第六十八話 牟尼堂川、機械油に染めて
詩織隊長の訓戒は正しかった。
花火大会会場最寄り駅の駅舎を出るとすぐ、僕たち一行はみんな、揃っての深呼吸をした。
「す、すごい人いきれだった……」
「でしょ? 帰りはもっとスゴいからね!」
首元まで汗を伝らせながら、詩織が得意気に言う。
水無駅から電車に乗った僕たちは、まず「乗ること」からして躊躇われた。乗り込もうとした車内はすでに、人、人、人の、おしくらまんじゅう状態。ぎゅうぎゅうに詰まって、僕たちが入る余地などまったくなさそうに見えた。
そこを詩織隊長が、「これを逃せばさらにひどくなるわよ!」と叫んでグイグイと押し込んでくる。アルファ、拳一は可哀想に小さな身体でなんとか耐え、ソフィーは目をマメみたいにして人波になされるがまま。すいなんかは限界が来て「ワタシ、天井の上に乗る!」などと狂った発言をするくらいだった。
なんとか乗り込んで発車。圧力に耐えていたところに、途中駅でさらに乗客が追加される。
僕は乗車中、暑さと圧力で「たい焼きはこんなツラい思いをしてるんだな」と訳の判らない思考に陥っていた。すいの発狂にも、「コイツら全員のオナラ吸ってもいい? いいよね?!」と拍車がかかる。
ようやくで目的の駅に着くが、そこは当然、乗客全員の目的の駅でもある。今度は出ようする人の波が強烈だった。外に出るまでの間、拳一が「あ」と声を上げる。彼の「姉ちゃ~ん!」と叫ぶ声が上がるが、その声はすぐに遠ざかり、彼の小さい姿は見えなくなってしまった。どうやらアルファの手を離してしまったらしい。
「拳一!」
「しおりん隊長! お任せあれ!」
僕の傍にいたすいがそう言うと、彼女はするすると人波をかき分けていって、拳一をつかまえたらしい。外に出た僕たちにすぐに合流した彼女の手には、拳一の手が握られていた。
「手を離すなって言ったでしょ、拳一!」
「……ぅっ!」
これはさすがに悪いと思ったのか、拳一はおとなしく、姉による(軽めの)鉄拳制裁を受けた。
「ありがとね、すいちゃん。ほら、拳一も」
「ありがとうございます。すいさん」
「オッケー、オッケー、迷子オッケー!」
すいが「にひひ」と笑う。僕は、拳一の救出のためか、彼女の浴衣が少し乱れていることに気が付いた。
「すい、後ろ向いてね」
「……?」
「乱れちゃってるから……。はい。オーケー」
「……あんがと、ヨッシー」
その様子を眺めていた詩織は「よし」と息を吐く。
「じゃあ花火の絶好ポイント、探すよ!」
詩織って結構、仕切り屋だよね。頼りになる……。
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「この橋の上がいいんだけど……やっぱり人が多いなぁ……」
大会に名を冠する「牟尼堂川」にかかる橋の上を、僕たちは観賞ポイントに定めた。欄干沿いはすでに人の波が埋まっていて、その一段後ろにあたるところになる。
「拳一くんとアルファには……ちょっと可哀想かもね」
ソフィーが案ずるとおり、小学生組にはその人垣が壁となって、見えづらいかもしれないな……。
「アルファくらいなら、僕が肩車できると思うけど……」
「カタグルマ! 早そうだネ!」
「……ぼくは大丈夫だよ。強兄さんはアルファちゃんに花火、見せてあげて」
拳一、お前、だんだん大人になってきてるんだな……。やだ、小憎たらしいことで他の追随を許さない拳一でさえも天使に見えてくる花火大会の魔力……、怖い……。
「まだ時間あるし、出店、見て回ろうか」
みんなをひとまずは花火を観れる状態まで連れてこられたためか、詩織は「隊長」の仮面を落とし、ウキウキと、高校一年生らしい顔を見せ始めた。
「そうね。この粉モノの焼ける匂いやクレープの甘い匂いが漂う中、何も食べないのは地獄だわ」
「ソフィーちゃん、鼻がいいからなおさらだよね」
「じゃあ、そうしようか……っても」
場所の確保は……どうしよう。
僕が思ったのもつかの間、すいが「行ってきなよ」と声を上げた。
「……すい?」
「みんなで行ってきなよ~。この場所はワタシが死守しとくから」
「すいも……見て回りたいんじゃない?」
「ああ……」
彼女は笑いながら、ぶんぶん、と顔の前で手を振った。
「ワタシはみんなが帰ってきてからブラブラするよ~。いってらっしゃ~い」
まるで、ひとりで行くみたいな彼女の言い回し……。
僕はまた、胸の奥をチクリと刺されたような不安を覚えた。
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「やっぱりおかしいわね」
「おかしいね……」
「うん……」
どのクレープにしようか、拳一とアルファが品定めしている一歩後ろで、僕たち三人は声を揃えた。ソフィーと詩織も、僕と同じように感じていたらしい。
「この私の色香に強くんがなびかないなんて、絶対におかしいわ」
「それじゃない」
「……冗談ですよ」
ソフィーは「すいさんね」とため息を吐いた。
「すいちゃん、楽しんでくれてるとは思うんだけど、どこか違うんだよね……」
「そうね……。調子狂っちゃうわ」
「なにか、『鳴らし山』で思うところがあったのかな。やっぱり……」
「まさか」とソフィーがハッとする。
「何か知ってるの? ソフィー」
「強くん、健全な男子の欲求に身を任せ、ついに手を出したんじゃ……」
「え?! そうなの、強!」
「出さんわ」
「ふふ……。冗談よ」
とりあえず、ソフィーはいつもの調子なのが、ある意味助かります。
「ところで、詩織さん……」
ソフィーがおどけた調子を正し、詩織に面と向かう。彼女の真剣な様子に、詩織もたじろいでいる様子だ。
「これからちょっと、強くんとふたりで話したいの。いいかしら?」
「あ……」
ソフィーは僕に目線を向ける。
彼女は例の……電話での僕との「約束」のことを、律儀に詩織に了解を取るつもりらしい。詩織は「どういうこと?」と、彼女ではなく僕に向き直って訊いた。
「うん。ソフィーの言う通りなんだ……。ちょっと、ふたりで……」
「そっか、そっか……。たはは。大事な……話なんだね」
詩織は少しの間だけ俯いていたけど、すぐに顔を上げ「オーケー」と朗らかに言った。
「アルファちゃんと拳一のことはアタシに任せておいて。ふたりとも、花火までには戻ってきてよ!」
そう言うと詩織は、拳一たちの傍に寄って行って、顔を向けずに僕たちを追い払うような手の仕草をした。
それを見届けた僕たちふたりは、出店の並びから離れる。
「ちょっと……早すぎない? 花火終わってからと僕は思ってたんだけど……」
「私の好きな日本語のひとつは『善は急げ』よ。まあ、善かどうかは、強くん次第だけど……」
ソフィーが微笑しながら僕を見つめる。夕暮れの光が彼女の目元をキラキラと輝かせ、浮き立たせている。そこで僕は初めて、彼女が少しのメイクをしていることに気が付いた。
『さあ、「牟尼堂川花火大会」の開始まであと一時間を切りました!』
僕たちの見つめ合いを咎めるように、辺りに声が響く。どうやら、花火大会進行の会場アナウンスらしい。
『ここで、迷子のお知らせをいたします! 水無市内からお越しの――』
周囲の喧騒に被せるようにして、テンションの高い女性の声によるアナウンスだ。
「せっかくのところなのに、野暮なアナウンスね」
「はは……」
僕が苦笑しているところに、『え!? あれ、なに!』と、アナウンスの声に異変が起こった。声の主が……なにかに驚いた様子。
続けて周囲の人々の間でも、お祭り騒ぎを楽しんでいるとは違った性質のざわめき。
「なに、アレ?」
「川から……。水陸両用か?!」
僕たちがいる場所――牟尼堂川沿いの土手に出店が並ぶ一帯にいる人々が、川の方に顔を向け、「何か」に向けて指を差し、騒いでいる。僕も、川へと目を向けた。
「アレは……一体、なんだ?」
そこには夕日の光を一身に受ける「物体」が、川面を突き破るようにしてそびえ立っていた。前後十メートルほどはありそうな、平たい、流れるようなフォルムの構造物。その底部から伸びる二本の柱のようなものが、構造物を支えている。まさしく、川の中央で「立っている」。構造物の両脇では、大きさのバランスが取れていない、小ぶりのアーム状の物体がくるくると、時計の針のように回っている。
その姿、まるで――ロボット。
『聞いてないけど……、何かのデモンストレーション?』
スピーカーからもアナウンサーの困惑の声。
あんなの、デモンストレーションであってたまるか。アレはおそらく――。
『あ、あ~! マイクテス! 逢瀬強、出てこいっ! この付近にいることは判ってる! この「ミラージュ・クラーケン・八式」と勝負しろ!』
ほら、やっぱりね。
ロボットから流れてきた、耳をつんざくような音声に、僕とソフィーは顔を合わせてため息を吐いた。
そのロボットの見た目に、「クラーケン」の要素が皆無なのは、この際黙っておこう。
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