第六十話 なぜ脱ぐ?
「意外といいわね……。クセになりそう……」
やっと唇を離したソフィーは、指先で口を拭うと、そうつぶやいた。
「ソフィー……なんでキス? なんで詩織にキス?」
彼女はとろけた瞳を詩織に向ける。
なんだかイケないものを見せられた気分……。
軽く頭を振って、僕も詩織に目を向ける。そうして気づいた。
ほのかに彼女の身体が金色に輝いているような――。
「詩織に……何かしたの?」
「……私たち吸唇鬼は、パートナーに対して同様な感情をもつ人間にキスすることで強化の効果を『おすそ分け』できるの。その際、治癒の効果も望めるわ。相手が鬼のパートナーに抱く感情――今回の場合は詩織さんが強くんを想う気持ちね――その強さに比例して効果が変わってくるらしいけど……、全快とは怖れいったわ」
呆れと慈しみがない交ぜになった優しい笑顔を詩織に向けながら、ソフィーは言った。
彼女の言葉――「治癒」が働いたのか、詩織の右腕の、あんなに黒かった内出血は消え去っていて、左腕に巻かれたタオルの赤い染みはその拡大を止めている。詩織の顔にも血の気が戻り、頬に赤みが差してさえいる。今にも起き出してきそうだ。
「……すごいな。キスの『おすそ分け』か……。なんでもアリだな……」
「なんでもアリ」――久しぶりに思いました。
僕の言葉に、ソフィーはかぶりを振った。
「……そうでもないのよ? 鬼として成熟した強さを持ってないとこの能力は発動できないの。この山の霊力がプラスに働いてる今ならできるかと思ったけど、想像以上だったわ。なにより、強くん……」
ソフィーが僕を見つめる。
「あなたを大好きな相手じゃないと、いくら私がキスしようが、効果はないのよ?」
「僕を……大好きな……」
安らかに眠っているような詩織。その頬を、僕はひと撫でした。彼女の体温が僕の手にあたたかい。
ソフィーは「ふぅ」と息を吐くと、立ち上がった。
「最大のライバルにも『おすそ分け』してきましょうかね……」
その言葉を残すと、彼女は壁の穴から駆け出していった。
「詩織、詩織……」
僕は添えていた手で詩織の頬を軽く叩く。が、彼女に起きる気配はない。身体は治ったみたいだけど、まだ意識を取り戻すまでには至っていないのか……。
そのとき外の方から、「なに、なに?!」と一際大きなすいの叫びが聞こえた。
その声に驚いた僕は穴のそばに立ち、外の様子をうかがった。
僕のいるところ――破れた壁から十数メートル先にすいとソフィーが並んでいる。
「……やっぱり」
すいとソフィーは――キスしてました。
「ぎゃあぁぁッ! なにさらしとんじゃい、このキス魔が! ワタシのファーストキス奪うな!」
「はあ……今ならすいさんも抱ける……」
顔を離してわめきたてるすいだったが、その最中、彼女はハッとした様子を見せた。
「ケガが治ってる……。力も溢れてくる……」
すいの身体が金色に輝いている。赤毛の男との戦闘のためだろう、この短い間に服がボロボロになっていたが、そこからのぞく彼女の肌はお風呂あがりのようにツヤツヤとしてきた。
「金パツ……何したの?」
「説明してる暇はないわ。やるわよ」
ソフィーが構えを作る。その構えの先、彼女たちの数メートル先には――赤毛の男が……だけど……ん?
なんでアイツ、上半身……裸なの?
「今度は金色のお嬢さんが相手か。いいでしょう」
赤毛はその端正な顔に薄い笑みを浮かべた。
すいとは違い、その衣服――「トーガ」のような一枚布だけだが――にはひとつも乱れがないのだが……。いつのまにかそれは腰に巻き付けられており、引き締まった裸体をさらしている。
「ああ……。興奮してきた……」
赤毛はそうつぶやくと、腰に巻かれた布に手をかけ、自らの身体から引きはがした。
ま、マズくないか?! あれは――あの布の下は、察するに、「すっぽんぽん」なんじゃないか?!
僕のしたくもなかった予見の通り、その布を取り払ったことで、赤毛は全裸をさらした――。
だけど、なんだ? 大事なところが……テラテラとモヤがかっているような……。モザイクがかっているように見える。……気のせいだろうか?
すいとソフィーもその部分に目が釘付け。いや、ふたりとも、ガン見しすぎだろ。
「風が気持ちいい。光が温かい。やはり、全裸に勝る被服なし」
なに言ってんだ、こいつ。あと、やっぱりアレだ。モザイクかかってる。どうして? どういう原理?
「このいい風を吹かせる山は、我がセナートスがいただく」
いや、モザイクの説明は?
赤毛は瞬時にソフィーとの距離を詰めると、彼女に水平チョップを放った。その様は、まるで鋭利な刀を振りかぶったかのよう。
腕でその手刀を受けたソフィーだったが、足が地面に食い込むほどの衝撃に、彼女の顔からは余裕が消え去った。
「金パツ! 少しだけ耐えて!」
すいはソフィーにそう叫ぶと、壁際で見守っていた僕の方に体を向け、駆け寄ってきた。
「ヨッシー! しおりんは?」
訊きながらもすいは自ら穴の奥をのぞき込み、詩織の無事を確認したようだ。ほっとしたように息を吐く。
「よかったぁ~……。マジ……ソフィーに……大感謝案件だわ……」
目から涙をポロポロとこぼし、すいが力なく笑う。
「逃げて」
涙を振り払うかのようにひとつ頭を振って僕を見つめると、すいはそう言った。
「しおりんを連れて逃げて、ヨッシー」
「逃げてって……。すいたちはどうするのさ?」
「……」
思いつめるような表情を頑なに崩さず、無言で見つめてくるすいに、僕は悟った。
あの赤毛の男は、すいとソフィー――「おすそ分け」で強化されたとしても、ふたりがかりで戦っても勝ち目が薄い。すでにアイツと拳を交えたすいは、そう直感してるんだ。
「僕も戦う」
僕はすいの直視に真っ向から立ち向かった。
「ダメ。逃げて」
「ソフィー兄のときも、オメガさんのときも、みんなで力を合わせたろ。だから今度も……」
すいは首を振った。
「今までのどんなときよりヤバい。何発も誘発打ちを仕掛けたけど、我慢でもしてるのか、オナラも鳴らせらんない。身体能力はクソ兄貴並み……。身のこなし、武術の冴えに至っては比べ物になんない……」
すいはもう一度、「逃げて」と言った。
「ふたりだけ危ない目なんて……」
そのとき、僕はシチュエーション違いも甚だしいのだけど、お腹に張りを感じた。そして、体の外に出よう、出ようとする「何か」の衝動も――。
「すい? まさか……」
「……操魂」
ぷぅ
そう、オナラです。
僕の……オナラです。
それはすいの口に、きらきらと輝きながら吸われていった。その途端に僕の身体は意志に反して、回れ右をした。そのまま「勝手に」足が動き、納戸の中、僕を運んでいく。
「なんだこれ? ……止まれ。 止まれよ!」
「……最初で最後かもしれないヨッシーの味、大変おいしゅうございました」
背後ですいがつぶやく。その声は……涙声だった。
「すい、ヤメろ……。術を解いてくれ!」
「しおりんを頼んだよ、ヨッシー」
詩織のそばで「勝手に」立ち止まると、僕の身体はどこにそんな力があったのか、意識を失ったままの彼女の身体を「お姫様だっこ」で抱え上げた。
「いっつもウルサいくらいに付きまとうのに! なんでこんなときだけ!」
ブベベ
「……輪魂の壱」
「すい! すい! すいってば!」
お腹の調子が悪そうなすいのオナラの音と、か細い屁吸術の掛け声が一段遠く感じられる。僕の身体は詩織を抱えながら、納戸から庵の玄関口へと向かっていく――。
ボべビ
「……輪魂の弐」
「すい! ソフィーと一緒に逃げてくれよ!」
もう蚊の鳴くほどに小さくしか聴き取れない彼女の声を後ろにして、ついに僕の身体は「勝手に」玄関の敷居をまたいだ。もはや、自分の叫びが彼女に届いているのかさえも定かではない。
「お願いだから……。お願いだから、逃げてよ! すい! すいッ!!」
「勝手に」動く足が、藪の中に僕と詩織を連れ込んだ瞬間、すいはいないのに、まるで彼女がすぐそばでささやいているように「大好き」と聞こえたような気がした。
ご感想、ご罵倒、ご叱責、お待ちしております!
もちろん大好物は褒めコメです!




