第七十九話 ヒゲのおっさん問答
「よう、強……。なかなか最近、顔、見せなかったじゃないか」
「おじさん、お久しぶりです……」
詩織のおじさんは不機嫌そうな様子を隠すことなく、ノシノシと道場に入って来た。相変わらずの、筋肉隆々とした体格。相変わらずの、僕のことを殺しかねないような目つき……。僕は昔から、このおじさんには頭が上がらない。
でも、今はそんな迫力に負けているわけにはいかない――。
「なにか、頼みがあるんだって?」
正座する僕の対面にドカリ、とあぐらをかくと、おじさんは眉をひそめた。僕は彼の目を一心に見つめ、しばらくしてから土下座をした。
「強……。それは、何の真似だ?」
「おじさん……。今から車を出してもらえないでしょうか? 富耶麻まで僕たちを運んでもらえないでしょうか」
顔を伏せているからおじさんの様子は判らないけれど、「ふむ」と考えるような声が聞こえる。
「顔、上げろよ」
言われて僕は上体を起こす。いくらか険はとれているようだったが、バキバキに固そうな髭を撫でながら、訝しむ様子はまだ続いている。彼はへの字に曲げていた口を開くと、僕に「ひとつ訊いとくが」と言った。
「詩織ちゃんをくれ、とか、そういうことじゃないよな?」
「……はい?」
意味が判らなくて訊き返したのがマズかったのか、おじさんはきつく眉根を寄せた。
「詩織ちゃんを嫁にもらいに来たワケじゃねえよなッ?!」
「父さん!」と、僕の後ろに控えていた詩織が大声を上げる。
「な、なな、なに言ってんの?! マジで! マジでなに言ってんのッ?! 強も、早く強も! 違うって言って!」
バン、バンと背中を叩いてくる詩織……。イタイわ。彼女の隣のソフィーは口に拳をあてて笑いをこらえてるし……。
僕はおじさんに向き直ると、鬼のような面相を直視して言った。
「詩織……さんを嫁にもらいに来たワケじゃありません。ただ僕を……僕たちを、富耶麻まで今すぐに連れて行ってほしいんです」
「お願いします」と僕はもう一度、土下座をした。
「……顔上げろって」
ソロソロと、僕は顔を上げる。おじさんはいまだ鬼の顔だった。
「詩織ちゃんをさらいに来たワケじゃないのは判った」
「……はい」
「だが、詩織ちゃんをあんなに泣かせたのは、お前か?」
僕の家で大いに泣いた詩織は、今でも目を赤くして、頬を赤くして、号泣したのがすぐに判る顔だった。おじさんはそのことを問い詰めている。
「ちょっと父さん! 強のせいじゃ……「詩織が!」
彼女の言葉を遮るように、僕は叫んだ。
「詩織があんなに泣いたのは……、僕のせいじゃない、とは言い切れません」
おじさんの目に僕への殺意が込められた気がした。こ、コワい……。でも……。
僕は言葉を続けた。
「今日、僕たちの大切な……友だちがいなくなりました。僕はその子の一番近くにいたのに、その子のずっとそばにいたはずなのに、いなくなったことに気付かず、ただ寝ていました」
僕は後ろの、詩織をチラリと見やる。
「詩織は彼女のために泣いていました。彼女を想って大泣きしました。……僕のせいです」
「強……」
「すみません」と僕は、三度目の土下座をした。
「……だから、それヤメろって」
顔を上げると、おじさんの顔からは怪訝な様子がいくらか消えていた。依然としてどこか敵対心みたいなものは見え隠れする……。
けれどおじさんは、「判った」とため息をひとつ吐いた。
「車、出せばいいんだな?」
「……はい!」
よ、よかった……。ここ最近で一番、死ぬかと思った……。
後ろの詩織が、「よし!」と威勢をあげて立ち上がる。
「そうと決まったらこうしちゃいらんない! 父さん、ホントはこんなゴチャゴチャしてる時間なかったんだからね! 超特急で!」
「オーケィ! 詩織ちゃんのためなら、父さん、二百キロ出しちゃう! さ、行くぞ!」
急に様子がおかしくなったな、このおじさん……。とりあえず、制限速度は守ってもらおう。
立ち上がった僕に、おじさんが近づいてくる。そして、僕の背中に――。
パァン
「うッ?!」
平手をくれた。娘の三倍はイタイ……。
「……強、少しは男が上がったんじゃないか?」
髭の中、口の端をニヤリとさせる詩織のおじさん。
昔から怖い、怖いと思ってたけど、幼い頃の僕は、おじさんカッコいいな、と憧れていたことを思い出した。
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「ちゃんと戸締りして寝なよ、拳一! 朝と昼はごはん冷凍してあるから、自分で適当に作って食べな!」
「判ってるよ。いってらっしゃ~い。おみやげよろしく~」
拳一に見送られて、僕たちは詩織家を出発した。
運転席にはおじさん。助手席におばさん。後部座席に詩織、僕、ソフィーと五人での車内。
「すみません。おばさんまで夜遅くに……」
僕は助手席の詩織のおばさんに向けて謝った。
水無から「鳴らし山」のふもとまでは高速道路を利用しても六時間以上はかかるようだ。いくら頑健な詩織のおじさんでも、ぶっ続けで運転するのは疲れが来て危ないから、とおばさんも同行してくれたのだ。ホント、助かります……。
「いいの、いいの。すいちゃんのためでしょ? 詩織から聞いたわ」
「あ、おばさんは会ったことあるんですね」
「うん。今日もウチに来てたわよ。可愛い子よね、すいちゃん……」
「そんなにか?」と運転席のおじさんが割り込んでくる。
「そうよ。小っちゃくて、目なんかパッチリとしてて、ニコニコとよく笑う子で……。あれ、お父さん、会ったことないっけ?」
「ないな……。その子は詩織ちゃんより可愛い?」
「あんた、クソバカね。比べるもんじゃないわよ」
「なるほどな。比べた俺がバカだった。詩織ちゃんは次元が違うからな」
「クソバカね」
なんか前の座席で文字通り、夫婦漫才が始まったよ……。詩織なんか親のそのやりとりが恥ずかしいのか、縮こまっちゃって……。
漫才が途切れたかと思うと、ギラリと、ルームミラーの中からおじさんが僕をニラんできた。
「そのすいちゃんといい、隣のキレイな子といい……。強、浮気はすんなよ?」
「……浮気?」
「父さんのバカ! 黙って運転して!」
「ふふ……。面白いお父さんね……」
ああだ、こうだとやりとりをしているうちに、水無の高速入り口に入った。ひとまずこれで朝方には「鳴らし山」のふもとにたどり着けるだろう。時刻ももう十時をまわった。
「長丁場だからあなたたちも寝れるうちに寝ときなさい。この人のことはいいから」
おばさんの勧めもあったけど、僕は昼にタップリ寝たおかげか、眠気を感じていなかった。なにより目の前の、どんどんと後ろに流れていくフロントガラスからの眺め――すいに着実に近づいていってるのだと思うと、眠るような心持ちになれなかった。
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『ぽい~ん。ヨッシー! 電話だよ~、電話だよ~。ワタシ以外なら出ないでいいよ~』
僕のスマートフォンが鳴った。着信音に登録していたのはすいの声だったから、一瞬ドキリとさせられる。少し慌てて、僕はナップサックから電話を取り出した。誰からなのか、画面を確認する。
「母さんか……」
母さんには「今日の夜は僕もすいも家を空けてる」とだけ、メッセージを入れておいたのだ。きっとそれを見て、仕事中にもかかわらず電話をかけてきてくれたのだろう。
「……もしもし、母さん?」
『やっほ~。つよぽん? 今、電話してても大丈夫なの~? すいちーとの夜、おジャマになってないかな?』
母さんのノンキな様子に僕は苦笑いを返すばかりだった。
僕のその様子に、さすがの母さんも察したのか、『何かあったのね?』と声を落とした。どこからどう話したらいいものか、僕が無言でいると、電話先の母さんは小さくため息を吐いていた。
『やっぱりね~……。最近、すいちーちょっとおかしいな~と思ってたから、思わず電話しちゃったのよ』
母さんも気付いてたのか……。
『すいちーは今、そばにいるの?』
「……いない」
『そうか~……。あいちんになにか、協力できることある?』
「……大丈夫。なんとか……、してみせるよ」
『そう、頑張ってね。つよぽん』
『ちゃんとふたりで帰ってきてね』と励まされ、僕と母さんは電話を切った。
「愛さん、心配してたろ?」
ルームミラーから、おじさんが訊ねてくる。
「……はい」
「強。あんなに美人でいいお母さん、あんまり悲しませんなよ?」
どこかで聞いたことのあるようなセリフに、僕は「はい」とだけ答えた。
「へえ。愛ちゃんは美人なんだ? 私のことはブス、ブスっていっつも言うくせに……」
「バカ、お前……。比べるもんじゃねえだろ……」
「クソバカ」
また始まった夫婦漫才に微笑ましく耳を傾けていると、隣の詩織が僕の手元に視線を寄越していることに気付いた。
「どうかした?」
「そのマフラー……」
彼女が見ていたのは、ナップサックの口からのぞく、すいが残していったマフラーだった。
「ああ……。僕の誕生日プレゼントだってさ。マフラーなんて季節外れなのに、どこで買ったんだろうな……?」
「……いや、それ……すいちゃんが編んでった物よ。……ウチで」
このマフラーをすいが……自分で編んだ?
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