第十五話 Nobody can help us except her
「やるしかないねぇ、こりゃぁ!」
すいはそう叫びながら、大挙して迫りくる男たちに向かって跳び出した。
「りゃぁああああぁ!」
僕を中心とした周囲を、すいが目にも止まらない速さで駆け抜けていく。
彼女が風のように駆けたその後には、男たちがバタバタと倒れていく。通りざまに倒しているんだ。
やっぱりすいの強さは尋常じゃない。あまりに速過ぎるためか、周囲に何人ものすいがいるようにさえ見える。
でも、なんだろう……。何か違和感がある……。
そう、オナラです。
オナラの音が聴こえないのだ。
すいが屁吸術を使っているなら、オナラの音が聞こえてきてもおかしくないはず。
「んっふっふっ……」
不気味な笑いが聞こえる。作務衣男、サムウェイの声だ。
この喧騒の中、姿は見えないが、なぜか声だけはハッキリと聴こえる。
「やはり目論見どおり、術を使いませんね。いや、使えない。そうでしょう? 屁吸のお嬢さん……」
なんだって? これは――すいが屁吸術を使わないこの状況は、サムウェイの仕組んだものだっていうのか?
「我が一族も決して浅くはない歴史を持ち、裏の世界の様々な知識の集積がございます。その中に屁吸のものも、もちろんございましたよ……。『屁吸の術は多勢に弱い』、という伝承がね。……屁吸は対個人に特化された暗殺の秘技。術者の力量にも依りましょうが、気を練った呼吸という「溜め」が必要な以上、多勢相手ではその「溜め」を練りきることができない。そこを突かせていただいてます。んっふっふっ……」
多勢に……大人数に弱い。あんなデタラメなチート術に、そんな普通の弱点があったのか。
確かに、今まで僕は、すいが座っていたり、構え立ちしている、「動いていない」時の屁吸術しか見たことがない……。集中して呼吸する必要があったんだ……。
すいは攻防をしながらだと屁吸術を使えない?!
「素人の集団だけでしたらこの間のように一気吸いをされてしまう可能性もありますが、中には我が一族の精鋭も潜んでおります。素人相手の一気吸いのスキなど見逃さない者たちがね。私どもに術を見せたのがアダとなりましたね……」
すいの動きをなんとか目で追う。
周囲をぐるりと駆け抜けていくなか、相手ひとりに対し、瞬きほどのささいな瞬間だけども立ち止まり、二、三発加えているときが度々ある。それがまるで残像のようになり、周囲に多数のすいがいるような錯覚を僕に見せているんだ。
この、すいが「立ち止まらざるを得ない相手」がサムウェイの一族、忍者なのだろう。
「あとは、お嬢さんが疲れ果てるのを待つのみ……。んっふっふっ……」
そんな……すいが、すいが……負ける?
僕は不甲斐なさの極み、ひとり絶望して、その場に膝をついた。
「うるしゃあああああ!!」
すいが叫ぶ。駆け抜けながら、叫んでいる。
「ゴチャゴチャゴチャゴチャ、うるっさいんだよッ! クソサムウェイが! 屁吸の弱点?! ワタシが力量不足ッ?! そんなん百も承知だっちゅうの!」
違う、違うんだ。すいは力不足なんかじゃない。こうして僕を、不甲斐ない僕を守ってくれている。
僕はフルフルと、力なくかぶりを振る。
「それでもワタシはァッ! ヨッシーを守るってェッ! 約束したんだからぁッ!!」
すいの移動速度が増す。取り囲む襲撃者たちが少しだけ遠ざかる。
だがそれもほんの少しの間だけで、襲撃者たちの包囲はまたジリジリと迫りつつある。
それに……すいの残像の数。つまりは、「立ち止まらざるを得ない相手」の数、増えてきてないか?
「んっふっふっ……。なるほど、素晴らしい献身です。ですが、ここからは我が一族の潜む割合が高まる、締めの段に入りますよ? いつまで強がりが持ちますかねぇ……」
やっぱり! クソサムウェイが! どこまでもえげつない!
「すい、すい!」
「何、ヨッシー?! ふたりの夜のお楽しみまではちょ~っと待っててね~!」
「もういい、もういいんだ! アイツの狙いは僕だけだ! すいは逃げてくれ!」
「いやぁね! 死ぬときは一緒よ、ってあの夜に約束したじゃな~い!」
どの夜にそんな約束をしたか?!
「ふざけてる場合じゃない! すいだけでも逃げて! 君ひとりなら逃げられるはずだ! 頼むッ!」
「も~ぅ! 答えは判りきってるくせに!」
そうだ。ここで僕に従って退くようなら、それはすいじゃない。
「あ~アレだわ~。これいい運動だわ~。最近、ご飯がおいしくて食べ過ぎだったからな~」
なんだ?
すいが駆け抜けながら、何か関係のないことを喋っている……。
「ダイエットにピッタリだな~、コレ。アレだわ、あいちんや近所の奥さんにも教えてあげないとな~。かごめかごめダイエット」
これは、ソフィーのときもやっていた、例の意味不明な強がり……か? この状況で? もしかして……僕に心配させまいと?
僕は視界がぼやけてきたのを自覚した。
ダメだ、ダメだ!
すいをひとりで戦わせておいて泣くなんて、そんなことしちゃいけない!
「あ、クソ! ミスったぁッ! ゴメン、ヨッシー、なんとか避けてぇッ!」
すいが叫ぶ。
背後を見ると、バットを持った男がひとり、すいの風の輪をすり抜けて僕に向かってくる。
すいが撃ち漏らしたんだ。疲れてきてるんだ……。
「うぉぉぉ!」
男がバットを上段に構えながら突進してくる。僕は目元を拭い、やっとの思いで立ち上がると、迫りくる男を凝視した。
怖い。足の震えが、止まらない。
僕は自分のフトモモに拳打を加えた。
避ける、避ける、避けてやるッ!
「特別ボーナス百万はいただいたぁッ!」
掛け声とともにバットが振り下ろされる。その瞬間、僕は右手に跳んだ。
ガァン!
男のバットは盛大な音を鳴らして地面を叩きつけた。
避けた……避けられた!
「ちくしょぉ。逃げてんじゃねえよ、百ま……」
男が言い終わらないうちに、僕の傍を風が駆け抜けたかと思うと、男は膝から折れて倒れた。
すいが周回してきて倒したんだ。
「さっすがヨッシー! マ、マイラブダーリン!」
僕を褒めるすいだけど、その声の勢いのなか、小さな息継ぎが聴こえる。
すいの疲れが増してきている……。
僕たちを取り囲む襲撃者たちの輪、終わりはまだ見えない。一体、サムウェイのヤツ、何人用意したんだ?! 僕たちは、これをしのぎきれるのか?!
「あぁぁッ! クソォッ! ゴメン、ヨッシー!」
またひとり、男が向かってくる。今度の得物は木刀。
これも何とか避けきった直後、すいが倒していった。
だが、彼女が僕のフォローに入る度、襲撃者たちの輪は確実に狭まってきている。
「んっふっふっ……。そろそろ終末が見えてきましたかね……」
「こんのクソ野郎ッ! 卑怯モンが!!」
僕は、自分でも驚くほどの怒声を張り上げた。
こんなに誰かを憎く思ったことがない。こんな高ぶりは初めてだ。
「おぉ、『ダイチ』の血がお怒りだ……。怖い、怖い……」
僕に力があれば、力さえあれば……!
「ヨッシー! そんな乱暴な言葉遣いダメよ~ん、めっめっ!」
「すい!」
「すいはそんな子に育てた覚えは、はぁ、覚えはないわ!」
「すいに育てられた覚えなんかないッ!」
「そう、ね! ……あぁッ! 今度はふたりも! どチクショウッ!」
すいの防御壁を、今度はふたりが抜け出してきた。
左手から、右背後から。僕のところまでたどり着くのはほとんど同時になるだろう距離を、一目散に駆けてくる。
これは、避けれるか? 二つも同時に相手して、僕は避けられるのか?!
その時だった。
「すいちゃん! アタシを通して!」
突然に、だが、僕の耳に慣れた声音が小さく聴こえてきた。
「合点承知ぃ~ッ!」
すいの応じる声の後、集団からひとり、飛び出してきた人影。
それは、今の僕にとっては今度こそ涙が出るほど嬉しい、見慣れた人物だった。
「詩織!」
「強、シャンとしなさい! 自分の敵くらい自分でなんとかしろ!」
現れるなり怒鳴りつける詩織。いつもの詩織だ。
「アタシはこっち! アンタはそっち! 倒しなさいよ!」
そう言って詩織は、左手から向かってきていた男目がけて突進していく。
その姿を見て僕は意を決し、右後方から迫る男に向き直った。
「すいちゃん、こいつらへの追撃は要らない! 強がきっと倒す!」
「しおりん、サンキュ! ヨッシー、頑張って!」
「避けたらアゴよ! 下から、アゴ目がけて思いっきり殴りなさい! 相手の攻撃なんて、少しくらいカスっても死にはしないから、臆せず撃ちなさい!」
「わかったッ!」
男が拳を構えて突っ込んでくる。コイツは得物を持っていない。
避ける、避ける……。避けて、アゴ、避けてアゴ……。
詩織だ。詩織の姿を思い出すんだ……。アイツなら、どのタイミングで拳を撃ち出してくる? どの距離で僕を殴ろうとする?
あと、三歩。
二歩。
一歩。
ココだッ!
男から拳が放たれた瞬間、僕は右に跳んだ。
だが、結局はド素人の僕だ。完全に避けきることはできず、拳が左肩をカスる。
チッと火傷のような痛みが一瞬走って体勢を崩しかけたが、なんとか左足を踏ん張ってこらえた。刹那、僕と男の身体が交差する。
「撃つの、今!」
ご感想、ご罵倒、ご叱責、お待ちしております!
もちろん大好物は褒めコメです!