第六十一話 君を想うと僕の目からは涙が零れるんだ
僕が今、こうして藪の中を歩く姿は、知らない人が見たら首を傾げてしまうに違いない。
意識のない詩織を抱えながら、軽やかな足取りで道なき道を分け入っていく。今にもスキップしだしそうなほどだ。けれど僕の顔は、涙と鼻水でグシャグシャになっている――。
「すい、ソフィー……」
遠く、木々の葉がさざめく音が聞こえる。
すいとソフィー……赤毛の男との闘いが、「鳴らし山」の静寂を破るほどに激しいのだろう。
すいは僕に屁吸術――かけた相手の行動を操る「操魂」――を使って、僕と詩織を危地から逃がした。
僕の目に焼きついてしまった、彼女の顔……。かつて見たことないその哀し気な顔は、彼女自身がなにかを覚悟していたようだった。
「うぅ、う……」
僕は呪った。
なにが「鍛練」だ? なにが「強さ」だ! 大事な人たちを置き去りにして、僕は何をしてるんだ?!
「ん……。あれ」
詩織が僕の腕の中で目を覚ました。
「アタシ……。え、やだ、なにコレ! なんでアタシ、強にだっこされてるの?!」
「……」
詩織は戸惑って僕を見上げるが、不甲斐ない僕は、顔を逸らすこともままならない。「操魂」で僕に許されているのは、ただ声を上げるのみだけれど、詩織になにをどう伝えたらいいのか、判らなかった。
彼女はひとしきり戸惑ったあと、僕の異状に気付いたようで、哀し気に見つめてきた。
「……強、泣いてるの?」
「……」
「すいちゃんは? ソフィーちゃんは?」
「……ぅう」
「……アイツね? あのセナートスとかいう男が!」
詩織は僕の腕の中で身じろぎするが、すいの「操魂」はそれより強かった。彼女が暴れるごとに抱え込む僕の腕に力が入り、よりきつく詩織を抱く。詩織は「離して!」と叫ぶ。
「バカくそ強! 離しなさい!」
「……出来ないんだ。すいが……『操魂』で、僕と詩織を逃がしてくれてる」
「だからって泣きべそかいてるだけ?! バカッ!」
パン!
彼女は左手で僕の横っ面をはたいた。僕の身体はそれにも微動だにせず、「操魂」の歩みは止まらない。詩織の腕から、ソフィーが巻きつけたタオルがほろり、と落ちた。
「離してってばッ!」
「……出来ないんだって!」
「……強」
僕の幼馴染は声の調子を落とし、ニラむようにして僕を見上げる。
「アンタ、すいちゃんとソフィーちゃんがどうなってもいいの?」
「……」
詩織の目尻から、涙が次々と地面に零れていく。僕の頬は、今になって平手打ちの痛みを感じ始めた。
「アタシたちの前からすいちゃんたちがいなくなってもいいの?」
「……いいわけあるか」
「すいちゃんに会えなくなってもいいの?!」
「いいわけないだろッ!」
「だったら勝ちなさいよッ! 泣いてばっかいないで、そんな力になんて負けてないで、勝ちなさいよッ!」
詩織は僕の腕の中で、「それがアタシの強でしょ!」と叫んだ。
「くそ……くそぉぉっ!!」
僕は呪った。
「鍛練」や「強さ」なんてものじゃなく、それを言い訳にして、それがないと嘆いて、諦めかけていた僕の性根を。
「とぉぉぉまぁぁぁぁれええェェェッ!」
歯を食いしばる。太ももに、ふくらはぎに、足首に、つま先に――すべてに力を入れる。
動くな、動くな! 僕の身体だろ!
「くそがあァあぁァッ!」
「強ッ! 負けんな!」
止まれッ! 僕の言うことを聞け!
口の中をかんだのか、鉄の味と、臭いが広がる。構うもんか!
「ぐぅぅぬうぅゥッ!」
「……そう! その調子! 強、その調子!」
詩織が囃してくれるとおり、僕の足の動き――「操魂」により、前に進もうとするだけの力――が鈍くなってきた――気がする。
「いけ、強ッ! 勝って!!」
「とまれぇぇぇェェぇッ!」
気のせいじゃない。僕の――「操魂」の歩みは、確実に遅くなってきている。
「すいに……すいに、ちゃんともう一度会ってェッ!」
「……強!」
さらに足が鈍くなる――いや、感覚が僕に返ってきている。歩もうとする動きはもはや、ひどくのろくなった。左足が地面から離されてから、何秒も経っている。
「アイツを……すいをぉ! ぶん殴ってやるッ!!」
ダンッ!
僕の身体は、左足を地面にたたきつけた。僕の「意志」で。
「はぁ……。はぁ……」
と、止まった……。僕の足が、僕の意志で止まった。「操魂」が解けた――。
僕は腕の中の詩織に目を向ける。そこで初めて、僕の顔から滴りおちた汗や涙が彼女の顔にかかっていたことに気がついた。
「ごめん……詩織。汗とか……きたなかったでしょ」
「……そんなことない、そんなことないよ」
詩織はふるふると首を振って、涙を溜めながらニッコリと微笑んだ。
「でも、できたら、早々に下ろして。……ハズいが止まらないから」
「あ、うん……」
「あと、すいちゃん殴ったりしたらアタシが強をぶん殴るからね? わかった?」
「いや、アレは勢いというか、自分を奮い立たせるために……」
詩織は地面に足をつくと目を拭い、それから、不思議そうに自分の身体を見渡した。
「アタシ……、あの男に手ひどいカンジで殴られなかったっけ?」
「ソフィーが治してくれたんだ。出血して、骨も折れてたけど……」
僕はまだしびれるような感覚が残る腕や足を伸ばしながら返した。
彼女には、ソフィーとのキスのことは黙っておこう……。
「へえ、吸唇鬼って傷も治せちゃうんだね。ズルいところ多いな……。まさか、なんだか力が湧いてくるこのカンジも……?」
「うん。ソフィーがやった」
「そっか。じゃあ早く、ふたりのところに行ってお礼言わないと! どこだろう? 庵にいる?」
「たぶん、移動しながら戦ってると思う。途中までは葉っぱがすれる音とか、木が倒れる音とかが激しく聞こえてたから」
「じゃあその音や荒れた跡を追いかければオーケーね!」
すぐさま飛び出していきそうになった詩織を、僕は「待って」と制止した。
「庵に行こう。僕に少しだけ考えがある」
詩織は、神妙な面持ちでうなずいた。
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「あった、あった。これだ!」
僕たちは庵に戻ると納戸に直行した。グチャグチャになった残骸の山から目的の箱を取り出すと、僕はその中身を「ひとつ」手に取った。
詩織は中腰になり、僕の手の中の泥団子のような「それ」を眺めながら、「なにコレ?」と訊ねる。
「『屁玉』っていって、オナラを誘発させる道具らしい。試したいけど……」
それを詩織に向かって投げるように構えると、詩織はキッとニラんできた。ま、そうですよね。
僕は屁玉をひとつ手渡し、詩織に軽く当ててもらった。
ぷっ
僕の身体から、オナラ。
「おぉ……。スゴいな。さっきすいに『誘発打ち』かけられたときよりスムーズなカンジ……」
「不思議すぎるわね……」
「僕はコレを使う。詩織は……オナラの『誘発打ち』はできるの?」
「アタシ? うん。オメガさんのときにすいちゃんとお互いに誘発打ちをする有効性を実感したから、ゲップほどじゃないけど練習してるよ」
「頼りになるな……。じゃあ、詩織は赤毛相手にはそれを頼むことになると思う……」
詩織は「でも」と表情をかげらせた。
「すいちゃんがオナラを誘発できていないからこの状況になってるんでしょ? アタシや、この玉を投げたくらいでオナラなんて出るのかな?」
そうだ。すいの屁吸術は決まってさえしまえば――相手にオナラを出させることさえできたら「一撃必殺」――いや、「一吸必勝」。勝負がつく。おそらく、僕たちの誰の実力をも上回る、あの赤毛の男でさえも。
「だからこそ、僕たちみんなでアイツにオナラを出してもらうんだ」
僕は苦笑した。「屁吸術」というものがなかったとしたら、知らないままだったら、なんて間抜けなセリフ――。
「じゃあ早いところ、すいちゃんたちに合流しよう!」
詩織が気を急かして外に飛び出す。
庵にたどり着いた時点で、それとなく衝撃音のようなものが耳に届いていた。ここからはそう遠くない場所にいるはずだ。
僕は壁の穴の際に立って外を眺める。雑草が生い茂るなか、そこら中に土が掘り返されたような跡があり、生木の折れた臭いが漂い、すいかソフィーの服のものと思われる、布の切れ端が散在している……。一目みるだけで戦いの激しさが感じられた。
一刻も早く、すいたちに僕の考えを伝えないと……。
「強? なにしてるの?」
目を閉じてたたずむ僕に、詩織が話しかけてきた。
「詩織。僕はあの時――『操魂』を解いたとき、無意識に理解できた。今なら僕は、『操魂』を逆に……操ることができる……」
「『操魂』を……操る?」
僕は呼吸を整えると、心の中で念じた。
(すい……)
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