第三十五話 師の嘆き
「男なのに呿入拳、はじめました……うぇへっへ……」
僕たちは揃ってビルの屋上に出た。
みぽりんはひとりごとをつぶやいて、ひとりで笑っている。というかこの人、雨の中なのにホントにカサささないのな。
「三穂田さん……カサ、入ります?」
見かねたらしく、詩織が相合傘を提案する。
「いや、メンドクサイからいい。それに、オジサンがうかつに女子高生に近づくとお巡りさんのご厄介になれる時代だからね。下手なことはできないな~。あまねくオジサンたちは皆ウェルカム状態だろうに、不条理な世の中だよね~」
「……キモチワルイおっさんね」
「な。流れ星に死を願いたくなるだろ?」
うん。この発言には僕も全会一致でアウト判定だよ。
「そういえば、キミタチ。名前を訊いてなかったね~」
みぽりんは詩織とソフィーに目線を送る。
「香久池ソフィア。あなたはソフィーとは絶対呼ばないで」
「……笹原詩織です」
「ふ~ん……」
ふたりをマジマジと眺めると、彼は「うぇへ~」と笑った。笑ったのか、コレ?
詩織とソフィーはみぽりんの様子を気味悪がってその場で軽くのけ反る。
「逢瀬くん。キミのガールフレンドたちはみんな、面白いね~」
「あぁ~……。まあ……」
「まあって何?! ヨッシー! マーイステディはすいひとりですって言ってよ!」
「夜のお供は香久池ソフィアですって付け加えていいわよ」
「……ガールフレンド」
「うぇっへっへぇ……。やっぱり面白いね~」
「さて」というとみぽりんは僕たち四人に向かい合うように立った。
「弟子をとる、ってなったら呿入拳を修めるまで、できるだけ面倒をみるけど、それでいいんだよね~?」
「はい、お願いします」
僕は力強くうなずいた。
「で、それとは別に、何かしたいんだったよね~。何だったっけか~?」
覚えててくれよ。ホント……残念すぎる大人だ。
「ひとまずは『鳴らし山』ってところに入れるよう、精神力を高くすることがひとつめの目標です。すいが言うには、少なくともこの……詩織くらいに」
僕は詩織のほうに顔を向ける。詩織はどこか緊張した面持ちで、コクン、とうなずいた。
「彼女くらい……そうだね~。逢瀬くんが今の笹原さんくらいになるには一か月以上かな~」
「一か月?!」
僕以外の三人が声を上げる。
「もっと早まらんかい! あんだろ、なんかドバーッとワーッと! よっしゃ、パワーアップ! 俺たちの冒険は続くっ、みたいな!」
いや、それだと終わってますよ、すいさん。続きませんよ、すいさん。
「うん。センスがある人だとそんなこともできるだろうね。でもね~」
チラリ、と僕を見るみぽりん。
「逢瀬くん、絶望的にセンスなさそうなんだよね~。キミ、ホントに『ダイチ』の息子?」
こっちが訊きたいわ。
「キミは基礎中の基礎から開始だよね~」
そう言うと、みぽりんが近づいてきて僕の肩に両手を乗せた。両肩に少し、手が乗せられている以上の重みを感じる。
「んん~……。今、キミの体に『喝』……まあ、スイッチみたいなものかな。それを入れたから鍛練の効果が得られやすい状態にはしたよ」
「はあ……」
「『心・技・体』ってよく言うでしょ~。心を鎮かに、技を以って、体を制する……。この三つがバランスが取れている状態がもっとも望ましいんだ。だから逢瀬くんは、この三つを徐々(じょじょ)に上げていく基礎から。バランスよく、バランスよく、ね。そうしないと体や心の負担が大きくなっていって危険だから。そうやっていって彼女のレベルに達するのが一か月くらいだよ~」
おぉ……。みぽりんの口から初めてそれっぽい発言が……。
今の詩織のレベルまで一か月……。彼女が培ってきた数年を、一か月で成し遂げられるんだ。みんなはみぽりんの言葉にまだ不満気な様子だけど、僕は十分すぎる早さだと思う。
「ゴメン、みんな。待たせる形になって、申し訳ない……」
「構いませんよ。強くんのためならいくらでも待ちます」
「大丈夫。アタシも鍛練、頑張っていくし!」
「ヨッシー、気にすることない! オッケー、オッケー、カラオッケー! また行きたい!」
「みんな……」
あ、カラオケはしばらく行かないぞ。僕は。
「ちなみに、同じことを笹原さんにしようとすると三日、香久池さんだと半日、阿武隈さんだと二時間くらいだから。目安としてね」
ヤメろ。不必要な「ちなみに」の比較で僕の心を抉るな! 「目安」ってなんだ?!
「いぇーい! ワタシいちばーん!」
「節穴だな、そのホッソイ目」
みぽりんは僕に顔を近づけると、小声で話しかけてきた。
「逢瀬くん……。キミのガールフレンドは……本当に面白い子ばかりだね~。ボク……もう心が折れそうだよ」
「僕はこのところ、ボッキリ折れてはそれを踏み砕かれる生活を送っておりますが?」
アンタのところの記事がすべての発端ですよ。お忘れなく。
「さて、じゃあ、今日は終わり~」
「えっ、もう?!」
みぽりんは雨空を見上げて「空が、泣いているから」などとのたまった。何言ってんだ? この大人。
「ふぁあぁ」
あくびをするな!
「じゃあ……屋上に来た意味は? なんで僕たちは不必要にカサさして外にいなきゃいけないんです?」
「ああ……アレ見て」
みぽりんは屋上の奥、しのつく雨に打たれている、なんだかわからない「山」を指差した。
「何です? アレ……」
「いやね。この間、前の事務所のところの大家さんに説教食らっちゃって、ようやく重い腰をあげて前の事務所片付けてきたんだ~。そのゴミの山。で、捨てるのメンドクサイな~と思ってここに置いといたら今度はコッチの大家さんに叱られちゃってさ~。キミタチ、ゴミ出ししといてくれないかなあ? 今週末までに片付けないと家賃倍とるとかいうもんだから、そろそろやんないとな~と思ってて。もともと土日はどうせ逢瀬くん来るだろうから頼もうと思ってたんだよ~。いやいや、それにしても人数が増えて助かっちゃったな~。みんな働き者で実力者ぞろいのようだしね~。ボクは事務所で寝てるから終わったら呼んでくれれば……。あれ、キミタチ、帰っちゃうの? ちょっと……。ねえ、無言? あれ、香久池さん、そこにタンを吐くのやめてくれる? ねえ、せっかく下に行くんだから、ゴミ袋のひとつくらい持って行ってもバチは当たらないよ? ……おじさん、哀しいな~」
晴れて、僕は明日からみぽりんに師事することになった。
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と、意気込んだのはいいものの、翌日から始まったみぽりんの鍛練は大したことがなかった。
腹筋三十回、腕たて二十回、もも上げ五十回。
これを小汚いワワフポ事務所内で三セット。
ダイエットかよッ! 自宅警備員の暇つぶし筋トレかよッ!
これをこなす僕を、デスクでダレながらみぽりんはつぶやく。
「逢瀬くんはホント、センスないね~」
そうなんです。
弱キャラの僕は、このメニューでさえもヒイヒイ言いながらなんとかやり遂げたという有り様。ケチをつける資格なんかなかった……。
「ホント、壊滅的だね~。そこらの野良ネコのほうがよっぽどいい動きするよ~」
だからその、無邪気に人の心を切りつける比較をやめろ!
「あ、あと、鍛練や修行のシーンとかは退屈だろうから基本的にカットになるよ~。突然に逢瀬くんが強くなりだしたとしてもびっくりしないであげてね~」
何を言っているんだ、この大人は。意味不明な発言をするんじゃない。
ともかく、一か月あればどうにかなるのかは大いに不安だけれど、今はこのヒゲづらのおかしな格好のおじさんを信じて頑張るしかない。
僕は皿洗いをしながら決意を固くした。
「って、家事をやらせるな!」
ご感想、ご罵倒、ご叱責、お待ちしております!
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