第十六話 三者円舞
「わぁぁぁあぁッ!」
左のアッパーを、自分で言うのもなんだけれど、見事に相手のアゴに入れることができた。
自分じゃない人間をガクンと揺らがせた、生々しい感触。それが握り締めた拳から伝わってくる。
「くぁ……」
男はうめくと、力なく地面に膝をつき、倒れた。
「つよしッ!」
詩織が駆け寄ってくる。彼女は、もうひとりを問題なく倒したらしい。まあ当然だ……。
詩織は僕のすぐそばまで来ると、クルリと振り向き、向こうを向いて構えを作った。
何をしているのか判らなくて、僕は当惑する。
「アンタもそっち側、注意を払って!」
「……あ、そういう……わかった!」
輪の中心で、詩織と背中合わせを作る。
「いい? さっきの要領よ。大勢を相手にしてるけど、訓練もしてない素人集団。襲い掛かってくるのは結局ひとりひとりよ。焦らず、臆せず。鉄パイプやバットの相手には飛び込んで腹部に組み付くのも効果的。懐に飛び込んだら長い得物では狙いづらくなるわ。組み付いたらすかさず、思いっきりヒザで金的」
「金的って……」
股間にうすら寒気が走る。
「時間を稼ぐの。わかった?」
「時間を……。すいのための時間だね?」
「そうよ。……すいちゃん!」
詩織が大きく叫ぶ。
すいの位置は、今、正確には判らない。物凄い速さで僕たちの周りを駆け抜ける風、そのどこかにいる。
「なに?!」
すいが詩織の呼びかけに応じる。
「屁吸術の準備をして! 素人はアタシがなんとかする!」
「わかった! ワタシは手ごわいの相手の、術に集中すればいいのね?!」
「そう、お願い!」
すいと連携が取れると、詩織はヒジで僕の背中を小突いた。
「強もできるだけ自分で相手を倒していく!」
「了解!」
いくら詩織でも、闇の世界に生きる忍びには太刀打ちできないことはソフィーとの一件で僕にも分かる。
僕たちはそれぞれのできることで、それぞれの役割で、この危機を乗り越えるんだ。
風が吹いたと思うと、背中合わせの僕と詩織にピタリ、と合わせるようにすいが姿を現した。構えを作り、疲れを回復するためだろうか、深い呼吸をしはじめる。
すいの防御壁が消えたことで、僕たちを取り囲む男たちが一斉に駆け寄ってきはじめた。
「いくよ、ふたりとも。屁吸・ネコのワルツ!」
掛け声とともに、すいの深い吸気が始まった。それと同時に、そこかしこで音が……。
プ、プ、プ、プ、ププ、ププ、ププ~
そう、オナラです。
とても軽快な、オナラの連続音。その一音一音ごとに殺到する襲撃者たちの中からひとり、またひとりと倒れる者が出ている。
すいの屁吸術だ。あの倒れていっているヤツらがきっと、すいが「立ち止まらざるを得なかった相手」……忍者だ。
「いくわよ、強ッ!」
「うぉぉぉッ!」
僕と詩織は、群衆に向かって跳んだ。
詩織の助言に従い、迫りくる男をひとりひとり、なんとかかんとか撃ち倒していく。
つたない僕とは違い、詩織は次々と相手を倒していっているようだ。時折、僕が手こずっているような相手には助太刀を入れてくれる。
プ、プププププ、ププ、プ~
夕闇の中、オナラの軽快なメロディが……すいの奏でるワルツが流れる中、僕たちは闘っている。僕たちは円舞を舞っているんだ。
「な、なんだ? こいつら……」
「こんなの聞いてねえぜ? 楽に稼げるっていうから乗ったんだ!」
僕たちの勢いに怖れをなした素人の襲撃者たちが次々と輪から離れ、四散していく。
すい、詩織、そして僕が、それぞれの相手を倒していっているのも合わせて、みるみるうちに包囲の壁が薄くなる。
終わりは近い。
「これは……一体、どうなっているんだ……」
サムウェイの声がする。驚きの色を隠せていない。
オナラのメロディも、クライマックスに向かってかき立てるようにその軽快さを増していく。
「捉えた、そこだぁッ! 失魂ッ!」
残りが十数人になろうかというところで、すいが大声を張り上げた。
と、僕の視界の右奥、公園内の夕暮れ景色がゆらりと揺らぐ。そこから、作務衣姿の男、サムウェイが現れた。忍術だろうか、近くにいながらその姿を景色に溶けこませ隠れていたのだ。
彼は、信じられない、といった驚愕の表情を浮かべている。
「見誤った……か」
プゥ
メロディの最後の跳ねるような一音が、サムウェイから発せられる。
糸が切れたように、彼の身体は音もなくその場に倒れた。
「ケッ! きたねえ音色だ……」
残った者たちは首謀者が敗れたことを悟ると、完全に戦意を失い、めいめいに逃げ去っていった。
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「つ、疲れた……」
僕はその場で尻からへたり落ちた。詩織もすいも、肩で息をしている。
「……しおりん」
「……はぁ……はぁ、うん……」
「今度ばかりは……はぁ……マジで助かったワ……」
「……ふふっ」
詩織が力なくではあるけれども、楽しそうに笑う。
「すいちゃんって、案外弱いんだね」
「なにぉ~」
眉間にしわを作って詩織をニラむすいだが、口元は笑っている。
「『ふたりで行く』なんてカッコつけたわりには、恥ずかしいお姿ですな~」
珍しい。詩織が人をからかっている。
「ぷふっ」
これに僕は噴き出した。
「あっはは、はは」
そろそろ完全に日も落ちる頃――三人の影が笑い合う。
「アタシも行くよ。強がなんと言おうと、アタシもふたりと一緒のところに行く。手伝わせてよ」
「……」
僕が押し黙っていると、詩織は僕に近寄ってきて、拳を放とうとする動作を見せた。
詩織の拳だ。僕の身体は疲れもあって、避けることはできないだろう。
受けてもいいかな、と観念したところに拳圧が迫ったが、その拳はピタリと僕の眼前で止まる。
さきほどまで何人もの男を倒してきたその拳は、ところどころの皮がむけ、血がにじんでいた。
「わっかんないヤツだな~。アタシは、強に付いていきたいって言ってんの!」
「……詩織」
「大体さあ、今回のことの発端って、アタシがソフィーちゃんに倒されたのがはじめだよ? もうガッツリと関わってるのに、いまさら、ねぇ?」
「……だってさ、ヨッシー。どうしましょっか」
拳を収めると、詩織は僕の目を真っ直ぐに見てくる。
笹原詩織。僕の幼馴染。家が空手道場をやっていて、自身もそこで鍛練に励む筋肉少女。
詩織が助けに現れてくれた時、その姿を見た時、いつもの詩織に戻ってくれていた時、僕は本当に嬉しかった。
「僕は弱い」
「知ってる」
「ソフィーのときや今日みたいに、詩織が危ない目に遭うかもしれない」
「承知の上よ。むしろそんな境地、どんどん迎えたいものね。強くなる絶好のチャンスだわ」
「僕は、詩織に普通の高校生活を送ってもらいたい。けど……」
「……けど?」
「詩織がいない僕の高校生活は……嫌だなって気づいた」
僕に向けられていた詩織の目から、涙がこぼれる。
それは、夕日の最後の残光が反射して、キレイに光った。
「行こう。詩織さえよければ、僕を手伝ってよ」
僕は、詩織に手を差し出す。応じて詩織が握手してきた。
詩織の手は思いのほか柔らかかったことに、長年の付き合いにもかかわらず初めて気が付いた。
「もう……クソばかつよし……」
「……はいはいはいはい、そ~こま~でよ! 泣くような感動的場面か~? ワタシが許すのはここまで! それに……」
すいがピン、と指を立てる。
と、どこからか、サイレンが近づいてくる音が聞こえることに気が付いた。
「ポリ公だ。ずらかるわよ!」
すいは、僕の放り出していた荷物を拾い上げると、ポンッと投げて寄越す。
「え、ちょっと! サムウェイ、ほっといて大丈夫なの?」
「オッケー、オッケー、カラオッケーよ!」
「また襲って来たり、するんじゃないの?」
「サムウェイにかけた失魂は三年は眠り続けるヤツ! 他の奴らもアイツの一族でしょうけど同じく!」
えぇ~……三年もの間、ずっと眠らせる?! やっぱり屁吸術は怖ろしい……。
「アイツらの残党も、仲間をこんな目に遭わされたら、ワタシたちにこれ以上ちょっかい出そうとはしてこないでしょ。ダイジョブダイジョブ~」
「そうかな、そんなもんかな……」
「いいからホレ、走れ!」
「もう、わかったってば!」
すいにせっつかれ、僕はとにもかくにも走り出した。
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「すいちゃん」
「ん~?」
「アタシ、負けないからね」
「何に負けないのかな~? ん~? いったい、何がかな~?」
「強と同じくらい、アタシ、すいちゃんのこと好きだから……。好きになったから。それも覚えておいてね」
「うぇ?! ……それは……え? 今年最初に咲いたユリの花的な?」
「友達として! ほら、アタシたちも行くよ!」
「……ワタシの虚を衝くとは、しおりん、侮りがたし……。……あ、ちょ、おま、待てよ~。置いてかんといて~」
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