第五十九話 赤毛の来訪者
「何度か呼んだんですけどね」
その人物は無遠慮にも、土足のまま和室に足を踏み入れた。
帯状の革をまきつけたような靴を履き、ゆったりとした一枚布――古代ギリシャやローマの映画などでみる「トーガ」というものだろうか――で身体全体を覆い、すり寄るようにして僕たちへと歩み寄ってくる。それぞれが鋭い刃物をイメージさせるような、目、鼻、口のパーツ……。そのため、全体的には彫りの深い整った顔なのだが、僕には底知れぬ冷たい印象を抱かせた。なにより目立つのは、縮れた赤毛のショートヘア――。
「いやあ、助かりましたよ。この山、登るのに難儀してましてね」
赤毛の男――僕たちの誰をも越す上背、その声音から男だと思われた――は納戸の戸口で立ち止まると、薄氷のような笑みを浮かべた。
目の前の不審者にすいは、すぐにでも殴りかかれるよう構えを作った。
この、見るに明らかな外国人顔……。
僕はソフィーに振り向く。彼女も身を沈め、すぐにでも蹴りを放てるよう構えていた。僕の視線に気付くと、その意図を察したようだったけど、首を横に振った。
ソフィーの知り合いかと思ったんだけど、どうやらそうではなかったようだ……。
「あんた、誰?」
すいが訝しむ様子を隠すことなく訊ねる。赤毛の男は彼女に目を向けた。
「君が、あの忌々(いまいま)しい呪術の術者かな?」
すいが構えを深くする。
赤毛の男が言う「呪術」とは、この「鳴らし山」にかけられている、侵入者を拒む範囲呪術のことだろう。この男は「呪術」の存在を認知できている――ただの観光客でないのは僕にも判った。
正確にはすいのお師匠が仕掛けたものらしいけど、男の問いに対し、すいは「そう」とだけ短く答えた。
「解いてくれるかな?」
「……ワタシには解けないわ。それよりあんた、こちとら何者だって訊いてんの。答えなさいよ」
「ああ、私ですか……」
赤毛の男は胸に手を当て目を閉じた。まるで、荘厳な儀式を執り行うかのように。
「その偉大な名はセナートス、その一員たるプレープス……」
「……セナートス?!」
驚きの声を上げたのはソフィーだった。
ふたたび彼女を見やると、その顔に怯えのような色が見える。
「ソフィー……?」
「……相手にするのはマズい。ことによっては……『逃げ』の一択だわ……」
「な、何か知ってるの?」
「『セナートス』――ヨーロッパ圏で最大級の闇勢力よ……。その全貌は当然、詳細には出回っていないけど、唯一言えるのは、組織の末端構成員に至るまで相当な実力をもつ、武闘派グループだということ……。そして、構成員は全て、赤毛が特徴だということ……。『唯一』と言っといてふたつ言ったのはご勘弁」
「ソフィーちゃん……。その解説、ワタシがやってみたかったな……」
僕は赤毛――「セナートス」の一員――に向き直った。彼は今度は、ソフィーに顔を向けてうすら笑いを浮かべている。
「こんな極東に我がセナートスのことを知る者がいたとは、喜ばしい。攻略のしがいがある……」
「こ、攻略?」
「ええ。そこの金色の髪が美しいお嬢さんの言われた通り、私は末端の構成員、プレープスのひとり。セナートスはこの度、この極東日本の裏社会を『エリア十一』として侵攻目標に定めましてね」
彼が裏世界の住人だと知ってから当然のごとく、僕――「ダイチ」の息子を狙ってきた襲撃者かと考えたけれど、この話の方向からすると、どうもそうではない様子だ。だが、彼が放つ「攻略」、「侵攻」という言葉にはそれ以上の不穏な気配が漂う。
「この、霊的パワーが豊富な『鳴らし山』を我がセナートスによる侵攻の橋頭堡とするべく、私は先遣として参ったのですよ」
「この山を?!」
すいが目の色を変えて叫ぶ。
「ですが、こうも頭痛やら吐き気に悩まされるようでは拠点としては使いづらいとあきらめかけていたところ、すんなりと山を登っていくあなたたちを見かけましてね。あとをつけました。いやあ、あんなにグネグネと回り込む、隠し道があったとは……」
「そんなバカな……。追跡には最大限、気を付けてたのに……」
すいの注意力にもひっかからない、赤毛の男――。僕は、背筋に冷たいものを感じた。
「というわけで、我がセナートスのためにこの呪術を解いてほしいのですよ」
男は目を細め、ニッコリと微笑む。従うのが当然と言わんばかりの、傲岸な笑みだった。
即座にすいは、「うるしゃあッ!」と叫ぶ。
「この山は『屁吸』の山よ! 昔からずっとそうだった! 誰が、セなんちゃらなんかに……、日本に侵攻なんてアホぬかす輩に明け渡すもんか!」
「……ふむ」
すいの反発に、男は口をへの字に曲げ、困ったような顔を見せた。そして、背後やら廊下の奥、キョロキョロと視線を変えていく。
「これほどの術、依り代となる陣か祭壇があるはず。このボロ小屋の中にあるのか?」
「壊す気か……。教えんわ! 帰れ! お国に帰れ!」
すいが吠えたが、吠えた先には男の姿はなかった。彼の姿は、納戸の戸口から一番近いところにいたすいの背後――隠れるようにしていた詩織の目の前に「現れていた」。
「ッ?!」
バギャンッ!
次の瞬間、詩織の身体は僕の視界の左方へと飛ばされ、納戸の棚をグチャグチャにしながら壁に叩きつけられていた。
「詩織ッ!」
「しおりん!」
「詩織さん!」
噴煙舞う中、詩織がうめきも漏らさず倒れ伏している。
「おとなしく依り代の場所を教えるか、術を解くかしてくれないと、友だちがひとりずつ死んでいくよ?」
男が冷笑して言い放つ。
「ふっざけんなぁぁぁぁッ!!」
「おぉ?!」
すいが怒声を張り上げて赤毛に体当たりをした。その勢いはすさまじく、彼女と赤毛はからみ合ったまま壁を突き破り、外に姿を消す。
「すいっ!」
まもなく、すいの叫びとともに、打撃音がいくつも聞こえてくるようになった。
外で戦ってるんだ……。
取り残された形になった僕とソフィーは、詩織に駆け寄る。
「詩織! 詩織ッ!」
「……」
「気を失ってるわ! それに……」
ソフィーが痛々しい顔つきで詩織の右腕に目を向ける。僕もつられて見たが、その有り様に、僕は胃からこみあげてくるものを感じた。
「お、お、折れてる……?」
右腕が、ありえないところ――彼女の二の腕の中間から曲がっていた。その曲がっている箇所には、赤黒い染みが拡がっている。
「そんな……そんな……」
「何を動揺してるの、強くん! 詩織さんだからこれだけで済んでるのよ! この子はあんな咄嗟の瞬間でも、体と頭を庇ったの!」
「そっか……そっか。でも……詩織、詩織……」
苦悶の表情のまま微動だにしない詩織の顔が、視界の中でぼやけてくる。
「泣いてないで、添え木してあげて!」
ソフィーが詩織の左腕――壁にもろに当たった側――に突き刺さった木片を抜きながら、僕に喝を入れた。「今なら、この山なら」とつぶやきながら、ソフィーは手早く、出血箇所にタオルを巻いている。
そうだ。泣いてる場合なんかじゃない。
ソフィーに言われた通り、手ごろな柱の切れ端をつかむと、それを詩織の腕に当て、僕もタオルで巻き付ける。不自然に曲がった二の腕を真っ直ぐに伸ばした時、詩織がひとつ「うぅ」とうなった。
「強くん……」
「ん? ……んっ?!」
左腕の処置を終えたらしきソフィーに呼ばれて顔を上げた僕に、彼女は不意にキスをしてきた。いつものような、妙にねちっこいキスじゃない、撫でるような軽いキスだった。
顔を離したソフィーは頬がピンクに染まり、金髪を輝かせている。なんだかいつもより、その輝きが強いような気がした。
「ソ、ソフィーも行くの?」
彼女はこくんと小さくうなずいた。
壁に開いた穴から、すいの喊声が絶え間なく聞こえてきている。すいはやられてはいないようだが、赤毛の男も同様らしい。ソフィーは彼女の加勢に行くつもりだ。
けれどソフィーは「その前に」とつぶやき、ふたたび詩織の顔に目を落とす。そのまま屈んで、詩織の顔に自らの顔を近づけていく。
まさか……。
「んむっ……」
やっぱり……キスをした。こっちはこっちで、結構濃厚な口づけ……。
心なしか、唇を重ねるごとに詩織の苦悶の顔が和らいでいっているような気がする。
「ソフィー……。な、なにを……?」
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