第八話 これはもうデートと言っても過言ではない
咄嗟に、僕はすいの両肩をつかんでいた。
「いやん、ヨッシー。みんなが見てるよん?」
おふざけな口調は相変わらずだけど、すいの声のボリュームは低い。
言われて見渡してみるけど、詩織や、いくらかの生徒がこちらを見ているだけで、特段の注目を浴びるまでにはいっていないようだ。
「何したの、すい? 富田さんに屁吸術を使ったの?」
ひとまず、僕もこれ以上注目を集めないように、小声で問い質す。
「そだよ~。あ、安心してよ」
「安心?」
「これは操魂。金ぱっつぁんみたいに倒れる類のものじゃないから。警報機代わり」
「警報機……だって?」
「そ。これをかけた相手の気が高ぶったり、意識を失ったりすると、ある程度離れててもワタシに判るようになるの。ワタシがフクちゃん先生にお説教くらってる間、ヨッシーに何かあったら困るでしょ?」
富田さんの方をチラと見ると、どこか気が抜けている様子ではあるけど、普段と変わりないように見える。
確かに今すぐ卒倒するなどという気配はなさそうだ……。
「だからってクラスメイトに……」
「あらら~? ワテ、妬いちゃうわぁ。せっかく操作して恥ずかしい放屁の記憶も消してあげたのに。消し損かいな」
「操作……記憶? やっぱり、すい!」
「おほほほ。それではワタクシ、行って参りますわね~」
そう言うと、すいはそそくさと教室を出て行ってしまった。
残された僕は、富田さんの方を再び見る。
やっぱり……いつもどおりだ。さきほどの彼女の失態も、すいがそう仕組んだんだろうけど、はじめからなかったようなカンジで一限目の準備をしてる……。
屁を吸って、記憶を消す……? なんでもアリかよ……。
「つよし」
声を掛けられて、ハッとする。詩織だ。
「授業始まるよ。座りな」
教室内でひとり立ち尽くしている僕に対し、壇上では鬼ババアがニラみを寄越していた。
------------------------------------------------
昼休みの教室内。とある机のまわりで人だかりができていた。
今までそんな人だかり、出来たことのない場所……すいの席である。
「阿武隈さん、イメチェン?」
「すっごい可愛かったんだね。すいちゃんって呼んでいい?」
「うっそ。化粧してないのにこの肌なの? ずるいワ~」
急変したクラスメイトへの好奇の言葉に「うん」、「そだよ~」などと当たり障りのない返答をするすい。
やっぱり、ネコをかぶっている。
「おい、ヨワシ」
そんな中、お馴染みの呼びかけで切田が僕に話しかけてきた。
「お前、阿武隈すいと何かあった?」
「……何かって?」
少しギクリとさせられる。
「昨日なんだかんだあってのコレだぜ? 阿武隈とヨワシ、一日でずいぶん仲が良くなったようだし」
朝のアレ、切田も見てたのか。
「別に、何もないよ」
「ケッ、しらばっくれんなよ? ……んっ……。」
切田の言葉尻が急にすぼまった。と同時に、僕は切田の様子がおかしいことに気が付いた。変に身体を硬直させているように見える。
プゥ
「……すまんな。屁こいちまっ……」
言い終わらないうちに切田はドサリ、と倒れた。
「おい……おい! 切田?」
この一連の流れ……。原因については容易にアタリがついた。
僕はすいの方を見る。
何事か、とこちらに注意を向けはじめた生徒たちに囲まれながら、すいが意地の悪そうな笑みを浮かべている。
やっぱりアイツ……。でも、結構距離があるのに……屁吸術ってできるのか?
「なに、誰か倒れたの?」
「切田がまた倒れたぞー!」
「おい、切田。大丈夫か?」
僕が肩口を叩くと、彼は目をカッと開き、そのまま起き上がった。
「……えっ。何だ……これ」
「お前、また倒れたんだよ。どこか痛いところとかあるか?」
「うそだろ、オイ……。なんなんだよ、オイ……」
そう言うと、切田は力なく立ち上がってフラフラと教室の出口に向かう。
「おーい、拓ちゃん。大丈夫か?」
つるみ仲間の久留米くんが声をかけるのに、切田は力なく手を挙げて応じ、「ちょっと保健室……行くわ。早退するかも」と言って出て行ってしまった。
「すい!」
切田の退室を見送ってから僕は、囲んでいるクラスメイトたちをかき分けるようにしてすいの前に立つと、彼女の腕をつかんで教室の出口に向かって引きずって行った。
「わぁ、逢瀬くん積極的~」
「オドロキだわ」
背後からそんな声が揶揄してくる。それで少し僕の頭も冷静になれたが、ひとまず廊下まで出る。
廊下では、壁と僕の身体ですいを挟むようにして、仁王立った。屁吸のことですいを問い詰める、その内容を聞かれないように。
だがそれは……その配置は少し逆効果だった。
「うわぁ、アレするよ、アレ」
「うっそ。マジで壁ドンする人なんているんだ」
「ちょっと! 見んといて!」
教室の出口付近で身を乗り出し、スマホまで構えだした野次馬クラスメイトに対して僕は叫んだ。
彼らは形ばかり身を隠すが、懲りずに各所物陰からスマホを構えて好奇の目線を寄越してくる。
「あ~らら。これでワタシとヨッシーの蜜月関係、バレちゃったね」
ペロ、と舌を出すすい。
「ふざけてる場合じゃないよ、すい! またやったの?」
「だってワタシ言ったじゃない。変なイチャモンからもヨッシーを守るって」
「イチャモンも何も……やりすぎ! 昨日からウチのクラス、何人倒れてると思ってんの」
「知ったこっちゃないよ。ワタシはヨッシーが幸せならそれでいい」
「だったら!」
つい声を荒げてしまっていた。
今や、クラスメイトどころか、廊下を行き交う他の生徒の注目も集めてしまっている。
「ちょっと」
そんな僕たちに声を掛けてきたのは、詩織だった。
「こっち来て。ふたりともだよ」
そう言うと、詩織は廊下を先立って行く。
幼いころから知っている彼女の後ろ姿に、今は沸々と湧きあがる何かがあるように見えてならない。
------------------------------------------------
格技場には昨日と変わらず人気は全くなく、窓からの陽光が降り注ぐばかりだった。
「どう? ここなら、密談の場に最適じゃない? これからは何か聞かれたらマズい話はここでしなよ」
どこか詩織の態度に険があるように感じるのは、まだ解消されていない。
「そうね~。これでしおりんもいなくなってくれたらサイコー!」
ちょっと、すい……やめろって。
「ね、ヨッシー。はじめては学校の格技場で……なんてちょっとそそられない?!」
すい! コラ! すい!
詩織を見ろって! アレはマズい。本ギレの顔だ!
「まあワタシとしては、ヨッシーさえその気なら、ど・こ・で・も・い・い・よ?」
「すいちゃん!」
ほらキタ!
どうなっても知らんぞ!
「なんぞ? しおりん」
「……アタシも屁吸術の乱発はよくないと思う。もちろん、遠当てもよ」
「とおあて……?」
「あら~……さすがしおりん。気づかれたか~」
すいはこれみよがしにフウッと息を吹く。
まさか……切田のあの昏倒、あの距離を吐息ひとつで? どんだけ人間離れしてるんだ……。
「切田くんってスキだらけだから仕掛けるのチョロいんだよね~」
「日常に支障を来たすほどはやりすぎだって言ってるの。強だってそう思うでしょ?」
「あ、え、あぁ……」
詩織の勢いに返答をまごつかせていると、「強!」と喝が飛んできた。
「そう、少なくとも必要以上はやめてもらいたいな、僕も。うん」
「判った! ヨッシーがそう望むなら、ワタシもヨッシーの周りの人には無闇に屁吸しないことにはやぶさかではないよ!」
彼女のことだから、この言葉を全面的に信用していいものかは疑問だけれど……ひとまずは信じるしかない。
「ふぅ……それだけじゃないわ」
詩織が腰に手を当てる。
「正直アタシは、すいちゃんにはもう強に関わってもらいたくない」
「あぁ! なんだとゴルァ!」
詩織の言葉に、彼女の眼前、くっつくかというほどの至近距離にすいは自分の顔面を持って行った。なんでアゴ突き出してるのかは意味がわからないけど。
「確かにすいちゃんには助けてもらったけど、もう終わったことでしょう? だから、これ以上は……」
「ああん?! だから昨日も言ったろうがよ! 世界中の輩がヨッシー目掛けて突っ込んでくんだよ! それをワタシが守るっつってんのわっかんねーかなぁ!」
「……アタシが……守るわよ」
「あぁん?! 聴こえねえなぁ!」
「アタシが守るってば!」
「しおりんが? 金ぱっつぁん程度にも秒殺されてた、しおりんが?」
「……強くなる。アタシ強くなってみせるから」
「ケッ、ちゃんちゃらオカシイわ! しおりんは勝手に強くなってくださいな! ワタシとヨッシーにはすでに契約があるんだから!」
「契約?」
契約……? 僕も初耳の単語なのですけども?
「ヨッシーはね、自分の父親、『ダイチ』のことがちゃんと知りたいらしいの! それをワタシが陰日向なくお手伝いするの! そうしてふたりは結ばれるの! おわかり?!」
確かにその話はしたけども、いつからそんなストーリーになったの? あと、結ばれるまでハショり過ぎじゃない? ストレート過ぎない?
「今週末には調査で二人でお出かけ予定なんだから! もうこれはデートと言っても過言ではないのだから!」
それも完全に初耳なんだけど! 君の勝手は度が過ぎるよ? ホントに。
「……アタシも行く」
「あぁん?! 聴こえないわ、パートツゥー!」
「アタシもそれ、一緒に行くから!」
キーンコーンカーンコーン
「あ、予鈴だよ。戻ろっか」
僕はクルリと踵を返して、出口に向かう。
「逃げんな、つよし!」
「逃げんな、ヨッシー!」
二人の怒号は仲の良いハモりとなって格技場に響いた。
ご感想、ご罵倒、ご叱責、お待ちしております!
もちろん大好物は褒めコメです!