、うぇうぇって!」
「ワタシもよ、あぃらぶゆぅとぅ」
話の通じないすいを、僕は部屋から締め出した。
今日は土曜。
ワールドワイド……なんだっけ? とにかく、僕のプライバシーをおおいに侵害した新聞の発行元に出向いてみる予定だ。
勝手にすいが決め込んだ予定だけど、早く事態の把握と沈静に取り組みたい僕としてもひとまず異論はなかった。
今、すいが焦っている理由は、詩織だろう。
言動から明らかだけども、どうもすいは今日のことをデートだのなんだのとすり替えて考えている。それを詩織に邪魔されたくないと言うのだ。
そして、詩織の方も問題だ。
格技場での話し合いでも、売り言葉に買い言葉で意固地になったのか、詩織は頑として付いてくると言い張った。ああなると、詩織はなんとしてでも付いてくるだろう。
どちらも、どこか本来の目的を逸れているような気がして不安だ……。
「おっ! 準備はオーケーかい、ヨッシー? 行こう、行こう、今すぐ行こう!」
「いいなあ、あいちんもみんなと一緒にお出かけしたいなぁ」
「母さんは今夜も仕事でしょう? 寝ないと疲れるよ……。それにしても、すいは今日も制服なの?」
「女子高生は休日だって女子高生なんだよ?」
「私服は?」
「女子高生は制服が戦闘服なんだよ?」
「私服、ないの?」
「……ない」
「あらら。せっかくのデートなのにねぇ~……。じゃあ……」
そう言うと、母さんは財布に手を伸ばし、一万円札を取り出した。
「はいコレ」
「ちょっと! 母さん!」
「……いいの? あいちん」
「あいちんはね、すいちーがもーっと可愛くなるのが見てみたいの。だから、これはプレゼント~」
「やったー! あいちん大好きー! 出世払いするからね!」
「うっふふ~。あいちんもすいちー大好きよ~」
「……はぁ」
ハグし合う二人を尻目に、僕はため息を吐いた。
「ちゃんと二人でお洋服選びデートするのよ~」
「はーい!」
母さんに見送られて、僕はすいとアパートを後にした。
「ふんふふふーん」
何をのんきに鼻歌なんて……。
ともすると今日は、僕にとって大事なことを知る、特別な日になるかもしれない。胸の中で何かが圧している。そんな心持ちなのに、彼女はそれを判ってるのだろうか……。
「ヨッシー! どこにお洋服買いにいこっか? しまくら? ねぇ、しまくら? あ! それともしまくら?」
とりあえず、すいの中では洋服を買うところがしまくら一択なのが判った。
「僕が父さんを調べるの、手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「えぇ~?! だってせっかく二人で街中歩くんだよ? メーイクアーップしてからの方が楽しいじゃない!」
制服は戦闘服だったんじゃなかったの?
それにその掛け声のメイクアップしちゃうセーラーなんちゃらだったら結局、戦闘服じゃないの?
「いや、今日は目的を果たすだけ。すいがそんなんだったら僕はひとりで行くよ?」
「……えぇっ。あ、ちょっと待ってよ~。お待ちくだされ~」
「初めからひとりで行けばよかったんだ……」
「そんなご無体な~……。あっ!」
突然大声を上げるすい。
振り返ると、おふざけモードから真剣な顔つきになっている。
「ど、どうした? すい」
「チッ……。やっぱり操魂は効いてないか……走って、ヨッシー!」
すいが僕の手をつかんで走り出す。
「ちょ、ちょっと! すい?!」
「いいから、走って!」
このすいの慌てよう……。まさか、新しい襲撃者が来た?
「すい?! 何か来てるの?!」
「そう、そうだよ! やっかいなのがね!」
すいに引っ張られるように角を曲がったところで、僕たちの目の前に人影が立ちふさがった。
「やっかいって、アタシのこと?」
人影の正体は詩織だ。憤慨を体で表す仁王立ち。
「げぇ~ゲロゲロ~……」
「すいちゃん、強を連れた状態でアタシから逃げられると思ってるの?」
弱キャラ自覚の僕だけども、その言葉は少し傷つくよ?
「アタシも行きますからね! いいわよね? つよし!」
「ああ、うん……僕は、いいよ」
「わたしゃノーセンキューなのですが」
マズい。このままではまた言い争いになって、行程が滅茶苦茶になってしまう。
「すい! 今日は何も突っかからないで、詩織も一緒に行く! いいね?!」
「……はぁ~い」
不承不承といったご様子。
「詩織も無駄にすいを煽らないで。お願い」
「……判ったわよ」
こちらも釈然としていないご様子。
でも今日は怯えてばかりはいられない。何としてでも本来の目的を果たさないと。
「強、変わったわね」
「ん?」
「なんか少し、強くなった気がする」
褒めている……のか? 詩織が?
その割には当人は実に不機嫌そうなのが、幼馴染の長年の習性でそら怖ろしい。
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道中、二人はあらかた僕のお願い通りおとなしくしていてくれた。
けれど、沸々と不完全燃焼している気配が二人の態度から漂って無言が長く、いたたまれなくなった僕は、すいに屁吸術のことについて訊いてみた。
この間の「操魂」とかいう術。これはすいが説明した、テレパシーのような効果に加え、術をかけられた者の言動をある程度操ることができるらしい。すいと相手との相性、すい自身の状態、心身の鍛練をしている者に対しては基本的に効果を望めない、と制約は多いと言うものの、想像するに怖ろしい術だ。
オナラを吸うことで気を失わせたり、人を操ったり、一体どういう原理なのか、と訊くと、「御霊の神髄を捉える」、らしい。さっぱり判らないのでさらに説明を求めても、「御霊の神髄を捉える」しかすいは答えない。
「なんだろう、言葉にしづらいんだよね。ワタシも鍛練で体得したもんだから」
なんだ、そりゃ。
「すいちゃん、どこで屁吸術を学んだの?」
詩織もやっと口を開いた。
「どこって、お山」
「ひとりで?」
「お師匠と二人で。物心ついた頃からほんの少し前まで、ずっと」
「どういった鍛練をしたの?」
「内容は企業秘密。な~に、しおりん。興味あるの?」
「別に」
「出た! 別にぃ~」
たびたび思うんだけど、本当にすいは世間を知らなかったのだろうか?
そうじゃない発言(しかも少し古い)が多い気がする……。
バスを乗り継ぎ、ワァワァはしゃぐすいを宥め宥めしているうちに、僕たちは目的地に到着した。
「増児ビル……ここだ。ここの四階」
「廃れたビルだにゃ~」
「エレベーターはなさそうね」
「行こう」
暗がりの階段を四階まで上ると、照明がチカチカ切れかかっている廊下の先にドアが一つ。ドア窓は暗く、向こうに人の気配はない。
コン、コン
ノックしてみるが、応答なし。
ノブを回す。鍵は……かかっていない。
「大丈夫、強? これって不法侵入じゃないかな?」
「いけいけ~」
すいに押されたわけじゃないけど、僕はためらいなくドアを開いた。
中は教室ほどの広さで暗い。けれど、ここまでで暗さに目が慣れていた僕たちは、広がった室内の光景に息を呑んだ。
もともとはオフィス然とした室内だったのだろうけれど、机や棚の配置はガタガタ。横倒しになっているものもある。紙束やファイル、机の引き出しがそこら中に散らばり、足の踏み場もない。
そして、ひときわ目を奪われるのが壁。
一面に何かの飛沫が付いている。こんな暗がりで、さらに黒ずんで見える、飛沫。
「……一体、ここで何があったんだ?」
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