幕間六 家族・ゲーム
呿入拳の鍛練――今日も今日とてただの筋トレ――を終えてワワフポ事務所に入ると、この場所ではなかなか見ない人物がアルファとならんでソファに座っていた。
「……なんでいるの? ソフィー」
「お疲れさま、強くん。あらためて日本語の勉強しようと思いまして。せっかくだからアルファと一緒に」
「ベンキョー!」
優美な笑みを浮かべるソフィー。嬉しそうにペンを掲げるアルファ。
「ソフィーはもう充分、日本語マスターしてると思うけど?」
特定の部分に関してはマスターが深すぎるくらいだよ。
「ニェプ、まだ文字のほうが難しくて……。おかげでテストもさんざんでしたしね」
「テスト? それはナニ?」
アルファがソフィーを見上げ、疑問を挟む。
「『テスト』というのは、本来指標化などするべきでない学徒の個性を、多様性を犠牲にして型に嵌めようという、この国……いいえ、世界全体の悪癖よ」
ねえ、ソフィー……。日本語の勉強、やっぱり不要じゃない?
「みぽりんは? ここで勉強してもいいって?」
「うるさくしなければいいって。今は寝てるわ」
「みぽりんはいつも寝てるよ」
みぽりんのデスクを見ると、パーカーオジさんの机に突っ伏したスタイル。いつもどおり。
彼は、うたたね程度であれば鍛練から戻ってきた僕に「おかえり」と声をかけてくれるが、今のところそれがないということは、本格的に寝入っているのだろう。まあ、四割くらいはこんなカンジなんだけど。
「オメガさんも外回りで出て行ったし、すいさんも、三穂田さんも、邪魔ものはいないわ……ふふ」
意味ありげに微笑みかけてくるソフィー。
鍛練にすいが付いてこなくなったってのをどこかで話した覚えがあるけど……。さては、狙ったな……。
「ソフィーちゃん。コレ、なんて読むノ?」
「ん? それは『野原』って読むのよ」
テーブル上のノート――アルファが指差した文字をソフィーが教えてやっている。
よかった。年少者をないがしろにはせず、ちゃんと勉強をみてあげているみたいだ。
僕はとりあえずはひと安心して、ふたりの対面に座った。鍛錬で喉が渇いたから、冷えたスポーツドリンクがうまい。
「ノハラ……ノハラ。コレは?」
「『二人』」
よし、よし……。ソフィー先生、頑張ってますね。
「コレは?」
「『絡み合う』」
……。
「コレは?」
「『合体』ね。これは」
ん……。待ちなさい……。
「フーン……。じゃあ、『野原で二人、絡み合う。あなたと合体し「ストップ! ストーップ!」
僕は止めた。全力で止めた。アルファに言わせきってはいけない。
「……ソフィー!」
「どうしたの? 強くん。せっかく勉強してたのにそんな大声出して」
「もっと健全な文でお願いしてもいいでしょうか! アルファの教育のためにも!」
「ええ? 教育っていうなら、善は急げって言うじゃない? アルファはこんなに可愛いんだし、しっかり学んだほうがいいと私は思うわ」
「やっぱソフィー、日本語の勉強必要ないでしょ……」
「ふふふ」
「……はぁ」
ソフィーのイタズラっぽい笑みに、僕はため息を吐いた。
彼女相手だと、いまだに調子狂わされるよ……。
「ケンカ? 強くんとソフィーちゃん、ケンカ?」
アルファがちょっと不安そうな顔を見せる。
マズい。
「ケンカじゃないよ?」
「そうよ、アルファ」
ソフィーは立ち上がってテーブルを回ると、僕の隣に座った――だけじゃなくて、ダラン、と僕の膝のうえに上体を預けてきた。
……いや、何してんの?
「私たち、こんなに仲いいのに」
「わあ。ホントだネ」
「アルファ……。いくら仲良くてもこんなことにはならないよ?」
「ソフィーちゃんと強クン……パパとママみたい」
「アルファ……」
アルファがどこか、悲しげに笑う。
オメガさんに聞いていたことなのだが、オメガさんとアルファの両親はすでに他界してしまっているらしい。寄る辺をなくした未成年のオメガさんは、妹を育て、守っていこうと奮い立った矢先、あの怪しさ極まる小男に騙された、ということだったのだ。
両親が亡くなったのはアルファが物心つくあたりだったらしい。きっと、アルファの幼い頃の記憶に、仲睦まじい両親の姿がかすかに残っているのだろう……。
「ママもね、夜、そんなふうにパパのチ「ストップ、アルファ! 止まれ!」
キョトン、とするアルファ。
意外とハッキリ記憶残ってんのな!
「それは、あんまり思い出さなくていいぞ?」
「あら、もったいない。その思い出、役に立つわよ。これから」
僕を見上げて、ニヤ~とするソフィー。
うぅ……。この見下げるカンジ……。なんかマズい。
普段は見ることのないアングルのソフィー……。視界一杯に振り乱された金色の髪……。彼女の華奢で柔らかな体の感触……。ほのかに香る、甘い匂い……。
コレはマズいぞ?
「強くん」
僕にひとつ、笑みをくれると、ソフィーはやっと上体を起こしてくれた。僕のフトモモも軽くなる。
「あんまりいじめちゃ可哀想よね」
そう言うと、ソフィーはアルファの隣――僕の向いのソファに戻っていった。
た、助かった……。
「いじめたって……アルファをいじめた?」
「そうよ。アルファをいじめちゃ可哀想よね」
素知らぬ顔でアルファの頭を撫でるソフィー。
……怖ろしい子だわ、ホントに。
「数字、書いてみようか」とのソフィーの提案に従い、アルファは漢字の書き取りに熱中しだした。
「……しかし、ひらがなやカタカナはもうだいぶ読めるみたいだね、アルファは」
「そうね。私もびっくりしちゃった。アルファは物覚えがいいみたいね」
「拳一がちゃんと教えてやってるのかな?」
「だとしたらあの小憎たらしい子にもいいところあるのね。あ……その字はね」
ソフィーはペンを持つと、自分の手元のノートに「八」と書いた。
「こう。右の方が少し長いのよ」
「うん!」
ソフィーに倣い、アルファが「八」の字を書く。
「そうそう。上手ね」
「この字知ってるよ! 『ハ』ダヨ!」
「ニェプ」とソフィーはゆっくりと首を振る。
「文字……言葉は相手にはっきりと伝える努力をしないとダメよ。違いがわかるように、数字の『8』の漢字は、右の線を少し上から書き始めてみようか。アルファが知ってる方――『ハヒフヘホ』の『ハ』は同じ高さからスタートよ」
「うん!」
あらためて眺めてると、ちょっと微笑ましい光景だな。美少女と美少女が笑い合ってるとか、ここは本当に現実ですか?なんだかんだでソフィーも面倒見がいいし……。
「ふぁあ……。よく寝た……」
気だるそうな声が聞こえたので、僕は後ろを振り向いた。
どうやらみぽりんが起きたらしい。まぶたを重たそうにしながら、こちらに目を向けてきた。
「逢瀬くん、おかえり~。あれ? 香久池さん連れ込んで何してるの?」
「え?」
ソフィー、みぽりんには了承取ったって言ってなかったっけ?!
あわててソフィーに向き直る。
「てへっ」
勝手に事務所に入ってきたのか……。
舌を出すんじゃない。
「しかし、この絵面。なんともグローバリズム溢れてるね~」
みぽりんが口をむにゃむにゃさせながら言う。
「グローバリズム?」
「そうそ。いかにもな香久池さんに、オリエンタル・エキゾチックなアルファちゃんに、純和風の逢瀬くん」
「……はぁ」
何言ってんだろ、この大人。まだ寝ぼけてるんじゃないだろうか。
「勉強みてあげてる姿なんか、家族みたいだよね~」
「はぁ?!」
「あら。三穂田さんもたまにはいいこと言うわね」
親指をグッと突き立てるソフィー。みぽりんもサムズアップを返す。
「カゾク?!」
「そうよ。アルファは子どもで……」
「パパはみぽりん。ママは強クン。アニはオメガ! アネはソフィーちゃん!」
「どうしてそうなる? どうして僕がママになる?」
「強くんと汚じさん、第二弾か。……購入しよう」
「買うな。売っとらん」
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事務所にいる間は結局、僕もソフィーもアルファに漢字やら日本語の使い方を教えてあげるばかりだったので、ソフィー向けの日本語講座は、すっかり暗くなった帰り道、歩きながらになった。
「なるほど、『解答』と『回答』ね。同じ字を使うものだと思ってたわ」
「うん。ちょっと意味合いは違うね」
「あ、そうそう。この漢字、私、読めないのよね」
「どれ?」
ソフィーがメモ帳にペンを走らせる。街灯の下、「媾」という字が書き出された。
「僕も読めないけど……。この部首と、ソフィーのことだから、だいたい想像つく……」
「お察しの通りです」
「知ってるのに訊くな」
「ふふふ……」
彼女は口元に手をあて、可笑しそうに笑う。
「ホント、ソフィーのその笑顔には、夜が似合うよ」
この調子で、半分くらいは彼女にもてあそばれた帰り道だった。
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